フランク王国– category –
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カロリング=ルネサンス ― カール大帝が築いた中世ヨーロッパ文化の再生
カロリング=ルネサンスは、8世紀末から9世紀初頭にかけて、カール大帝のもとで進められた学問と信仰の再興運動です。荒廃していた西ヨーロッパにおいて、ラテン文化・教育制度・写本活動の復活を目指したこの改革は、後の中世ヨーロッパ文化の基礎を築く... -
クローヴィスの改宗 ― ゲルマンの王がキリスト教世界に入った瞬間
クローヴィスの改宗は、496年ごろ、フランク王国の王クローヴィスがキリスト教(アタナシウス派)に改宗した出来事です。これは単なる宗教的転換ではなく、ゲルマン人の王が初めてローマ教会(正統派)と結びついた歴史的瞬間でした。当時のゲルマン諸王国... -
メルセン条約とは ― ヨーロッパ分裂が確定した瞬間
メルセン条約は、870年にカロリング帝国の残された中部領を再分割した協定です。この条約によって、ヴェルダン条約(843年)で生じた三分体制が完全に崩れ、ヨーロッパの政治地図は、今日のフランス・ドイツ・イタリアの輪郭に近い形へと固まりました。背... -
フランク王国の興亡|クローヴィスの改宗からカール大帝、そして帝国分裂までの軌跡
フランク王国とは、ローマ帝国崩壊後の西ヨーロッパで最初に成立した大国であり、キリスト教世界の礎を築いた王国です。481年にクローヴィスが建国して以降、教会との結びつきを強めながら勢力を拡大し、やがてカール大帝のもとで西ヨーロッパを統一しまし... -
ピピンの寄進を徹底解説|フランク王国とローマ教皇領成立の始まり
ピピンの寄進は、8世紀半ば、フランク王国の王ピピン3世(小ピピン)がローマ教皇に土地を贈与した出来事です。この寄進によって、教皇は初めて独自の領土=「教皇領」を得て、宗教的指導者であると同時に世俗的支配者としての地位を確立しました。またピ... -
メロヴィング朝の衰退と宮宰の台頭 ― カール=マルテルへと続く実権の時代
メロヴィング朝の衰退によって、フランク王国では王の権威が失われ、政治の実権が宮宰へと移っていきました。この「宮宰の台頭」は、単なる権力交代ではなく、王が名目的存在となり、家臣が国家を動かす中世的秩序のはじまりを意味します。背景には、王位... -
カールの戴冠 ― 弱き教皇と強き王が生んだ「ヨーロッパ」の原点
カールの戴冠は、800年12月25日、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇レオ3世がフランク王カール大帝に「西ローマ皇帝」の冠を授けた出来事を指します。この儀式は一見、単なる宗教的典礼の一幕に過ぎないように見えますが、後世のヨーロッパ史にお... -
ヴェルダン条約とは― カロリング帝国を三分した孫たちの争い
ヴェルダン条約は、843年にカロリング家の三兄弟が祖父カール大帝の帝国を三分した条約です。この出来事は、ヨーロッパ史における「統一から分裂」への転換点であり、フランク王国の終焉と中世ヨーロッパの幕開けを告げる重大な分水嶺となりました。当時、...
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