「金印勅書(1356年)」は、神聖ローマ帝国の皇帝選出方法を定めた重要な法令です。
一見するとマイナーな出来事に見えますが、実はこの勅書がヨーロッパ中世後期の帝国の分裂構造を決定づけ、後世の国際政治にも影響を与えました。
共通テストレベルでは概要を、MARCH・早慶レベルでは選帝侯7人の内訳や教皇権との関係が問われることも多く、入試頻出のテーマです。
この記事では、金印勅書の成立背景から内容、そして入試で狙われるポイントまでを、図解的に整理してわかりやすく解説します。
【ときおぼえ世界史シーリーズ】では、大学受験世界史で頻出のポイントを押さえつつ、章末には関連する論述問題や一問一答も用意しているので、入試対策にも最適です。
また、大学入試では、用語の暗記だけでなくどのような切り口で試験に理解することが重要です。
次の【金印勅書と選帝侯制度 総合問題演習問題50本勝負】では、MARCHレベル、早慶レベルの問題をこなすことができますので、この記事をお読みになった後、チャレンジをしてみてください。
第1章 金印勅書の成立と選帝侯制度
1356年、神聖ローマ皇帝カール4世によって発布された「金印勅書」は、神聖ローマ帝国の皇帝選出方法を定めた画期的な法令です。
これによって7人の選帝侯による皇帝選挙制度が制度化され、皇帝権は大きく制限され、地方諸侯が強大な力を持つ体制が固定化されました。
1-1. 金印勅書とは何か
「金印勅書」(Goldene Bulle)は、カール4世が発布した皇帝選挙制度の基本法で、帝国憲法的な性格を持ちます。
これ以前は皇帝選出をめぐって教皇や諸侯間で対立が頻発していましたが、この勅書により皇帝選出ルールが明確化されました。
- 発布:1356年
- 発布者:神聖ローマ皇帝カール4世(ルクセンブルク家)
- 目的:皇帝選挙制度を法制化して内乱を防止
- 特徴:選帝侯7人による選挙、教皇は関与せず
1-2. 選帝侯7人の内訳(図解イメージ)
金印勅書で定められた選帝侯7人は、以下の通りです:
選帝侯 | 身分 | 地域 | 備考 |
---|---|---|---|
マインツ大司教 | 聖職 | 中部ドイツ | 教皇と直結する重要地位 |
ケルン大司教 | 聖職 | 西部ドイツ | ライン地方を掌握 |
トリーア大司教 | 聖職 | 西部ドイツ | ローマへの通路を押さえる |
ボヘミア王 | 世俗 | ボヘミア | ルクセンブルク家 |
ライン宮中伯 | 世俗 | ライン川中流域 | 経済拠点を支配 |
ザクセン公 | 世俗 | 北ドイツ | ハンザ同盟圏と接続 |
ブランデンブルク辺境伯 | 世俗 | 東部ドイツ | 東方開拓の拠点 |
この構成からもわかる通り、教会権力3人+世俗権力4人のバランスで帝国全体を統制しようとしたことが見て取れます。
1-3. 金印勅書の歴史的意義
金印勅書は、皇帝選挙を諸侯に委ねることで、神聖ローマ帝国の分裂体制を固定化しました。
- 教皇の影響力が排除され、皇帝選出は完全に帝国内部の問題に
- 皇帝は選帝侯に依存するため、強力な中央集権化は不可能に
- 帝国内部では「諸侯国家化」が進行
- この構造は近代まで続き、ナポレオン時代の「神聖ローマ帝国解体」(1806年)に至るまで影響
1-4. 入試で狙われるポイント
- 金印勅書の発布年と発布者(1356年、カール4世)
- 選帝侯7人の内訳(聖職3人+世俗4人)
- 教皇が選挙に関与しなくなったこと
- 神聖ローマ帝国の分裂構造との関連
- 1356年の金印勅書が神聖ローマ帝国に与えた影響について、選帝侯制度と帝国の政治構造の観点から説明せよ。(120〜150字)
-
金印勅書により皇帝は7人の選帝侯の選挙で選ばれることとなり、教皇の影響力は排除された。これにより皇帝権は大きく制限され、諸侯が強大な権力を保持したまま分立する体制が固定化した。その結果、神聖ローマ帝国は中央集権化が進まず、近代まで分裂国家的性格を持ち続けた。
第1章: 金印勅書と選帝侯制度 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
1356年、皇帝選挙制度を定めた法令を何というか。
解答:金印勅書
問2
金印勅書を発布した神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:カール4世(ルクセンブルク家)
問3
金印勅書で定められた選帝侯は何人か。
解答:7人
問4
選帝侯7人のうち、聖職者は何人か。
解答:3人(マインツ・ケルン・トリーアの大司教)
問5
選帝侯7人のうち、ボヘミア王を含む世俗選帝侯は何人か。
解答:4人
問6
金印勅書では、皇帝選挙における教皇の関与はどう扱われたか。
解答:教皇の関与を排除した
問7
金印勅書によって皇帝権はどうなったか。
解答:諸侯に依存し、権限が弱まった
問8
金印勅書がもたらした神聖ローマ帝国の構造的特徴は何か。
解答:分裂国家的性格が固定化した
問9
金印勅書は何家出身の皇帝によって発布されたか。
解答:ルクセンブルク家
問10
金印勅書が神聖ローマ帝国解体(1806年)にまで影響を与えた理由を一言で述べよ。
解答:諸侯優位の分権体制を固定化したため
正誤問題(5問)
問1
金印勅書は1378年、ハプスブルク家のマクシミリアン1世によって発布された。
解答:誤(1356年、ルクセンブルク家のカール4世)
問2
金印勅書では、選帝侯は3人の聖職者と4人の世俗諸侯から構成された。
解答:正
問3
金印勅書により、教皇は皇帝選挙の承認権を強化した。
解答:誤(教皇の関与は排除された)
問4
選帝侯の1人であるボヘミア王は、当時ルクセンブルク家の支配下にあった。
解答:正
問5
金印勅書は神聖ローマ帝国の中央集権化を促進する目的で制定された。
解答:誤(むしろ分権体制を固定化した)
第2章 金印勅書と神聖ローマ帝国の分裂構造
金印勅書は皇帝選出方法を明確化した一方で、中央集権化を阻害し、諸侯分立体制を固定化する結果をもたらしました。
この「分裂体制」は神聖ローマ帝国の構造的弱点となり、16世紀以降の宗教改革や三十年戦争などの混乱を招く要因となります。
ここでは、金印勅書がなぜ帝国の分裂を加速させたのか、その背景と影響を整理します。
2-1. 皇帝権力の制限と諸侯の台頭
金印勅書は「皇帝を選ぶ権利」を7人の選帝侯に与えたことで、皇帝は選帝侯に依存する立場となりました。
その結果、皇帝は強大な軍事力や財政力を持たず、帝国内の統一政策を実行することが難しくなります。
- 皇帝は選帝侯に対して借金を重ね、政治的にも従属的立場に
- 選帝侯は独自の軍隊・税制・裁判権を保持
- 皇帝権の弱体化は、帝国内の諸侯国家化を促進
2-2. 神聖ローマ帝国の「諸侯国家化」
金印勅書以降、神聖ローマ帝国は「帝国=諸侯連合体」の性格を強めます。
帝国は形式上は一つの国家でしたが、実態は以下のような構造でした:
- 諸侯ごとの独立性が高まる
- 独自に外交を行う諸侯も登場
- 経済的にも領邦単位で税制や商業政策を設定
- 皇帝は象徴的存在に
- 帝国会議(ライヒスターク)での合意なしには政策を決定できず
- 帝国統一のための軍事行動も困難に
この構造は、近代国家が中央集権化を進める中で、神聖ローマ帝国だけが中世的分権体制に取り残される要因となりました。
2-3. 宗教改革と三十年戦争への影響
この「分裂体制」は、16世紀の宗教改革期に大きな問題として表面化します。
- ルターの宗教改革(1517年)
- 諸侯ごとにカトリック派・ルター派に分裂
- 皇帝が宗教統一を試みるも権限不足で失敗
- アウクスブルクの和議(1555年)
- 「領邦教会制(その土地の領主の宗教に従う)」を承認
- 諸侯の独立性がさらに強化
- 三十年戦争(1618〜1648年)
- 神聖ローマ帝国内の宗派対立が発端
- ウェストファリア条約(1648年)で諸侯の完全主権を認める
つまり、金印勅書で始まった分権体制は、帝国を弱体化させる「構造的欠陥」となり、最終的に帝国解体(1806年)へとつながっていきます。
2-4. 入試で狙われるポイント
- 金印勅書によって皇帝権は大きく制限された
- 諸侯の独立性が高まり「諸侯国家化」が進行した
- 宗教改革・三十年戦争で分裂構造が顕在化
- ウェストファリア条約(1648年)との関連が頻出
- 金印勅書による神聖ローマ帝国の分裂構造が、16世紀以降の宗教改革と三十年戦争に与えた影響について説明せよ。(150〜180字)
-
金印勅書により選帝侯の権力が強化され、皇帝は諸侯に依存する分権体制が固定化した。このため、宗教改革期には諸侯ごとにカトリック派・ルター派へ分裂し、皇帝は宗教統一を実現できなかった。その結果、宗派対立は深まり、三十年戦争が勃発。最終的にウェストファリア条約で諸侯の完全主権が認められ、神聖ローマ帝国は実質的に統一国家ではなくなった。
第2章: 金印勅書と選帝侯制度 一問一答&正誤問題15問
一問一答(10問)
問1
金印勅書により、皇帝は誰に依存する立場となったか。
解答:選帝侯
問2
金印勅書発布後、神聖ローマ帝国の国家体制はどのように変化したか。
解答:諸侯国家化が進んだ
問3
金印勅書で確立された分権体制が顕著に問題化した16世紀の出来事は何か。
解答:宗教改革
問4
1555年のアウクスブルクの和議で認められた原則は何か。
解答:領邦教会制(その領邦の宗教は領主が決定)
問5
三十年戦争の発端となった帝国内の対立は何か。
解答:諸侯間の宗派対立
問6
ウェストファリア条約は何年に締結されたか。
解答:1648年
問7
ウェストファリア条約によって認められた諸侯の権利は何か。
解答:完全主権(外交・軍事・課税の独立権)
問8
金印勅書後、神聖ローマ帝国の皇帝権は強化されたか、弱体化したか。
解答:弱体化した
問9
近代国家形成において、神聖ローマ帝国とフランス・イギリスの最大の違いは何か。
解答:神聖ローマ帝国は中央集権化が進まず、分裂体制を維持した
問10
神聖ローマ帝国が最終的に解体したのは何年か。
解答:1806年
正誤問題(5問)
問1
金印勅書により皇帝は強大な軍事力を持つようになり、中央集権化が進んだ。
解答:誤(むしろ諸侯に依存し弱体化)
問2
アウクスブルクの和議は、領邦ごとに宗派を決定する権利を認めた。
解答:正
問3
三十年戦争は神聖ローマ帝国外のフランスとスペインの対立が発端である。
解答:誤(発端は帝国内の宗派対立)
問4
ウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国の諸侯は外交権を獲得した。
解答:正
問5
金印勅書で始まった分権体制は、神聖ローマ帝国の解体に影響を与えなかった。
解答:誤(分裂構造は帝国解体の主要因)
第3章 金印勅書と中世後期の国際政治
金印勅書は神聖ローマ帝国の分裂体制を固定化しましたが、その影響は帝国内にとどまりませんでした。
中世後期〜近世初期のヨーロッパにおける「国家形成の差」を生み出し、フランスやイギリスの中央集権国家との対比で重要な意味を持ちます。
さらに、ハプスブルク家が皇帝位をほぼ独占する16世紀以降にも、金印勅書の遺産は強く影響を及ぼしました。
3-1. 中央集権国家との対比
金印勅書の影響で神聖ローマ帝国は「諸侯連合体」としての性格を強め、中央集権化が進みませんでした。
一方で、同時期のフランスやイギリスでは中央集権国家への道が進んでおり、近代国家形成で大きな差が生まれます。
(1) フランス王国との違い
- 百年戦争(1337〜1453年)を通じて王権が強化
- 王家が徴税権・常備軍を確立
- 地方諸侯の権限を制限し、王権を中央に集中
(2) イギリス王国との違い
- マグナ=カルタ(1215年) → 王権制限と議会制度の発達
- しかし王権と議会の対立を経て、国家として統合
- 王と議会の二元体制を確立しつつ、国家としての統一性を保持
(3) 神聖ローマ帝国の特徴
- 諸侯の外交権・課税権・軍事権を制限できない
- 皇帝は帝国全体の統一政策を実行できず、象徴的存在に
この対比は、世界史入試でしばしば問われます。
3-2. ハプスブルク家の台頭と金印勅書
15世紀後半以降、ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を事実上独占します。
しかし、金印勅書による選帝侯制度は形骸化せず、ハプスブルク家の権力集中は難航しました。
- ハプスブルク家の戦略
- 婚姻政策で領土を拡大(「戦わずしてヨーロッパを制す」)
- スペイン王位も兼ね、ヨーロッパ最大の王朝に
- 金印勅書の制約
- 選帝侯制度は依然有効 → 皇帝選出は自動ではない
- 選帝侯の支持を得るため、多額の資金や領土譲渡を余儀なくされる
- 結果
- ハプスブルク家は強大な領土を有したが、神聖ローマ帝国としては統一できず
- 帝国の中で「領邦国家化」は進行
3-3. イタリア戦争と国際政治への影響
金印勅書で分権体制が固定された神聖ローマ帝国は、ヨーロッパの国際政治でも「強大な帝国」になれませんでした。
- イタリア戦争(1494〜1559年)
- フランスとスペイン(ハプスブルク家)によるイタリア半島争奪戦
- 神聖ローマ帝国皇帝カール5世(=スペイン王)は強大な権力を持つが、
帝国としての統一軍を動かせないため、スペイン軍を主力とした
- 三十年戦争(1618〜1648年)
- 帝国としてではなく、ハプスブルク家「個人」の軍事力で対応
- 帝国全体の防衛体制が機能しないことが露呈
結果として、神聖ローマ帝国は近代国際政治において主導権を失い、名ばかりの「神聖」「ローマ」「帝国」となっていきます。
3-4. 入試で狙われるポイント
- フランス・イギリスと神聖ローマ帝国の国家形成の違い
- ハプスブルク家と選帝侯制度の関係
- イタリア戦争・三十年戦争と金印勅書の関連
- 「中央集権化できなかった理由」を説明できるかが頻出
- 金印勅書による選帝侯制度が、フランスやイギリスと比べて神聖ローマ帝国の近代国家形成を妨げた理由を説明せよ。(150〜180字)
-
金印勅書により皇帝選出は7人の選帝侯による選挙で決定され、皇帝は選帝侯に依存する立場となった。結果として皇帝は課税権・軍事権を掌握できず、中央集権化が進まなかった。一方、フランスやイギリスでは王権強化や議会制度整備により統一国家が形成され、神聖ローマ帝国は近代国家形成で大きく遅れを取った。
第3章: 金印勅書と選帝侯制度 一問一答&正誤問題15問
一問一答(10問)
問1
金印勅書により固定化した制度は何か。
解答:選帝侯制度
問2
ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を事実上独占し始めたのは何世紀後半か。
解答:15世紀後半
問3
ハプスブルク家が領土を拡大するためにとった戦略は何か。
解答:婚姻政策
問4
金印勅書後も、皇帝選出における選帝侯の影響力はどうなったか。
解答:依然として非常に強かった
問5
百年戦争を経て中央集権化を進めた国家はどこか。
解答:フランス
問6
議会制度を発展させて統一国家を形成した国家はどこか。
解答:イギリス
問7
イタリア戦争で神聖ローマ皇帝を兼ねたスペイン王は誰か。
解答:カール5世
問8
三十年戦争で神聖ローマ帝国が統一軍を動かせなかった理由は何か。
解答:分権体制が固定化されていたため
問9
ウェストファリア条約で認められた諸侯の外交権は、金印勅書によるどの制度の延長線上にあるか。
解答:選帝侯制度による諸侯優位の分権体制
問10
神聖ローマ帝国が近代国家形成に遅れた根本原因は何か。
解答:中央集権化できなかったこと
正誤問題(5問)
問1
ハプスブルク家は金印勅書以降、選帝侯の同意なしに自動的に皇帝位を継承した。
解答:誤(選挙制度は維持された)
問2
フランスでは百年戦争後、王権が強化され中央集権化が進んだ。
解答:正
問3
イギリスは議会制度を発展させつつも国家統一を達成した。
解答:正
問4
神聖ローマ帝国はイタリア戦争で帝国全体の統一軍を動員した。
解答:誤(スペイン軍など個別軍を中心に戦った)
問5
金印勅書で定められた選帝侯制度は16世紀以降は形骸化した。
解答:誤(制度は維持され続けた)
第4章 金印勅書の受験対策総まとめ
ここまで、金印勅書の内容と影響を詳しく解説してきましたが、受験対策では効率的な暗記と問題演習が鍵となります。
この章では、選帝侯7人の覚え方、年号や人物・制度の整理、頻出問題パターンをまとめて、得点につながる形でおさらいします。
4-1. 金印勅書の超重要ポイント一覧
覚える内容 | ポイント・キーワード |
---|---|
発布年 | 1356年 |
発布者 | カール4世(ルクセンブルク家) |
目的 | 皇帝選出方法の明確化と内乱防止 |
選帝侯の人数 | 7人(聖職3人+世俗4人) |
選帝侯の聖職3人 | マインツ・ケルン・トリーアの大司教 |
選帝侯の世俗4人 | ボヘミア王・ライン宮中伯・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯 |
教皇の関与 | 完全排除 |
歴史的意義 | 諸侯優位の分権体制を固定化 |
後世への影響 | 宗教改革・三十年戦争・帝国解体(1806年)へ |
4-2. 選帝侯7人の覚え方(語呂合わせ)
選帝侯7人は世界史の暗記の山場ですが、語呂合わせで覚えれば楽になります。
「マケト・ボラ・ザブ」
- マ=マインツ大司教
- ケ=ケルン大司教
- ト=トリーア大司教
- ボ=ボヘミア王
- ラ=ライン宮中伯
- ザ=ザクセン公
- ブ=ブランデンブルク辺境伯
4-3. よく出る誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
金印勅書はハプスブルク家が発布した | × → ルクセンブルク家のカール4世 |
教皇が皇帝選挙に強い影響力を持ち続けた | × → 教皇は完全排除 |
選帝侯は全員世俗諸侯である | × → 聖職3人+世俗4人 |
金印勅書で中央集権化が進んだ | × → 分権体制を固定化した |
ウェストファリア条約で選帝侯制度が廃止された | × → 制度は存続 |
4-4. 入試で狙われるポイント
- 発布年(1356年)と発布者(カール4世)
- 選帝侯7人の内訳(聖職3+世俗4)
- 教皇が選挙に関与しない点
- 金印勅書がもたらした分権体制の固定化
- 宗教改革・三十年戦争・帝国解体まで続く長期的影響
- 金印勅書による選帝侯制度が、16世紀以降のヨーロッパ国際政治に与えた影響について説明せよ。(150〜180字)
-
金印勅書で選帝侯制度が確立し、皇帝は選帝侯に依存する分権体制が固定化した。これにより神聖ローマ帝国は中央集権化できず、フランスやイギリスと比べて近代国家形成で遅れを取った。宗教改革期には諸侯ごとに宗派が分裂し、三十年戦争の勃発と長期化を招き、ウェストファリア条約で諸侯の主権が強化された。
第4章: 金印勅書と選帝侯制度 一問一答&正誤問題15問
一問一答(10問)
問1
金印勅書を発布した神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:カール4世(ルクセンブルク家)
問2
金印勅書の発布年は何年か。
解答:1356年
問3
金印勅書の目的は何か。
解答:皇帝選出方法を明確化して内乱を防ぐこと
問4
選帝侯7人のうち、聖職者は何人か。
解答:3人(マインツ・ケルン・トリーアの大司教)
問5
選帝侯7人のうち、世俗諸侯は何人か。
解答:4人(ボヘミア王・ライン宮中伯・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯)
問6
金印勅書において、教皇の役割はどう扱われたか。
解答:皇帝選挙から完全に排除された
問7
金印勅書が固定化した神聖ローマ帝国の体制は何か。
解答:分権体制(諸侯国家化)
問8
金印勅書が間接的に影響を与えた16世紀の大事件は何か。
解答:宗教改革
問9
ウェストファリア条約の締結年は何年か。
解答:1648年
問10
神聖ローマ帝国が解体されたのは何年か。
解答:1806年
正誤問題(5問)
問1
金印勅書はハプスブルク家のマクシミリアン1世が発布した。
解答:誤(ルクセンブルク家のカール4世)
問2
選帝侯は聖職3人・世俗4人で構成されていた。
解答:正
問3
金印勅書では教皇が皇帝選挙を承認する権限を持った。
解答:誤(教皇の関与は排除された)
問4
金印勅書は神聖ローマ帝国の中央集権化を促進した。
解答:誤(むしろ分権体制を固定化)
問5
金印勅書の影響は宗教改革や三十年戦争にも及んだ。
解答:正
まとめ
金印勅書は、単なる皇帝選出ルールの制定にとどまらず、
- 神聖ローマ帝国の分権体制を固定化
- 中央集権国家との差を決定づけ
- 宗教改革や三十年戦争、最終的な帝国解体まで影響を与えた
という、中世から近世にかけてのヨーロッパ史を貫く重要テーマです。

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