1648年のウェストファリア条約は、三十年戦争を終結させただけでなく、ヨーロッパの国際秩序を大きく変える転換点となりました。
その中でもスウェーデンは、この条約を通じて国際的な地位を飛躍的に高め、北欧大国として「バルト海帝国」の基盤を築きます。
本記事では、三十年戦争におけるスウェーデンの参戦背景から、ウェストファリア条約によって得た領土や外交上の成果を整理し、スウェーデンがどのように国際社会で影響力を確立したのかを徹底解説します。
受験生にとって重要な「条約内容」と「国際的意義」を整理することで、入試で狙われやすいポイントを明確にしていきましょう。
第1章 スウェーデンの三十年戦争参戦と国際的立場
まずは、スウェーデンがどのような経緯で三十年戦争に参戦し、ウェストファリア条約までにどのような立場を築いたのかを確認しておきましょう。
スウェーデンの動きは、単なる宗教対立の一部ではなく、バルト海支配とヨーロッパ国際政治に大きく関わるものでした。
1-1. 参戦の背景
スウェーデンは16世紀後半からバルト海沿岸で勢力を拡大し、北方の大国として成長していました。
グスタフ=アドルフ王の下で軍事改革を進め、近代的な常備軍を整備したスウェーデンは、三十年戦争の最中である1630年、プロテスタント諸侯を支援する名目で参戦します。
宗教的動機に加え、バルト海支配を強めることが最大の狙いでした。
1-2. グスタフ=アドルフの戦果
スウェーデン軍は、1631年のブライテンフェルトの戦いでカトリック軍を撃破し、北ドイツのプロテスタント勢力を大きく鼓舞しました。
グスタフ=アドルフは「獅子王」と称され、ヨーロッパの軍事バランスを一変させました。
1632年のリュッツェンの戦いで戦死したものの、スウェーデンの存在感は国際政治に強く刻まれます。
1-3. 戦後交渉における地位
グスタフ=アドルフの死後も、宰相アクセル=オクセンシェルナの外交努力によってスウェーデンは戦争を継続し、講和交渉でも大きな発言権を保持しました。
こうしてスウェーデンは、最終的なウェストファリア条約において有力な交渉当事者の一角を占めることになったのです。
入試で狙われるポイント
- スウェーデン参戦の動機は「プロテスタント擁護」と「バルト海支配」
- グスタフ=アドルフの軍事改革と戦死(ブライテンフェルトの戦い・リュッツェンの戦い)
- 宰相オクセンシェルナの外交による継戦と国際的発言力
- スウェーデンが三十年戦争に参戦した背景と、その後ウェストファリア条約に至るまでにどのように国際的地位を確立したのかを説明せよ。(300字程度)
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スウェーデンは16世紀末からバルト海沿岸で勢力を拡大し、グスタフ=アドルフ王のもとで常備軍を整備していた。三十年戦争では、プロテスタント諸侯を支援する名目とバルト海支配の拡大を目的として1630年に参戦した。1631年のブライテンフェルトの戦いでカトリック軍を破り、ヨーロッパにおける軍事的地位を高めたが、1632年のリュッツェンの戦いで国王は戦死した。しかし、宰相オクセンシェルナが外交を継続し、スウェーデンは講和交渉において有力な発言権を保持した。その結果、ウェストファリア条約で大幅な領土と権益を獲得し、北欧大国として国際的地位を確立した。
第1章: ウェストファリア条約とスウェーデン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
スウェーデンが三十年戦争に参戦したのは西暦何年か。
解答:1630年
問2
三十年戦争にスウェーデンを率いて参戦した国王は誰か。
解答:グスタフ=アドルフ
問3
スウェーデンが勝利した1631年の戦いは何か。
解答:ブライテンフェルトの戦い
問4
グスタフ=アドルフが戦死した戦いは何か。
解答:リュッツェンの戦い
問5
グスタフ=アドルフが整備した常備軍の特徴は何か。
解答:火器を効果的に用いた近代的軍制
問6
グスタフ=アドルフの死後、外交を指導した宰相は誰か。
解答:オクセンシェルナ
問7
スウェーデンが参戦した際に掲げた宗教的立場は何か。
解答:プロテスタント擁護
問8
スウェーデン参戦のもう一つの目的は何か。
解答:バルト海支配の拡大
問9
スウェーデンが講和交渉に参加した1640年代の条約名は何か。
解答:ウェストファリア条約
問10
三十年戦争の終結後、スウェーデンは国際社会でどのような評価を得たか。
解答:北欧大国として国際的地位を確立した
正誤問題(5問)
問1
スウェーデンはカトリック勢力を支援するために三十年戦争に参戦した。
解答:誤り(正しくはプロテスタント勢力を支援)
問2
グスタフ=アドルフは1631年のブライテンフェルトの戦いで戦死した。
解答:誤り(1632年リュッツェンの戦いで戦死)
問3
オクセンシェルナは、グスタフ=アドルフ死後もスウェーデン外交を主導した。
解答:正しい
問4
スウェーデンの参戦目的の一つは、バルト海支配を強化することであった。
解答:正しい
問5
ウェストファリア条約でスウェーデンは大国としての国際的地位を確立した。
解答:正しい
第2章 ウェストファリア条約とスウェーデンの領土・権益
1648年のウェストファリア条約によって、スウェーデンは大幅な領土と特権を獲得しました。
これにより「バルト海帝国」と呼ばれる国際的地位を確立し、ヨーロッパの列強の一角に数えられるようになります。
本章では、条約の具体的内容とスウェーデンが手に入れた権益を整理し、なぜこの時期に北欧大国となり得たのかを解説します。
2-1. 条約で得た領土
ウェストファリア条約において、スウェーデンは神聖ローマ帝国内の重要な領地を獲得しました。
- 西ポンメルン(バルト海沿岸の戦略的要地)
- ブレーメン司教領・フェルデン司教領(北ドイツの拠点)
これらの領土により、スウェーデンはバルト海から北ドイツへと影響力を拡大しました。
2-2. 帝国議会での影響力
条約では、スウェーデンは神聖ローマ帝国の諸侯会議(帝国議会)で発言権を持つ地位を確立しました。
これにより、単なる領土獲得にとどまらず、国際政治の場で大国として認められる存在となったのです。
2-3. 「バルト海帝国」の成立
領土と外交的地位を同時に獲得したスウェーデンは、17世紀後半に「バルト海帝国」と呼ばれる国際秩序の主役の一角となりました。
北欧大国としてフランスと同盟し、神聖ローマ帝国やポーランドに対抗しつつ、ヨーロッパの権力均衡に積極的に関与していきます。
入試で狙われるポイント
- スウェーデンは 西ポンメルン・ブレーメン・フェルデンを獲得
- 神聖ローマ帝国の 帝国議会で発言権 を得た
- 「バルト海帝国」として列強の一角に成長
- ウェストファリア条約によってスウェーデンが獲得した領土と外交上の権益について述べ、その歴史的意義を説明せよ。(300字程度)
-
1648年のウェストファリア条約でスウェーデンは、西ポンメルン、ブレーメン司教領、フェルデン司教領を獲得し、バルト海沿岸から北ドイツにかけての支配権を強めた。また、神聖ローマ帝国の帝国議会における発言権を認められ、国際政治における大国の地位を確立した。これによりスウェーデンは「バルト海帝国」と呼ばれる北欧大国として台頭し、以後のヨーロッパの勢力均衡において重要な役割を果たした。このことは、宗教戦争の終結と同時に、新しい国際秩序の成立を示す転換点となった。
第2章: ウェストファリア条約とスウェーデン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ウェストファリア条約の締結年はいつか。
解答:1648年
問2
条約でスウェーデンが獲得したバルト海沿岸の重要な地域はどこか。
解答:西ポンメルン
問3
スウェーデンが獲得した北ドイツの二つの司教領は何か。
解答:ブレーメン司教領・フェルデン司教領
問4
スウェーデンは神聖ローマ帝国のどの政治機関で発言権を得たか。
解答:帝国議会
問5
ウェストファリア条約後のスウェーデンを国際社会では何と呼んだか。
解答:「バルト海帝国」
問6
スウェーデンが同盟を結んで国際政治に関与した主要国はどこか。
解答:フランス
問7
ウェストファリア条約によってスウェーデンが得た地位は、単なる領土獲得にとどまらず何を意味したか。
解答:国際的大国としての承認
問8
スウェーデンの影響力拡大により弱体化した勢力はどこか。
解答:神聖ローマ帝国(特にハプスブルク家)
問9
スウェーデンが条約によって獲得した地位は、ヨーロッパ国際政治においてどのような役割を果たしたか。
解答:勢力均衡の一翼を担った
問10
ウェストファリア条約でのスウェーデンの台頭は、どのような国際秩序の成立と関連しているか。
解答:主権国家体制の成立
正誤問題(5問)
問1
ウェストファリア条約でスウェーデンはオランダを併合した。
解答:誤り(正しくは西ポンメルン・ブレーメン・フェルデンを獲得)
問2
スウェーデンは条約によって帝国議会での発言権を得た。
解答:正しい
問3
スウェーデンは「バルト海帝国」と呼ばれるほど国際的地位を高めた。
解答:正しい
問4
ウェストファリア条約でスウェーデンの立場は弱まり、領土を失った。
解答:誤り(逆に領土を獲得し大国化した)
問5
スウェーデンの台頭は、神聖ローマ帝国の相対的衰退と表裏一体であった。
解答:正しい
第3章 スウェーデン大国化の限界とその後の展開
ウェストファリア条約によって大国化を果たしたスウェーデンですが、その国際的地位は長期的に維持されることはできませんでした。
17世紀後半から18世紀にかけて、スウェーデンは「大国」としての役割を果たす一方で、資源や人口の制約、周辺諸国との対立によって次第に限界に直面します。
本章では、スウェーデンの国際的地位の持続性と衰退の過程を整理し、歴史的意義を見ていきます。
3-1. 大国としての最盛期
スウェーデンはウェストファリア条約後、フランスとの同盟を軸に神聖ローマ帝国やポーランド、デンマークとの戦争に関与しました。17世紀後半には、国際政治の仲裁者として一定の発言力を維持し、「北欧大国」として存在感を放ちました。
3-2. 限界と衰退の要因
しかし、スウェーデンの国力には限界がありました。人口規模が小さく、経済基盤も農業中心であったため、大規模な戦争を継続するには財政的・人的な負担が大きすぎたのです。加えて、ロシア・デンマーク・ポーランドなど周辺国が次第に力をつけ、スウェーデンの優位性を脅かしていきました。
3-3. 大北方戦争と地位の失墜
1700年からの大北方戦争で、スウェーデンはカール12世のもとロシア・デンマーク・ポーランドと戦いましたが、次第に劣勢となり、1721年のニスタット条約でロシアにバルト海の覇権を奪われました。これにより、スウェーデンの「バルト海帝国」としての国際的地位は決定的に失われ、ロシアが新たな大国として台頭しました。
入試で狙われるポイント
- スウェーデンは条約後に フランスと同盟 し大国化を維持
- 人口・経済規模の小ささ が長期的な制約となった
- 大北方戦争(1700〜1721) でロシアに敗北 → 国際的大国から転落
- スウェーデンがウェストファリア条約後に国際的地位を確立した一方で、その大国化に限界が生じた要因と、その帰結について述べよ。(300字程度)
-
ウェストファリア条約によってスウェーデンは西ポンメルンや北ドイツの領地を獲得し、帝国議会での発言権を得て国際的大国となった。しかし、スウェーデンは人口規模が小さく、経済基盤も農業中心であり、長期的な軍事行動を支える国力に限界があった。そのため、17世紀後半には周辺諸国との戦争で消耗し、18世紀初頭の大北方戦争ではロシア・デンマーク・ポーランドの連合と戦い、最終的に敗北した。1721年のニスタット条約でロシアにバルト海の覇権を奪われたことにより、スウェーデンは大国としての地位を失い、ヨーロッパの国際秩序における影響力は急速に低下した。
第3章: ウェストファリア条約とスウェーデン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
スウェーデンが大国として影響力を持った17世紀後半の同盟相手はどこか。
解答:フランス
問2
スウェーデンの国力に限界があった理由の一つは、人口規模が小さいことと何か。
解答:経済基盤が弱かったこと(農業中心)
問3
1700年に始まったスウェーデンの衰退を決定づけた戦争は何か。
解答:大北方戦争
問4
大北方戦争でスウェーデンを率いた国王は誰か。
解答:カール12世
問5
1721年に大北方戦争を終結させた条約は何か。
解答:ニスタット条約
問6
大北方戦争後、バルト海の覇権を握った国はどこか。
解答:ロシア
問7
スウェーデンが「バルト海帝国」と呼ばれた時期は、どの条約後に始まるか。
解答:ウェストファリア条約(1648年)
問8
スウェーデンの衰退と入れ替わるように大国化したのはどの国か。
解答:ロシア
問9
大北方戦争においてスウェーデンと戦った諸国を三つ答えよ。
解答:ロシア・デンマーク・ポーランド
問10
スウェーデンの大国化とその衰退は、ヨーロッパ国際秩序におけるどの概念と関わるか。
解答:勢力均衡
正誤問題(5問)
問1
スウェーデンはウェストファリア条約後、神聖ローマ帝国と同盟して国際的地位を維持した。
解答:誤り(正しくはフランスと同盟)
問2
スウェーデンの経済基盤は強力で、大国としての地位を長期的に維持できた。
解答:誤り(農業中心で国力に限界があった)
問3
大北方戦争は1700年に始まり、1721年のニスタット条約で終結した。
解答:正しい
問4
大北方戦争でスウェーデンを率いたのはカール12世であった。
解答:正しい
問5
大北方戦争後、ロシアがバルト海の覇権を握り、スウェーデンは大国としての地位を失った。
解答:正しい
まとめ ウェストファリア条約とスウェーデンの国際的地位
1648年のウェストファリア条約は、三十年戦争を終結させただけでなく、スウェーデンを北欧大国として国際社会に押し上げました。
参戦時の目的はプロテスタント擁護とバルト海支配の拡大であり、グスタフ=アドルフの軍事的成功とオクセンシェルナの外交努力によって、最終的に条約交渉の主役の一角を占めることができました。
その結果、西ポンメルンや北ドイツの領地を獲得し、帝国議会での発言権を手にしたスウェーデンは「バルト海帝国」として国際秩序に積極的に関与しました。
しかし、人口や経済基盤の弱さは長期的な制約となり、18世紀初頭の大北方戦争でロシアに敗北すると、大国としての地位を失ってしまいました。
スウェーデンの歩みは、近代ヨーロッパにおける 「勢力均衡」 の重要性を示す好例です。
大国として一時的に台頭しても、国力の限界や新興国の挑戦によって国際秩序は常に変動しました。
入試では、条約による領土獲得と国際的地位の確立、そして大北方戦争での衰退を一連の流れで押さえておくことが重要です。
スウェーデンとウェストファリア条約関連年表
年代 | 出来事 | 意義 |
---|---|---|
1630 | スウェーデン参戦(三十年戦争) | プロテスタント擁護・バルト海支配拡大が目的 |
1631 | ブライテンフェルトの戦い | グスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍が勝利 |
1632 | リュッツェンの戦い | グスタフ=アドルフ戦死、以後は宰相オクセンシェルナが外交主導 |
1648 | ウェストファリア条約 | 西ポンメルン・ブレーメン・フェルデン獲得、帝国議会で発言権を確立 |
17世紀後半 | フランスと同盟 | 「バルト海帝国」として大国化を維持 |
1700〜1721 | 大北方戦争 | カール12世のもとロシア・デンマーク・ポーランドと戦う |
1721 | ニスタット条約 | ロシアにバルト海の覇権を奪われ、大国の地位を喪失 |
フローチャート:スウェーデンの国際的地位の変遷
三十年戦争参戦(1630)
↓
ブライテンフェルトの戦い勝利(1631)
↓
グスタフ=アドルフ戦死(1632)
↓
オクセンシェルナの外交 → 講和交渉で発言力確保
↓
ウェストファリア条約(1648)
↓
西ポンメルン・ブレーメン・フェルデン獲得
帝国議会で発言権獲得
↓
「バルト海帝国」として大国化(17世紀後半)
↓
大北方戦争(1700〜1721)
↓
ニスタット条約(1721)
↓
ロシアの台頭 → スウェーデン大国の終焉
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