ヒズボラを分かりやすく解説― レバノンに根を張る武装組織の正体

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ヒズボラとは、レバノンを拠点に活動するイスラーム系武装組織でありながら、同時に政党として議会に参加し、社会福祉や軍事力を通じて国家に匹敵する影響力を持つ存在です。

しばしば「テロ組織」として語られる一方で、レバノン国内では一定の支持基盤を持ち、政府や軍と並ぶ“もう一つの権力”として振る舞ってきました。このような二重性こそが、ヒズボラを理解しにくくしている最大の理由です。

ヒズボラは、内戦後も脆弱な国家体制が続くレバノンに深く根を張り、イスラエルとの対峙を軸に存在感を強めてきました。その背後には、革命思想と軍事・資金支援を提供するイランの存在があり、ヒズボラは中東における「代理戦争」の最重要プレイヤーの一つとして位置づけられています。

また近年では、「ヒズボラとハマスは何が違うのか?」という疑問も多く聞かれます。両者はともにイスラーム系武装組織として語られがちですが、成立背景・活動拠点・国家との関係・戦略思想には明確な違いがあります。

本記事では、ヒズボラの成立と発展を中東問題の流れの中で整理しつつ、ハマスとの違いについても意識的に解説し、混同されやすい二つの組織の本質に迫ります。

「ヒズボラとは何者なのか」「なぜ中東問題で無視できない存在なのか」。その答えを、歴史と構造から順に読み解いていきます。

ヒズボラとは何か|全体像を俯瞰するチャート

【前提となる歴史環境】
・レバノン内戦による国家崩壊
・シーア派の政治的・社会的周縁化
・イスラエルのレバノン侵攻(1982年)
・イラン革命による思想・支援の流入

【成立】
ヒズボラ誕生(1980年代前半)
・対イスラエル武装抵抗を目的とする組織
・宗教・軍事・社会活動を一体化した構造

【内戦後の分岐点】
内戦終結後も武装を維持
・「内戦民兵」ではなく「占領への抵抗組織」と主張
・南レバノンのイスラエル駐留が正当化根拠

【二重構造の確立】
① 武装組織
・対イスラエル抵抗
・ロケット戦力と抑止力

② 政党・政治主体
・議会参加
・連立政権への関与

③ 社会組織
・福祉・医療・教育
・国家機能の代替

【対イスラエル関係】
・消耗戦による占領コスト増大
・2000年 イスラエル南レバノン撤退
・2006年 レバノン戦争
・相互抑止による緊張管理状態

【地域プレイヤー化】
シリア内戦への介入
・イラン―シリア―ヒズボラの補給回廊維持
・実戦経験による軍事能力の高度化
・レバノン国内評価の分裂

【ハマスとの違い】
ヒズボラ
・主権国家(レバノン)内部の武装組織
・国家内国家
・抑止重視の長期戦略

ハマス
・占領地における抵抗・統治組織
・国家なき政治主体
・断続的武装衝突

【現在の位置づけ】
国内
・守護者としての支持
・国家を危険にさらす存在という批判

国際社会
・テロ組織指定と現実的政治主体という評価の分裂

地域秩序
・イラン戦略の要
・非国家勢力による抑止構造の象徴

【本質】
ヒズボラとは
「国家と非国家の境界に存在する武装政治組織」
「現代中東の構造的矛盾が生み出した存在」

ヒズボラは、単なる武装組織ではなく、弱体な国家、地域介入、宗派政治が交差する中で生まれた「構造の産物」です。

その存在を追うことは、現代中東が抱える問題そのものを読み解くことにつながります。

【この記事を3行でまとめると!】
ヒズボラは、レバノン内戦とイスラエル侵攻の中で生まれ、武装組織・政党・社会組織を併せ持つ「国家内国家」として定着しました。対イスラエル抵抗を軸に抑止力を築き、シリア内戦への介入を通じて地域プレイヤーへと変貌します。ハマスとは成立条件や国家との関係が大きく異なり、ヒズボラは現代中東の構造的矛盾を体現する存在です。

目次

第1章 ヒズボラはどのようにして生まれたのか?

― レバノン内戦とイスラエル侵攻という出発点

ヒズボラの成立を理解するには、レバノンという国家が抱えてきた構造的な不安定さと、周辺諸国を巻き込む中東問題の激動を切り離して考えることはできません。

ヒズボラは、単なる宗教組織やテロ集団として突然現れた存在ではなく、内戦・占領・革命思想という複数の歴史的要因が重なり合う中で誕生しました。

本章では、ヒズボラ誕生の前提となったレバノン内戦とイスラエル侵攻を軸に、その成立過程を整理します。

1.レバノン内戦と国家の崩壊(1975〜1990年)

1975年に始まったレバノン内戦は、宗派・民族・政治勢力が錯綜する複雑な内戦でした。キリスト教勢力、スンナ派、シーア派、ドゥルーズ派、さらにPLOなどのパレスチナ武装勢力が入り乱れ、国家としての統治機能は急速に失われていきます。

特に重要なのは、レバノン南部に多く居住していたシーア派住民が、政治的にも経済的にも周縁化されていた点です。

中央政府は彼らを十分に保護できず、治安も社会保障も機能しない状況が続きました。この「国家が守ってくれない」という経験が、後のヒズボラ支持の土壌となります。

2.イスラエルのレバノン侵攻と「抵抗」の正当化

1982年、イスラエルはPLO掃討を名目としてレバノンに大規模侵攻を行い、首都ベイルートにまで軍を進めました。この侵攻は、レバノン南部のシーア派社会に強烈な衝撃を与えます。

イスラエル軍の駐留は、「外敵による占領」という形で日常生活に直接影響を及ぼしました。

ここで重要なのは、ヒズボラが後に掲げる「イスラエルへの抵抗(レジスタンス)」が、単なるスローガンではなく、住民の実体験に根ざしたものだった点です。イスラエル侵攻は、武装抵抗を正当化する決定的な契機となりました。

3.イラン革命の影響と思想的基盤の形成

ヒズボラ誕生を語るうえで欠かせないのが、1979年のイラン革命です。革命によって成立したイスラーム体制は、「被抑圧者の解放」と「革命の輸出」を掲げ、レバノンのシーア派勢力に強い影響を与えました。

イランは、イスラエルに対抗する最前線としてレバノン南部を重視し、軍事訓練や資金、思想面での支援を行います。この支援を受けて形成されたのが、後のヒズボラの中核となる武装グループでした。

ここでヒズボラは、単なる地域民兵ではなく、明確なイデオロギーと国際的後ろ盾を持つ組織へと成長していきます。

4.ヒズボラの正式成立(1980年代前半)

1980年代前半、複数のシーア派武装組織が統合される形で、ヒズボラは姿を現します。名称が示す通り、「神の党」を名乗るこの組織は、イスラエルへの武装抵抗を最優先目標に掲げました。

注目すべきは、ヒズボラが当初から「軍事組織」だけでなく、宗教・社会・政治を一体化した存在として設計されていた点です。武装闘争と同時に、福祉活動や宗教教育を通じて地域社会に浸透していく戦略は、後の長期的な支持基盤形成につながっていきます。

第2章 なぜヒズボラは内戦後も解体されなかったのか

― レバノン国家と共存する「例外的武装組織」

1990年にレバノン内戦が終結すると、多くの民兵組織は武装解除され、政治プロセスへと組み込まれていきました。しかし、その中でただ一つ、例外的な存在として武装を維持し続けたのがヒズボラです。

本章では、なぜヒズボラだけが解体されず、むしろ影響力を拡大していったのかを、戦後レバノンの政治構造から読み解きます。

1.内戦終結と「武装解除」の原則

内戦終結の枠組みとなったターイフ合意では、国内の民兵組織を解体し、国家による統治を回復することが目標とされました。実際、キリスト教民兵や左派勢力の多くは武装解除され、政治勢力へと転換していきます。

ところが、ヒズボラは「内戦民兵」ではなく、「イスラエル占領に対する抵抗組織」であるという立場を主張しました。つまり、内戦が終わっても、南部には依然としてイスラエル軍が駐留しており、武装解除は時期尚早だという論理です。この主張は、一定の現実性を持っていました。

2.イスラエル占領の継続と正統性の確保

内戦後も、レバノン南部の一部地域はイスラエル軍の実質的支配下に置かれていました。この状況は、ヒズボラにとって武装を維持する明確な理由となります。

重要なのは、ヒズボラの武装が「対イスラエル抵抗」という一点に集中していたことです。内戦期のように国内宗派間で武器を向け合うのではなく、外敵に対する抵抗に限定されていたため、レバノン国内でも一定の理解と支持を得ることができました。

こうしてヒズボラは、「国家に代わって国境を守る存在」としての正統性を確立していきます。

3.政治参加と「国家内国家」への道

ヒズボラは1990年代以降、武装闘争だけでなく、選挙を通じた政治参加を本格化させます。議会に議席を持ち、連立政権にも関与することで、合法的な政治主体としての地位を確立しました。

ここで重要なのは、ヒズボラが武装組織でありながら、同時に政党でもあるという二重構造です。軍事部門は独立して存続しつつ、政治部門は国家制度の内部で活動する。

この構造により、ヒズボラは「反体制組織」ではなく、「体制内の例外」として位置づけられていきました。

4.社会福祉ネットワークと支持基盤の固定化

ヒズボラの影響力を支えたもう一つの柱が、広範な社会福祉活動です。病院、学校、住宅支援、殉教者遺族への補償などを通じて、特に南部やベイルート南郊のシーア派住民に深く浸透していきました。

国家の行政能力が弱いレバノンにおいて、ヒズボラは事実上の「行政代替機関」として機能しました。このことは、ヒズボラが単なる武装勢力ではなく、生活に直結した存在として受け入れられる大きな要因となります。

5.イラン支援と長期的安定

こうした活動を可能にした背景には、イランからの継続的な支援があります。軍事・資金・思想面での後ろ盾を得たヒズボラは、内戦後も組織を維持・拡大することができました。

ただし、ヒズボラは単なる「イランの代理」ではなく、レバノン国内の政治現実に適応しながら独自の地位を築いていった点が重要です。この柔軟性こそが、戦後も生き残った最大の理由と言えるでしょう。:

第3章 ヒズボラはイスラエルとどのように戦ってきたのか

― 非国家武装勢力による「抵抗」の実像

ヒズボラの存在感を決定づけてきた最大の要素は、イスラエルとの長年にわたる対峙です。国家の正規軍ではない組織が、なぜ中東最強クラスの軍事力を持つイスラエルに対して持続的に戦い続けることができたのか。

本章では、ヒズボラの対イスラエル戦略と、その戦いが地域秩序に与えた影響を整理します。

1.南レバノンでの消耗戦と「抵抗」の定着

1980年代以降、ヒズボラはレバノン南部でイスラエル軍および親イスラエル民兵に対する攻撃を継続してきました。正規軍同士の正面衝突ではなく、待ち伏せ・奇襲・ロケット攻撃などを組み合わせた消耗戦が中心です。

この戦い方は、イスラエル側に継続的な人的・政治的コストを強いるものでした。

ヒズボラは「勝利」を領土奪還ではなく、「占領を維持できなくすること」と定義し、長期戦を前提とした戦略をとります。この姿勢は、レバノン国内だけでなく、アラブ世界においても「抵抗運動」として象徴的な意味を持つようになりました。

2.2000年のイスラエル撤退と象徴的勝利

2000年、イスラエルは南レバノンから軍を撤退させます。これは、アラブ側の武装勢力がイスラエルに対して軍事的圧力をかけ、実質的な撤退を引き出した初めての事例でした。

この出来事は、ヒズボラにとって決定的な転機となります。ヒズボラは、自らを「イスラエルに勝利した組織」と位置づけ、国内外での威信を一気に高めました。武装維持の正当性も、この「勝利」によってさらに強化されていきます。

3.2006年レバノン戦争と戦争観の転換

2006年、ヒズボラとイスラエルは大規模な軍事衝突に突入します。イスラエルは空爆と地上侵攻によってヒズボラ壊滅を狙いましたが、結果として短期間で決定的な勝利を得ることはできませんでした。

ヒズボラは地下施設やロケット戦力を活用し、正規軍に対して粘り強く抵抗します。この戦争は、非国家武装勢力が国家軍と対等に近い形で戦い得ることを示した点で、軍事史的にも大きな意味を持ちました。

同時に、レバノン国内に甚大な被害をもたらしたことで、ヒズボラに対する評価は一層分かれるようになります。

4.抑止力としてのヒズボラ

2006年以降、ヒズボラとイスラエルの間では全面戦争は回避されてきました。その背景には、相互抑止の成立があります。ヒズボラは大量のロケット弾を保有し、イスラエルは圧倒的な空軍力と情報能力を持つ。双方が「全面衝突は損失が大きすぎる」と認識することで、緊張状態が維持されているのです。

ここで重要なのは、ヒズボラが単なる武装組織を超え、地域の軍事バランスを左右する存在になった点です。国家ではない主体が、国家間関係に近い抑止構造を生み出していること自体が、現代中東の不安定さを象徴しています。

5.イラン戦略との接続

ヒズボラの対イスラエル戦略は、イランの地域戦略とも深く結びついています。イランにとってヒズボラは、イスラエルを直接攻撃可能な最前線の拠点です。

一方でヒズボラは、レバノン国内の現実を無視して全面戦争に踏み切るわけではありません。この「イランとの同盟」と「レバノン国内政治への配慮」の間でバランスを取る姿勢が、ヒズボラの行動をより複雑なものにしています。

第4章 ヒズボラはいかにして「地域プレイヤー」になったのか

― シリア内戦と中東秩序への本格介入

ヒズボラは当初、レバノン南部を主戦場とする対イスラエル抵抗組織でした。しかし2010年代に入ると、その活動範囲と役割は大きく変質します。転機となったのがシリア内戦です。本章では、ヒズボラがなぜ国境を越えて戦争に介入し、レバノン国内組織から「地域プレイヤー」へと変貌していったのかを整理します。

1.シリア内戦勃発と立場の選択

2011年、シリアで反政府運動が武装化し内戦へと発展すると、ヒズボラは当初、慎重な姿勢を見せました。レバノン国内では「他国の内戦に介入すべきではない」という声が強く、シーア派以外からの反発も予想されたためです。

それでもヒズボラは最終的に、シリアの政権側を支持し、軍事介入へと踏み切ります。この決断は、ヒズボラの性格を決定的に変えるものでした。

2.なぜシリア政権を支援したのか

ヒズボラがシリア政権を支援した最大の理由は、安全保障上の現実にあります。シリアは、イランからヒズボラへ武器や資金が供給される「補給回廊」の要でした。シリア政権が崩壊すれば、ヒズボラの対イスラエル戦力そのものが弱体化しかねません。

また、シリア内戦ではスンナ派過激勢力が台頭し、シーア派に対する宗派的暴力も激化しました。ヒズボラはこれを、自らの共同体を守るための「防衛戦争」と位置づけ、参戦を正当化します。

3.国外戦闘がもたらした軍事的進化

シリア内戦への介入は、ヒズボラに大きな軍事的変化をもたらしました。市街戦、複合作戦、長距離展開など、対イスラエル戦では得られなかった実戦経験を蓄積したのです。

この結果、ヒズボラは単なるゲリラ組織から、準正規軍に近い能力を持つ存在へと進化しました。この軍事的成熟は、イスラエルとの抑止関係にも新たな緊張を生み出します。

4.レバノン国内で高まる賛否と亀裂

一方で、国外介入はレバノン国内の評価を大きく割りました。
ヒズボラはもはや「レバノン防衛のための抵抗組織」ではなく、「イラン主導の地域戦争に関与する武装勢力」と見なされるようになります。

特に、シリア内戦への介入によってレバノン国内でテロや報復攻撃が発生したことは、ヒズボラへの批判を強めました。ここに、ヒズボラが国家を守る存在なのか、国家を危険にさらす存在なのかという根本的な問いが浮上します。

5.中東に広がる「ヒズボラ・モデル」

シリア内戦を通じて、ヒズボラは単独の組織を超えた存在になります。イランは、ヒズボラの戦い方や組織モデルを、イラクやイエメンなど他地域の武装勢力にも応用していきました。

その結果、ヒズボラは「一つの組織」であると同時に、イラン陣営の非国家武装勢力を象徴する存在となります。これは、中東における国家主権と戦争のあり方そのものを揺さぶる変化でした。

第5章 ヒズボラとハマスは何が違うのか

― 混同されやすい二つの武装組織の決定的差異

ヒズボラとハマスは、いずれもイスラエルと対峙するイスラーム系武装組織として語られるため、しばしば同一視されがちです。しかし両者は、成立背景・活動拠点・国家との関係・戦略思想のいずれにおいても大きく異なります。本章では、その違いを整理し、なぜ混同が生じやすいのか、そして何が決定的に異なるのかを明らかにします。

1.成立背景の違い――内戦国家か、占領地か

ヒズボラは、レバノン内戦とイスラエル侵攻という「国家崩壊と外部介入」の中から生まれました。弱体な国家の隙間を埋める形で成長し、国内政治や社会福祉と深く結びついています。

一方、ハマスは、イスラエルの占領下にあるガザ地区・ヨルダン川西岸という「非主権地域」で誕生しました。国家を前提としない抵抗運動であり、活動の中心は占領への直接的対抗です。

この違いは、両者の行動原理を根本から分けています。

2.国家との関係――「国家内国家」と「国家なき政治主体」

ヒズボラは、レバノン国家の枠内で政党として活動し、議会にも参加しています。同時に独自の武装を維持するという「国家内国家」とも言える存在です。国家と対立するだけでなく、共存し、時に国家機能を代替する立場にあります。

これに対し、ハマスは国家の枠内に完全に組み込まれた存在ではありません。ガザ地区を実効支配していますが、主権国家として国際的に承認された政府ではなく、統治そのものが対立の焦点になっています。

3.後ろ盾と国際環境の違い

ヒズボラは、イランから長期的かつ体系的な軍事・資金・思想支援を受けてきました。その結果、安定した組織運営と高度な軍事能力を維持しています。

ハマスもイランとの関係を持つ時期はありますが、その関係は一貫しておらず、地域情勢によって変動してきました。支援ネットワークの安定性という点で、両者には大きな差があります。

4.軍事戦略――抑止か、直接対決か

ヒズボラは、イスラエルとの全面戦争を避けつつ、抑止力を維持する戦略を取ってきました。大量のロケット戦力と組織化された部隊を背景に、「戦争になれば双方に大きな損害が出る」という均衡を作り出すことが目的です。

一方ハマスは、抑止というよりも、限定的・断続的な武装衝突を通じて存在感を示す戦略を取ってきました。ガザという閉鎖空間における軍事行動は、必然的に民間人被害と国際的非難を伴いやすく、この点でもヒズボラとは性格が異なります。

5.なぜ混同されやすいのか

両者が混同されやすい最大の理由は、

  • イスラーム系武装組織であること
  • イスラエルと戦っていること
  • 「テロ組織」という一括りの言葉で語られやすいこと

にあります。しかし実際には、ヒズボラはレバノン国家と結びついた長期的な地域秩序の一部であり、ハマスは占領地における抵抗と統治を同時に担う存在です。

第6章 ヒズボラは現在どのように評価されているのか

― レバノン国内・国際社会・中東秩序から見た現在地

ヒズボラは誕生以来、一貫して評価が分かれる存在であり続けてきました。それは単に「武装組織だから」「テロ組織だから」という理由ではなく、国家・社会・地域秩序という複数のレベルで異なる顔を持っているからです。本章では、ヒズボラが現在どのように評価され、どのような矛盾を抱えているのかを整理します。

1.レバノン国内での評価――守護者か、重荷か

レバノン国内において、ヒズボラは今なお強固な支持基盤を持っています。特にシーア派社会では、

  • イスラエルから南部を守った存在
  • 国家が機能しない中で生活を支えてきた組織

として肯定的に捉えられています。

一方で、経済危機や政治停滞が深刻化する中、「ヒズボラの武装と対外行動がレバノンを危険にさらしている」という批判も強まっています。国外戦争への関与や、国家の意思決定を超えた軍事行動は、「国家主権を空洞化させている」という評価につながっています。

2.国際社会での評価――抵抗組織か、テロ組織か

国際社会におけるヒズボラの評価は分裂しています。

欧米諸国の多くは、ヒズボラをテロ組織として指定し、資金や活動を厳しく制限しています。その理由は、過去の越境攻撃や、国家を超えた武装行動にあります。

一方で、ヒズボラを一概にテロ組織としてのみ捉えない国も存在します。政党として議会に参加し、実効的な軍事・政治力を持つ存在である以上、現実の中東政治を動かす主体として無視できない、という見方です。この評価の割れ自体が、ヒズボラの複雑さを象徴しています。

3.イラン戦略の中での位置づけ

ヒズボラは、イランの地域戦略において極めて重要な位置を占めています。イスラエルに直接圧力をかけられる存在であり、抑止と牽制の両面で機能してきました。

ただし、この関係は一方的な従属ではありません。ヒズボラはレバノン国内の事情を無視して行動することはできず、イランの意向と国内世論の間で調整を迫られています。この「同盟だが完全な代理ではない」という関係性が、ヒズボラの行動を読みづらくしています。

4.イスラエルとの緊張と戦争回避の論理

ヒズボラとイスラエルの関係は、現在も高い緊張状態にあります。しかし同時に、全面戦争は回避され続けています。

その背景には、

  • ヒズボラのロケット戦力
  • イスラエルの圧倒的軍事力

がもたらす相互抑止があります。双方とも、全面衝突が自国(自組織)に致命的な打撃を与えることを理解しており、緊張は「管理されている」とも言えます。ただし、偶発的衝突や地域情勢の変化によって、この均衡が崩れるリスクは常に存在します。

5.ヒズボラが抱える構造的ジレンマ

現在のヒズボラは、三つの役割の間で揺れ動いています。

  • レバノン国内の防衛者
  • イラン陣営の地域プレイヤー
  • 国家を超える武装組織

これらは同時に成立しにくい役割です。対外的に強硬であればあるほど、国内の負担は増し、国内安定を優先すれば地域戦略との緊張が生まれます。

第7章 ヒズボラとは何者なのか

― 中東問題における意味と今後の展望

ここまで見てきたように、ヒズボラは単なる武装組織でも、単なる政党でもありません。その本質は、レバノンという脆弱な国家構造の中で生まれ、イスラエルとの対峙と地域秩序の変動を通じて肥大化してきた「国家と非国家の境界に存在する勢力」にあります。

本章では、ヒズボラという存在が中東問題全体にとって何を意味するのかを総括します。

1.ヒズボラは「例外」ではなく「構造の産物」

ヒズボラはしばしば例外的で異常な存在として語られますが、実際には中東が抱える構造的問題の産物です。

  • 国境線が人工的に引かれ、国家統合が脆弱なこと
  • 周辺大国の介入が常態化していること
  • 正規国家が治安や福祉を十分に提供できないこと

こうした条件が重なった結果、ヒズボラのような組織が「合理的な選択肢」として成立しました。ヒズボラは異物ではなく、現代中東の現実を映す鏡だと言えます。

2.中東問題を「国家対国家」だけでは説明できない理由

ヒズボラの存在は、中東問題がもはや国家対国家の対立だけでは説明できない段階に入っていることを示しています。
国家と非国家武装勢力、国内政治と地域戦争、宗派対立と地政学が絡み合い、戦争と平和の境界が曖昧になっています。

この点でヒズボラは、国家に準じた抑止力を持つ一方で、国家の責任を完全には負わないという、現代的な矛盾を体現しています。

3.ヒズボラとハマスの違いが示すもの

本記事で整理してきたように、ヒズボラとハマスはしばしば同列に語られますが、その違いは中東問題の多様性を理解するうえで重要です。

ヒズボラはレバノン国家と結びついた「国家内国家」であり、ハマスは占領地における抵抗と統治を担う存在です。

この違いを理解することで、「なぜ同じイスラーム系武装組織でも、行動様式や影響が大きく異なるのか」が見えてきます。

4.今後の中東情勢におけるリスクと焦点

今後、ヒズボラを巡る最大の焦点は、

  • イスラエルとの抑止が維持されるのか
  • イランとの同盟関係がどこまで続くのか
  • レバノン国家の崩壊を防げるのか

という三点に集約されます。いずれか一つが崩れれば、ヒズボラは再び大規模な衝突の中心に引き戻される可能性があります。

5.ヒズボラを理解することの意味

ヒズボラを理解することは、単に一つの組織を知ることではありません。

それは、

  • 中東における国家の限界
  • 非国家勢力が担う役割
  • 戦争と政治が連続する世界の現実

を理解することにつながります。

ヒズボラとは、「レバノンに根を張る武装組織」であると同時に、現代中東が抱える矛盾そのものです。

国家が弱体化した空間で、誰が暴力を管理し、誰が秩序を作るのか――。

この問いに向き合う限り、ヒズボラという存在は、今後も中東問題を考えるうえで避けて通れないテーマであり続けるでしょう。

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