中世ヨーロッパ– category –
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メルセン条約とは ― ヨーロッパ分裂が確定した瞬間
メルセン条約は、870年にカロリング帝国の残された中部領を再分割した協定です。この条約によって、ヴェルダン条約(843年)で生じた三分体制が完全に崩れ、ヨーロッパの政治地図は、今日のフランス・ドイツ・イタリアの輪郭に近い形へと固まりました。背... -
教皇権の盛衰 ― カールの戴冠から宗教改革前夜までの精神的権威の軌跡
教皇権の盛衰は、ヨーロッパ中世史の中でも最も重要なテーマの一つであり、大学入試でも頻出の分野です。王権との主導権争いや、封建制度と並行して進んだ社会構造の変化を理解することは、中世ヨーロッパの「信仰と権力」の関係を読み解くうえで欠かせま... -
【各国別②】イギリスの封建社会 ― 王の強さが生んだ議会政治
イギリスの封建社会とは、王が全国の土地と封臣を直接支配した、中央集権的な封建制度を指します。同じヨーロッパの封建制でも、フランスが地方から自然発生的に形成された“王権の弱い封建制”だったのに対し、イギリスでは、1066年のノルマン征服を契機に... -
ピピンの寄進を徹底解説|フランク王国とローマ教皇領成立の始まり
ピピンの寄進は、8世紀半ば、フランク王国の王ピピン3世(小ピピン)がローマ教皇に土地を贈与した出来事です。この寄進によって、教皇は初めて独自の領土=「教皇領」を得て、宗教的指導者であると同時に世俗的支配者としての地位を確立しました。またピ... -
カールの戴冠 ― 弱き教皇と強き王が生んだ「ヨーロッパ」の原点
カールの戴冠は、800年12月25日、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇レオ3世がフランク王カール大帝に「西ローマ皇帝」の冠を授けた出来事を指します。この儀式は一見、単なる宗教的典礼の一幕に過ぎないように見えますが、後世のヨーロッパ史にお... -
ヴェルダン条約とは― カロリング帝国を三分した孫たちの争い
ヴェルダン条約は、843年にカロリング家の三兄弟が祖父カール大帝の帝国を三分した条約です。この出来事は、ヨーロッパ史における「統一から分裂」への転換点であり、フランク王国の終焉と中世ヨーロッパの幕開けを告げる重大な分水嶺となりました。当時、...
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