中世ヨーロッパ– category –
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中世ヨーロッパ
オットー1世の戴冠(962年)と神聖ローマ帝国の誕生
962年、東フランク王オットー1世はローマで教皇から皇帝の冠を授けられ、中世ヨーロッパにおける新たな「西方皇帝」の権威が正式に復活しました。 これは、カール大帝以来途絶えていた皇帝位を再興し、のちに「神聖ローマ帝国」と呼ばれる政治体制の出発点... -
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教皇グレゴリウス7世とグレゴリウス改革 ― 教会改革運動の転換点
グレゴリウス改革とは、11世紀後半に教皇グレゴリウス7世によって推進された、教会の自主性と清廉性を回復するための改革運動です。 その核心には「聖職売買の禁止」「聖職者の独身制(独身義務)」「俗人による司教任命の排除(叙任権問題)」といった制... -
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大シスマ(教会大分裂) ― 教会の危機と再統合
大シスマ(教会大分裂、1378〜1417年)とは、ローマ・カトリック教会において複数の教皇が同時に存在し、互いに正統性を主張した分裂状態を指します。 ローマとアヴィニョンに教皇が並立し、やがてピサで「第三の教皇」が立てられるに至って、教会の信頼と... -
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アヴィニョン捕囚 ― 教皇権とフランス王権の対立と屈服
アヴィニョン捕囚とは、1309年から約70年にわたってローマ教皇がフランス領アヴィニョンに移住し、教皇庁がフランス王権の支配下に置かれた出来事を指します。 中世ヨーロッパにおいて絶対的な権威を誇ったローマ教皇が、国家に従属する「捕囚」のような立... -
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【完全解説】アナーニ事件:教皇ボニファティウス8世とフィリップ4世の対立の真相
アナーニ事件は、1303年にフランス王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世を急襲・幽閉した出来事です。 これは中世ヨーロッパにおける「教皇と国王」の対立が頂点に達し、教皇権の衰退と王権国家の台頭を象徴する重大事件として知られています。... -
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フランス王権とローマ教皇の対立 ― 王権国家と普遍教会の崩壊
ヨーロッパ中世の終盤、フランス王権とローマ教皇の対立は、単なる政治事件ではなく、千年にわたりヨーロッパを支配してきた「神の秩序」の崩壊を告げる転換点でした。 中世において、教皇は「神の代理人」として全ヨーロッパに精神的統一をもたらし、王は... -
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フリードリヒ2世 ― 最後の中世皇帝であり最初の近代人と呼ばれる理由とは?
フリードリヒ2世(在位1220〜1250年)は、神聖ローマ帝国の歴史においてひときわ異彩を放つ存在です。 彼はしばしば「最後の中世皇帝」でありながら、同時に「最初の近代人」と呼ばれます。 その理由は、単に軍事力や支配領域の広大さにあるのではなく、伝... -
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【各国別③】神聖ローマ帝国の封建社会 ― 皇帝と諸侯の分権構造
神聖ローマ帝国の封建社会とは、皇帝を頂点としながらも、実際には諸侯・司教・都市などが自立した極めて分権的な政治体制を指します。カール大帝の死後、帝国は分裂と再統合を繰り返し、10世紀にオットー1世が神聖ローマ帝国を再建しましたが、その支配は... -
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大空位時代とは ― 普遍帝国から領邦国家へ転換した時代の背景と影響
大空位時代(1254〜1273年)とは、神聖ローマ帝国において皇帝が約20年間も空位となった時期を指します。これは中世ヨーロッパ政治史において極めて異例の出来事であり、皇帝という“神の代理人”が不在であったことで、帝国の統治構造が根底から揺らぎまし... -
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神聖ローマ帝国とローマ教皇の対立 ― 普遍帝国と普遍教会の衝突
ヨーロッパ中世を貫いた最大のテーマのひとつが、「皇帝と教皇の対立」です。神聖ローマ帝国が「普遍帝国」を掲げて世俗の秩序を統べようとしたのに対し、ローマ教皇は「普遍教会」として精神的支配を主張し、両者はヨーロッパの覇権をめぐって長く激しく...