ヨーロッパ史– category –
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ヨーロッパ史
宗教改革とは? ― 教会への不信から主権国家、そして啓蒙思想へ至るヨーロッパ史の転換点
宗教改革とは、16世紀ヨーロッパに起きた「信仰の再生運動」であると同時に、中世的な普遍秩序が崩れ、近代ヨーロッパが誕生する転換点でもありました。 多くの人が「免罪符を批判したルターの信仰運動」として学びますが、その背後には、何世紀にもわたっ... -
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フランス王権とローマ教皇の対立 ― 王権国家と普遍教会の崩壊
ヨーロッパ中世の終盤、フランス王権とローマ教皇の対立は、単なる政治事件ではなく、千年にわたりヨーロッパを支配してきた「神の秩序」の崩壊を告げる転換点でした。 中世において、教皇は「神の代理人」として全ヨーロッパに精神的統一をもたらし、王は... -
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フリードリヒ2世 ― 最後の中世皇帝であり最初の近代人と呼ばれる理由とは?
フリードリヒ2世(在位1220〜1250年)は、神聖ローマ帝国の歴史においてひときわ異彩を放つ存在です。 彼はしばしば「最後の中世皇帝」でありながら、同時に「最初の近代人」と呼ばれます。 その理由は、単に軍事力や支配領域の広大さにあるのではなく、伝... -
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【各国別③】神聖ローマ帝国の封建社会 ― 皇帝と諸侯の分権構造
神聖ローマ帝国の封建社会とは、皇帝を頂点としながらも、実際には諸侯・司教・都市などが自立した極めて分権的な政治体制を指します。カール大帝の死後、帝国は分裂と再統合を繰り返し、10世紀にオットー1世が神聖ローマ帝国を再建しましたが、その支配は... -
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大空位時代とは ― 普遍帝国から領邦国家へ転換した時代の背景と影響
大空位時代(1254〜1273年)とは、神聖ローマ帝国において皇帝が約20年間も空位となった時期を指します。これは中世ヨーロッパ政治史において極めて異例の出来事であり、皇帝という“神の代理人”が不在であったことで、帝国の統治構造が根底から揺らぎまし... -
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神聖ローマ帝国とローマ教皇の対立 ― 普遍帝国と普遍教会の衝突
ヨーロッパ中世を貫いた最大のテーマのひとつが、「皇帝と教皇の対立」です。神聖ローマ帝国が「普遍帝国」を掲げて世俗の秩序を統べようとしたのに対し、ローマ教皇は「普遍教会」として精神的支配を主張し、両者はヨーロッパの覇権をめぐって長く激しく... -
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インノケンティウス3世と教皇権の頂点 ― 王をも超えた中世の支配者
中世ヨーロッパにおいて、教皇インノケンティウス3世は「神の代理人」として絶対的な権威を振るった人物です。 彼の時代(12〜13世紀)は、ローマ教皇が政治・宗教の両面でヨーロッパを主導した教皇権の最盛期として知られています。 その権力は、皇帝や国... -
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【各国別⑤】スペインの封建社会 ― 王権再統合と宗教的一体化
スペインの封建社会は、封建制が地方ごとに発達しながらも、レコンキスタ(国土回復運動)を通じて王権が再統合され、宗教と王権が結びついた独自の社会構造でした。同じ西ヨーロッパでも、フランスやドイツが「封建制の分権」を経験したのに対し、スペイ... -
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東方貿易と中世ヨーロッパの三大商業圏 ― 地中海・内陸・北海を結んだ交易のネットワーク
ヴェネツィアやジェノヴァといった地中海の海洋都市、フランス内陸のシャンパーニュ定期市、そして北ドイツやバルト海沿岸のハンザ同盟都市これらは、中世ヨーロッパにおける三大商業圏――地中海商圏・内陸商圏・北海商圏――を代表する中心地でした。 9〜10... -
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アジャンクール・クレシー・ポワティエの戦いとは?― 騎士制の没落を象徴した百年戦争の転換点
中世ヨーロッパの戦場を支配した「騎士」は、勇気と名誉の象徴でした。 しかし、14〜15世紀の百年戦争では、その輝かしい伝統が音を立てて崩れ去ります。クレシーの戦い(1346年)・ポワティエの戦い(1356年)・アジャンクールの戦い(1415年)これら三つ...