第四次中東戦争とは?背景・経緯・その歴史的意味

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第四次中東戦争(1973年)は、イスラエルとアラブ諸国の軍事的対立が頂点に達すると同時に、その後の中東秩序を大きく転換させた戦争でした。

エジプトのサダト大統領が主導したこの戦争は、第三次中東戦争まで続いてきた「イスラエルの圧倒的軍事優位」という構図に挑戦しつつ、最終的には戦争を和平への交渉手段として用いた点に大きな特徴があります。

この戦争の意義は、単なる軍事衝突にとどまりません。サダトはシナイ半島奪還を目指して強硬路線に踏み切り、サウジアラビアなど産油国の資金援助を背景にアラブ側は総力戦を展開しました。

その一方で、戦後にはエジプトとイスラエルが対話へと舵を切り、最終的にはエジプト=イスラエル平和条約という歴史的和解へとつながっていきます。

背景には、第三次中東戦争後も解決されなかった占領地問題、パレスチナ問題の深刻化、そして冷戦下での米ソ対立の中で中東諸国が選択を迫られていた国際環境があります。とりわけサダトは、ソ連路線からの転換とアメリカ接近を進める中で、「戦争によって膠着を打破し、和平を引き出す」という現実的な戦略を選択しました。

この戦争の影響は広範です。エジプトとイスラエルの和解は中東和平への大きな一歩となる一方で、パレスチナ問題を代表するPLOはこの和平から排除され、エジプトとの断交に踏み切りました。また、サダトの和平路線は国内外で激しい反発を招き、最終的には1981年の暗殺という悲劇に至ります。

さらにその後、占領地での不満はインティファーダとして噴出し、「戦争なき時代の対立」という新たな局面を迎えることになります。

本記事では、第四次中東戦争を単なる軍事史としてではなく、なぜエジプトとイスラエルが戦争の末に和解を選んだのか、そしてその選択が中東世界とパレスチナ問題にどのような分断と連鎖をもたらしたのかという視点から整理していきます。

第一次〜第三次中東戦争の流れを踏まえつつ、現代中東問題へと直結する転換点として、この戦争の意味を読み解いていきましょう。

目次

第1章 第三次中東戦争後の中東情勢とサダトの登場

第三次中東戦争後の中東は、表面的には停戦状態にありながら、実際には深刻な膠着と不満を内包していました。

イスラエルは広大な占領地を維持し、アラブ側は軍事的敗北と政治的屈辱を抱え続ける構図が固定化します。

こうした行き詰まりの中で登場したのが、エジプトの新指導者アンワル・サダトでした。彼は前任者ナセルの路線を継承しつつも、現実主義的な判断によって中東政治の方向転換を試みることになります。

1.第三次中東戦争後の「勝者」と「敗者」の構図

第三次中東戦争の結果、イスラエルはシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原といった戦略的要衝を支配下に置きました。

軍事的には圧倒的勝利でしたが、同時に広大な占領地を抱え込むという重い負担も背負うことになります。一方、アラブ諸国、とりわけエジプトは国威を失い、国内には強い屈辱感と不満が蓄積していきました。

この時点で中東の対立は、単なる国家間戦争から「占領地をめぐる構造的対立」へと性格を変えつつありました。停戦は成立しても、和平への具体的な道筋は見えず、戦争と停戦を繰り返す不安定な状態が続いていたのです。

2.ナセル後のエジプトとサダトの路線転換

1970年、ナセルの急死により政権を引き継いだのが、サダトでした。当初は暫定的な指導者と見なされていたサダトですが、彼は次第に独自の路線を打ち出していきます。最大の転換点は、ソ連一辺倒だった外交姿勢を見直し、アメリカとの関係改善を模索し始めたことでした。

サダトにとって最大の国家目標は、エジプトの主権回復、すなわちシナイ半島の奪還でした。しかし、外交交渉だけではイスラエルを動かせないと判断した彼は、「限定的な戦争によって現状を揺さぶり、交渉の場に引きずり出す」という戦略に踏み切ります。ここに第四次中東戦争の出発点があります。

3.アラブ諸国の結束とサウジアラビアの役割

サダトの構想を支えたのが、アラブ諸国、とりわけ産油国の存在でした。中でもサウジアラビアは、豊富な石油収入を背景にエジプトやシリアを資金面で支援し、軍事行動を間接的に後押しします。

この時期、アラブ側は「軍事力+経済力」という新たなカードを手にしつつありました。石油は単なる資源ではなく、国際政治を動かす戦略兵器として意識されるようになり、後の石油危機へとつながる重要な伏線となります。

4.戦争回避ではなく「戦争を通じた交渉」へ

第三次中東戦争後の数年間は、和平交渉も軍事衝突も決定打に欠ける宙ぶらりんな時代でした。こうした停滞を打破するため、サダトはあえて戦争という高リスクの手段を選びます。

その狙いはイスラエルを完全に打ち破ることではなく、イスラエルに「占領の継続は安全を保証しない」と認識させることにありました。

このようにして、第四次中東戦争は「勝つための戦争」ではなく、「交渉を始めるための戦争」として準備されていきます。

第2章 第四次中東戦争の勃発と戦局の展開(1973年)

第四次中東戦争は、エジプトとシリアが周到な準備のもとで開始した「奇襲戦争」として始まりました。

サダトの狙いは、イスラエルを全面的に打ち破ることではなく、占領地問題を再び国際政治の俎上に載せ、交渉を不可避にすることでした。本章では、開戦から停戦に至るまでの戦局の推移を整理します。

1.ヨム・キプール戦争の開戦 ― 奇襲の成功

1973年10月、エジプトとシリアはイスラエルに対して同時攻撃を開始します。この戦争は、ユダヤ教最大の祝日である贖罪日に始まったことから、一般にヨム・キプール戦争と呼ばれます。

エジプト軍はスエズ運河を越えてシナイ半島に進出し、シリア軍もゴラン高原で攻勢に出ました。イスラエル側は動員の遅れもあり、開戦直後は防戦一方に追い込まれます。第三次中東戦争以来続いてきた「イスラエル無敵神話」は、この時点で大きく揺らぐことになりました。

2.戦局の逆転とイスラエルの反撃

しかし、戦争は短期間で様相を変えます。動員を完了したイスラエル軍は態勢を立て直し、ゴラン高原ではシリア軍を押し戻すことに成功します。さらに南部戦線では、スエズ運河を逆渡河してエジプト軍の背後に回り込み、首都カイロを射程に収める地点まで進出しました。

この段階で、軍事的主導権は再びイスラエルに移ります。結果だけを見れば、第四次中東戦争もまたイスラエルの優位で終結したといえるでしょう。

ただし、エジプト側は「完全敗北」を回避し、開戦初期の戦果によって国内外に一定の成果を示すことに成功していました。

3.米ソの介入と停戦成立

戦局が拡大する中で、事態は単なる地域紛争を超え、冷戦構造の緊張を強めていきます。イスラエルを支援するアメリカと、エジプト・シリアを後援するソ連が、それぞれ軍事支援を強化したためです。

核戦争の危険すら意識された状況の中で、国連を通じた停戦が模索され、最終的に戦闘は停止されました。こうして第四次中東戦争は、全面戦争への発展をかろうじて回避しつつ終結します。

4.軍事的評価と政治的成果のズレ

第四次中東戦争の特徴は、軍事的結果と政治的成果が必ずしも一致しなかった点にあります。

イスラエルは戦場で主導権を回復しましたが、安全保障の脆弱性を露呈しました。一方、エジプトは軍事的に決定的勝利を得られなかったものの、「戦っても無意味ではない」という認識を国内外に示すことに成功します。

サダトにとって重要だったのは、戦争そのものよりも、その後に続く外交の舞台でした。第四次中東戦争は、次章で見るように、直接的な和平交渉と国際政治の再編へとつながっていく転換点となったのです。

第3章 戦後外交の転換とエジプト=イスラエル和平への道

第四次中東戦争は、軍事的には決着がつかないまま停戦に至りましたが、その後の外交面では中東史を大きく転換させる動きが加速しました。

本章では、戦後交渉の展開と、なぜエジプトとイスラエルが対立の連鎖を断ち切り、和平という選択に踏み出したのかを整理します。

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1.戦争の「成果」を外交につなげたサダトの判断

第四次中東戦争の停戦後、エジプトのサダトは、早い段階から軍事行動の継続ではなく、外交交渉への移行を明確にします。彼にとって重要だったのは、イスラエルを完全に打ち破ることではなく、「占領地問題を交渉のテーブルに乗せる」ことでした。

戦争初期にシナイ半島へ進出した事実は、第三次中東戦争後の完全な敗北状態とは異なる政治的意味を持ちます。サダトはこの「限定的成功」を梃子に、アメリカを仲介役として引き込み、イスラエルとの直接交渉を現実の選択肢に押し上げていきました。

2.アメリカ主導の和平交渉とキャンプ・デービッド合意

戦後外交の中心となったのが、アメリカの仲介による和平プロセスです。冷戦下において中東の不安定化を避けたいアメリカは、エジプトとイスラエルの関係改善を強く後押ししました。

1978年、エジプトのサダトイスラエル首相ベギンは、アメリカ大統領カーターの仲介のもとで会談を行い、いわゆるキャンプ・デービッド合意に到達します。この合意は、エジプトによるイスラエル承認と、イスラエルのシナイ半島返還を柱とするものでした。

3.エジプト=イスラエル平和条約の成立

翌1979年、両国は正式にエジプト=イスラエル平和条約を締結します。これは、1948年以来続いてきたアラブ諸国とイスラエルの全面対立の構図を初めて崩す画期的な出来事でした。

エジプトはシナイ半島の段階的返還と引き換えに、イスラエルの国家承認と安全保障を認めました。一方のイスラエルも、最大の軍事的脅威であったエジプトとの戦争状態を終わらせることで、南部国境の安定を確保することに成功します。

4.なぜ両国は「和解」を選んだのか

エジプトとイスラエルが和平を選択した背景には、現実的な国家利益の計算がありました。エジプトにとっては、長期にわたる戦争が経済を疲弊させ、軍事的にもこれ以上の消耗に耐えられない状況がありました。

イスラエル側も、占領地の拡大が安全を保証しないことを第四次中東戦争で痛感していたのです。

こうして第四次中東戦争は、「戦争によって和平を引き出す」という逆説的な結果を生み出しました。しかし、この和平は中東全体の和解を意味するものではありません。

第4章 和平が生んだ分断 ― PLOとの対立とサダト暗殺

エジプト=イスラエル和平は、中東史における画期的な転換点である一方、新たな分断と対立をもたらしました。とりわけ、パレスチナ問題を担ってきた勢力やアラブ諸国の反発は強く、和平は「中東全体の和解」には直結しませんでした。

本章では、和平の代償として顕在化した対立と、その帰結を整理します。

1.パレスチナ問題の置き去りとPLOの反発

エジプト=イスラエル和平で最大の争点となったのは、パレスチナ問題が事実上後景に退いたことでした。

合意はシナイ半島の返還と両国関係の正常化を優先し、パレスチナ人の国家建設という根本課題は先送りされます。

これに強く反発したのが、PLOです。PLOは、エジプトがアラブ世界の盟主としてパレスチナ問題を主導してきた歴史を踏まえ、和平を「アラブの大義からの離脱」と受け止めました。

結果として、PLOとエジプトの関係は断絶し、アラブ陣営の結束は大きく揺らぐことになります。

2.アラブ諸国の孤立化とエジプトの選択

エジプトの和平路線は、アラブ世界全体から歓迎されたわけではありませんでした。多くのアラブ諸国はイスラエルとの対峙を続ける立場を維持し、エジプトはアラブ諸国の中で孤立を深めます。

しかしサダトは、この孤立を承知のうえで和平を選びました。彼にとって最優先だったのは、エジプト国家の主権回復と経済再建であり、終わりの見えない対イスラエル戦争を続ける余地は残されていなかったのです。この選択は、国家利益を重視する現実主義的判断でしたが、同時に強烈な反発を国内外に生み出しました。

3.国内反発の高まりとサダト暗殺

和平路線はエジプト国内でも深刻な対立を招きました。イスラエル承認は、イスラーム主義勢力や急進的民族主義者から「裏切り」と見なされ、政権への不満が蓄積していきます。

こうした緊張が頂点に達したのが1981年です。軍事パレードの最中、サダトは急進派によって暗殺されました。彼の死は、第四次中東戦争から続く一連の和平プロセスが、決して安全な選択ではなかったことを象徴しています。

4.「国家間和平」と「民衆の対立」の乖離

エジプト=イスラエル和平は、国家レベルでは戦争を終わらせることに成功しました。しかし、パレスチナ人の不満や占領地での緊張は解消されず、むしろ「国家は和平、民衆は対立」という乖離が鮮明になります。

この乖離は、次章で扱うインティファーダへとつながり、中東問題が国家間戦争の時代から、占領と抵抗の時代へ移行したことを明確に示すことになります。

第5章 戦争後の対立の形 ― インティファーダと中東問題の質的転換

エジプト=イスラエル和平によって国家間戦争は一つの区切りを迎えましたが、それは中東に平和が訪れたことを意味しませんでした。

むしろ第四次中東戦争以降、中東問題は国家同士の戦争から、占領と抵抗をめぐる民衆レベルの対立へと性格を変えていきます。その象徴がインティファーダです。

1.インティファーダとは何か

1987年、ガザ地区とヨルダン川西岸でパレスチナ人の大規模な抗議運動が発生します。これがインティファーダと呼ばれる運動です。

インティファーダは正規軍同士の戦争ではなく、石投げやデモ、ストライキといった民衆主体の抵抗運動として展開されました。

ここで重要なのは、インティファーダが突発的な暴動ではなく、長年にわたる占領と生活苦への不満が蓄積した結果として噴出した点です。

第四次中東戦争後も占領地の状況は大きく改善されず、和平の恩恵を実感できないパレスチナ人の失望感が背景にありました。

2.第四次中東戦争とインティファーダの連続性

一見すると、第四次中東戦争とインティファーダは別の出来事のように見えます。しかし両者は密接につながっています。

エジプト=イスラエル和平によって、イスラエルは最大の敵であったエジプトとの戦争状態を終わらせましたが、その一方で、占領地問題は未解決のまま残されました。

国家間戦争が終わった結果、パレスチナ問題は「アラブ諸国が代表する問題」から、「パレスチナ人自身が直接向き合う問題」へと転換します。インティファーダは、この構造変化を最も端的に示す出来事でした。

3.PLOの立場変化と和平路線への接近

インティファーダの拡大は、PLOの立場にも影響を与えます。これまで武装闘争を重視してきたPLOは、民衆運動の広がりと国際世論の変化を受け、政治交渉の重要性を再認識するようになります。

この流れの中で、PLOはイスラエル承認や二国家解決への言及を強め、後の和平交渉へとつながっていきました。第四次中東戦争が国家間和平を生み出したのに対し、インティファーダはパレスチナ側を政治交渉へと向かわせる契機となったのです。

4.中東問題の「戦争の時代」から「占領の時代」へ

インティファーダが示した最大の変化は、中東問題の性質そのものが変わった点にあります。もはや中東の不安定要因は、エジプトやシリアとイスラエルの全面戦争ではなく、占領地における日常的な対立と不満の管理に移行しました。

第四次中東戦争は、戦争で始まり、和平で終わった出来事でした。しかしその和平は、パレスチナ問題を完全に解決するものではなく、新たな対立の段階を生み出します。次の最終章では、第一次から第四次までの中東戦争を総括し、第四次中東戦争が現代中東問題に残した意味を整理します。

まとめ章 第四次中東戦争が残したもの

第四次中東戦争は、第一次から第三次まで続いてきた中東戦争の流れに、一つの大きな区切りを与えました。それは「戦争の勝敗」をめぐる時代の終わりであり、同時に「和平と分断」が並存する新しい時代の始まりでもありました。

第三次中東戦争までの中東は、イスラエルとアラブ諸国が正規軍同士で衝突する国家間戦争の舞台でした。しかし第四次中東戦争では、エジプトのサダトが戦争を外交の手段として用いるという現実的選択を行い、その結果、エジプト=イスラエル和平という歴史的転換が実現します。ここで中東戦争は、軍事衝突の連鎖から脱却する可能性を初めて示しました。

一方で、この和平は中東全体の和解を意味しませんでした。エジプトがイスラエルと和解したことで、パレスチナ問題は事実上後景に退き、PLOとの断交やアラブ世界の分断を招きます。国家間の和平が成立する一方、占領地に生きるパレスチナ人の不満は解消されず、やがてインティファーダという形で噴出しました。

この点に、第四次中東戦争の持つ本質的な意味があります。第四次中東戦争は、戦争を終わらせる力を持つと同時に、国家間戦争から民衆レベルの対立へと中東問題の軸を移動させた戦争でもあったのです。エジプトとイスラエルは和平を選びましたが、パレスチナ問題はより複雑で長期的な課題として残されました。

第一次から第四次までの中東戦争を俯瞰すると、第四次中東戦争は単なる「第四の戦争」ではありません。それは、アラブ・イスラエル戦争の時代に終止符を打ち、現代中東問題へと直結する構造を生み出した転換点でした。以後の中東は、大規模な国家間戦争よりも、占領・抵抗・和平交渉が交錯する不安定な均衡の中で推移していくことになります。

この意味で第四次中東戦争は、「戦争が終わった戦争」であり、同時に「終わらない中東問題の出発点」でもあったのです。

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