【各国別⑤】スペインの封建社会 ― 王権再統合と宗教的一体化

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スペインの封建社会は、封建制が地方ごとに発達しながらも、レコンキスタ(国土回復運動)を通じて王権が再統合され、宗教と王権が結びついた独自の社会構造でした。

同じ西ヨーロッパでも、フランスやドイツが「封建制の分権」を経験したのに対し、スペインでは“戦いの中で中央集権化が進む”という異例の発展を遂げました。

封建制がバラバラな地方勢力を生み出した一方で、イスラーム勢力との長期戦争が王権を強化し、最終的には宗教的統一を軸とする国民国家へとつながっていきます。

本記事では、封建制とレコンキスタの関係を軸に、スペイン中世の特異な封建社会を探ります。

序章:スペイン封建制の全体像 ― 信仰と戦いが生んだ特異な社会構造

スペインの中世社会は、ヨーロッパの中でも特異な発展を遂げました。

それは単なる封建制の一形態ではなく、戦争(レコンキスタ)と宗教(キリスト教信仰)という二つの軸によって形成された「戦う封建社会」でした。

フランスやイギリスでは、封建制がやがて中央集権と近代化へとつながっていきましたが、スペインでは逆に、信仰を基盤とする国家統一が封建的秩序を再生・強化する方向に作用しました。

この独自の構造が、スペインを「信仰の国家」として輝かせる一方で、近代化を遅らせる要因にもなったのです。

以下のチャートでは、スペイン封建制の形成から絶対王政、そして近代化の遅れに至るまでの流れを体系的に整理しています。

この図を理解すれば、後半に掲載する論述問題(全5題)にも十分対応できるはずです。

封建制・宗教・王権・近代化の関係を、因果の流れとして捉えてみましょう。

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【スペイン封建制の特徴と歴史的展開】

【封建制の性格】

戦争(レコンキスタ)を通じて形成された「軍事的封建制」
→ 戦功による土地分配(封土)と軍事奉仕による主従関係
→ 「戦う封建制」=防衛と拡張を両立する社会構造

【宗教の役割】

キリスト教信仰が封建秩序を正当化
→ 教会・修道院が土地支配を担い、封建社会を再建
→ サンティアゴ=デ=コンポステーラ巡礼・宗教裁判所などによる「信仰的統合」
→ 「信仰=忠誠」の社会

【王権の強化】

フェルナンド&イサベル(カトリック両王)による統一
→ 封建諸侯・騎士団を国王直轄化
→ 宗教を国家統合の原理とする「宗教的絶対王政」
→ 封建的忠誠を「宗教的服従」に転換

【近代化の遅れ】

信仰による統合が社会を硬直化
→ 宗教裁判所による思想統制
→ 封建的土地所有(ラティフンディア)の温存
→ 名誉と血統を重んじる貴族社会(イダルゴ精神)
→ 「精神的封建制」による近代化の遅滞

【歴史的意義】

封建制を克服せず、宗教的に再構築した例外的モデル
→ 「封建制の宗教的昇華」
→ 「信仰の国家」としての栄光と限界

問1:スペインの封建制の特徴を説明せよ。

解答例:
スペインの封建制は、イスラーム勢力との戦いの中で形成された軍事的封建制である。戦功による土地分配が忠誠関係を生み、封建制が分権ではなく王権強化の手段として機能した点に特徴があった。

問2:レコンキスタが王権の強化につながった理由を述べよ。

解答例:
レコンキスタでは諸侯や騎士が王の指揮のもとで戦い、戦功によって王から土地を与えられた。戦争が続いたため王が軍事と封土の分配を統括し、封建貴族の自立を抑えた。その結果、スペインでは封建制が王権の再統合を支える枠組みとなった。

問3:スペインにおける宗教と王権の関係を説明せよ。

解答例:
カトリック両王は宗教統一を国家統一の基盤とし、異端審問を通じて信仰と政治を結びつけた。教会や修道会は王権の支配下に置かれ、貴族や騎士団も宗教的忠誠を誓うことで再編された。この体制では、封建的主従関係が宗教的服従へと転化し、“信仰による中央集権”が実現した。

問4:スペインで近代化が遅れた要因を、封建制との関係から説明せよ。

解答例:
スペインでは封建的土地所有が長く残り、大貴族と教会が経済を支配した。商業や産業の発展が抑制され、社会的流動性が低下した。宗教裁判所が思想を統制し、合理的改革が阻まれたため、封建的価値観が精神的にも制度的にも維持された。このため、フランスやイギリスのようなブルジョワ的変革が進まず、中央集権国家でありながら近代化は著しく遅れた。

問5:他国と比較して、スペインの封建社会の特異性を述べよ。

解答例:
フランスでは封建制が社会の骨格として機能し、王権が再統合して絶対王政を生んだ。ドイツ(神聖ローマ帝国)では制度的封建制が分権を固定化し、国家統一を阻んだ。これに対しスペインでは、戦争と信仰を通じて封建制が再統合され、王権と宗教が結びついた“信仰の国家”が成立した。封建制が中央集権化を支える例外的発展を遂げたが、その宗教的性格がのちに思想統制と経済停滞を招いた。

目次

第1章:地方封建制とレコンキスタ ― 戦いが生んだ社会的連帯

スペインの中世社会を理解するうえで、封建制とレコンキスタの関係は欠かせません。

西欧では封建制が平時の秩序として発達しましたが、スペインでは「戦いの中から生まれた封建制」として独自の形をとりました。

この章では、イスラーム勢力との長い抗争を背景に、地方ごとに異なる封建制がどのように形成され、最終的に統一王国へとつながっていったのかを見ていきます。

正誤問題
レコンキスタの過程で形成されたスペインの封建制は、フランスやイギリスと同様に、平時の土地支配と主従関係を基礎とする「秩序のための封建制」であった。
解答:✕(誤り)
🟦【解説】
スペインの封建制は「戦争の中で機能する封建制」であり、イスラーム勢力との戦い(レコンキスタ)を通じて形成された。戦功による土地授与や軍事奉仕が基盤であり、フランスのような平時の社会秩序ではなく「軍事的封建制」であった。

1. イベリア半島の多様な出発点

スペインの封建社会は、他国と比べて極めて複雑な出発点を持っています。

8世紀初頭、イスラーム勢力(ウマイヤ朝)がイベリア半島を征服し、キリスト教勢力は北部の山岳地帯(アストゥリアス地方など)にわずかに残るだけでした。

以後、イスラーム勢力に対する長い反攻――レコンキスタ(国土回復運動)――が始まります。

この戦いは単なる宗教対立ではなく、キリスト教貴族が土地を奪還して新たな封建的支配を確立する過程でもありました。

フランスでは封建制が「平時の秩序」として生まれたのに対し、
スペインでは封建制が「戦争の中で機能する秩序」として発展したのです。

2. 地方ごとの封建制 ― アラゴン・カスティリャ・ナバラ

レコンキスタの過程で、イベリア半島北部には複数の王国が誕生しました。

王国特徴
アストゥリアス王国 → レオン王国最初期のキリスト教王国。封建貴族が王と協力して再征服を推進。
カスティリャ王国辺境地帯の「城(カスティーリャ)」を拠点に軍事貴族が形成。強力な封建軍事組織を持つ。
アラゴン王国地中海交易を通じて発展し、のちにカタルーニャと合同。商業都市の力も大きい。
ナバラ王国ピレネー山脈を挟んでフランス文化の影響が強く、封建制もフランス型に近い。

このように、スペインの封建社会は“地域ごとの封建制のモザイク”でした。

しかし、これらの地方勢力は共通の敵=イスラーム勢力に対して協力し、「戦いによる社会的連帯」が封建的分裂を超える原動力になりました。

3. レコンキスタと「王の力の再興」

長期にわたる戦争は、封建貴族の軍事力を必要としつつも、戦争を指揮する王の地位を高める結果をもたらしました。

戦功によって得た土地(再征服地)は王が分配し、臣下の忠誠は「封土の契約」ではなく「軍事奉仕の誓い」として結ばれました。

つまり、スペインでは封建的主従関係が戦争による“上からの統制”のもとで成立した。

それが、のちの強力な王権の土台となったのです。

4. 宗教と封建制の融合 ― 教会の役割

レコンキスタの進展とともに、教会は土地の再開発と統治に大きな役割を果たしました。

修道院は新たに奪還された土地を開墾し、信仰と封建的支配を結びつけました。

聖地巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラは、宗教的信仰と国家意識を結びつける象徴的な存在となります。

教会が信仰と封建制を媒介する存在だった点で、スペインは“宗教を通じて統一された封建社会”と言えます。

5. 統合への道 ― フェルナンドとイサベルの結婚

15世紀、アラゴン王フェルナンドとカスティリャ女王イサベルが結婚し、両王国が統合されてスペイン王国が成立しました。

この統合は単なる政略結婚ではなく、長い封建分裂とレコンキスタを経た「王権と宗教の統一」の完成でした。

1492年にはグラナダ陥落によりレコンキスタが完了し、同年、コロンブスが新大陸へ出航します。

封建制の軍事・宗教的秩序の上に、新しい帝国的国家が誕生した瞬間でした。

📘 まとめ

観点内容
封建制の性格戦争と土地再征服の中で形成された軍事的封建制
王権戦争指揮を通じて強化され、封建的分裂を統合
宗教国家統一の中心原理として機能(信仰=忠誠)
歴史的意義封建制が「統合」を生むという例外的発展

スペインの封建社会は、分権を克服して王権を再統合し、信仰による一体化を実現した“戦う封建社会”でした。

その構造は、後の絶対王政や大航海時代の基盤となります。

正誤問題
フェルナンドとイサベル(カトリック両王)は、宗教裁判所を通じて信仰の統一を図り、封建貴族や騎士団の権力を王権下に再編することで、宗教的絶対王政を築いた。
解答:〇(正しい)
🟦【解説】
カトリック両王は1478年にスペイン宗教裁判所を設立し、異端審問を通じて国内統合を進めた。教会・修道会・騎士団を王の支配下に置き、信仰による国家統一を実現。これが「宗教的絶対王政」と呼ばれるスペイン特有の統治形態である。

第2章:宗教と王権 ― 封建社会から絶対王政への転換

スペインの中世から近世への転換は、単なる政治制度の変化ではありませんでした。

長いレコンキスタを経て誕生した王国は、信仰と戦争によって築かれた封建社会を、宗教と王権の融合によって再構築していきます。

この章では、カトリック両王からカルロス1世に至るまで、宗教を基盤とした中央集権化の過程と、封建制がどのように絶対王政へと姿を変えていったのかを見ていきます。

1. レコンキスタ後の課題 ― 「戦いの後の統治」

1492年のグラナダ陥落でレコンキスタが完了すると、スペインは広大な領土と多様な民族・宗教を抱える国家となりました。

キリスト教徒・ムスリム・ユダヤ教徒が混在する社会をどう統治するか――

これが、封建制の再編を迫る最大の課題でした。

従来の地方貴族(グランデス)や騎士団(カラトラバ・サンティアゴなど)は、レコンキスタの英雄として権力を誇りましたが、彼らの自治は王の支配を阻む要因にもなりました。

戦争によって強まった王権は、平和によって再び挑戦されました。スペインの王は、統一後に“封建諸侯の再封建化”と戦うことになったのです。

2. 王権と教会 ― 信仰による国家統合

フェルナンドとイサベル(カトリック両王)は、国家統一の理念を「信仰の純化」として掲げました。

その中心的役割を果たしたのがスペイン宗教裁判所(1478年設立)です。

この裁判所は、異端の取り締まりを通じてムスリム改宗者(モリスコ)やユダヤ教徒改宗者(コンベルソ)を監視し、
王権が宗教的正統性を独占する体制を確立しました。

ここでは、封建的主従関係が宗教的忠誠へと置き換えられたのです。

3. 絶対王政への道 ― 教会と貴族の再編成

封建社会では、地方貴族や修道院が各地の土地と民を支配していました。

しかし両王は、これらの勢力を王権の下に再編します。

  • 修道会や騎士団を国王直轄化
  • 貴族の私兵組織を禁止し、常備軍を設立
  • 地方議会(コルテス)の権限を縮小
  • 王室官僚制を整備し、司法・財政を中央集権化

このように、封建的分権を“信仰の名の下で吸収する”という手法がとられました。

それにより、スペインではフランス型の絶対王政よりも早く、強力な「宗教的中央集権国家」が誕生します。

スペイン絶対王政の強さは、封建制を否定したからではなく、封建的忠誠を“宗教的忠誠”に置き換えたことにありました。

正誤問題
スペインの封建社会は、教会や修道院が土地支配の中心を担い、宗教と封建的秩序が一体化していたため、近代化は信仰の衰退とともに急速に進んだ。
解答:✕(誤り)
🟦【解説】
教会が土地支配と精神支配の両方を担ったため、信仰の衰退による変化はむしろ遅かった。
啓蒙思想や産業化の波に対しても抵抗が強く、近代化は18〜20世紀まで遅延。
スペインは「信仰の国家」として封建制を最も長く保持した。

4. コロンブスの航海と新世界 ― 封建制の超克

1492年、コロンブスが大西洋航路を開き、新大陸の征服と植民が始まります。

ここでスペインが築いたのは、ヨーロッパ封建制を超えた世界規模の支配体制でした。

征服者(コンキスタドール)は王の名において土地を得る“新たな封土”を受け、先住民を支配する「エンコミエンダ制」が導入されます。

これは封建的主従関係を海外に再現したものであり、国内では終わりを迎えつつあった封建制が、新世界で延命した形でした。

正誤問題
エンコミエンダ制は、ヨーロッパ封建制の主従関係を新大陸で再現したものである。
正しい(〇)
🟦【解説】
「恩貸地=エンコミエンダ(委託地)」の構造は、封建制の延長。
王が征服者に土地と支配権を与え、代わりに忠誠と布教を求めた。

:スペインの封建制が新大陸で再生したことの世界史的意義を200字程度で述べよ。

解答例:
スペインは、封建制の構造をそのまま新大陸に移植することで、ヨーロッパの社会秩序を世界規模に拡張した最初の国家であった。王を頂点とする宗教的支配と、土地支配に基づく主従関係が大西洋世界の社会モデルとなり、のちの植民地帝国の原型を形成した。これは封建制が滅びるのではなく、形を変えて世界的支配システムへと転化したことを意味する。したがってスペインの海外進出は、封建制の終焉ではなく、その「地理的拡張」としての歴史的転換点であった。

5. カルロス1世(カール5世)と帝国の形成

両王の孫カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は、スペイン・ネーデルラント・オーストリア・新大陸を統べる「日の沈まぬ帝国」を築きました。

この巨大な帝国の中心には、封建的忠誠でも地方自治でもなく、王への宗教的信仰と普遍的カトリックの理念がありました。

📘 まとめ

観点内容
封建制の再編諸侯・騎士団・修道会を王の支配下に再編
統治原理忠誠の基盤を「信仰」に転換
社会構造封建的身分を残しつつ、中央集権化を実現
海外進出封建的支配関係を新世界で再生(エンコミエンダ制)
歴史的意義封建制を宗教的統合へと変質させた国家形成モデル

スペインは「封建制の崩壊」で近代化したのではなく、むしろ封建制を宗教と王権の融合体に作り替えることで、世界帝国への道を切り開いたのでした。

第3章:封建的伝統の残存と近代化の遅れ ― 「信仰の国家」の限界

レコンキスタと絶対王政を経て統一を果たしたスペインでしたが、その統一の基盤であった「信仰」と「封建的忠誠」は、やがて近代化の足かせとなっていきます。

この章では、信仰による秩序がどのように社会や経済を硬直化させ、封建的伝統が精神や文化の中にまで残存したのかを通して、「信仰の国家」としてのスペインの限界を探ります。

1. 信仰による統合がもたらした硬直化

15〜16世紀のスペインは、信仰による国家統合に成功した稀有な例でした。

しかし、その成功がそのまま社会の硬直化をもたらします。

宗教裁判所による異端審問や思想統制は、国内の多様性を排除し、批判や改革の芽を摘み取りました。

封建的身分秩序も「神の定めた秩序」として正当化され、社会的流動性が著しく低下していきます。

信仰は秩序を与えたが、変化を許さなかった。
スペインの「統一」は、近代の「停滞」と裏表だった。

2. 経済構造の封建的性格 ― 地主貴族と農民の固定化

スペインの農村社会では、封建的土地所有が長く残りました。

特にメセタ高原の大農場(ラティフンディア)は、大貴族や教会が支配する封建的土地構造の典型です。

農民は依然として地代や労役によって支配され、商業や産業の発展は他国(特にオランダやイギリス)に遅れを取りました。

新大陸からの金銀が国内生産を支えるどころか、封建的経済構造を温存し、「富は入るが社会は変わらない」という逆説が生まれました。

正誤問題
新大陸からの銀流入によってスペインの産業は発展し、ヨーロッパ随一の経済大国となった。
誤り(✕)
🟦【解説】
銀流入による一時的な繁栄はあったが、封建的土地所有と商工業の軽視により経済構造の近代化は進まなかった。むしろ物価上昇(価格革命)により国内経済は疲弊した。

新大陸からの銀の流入により、スペインは産業革命の先駆的国家となり、封建制から最も早く脱却した。
解答:✕(誤り)
🟦【解説】
新大陸の銀は国内産業の発展ではなく、王室の財政・戦費・贅沢品購入に費やされた。
封建的土地所有(ラティフンディア)と貴族的価値観(イダルゴ精神)が温存されたため、
富が流入しても経済構造は近代化せず、むしろ封建制の延命を招いた。

問:新大陸からの銀の流入がスペインの経済発展や近代化を促さなかったのはなぜか。(250字前後)

解答例:
16世紀以降、新大陸から大量の銀が流入したが、それはスペイン経済を近代化させる契機にはならなかった。土地は依然として大貴族や教会が支配し、封建的土地所有(ラティフンディア)が温存されたため、生産や商業への投資が進まず、国内産業は発展しなかった。また、貴族社会では労働を卑しむイダルゴ精神が支配的で、富は生産よりも消費と贅沢に費やされた。さらに銀の多くは戦費や輸入品購入に使われ、結果として経済はオランダやイギリスに依存した。こうしてスペインは、富の集中にもかかわらず封建的構造を脱せず、近代化に失敗した例外国家となった。

3. 貴族の栄光と没落 ― 封建的名誉の重さ

貴族(グランデス)たちは依然として高い社会的地位を保ちましたが、彼らの多くは農業経営や産業投資に消極的で、
「名誉」と「血統」を守ることを優先しました。

彼らにとって労働や商業は“卑しい行為”と見なされ、新興ブルジョワ階級の台頭を阻む文化的障壁となりました。

この精神的伝統は“イダルゴ(下級貴族)精神”として、誇り高いが非生産的な社会気質を形づくります。

フランスがブルジョワ革命で封建貴族を倒したのに対し、スペインでは「誇り高き貧困」が封建精神を延命させました。

4. 政治の地方化と王権の限界

絶対王政の下でも、スペインの中央集権は不完全でした。

各地方(カスティリャ、アラゴン、ナバラなど)は独自の法(フエロ)と議会(コルテス)を保持し、王権の命令が全国に均一に及ぶことはありませんでした。

とくにアラゴンやカタルーニャでは商業勢力が強く、封建貴族と都市貴族の妥協による政治が続きました。

これは「封建制の名残」として、地方自治と貴族的特権が近代的国家形成を妨げる要因となりました。

スペインの王は強力であっても、国家は統一されていなかった。
封建制は倒されたのではなく、“地方ごとに温存された”のである。

5. 精神の封建制 ― 信仰と名誉の社会

17世紀に入ると、スペインの衰退は経済的というより精神的なものでした。

国家も社会も、神への信仰と貴族的名誉に支配され、合理的改革や近代的思考を「異端」と見なす傾向が強まります。

この精神的封建制は、科学や思想の発展を阻害し、政治の近代化を妨げ、結果として、ヨーロッパの中心から周縁へと後退させました。

スペインは「封建制を克服できなかった国」ではない。
「封建制を精神として昇華してしまった国」であった。

📘 まとめ

観点内容
社会構造封建的土地所有・身分秩序の存続
経済封建体制が商業化を抑制、産業化の遅れ
政治地方分権と貴族特権の温存
精神文化名誉と信仰による“精神的封建制”
歴史的帰結統一国家でありながら、近代化の最も遅れた西欧国家

スペインは、封建制を戦いによって克服したが、信仰によって再び内面化しました。

それが「信仰の国家」の栄光と限界であり、封建社会から近代国家への道を最も遠回りにした国でした。

第4章:スペイン近代化への遠い道 ― 「信仰国家」から「立憲国家」へ

本記事のテーマは「スペインの封建社会」ですが、最終章では近代化の過程を扱います。

なぜなら、歴史的に見ると「近代化」とはすなわち封建制度の終焉を意味するからです。

つまり、スペインがどのように近代国家へ移行していったかをたどることは、同時に「封建的秩序がいつ、どのように崩れていったか」を明らかにすることでもあります。

スペインの場合、封建制が宗教と深く結びついていたため、その崩壊(=近代化)はヨーロッパの中でも特に遅く、複雑な道のりをたどりました。

したがって、この第4章では、封建制の終焉=スペインの近代化の歩みとしてその流れを見ていきます。

スペインの歴史を貫くテーマは、「信仰による統一」と「近代化への遅れ」の二重構造にあります。

フランスやイギリスでは、絶対王政が封建制を克服し、国家の近代化を推し進める契機となりました。

しかしスペインでは、絶対王政が封建制の延命装置となり、信仰による統一が合理的な改革を阻んだのです。

この章では、スペインがどのようにしてヨーロッパの近代化に追いつこうとしたのか、その苦闘の軌跡をたどります。

1. 英仏との対比 ― 近代化の“時差”

観点フランスイギリススペイン
絶対王政の役割封建制の克服、国家統合議会との対立・調和を経て立憲国家へ封建制の再生・信仰国家の形成
近代化の時期17〜18世紀(啓蒙専制・革命)17世紀(市民革命)、18世紀(産業革命)18世紀末〜20世紀後半(断続的)
近代化の方向理性・法・市民社会自由・議会・経済発展信仰・封建・名誉による停滞
社会の転換身分制の崩壊 → 平等社会へ中産階級の台頭 → 立憲制確立封建的身分制と教会権力の持続

つまり、英仏では「絶対王政=近代の通過点」でしたが、スペインでは「絶対王政=封建的信仰国家の完成形」だったのです。

2. 第1段階:ブルボン改革(18世紀)― 外からの近代化

17世紀の衰退を経て、18世紀初頭にハプスブルク家が断絶し、フランス系のブルボン家(フェリペ5世)が即位します。

この王朝交代が、スペインの近代化の最初の試みでした。

  • フランス式官僚制・常備軍を導入
  • 植民地貿易の自由化(セビリア独占の廃止)
  • 教会の特権を一部制限(王権による統制強化)
  • 科学・教育の振興(啓蒙思想の影響)

しかし、これらの改革は“上からの模倣”にとどまり、社会の意識構造(信仰と身分秩序)を変えることはできませんでした。

封建的土地制度や貴族の特権は依然として健在で、近代化の基盤は整わなかったのです。

3. 第2段階:自由主義革命と内戦(19世紀)― 信仰国家との衝突

本格的な近代化の試みは、ナポレオン戦争(1808〜1813年)が契機となりました。

ナポレオンの侵入に抵抗した民衆蜂起は、同時に「国民意識」の芽生えでもありました。

  • 1812年:カディス憲法制定(立憲主義の出発点)
  • 1830年代:カルリスタ戦争(保守派=信仰国家 vs 自由主義派)
  • 1868年:革命によりイサベル2世退位、共和制樹立(短命)

この時代のスペインは、「信仰国家」と「立憲国家」が真っ向から衝突した時期でした。

つまり、近代化=信仰の国家からの脱皮を意味していたのです。

4. 第3段階:20世紀の再出発 ― フランコ体制から民主化へ

20世紀前半、スペインは再び信仰国家に戻ります。

1936〜39年のスペイン内戦では、共和派(民主派)とフランコ将軍(保守派・カトリック支持)が激突。

勝利したフランコ体制(1939〜75年)は、宗教と国家を再び結びつける「20世紀の封建的独裁」でした。

しかし、フランコの死後――

  • 1975年:フアン=カルロス1世即位(王政復古)
  • 1978年:新憲法制定 → 立憲民主主義国家へ

こうしてスペインは、ついに宗教と国家の分離を実現し、真の近代国家となりました。

つまり、ヨーロッパの中で最も遅れて「信仰国家」から脱皮した国だったのです。

5. まとめ ― 「信仰の国家」が近代国家へ変わるまで

時期内容近代化の段階備考
15〜16世紀レコンキスタ・絶対王政封建制の宗教的再構築近代化の前提を欠く
18世紀ブルボン改革制度的近代化の萌芽上からの改革にとどまる
19世紀自由主義革命・内戦社会的近代化の試行信仰国家との衝突
20世紀後半民主化(1978年憲法)真の近代国家の成立宗教と国家の分離

スペインの近代化は、18世紀に始まり、20世紀後半にようやく完成しました。

その歩みは、信仰と封建制の強固な結合を解きほぐす長い過程であり、絶対王政が近代化の契機となった英仏とは対照的に、「信仰国家から立憲国家へ」という最も遠回りな道をたどったのです。

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