ときおぼえ世界史– category –
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露土戦争(1877〜1878)|バルカンの独立とロシアの南下政策の帰結
19世紀後半、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほど、民族と列強の利害が複雑に交錯していました。 その中で、オスマン帝国の支配に対するバルカン諸民族の独立運動が高まり、ロシアの南下政策と結びついたことで勃発したのが露土戦争(1877... -
バルカン戦争(第一次・第二次)|オスマン帝国の衰退とバルカン諸国の対立がもたらした二度の戦争
19世紀後半、かつて「ヨーロッパの病人」と呼ばれたオスマン帝国は、領土と権威の両面で急速に衰退していきました。 その空白を埋めようと、バルカン半島の各民族は次々と独立を果たし、さらに勢力拡大をめざして激しく争うようになります。 こうした民族... -
普仏戦争の勝因を探る|ビスマルクの現実主義とドイツ統一の完成
普仏戦争とは、1870年にプロイセンを中心とする北ドイツ連邦とフランス帝国のあいだで勃発した戦争であり、ドイツ統一を完成させた決定的な戦いです。ヨーロッパ19世紀の外交舞台で、最もしたたかに動いた政治家の一人がビスマルクでした。彼の冷徹な現実... -
普仏戦争とフランス第二帝政の崩壊|ナポレオン3世の誤算と敗北の真因
19世紀のフランスは、革命と帝政、そして共和政のはざまで揺れ続けた。 その中で誕生したナポレオン3世の第二帝政は、繁栄と矛盾を併せ持つ体制だった。 パリの都市改造や産業振興によって一時的な安定をもたらしたが、外交面では誤算が重なり、最終的に普... -
フランクフルト国民議会とは何か|1848年革命の理想とその挫折をたどる
フランクフルト国民議会とは、1848年革命の中でドイツ諸邦の代表が集まり、憲法制定と統一国家の樹立を目指したドイツ初の全国議会です。1848年、ヨーロッパ全土を席巻した自由主義とナショナリズムのうねりはドイツにも波及し、長年分裂してきたドイツ統... -
ドイツ統一への道|神聖ローマ帝国の終焉から鉄血政策までの流れ
中世以来、ヨーロッパの中央に存在した神聖ローマ帝国は、「神聖」でも「ローマ的」でも「帝国」でもないと評されるほど、極めて複雑で分権的な国家でした。 各地の諸侯が独自の権力を握り、中央集権とはほど遠い体制のもとで、ドイツ地域は数百もの領邦国... -
クリミア戦争と東方問題|ヨーロッパ列強の衝突と「ヨーロッパの病人」オスマン帝国の危機
19世紀のヨーロッパは、「ウィーン体制」のもとで一応の安定を保っていたものの、その均衡はやがて脆くも崩れていきました。その象徴的な出来事がクリミア戦争(1853〜56年)です。 この戦争は単なるロシアとオスマン帝国の紛争にとどまらず、イギリス・フ... -
エジプト問題とムハンマド=アリーの台頭|オスマン帝国の衰退と列強の介入
19世紀初頭、オスマン帝国の属州にすぎなかったエジプトは、ムハンマド=アリーという一人の有能な総督の登場によって、急速に近代化への道を歩み始めた。 彼の改革は、軍事・産業・教育など多方面にわたり、当時のイスラーム世界では異例のスピードで国家... -
バルカン問題とは?|民族・宗教・列強の思惑が交錯したヨーロッパの火薬庫
「バルカン問題」とは、オスマン帝国の支配下にあったバルカン半島が、19世紀以降、民族・宗教・列強の利害が複雑に絡み合うことで、度重なる戦争と緊張を生んだ国際的な問題を指します。 18〜19世紀のヨーロッパでは、「東方問題」としてオスマン帝国の衰... -
東方問題とは何か|オスマン帝国の衰退と列強の思惑を総覧
19世紀のヨーロッパを揺るがした「東方問題」は、単なる地域紛争ではありませんでした。 オスマン帝国の衰退という長期的な変化を背景に、列強各国が勢力拡大を狙い、バルカン半島や中東を舞台に介入・干渉を繰り返す――この構図こそが、ヨーロッパ近代史の...