イスラエルのレバノン侵攻とは、1982年にイスラエル軍がレバノンへ大規模な軍事介入を行った出来事です。
この侵攻は、イスラエル北部への攻撃を続けていたパレスチナ武装組織の排除を名目として始まりましたが、その背後には、パレスチナ問題の拡大、レバノン内戦による国家機能の崩壊、さらに中東を舞台とした国際政治の思惑が複雑に絡み合っていました。
とくに重要なのは、パレスチナ解放機構(PLO)がヨルダンから追放された後、レバノンを主要な拠点としたことで、レバノン南部がイスラエルにとって深刻な安全保障上の脅威となっていた点です。
加えて、内戦下のレバノンでは中央政府が機能せず、武装勢力が自由に活動できる「空白地帯」が生まれていました。この状況が、イスラエルによる直接介入を現実の選択肢へと押し上げていきます。
一方、この侵攻はPLOを国外へ追い出すことには成功したものの、レバノン情勢を安定させることはできず、結果的に新たな武装勢力の台頭を招くなど、長期的には中東の不安定化を深める転換点ともなりました。
その意味で、1982年のレバノン侵攻は「軍事行動の成功」と「政治的失敗」が同時に進行した事例として評価されています。
本記事では、イスラエルがなぜレバノンに侵攻したのかという問いを軸に、PLOの動向、レバノン内戦の影響、イスラエル側の目的と計算を整理しながら、1982年侵攻の背景とその意味をわかりやすく解説していきます。
第1章 レバノンが「戦場」になった理由
1982年のイスラエルによるレバノン侵攻は、突発的な軍事行動ではありませんでした。
その前段階として、レバノンという国家が、パレスチナ問題と中東政治の矛盾を抱え込む「受け皿」になっていく過程があります。この章では、なぜレバノンがイスラエル侵攻の舞台となったのかを、PLOの移動とレバノン内戦という二つの視点から整理します。
1.PLOはなぜレバノンに移ったのか
イスラエルのレバノン侵攻を理解するうえで欠かせないのが、PLO(パレスチナ解放機構)」の移動です。
1960年代後半以降、PLOはイスラエルへの武装闘争を展開し、その拠点をヨルダンに置いていました。しかし1970年、ヨルダン政府との武力衝突(いわゆる黒い九月事件)によって、PLOはヨルダンから事実上追放されます。
その結果、PLOが新たな拠点として選んだのがレバノンでした。
レバノンはパレスチナ難民を多数抱えており、政府の統制力も弱く、PLOにとって活動しやすい環境が整っていたのです。
- レバノン南部を中心に武装拠点を形成
- イスラエル北部への越境攻撃・ロケット攻撃を継続
- レバノン政府の許可や統制を受けない独自行動
こうしてPLOは、レバノン国内に「国家の中の国家」とも言える存在になっていきました。
2.レバノン内戦が生んだ「統治の空白」
1975年に始まったレバノン内戦は、レバノン国家の機能を決定的に弱体化させました。
レバノン内戦は単なる内乱ではなく、
- 宗派対立(キリスト教・スンナ派・シーア派)
- 左派勢力と保守勢力の対立
- 周辺諸国の介入
が複雑に絡み合った多層的な内戦でした。
政府軍は国土を統制できず、各地を民兵組織が支配する状況が常態化します。この「統治の空白」が、PLOの自由な軍事行動を可能にしました。
イスラエルの立場から見れば、
☞ 主権国家としてのレバノンに抗議や交渉をしても意味がない
☞ 脅威の源であるPLOを直接排除するしかない
という認識が強まっていったのです。
3.レバノン南部=イスラエル北部の安全保障問題
PLOの拠点化によって、とくに問題となったのがレバノン南部でした。
- イスラエル北部ガリラヤ地方への継続的攻撃
- 国境地帯の住民が恒常的な脅威にさらされる
- 報復と報復が繰り返される不安定な状況
イスラエルにとって、レバノン南部は単なる外国領土ではなく、国内の安全に直結する地域となっていました。
この段階で、イスラエルはすでに「限定的な報復では問題は解決しない」「PLOの拠点そのものを除去する必要がある」という判断へと傾いていきます。
4.侵攻前夜:問題は「いつ」だったのか
1982年以前にも、イスラエルはレバノンに対してたびたび限定的な軍事行動を行っていました。
つまり問題は「侵攻するかどうか」ではなく、「いつ、どこまで踏み込むか」だったのです。
- PLOの軍事行動は収まらない
- レバノン政府は統制不能
- 内戦による混乱は長期化
こうした条件が重なり、1982年、イスラエルは限定行動ではなく大規模侵攻へと踏み切ることになります。
次章では、この侵攻がどのような目的と戦略のもとで実行されたのか、イスラエル側の狙いに焦点を当てて解説します。
第2章 イスラエル侵攻の目的と戦略
1982年のレバノン侵攻は、防衛的な報復行動というよりも、明確な政治・軍事戦略に基づいた計画的な介入でした。
この章では、イスラエルが何を目指して侵攻に踏み切ったのか、その目的と構想を整理します。
1.公式の名目:北部国境の安全確保
イスラエル政府が掲げた侵攻の公式目的は、イスラエル北部の住民をPLOの攻撃から守ることでした。
作戦名は「ガリラヤの平和作戦」とされ、レバノン南部に展開するPLO部隊を排除し、国境地帯を安定させることが強調されました。確かに、レバノン南部からのロケット攻撃や越境襲撃は現実の脅威であり、この点だけを見れば侵攻は防衛的行動として説明することも可能です。
しかし、実際の作戦は国境からはるか北、首都ベイルートにまで及ぶ大規模なものでした。この事実は、イスラエルの目的が単なる国境防衛にとどまらなかったことを示しています。
2.実際の狙い①:PLOの壊滅と指導部の排除
侵攻の最大の狙いは、レバノンに拠点を置くPLOを軍事的・政治的に壊滅させることでした。
- 南部拠点の破壊
- ベイルートに置かれた司令部・政治拠点への圧力
- 指導部を国外へ追放し、組織の中枢を解体する
PLOは単なる武装組織ではなく、国際社会で「パレスチナの代表」として存在感を高めつつありました。イスラエルにとってPLOは、軍事的脅威であると同時に政治的な対抗主体でもあったのです。
3.実際の狙い②:レバノン政治への介入
イスラエルは侵攻を通じて、レバノンの政治構造そのものを作り替える構想も描いていました。
- キリスト教系民兵(ファランヘ党など)との連携
- 親イスラエル的な政権の樹立
- レバノンをイスラエルと和平可能な国家へ再編
もしこれが実現すれば、イスラエルは北部国境に敵対的勢力のいない緩衝国家を持つことになります。この点で、レバノン侵攻は単なる軍事作戦ではなく、地域秩序の再設計を狙った政治介入でした。
4.実際の狙い③:シリアの影響力の抑制
当時のレバノンには、内戦介入を名目にシリア軍が駐留していました。イスラエルにとってシリアは、第四次中東戦争以降も敵対関係にある最大の周辺国です。
レバノン侵攻には、
- シリア軍の影響力を弱める
- 中東における勢力均衡をイスラエル優位にする
という狙いも含まれていました。
この点からも、侵攻は冷戦下の地域覇権争いの一部として位置づけられます。
5.作戦を主導した人物と判断
この侵攻を強く推進したのが、当時の国防相であったアリエル・シャロンです。
シャロンは、
- PLOを根本から排除しなければ安全は得られない
- レバノン情勢は軍事力で一気に変えられる
と考え、限定行動ではなく決定的な軍事介入を選択しました。
その結果、イスラエル軍は短期間でベイルートを包囲し、PLOを国外へ撤退させることに成功します。しかし、この「軍事的成功」は、後に深刻な政治的・道義的問題を引き起こすことになります。
第3章 侵攻の結果と国際的衝撃
1982年のイスラエルのレバノン侵攻は、軍事的には短期間で大きな成果を挙げました。しかし、その過程と結末は国際社会に強い衝撃を与え、イスラエル自身の立場にも深刻な影響を及ぼします。この章では、侵攻がもたらした直接的な結果と、その政治的・国際的意味を整理します。
1.ベイルート包囲とPLO撤退
イスラエル軍はレバノン南部から北上し、最終的に首都ベイルートを包囲しました。
市街戦と長期包囲によって民間人被害が拡大し、国際社会の注目が一気に集まります。
その結果、アメリカなどの仲介のもとで合意が成立し、PLOはレバノンからの撤退を受け入れました。
- PLO戦闘員は国際監視団の管理下で国外退去
- 指導部はチュニジアなどへ移動
- レバノンにおけるPLOの軍事的拠点は消滅
イスラエルの当初目標であった「レバノンからのPLO排除」は、この段階で達成されたといえます。
2.サブラ・シャティーラ事件と国際非難
しかし、PLO撤退直後に起きた事件が、侵攻全体の評価を決定的に変えました。それが、サブラ・シャティーラ難民キャンプでの虐殺事件です。
- キリスト教民兵が難民キャンプに侵入
- 多数のパレスチナ人・民間人が殺害
- 周囲を封鎖していたイスラエル軍の責任が国際的に問題視
イスラエル軍が直接虐殺を行ったわけではありませんが、占領軍としての管理責任が厳しく問われました。この事件は、イスラエルに対する国際世論を一気に悪化させ、侵攻の正当性そのものが疑問視される転機となります。
3.イスラエル国内の動揺と政治的影響
レバノン侵攻は、イスラエル国内でも大きな分断を生みました。
- ベイルート包囲と民間人被害への疑問
- サブラ・シャティーラ事件への衝撃
- 「防衛戦争」を超えた介入への批判
とくに大規模な反戦デモが起こり、政府は強い圧力にさらされます。その結果、調査委員会が設置され、国防相アリエル・シャロンは政治的責任を問われることになりました。
ここで重要なのは、侵攻が国民的合意に支えられた戦争ではなくなったという点です。
4.レバノン情勢の不安定化
PLOが撤退したことで、レバノンが安定に向かったわけではありませんでした。むしろ、権力の空白が新たな混乱を生みます。
- 親イスラエル的と期待された政権は短命
- 内戦は継続
- イスラエル軍は南部での長期駐留を余儀なくされる
この状況は、イスラエルにとって想定外の「出口のない占領」へとつながっていきます。
5.侵攻の評価:成功と失敗の分岐点
1982年のレバノン侵攻は、結果として次のように評価されます。
- 短期的成果:PLOのレバノン拠点排除
- 中期的影響:国際的孤立と国内分断
- 長期的帰結:新たな敵対勢力の温床化
この侵攻は、イスラエルにとって「軍事的には勝利したが、政治的には困難を深めた戦争」という位置づけになりました。
第4章 PLO後の空白とヒズボラの台頭
1982年の侵攻によってPLOはレバノンから排除されました。しかし、それは「脅威の消滅」を意味しませんでした。むしろPLO撤退後に生じた権力と武装の空白が、新たな勢力の成長を促す結果となります。
この章では、PLOに代わって台頭したヒズボラと、イスラエルが直面した新たな現実を整理します。
1.PLO排除後に生まれた「空白」
PLOが去ったレバノン南部では、秩序を回復できる国家権力が存在しませんでした。
- レバノン政府は依然として内戦下で統制不能
- イスラエル軍は南部に駐留し「安全地帯」を維持
- 住民の多くを占めるシーア派は、政治的にも社会的にも周縁化
この状況は、占領への不満と抵抗意識を急速に高めていきます。
PLOが担っていた「対イスラエル抵抗」の役割が空白になったことで、新たな主体が求められたのです。
2.ヒズボラ誕生の背景
その空白を埋める形で登場したのが、シーア派武装組織ヒズボラでした。
ヒズボラは、
- レバノン南部のシーア派住民を基盤
- イスラエル占領への抵抗を正当性の源泉とする
- 社会福祉・教育・宗教活動を通じて支持を拡大
という特徴を持って成長します。
その背後で重要な役割を果たしたのが、イランです。イラン革命後の体制は、革命防衛隊を通じてヒズボラを支援し、レバノン南部に強い影響力を築いていきました。
3.PLOとヒズボラの決定的な違い
ヒズボラは、PLOと同じ「反イスラエル勢力」ですが、その性格は大きく異なります。
- PLO:世俗的・民族主義的、国外亡命型組織
- ヒズボラ:宗教的正当性を持つ地域密着型組織
とくに重要なのは、ヒズボラがレバノン社会に深く根を張った存在だった点です。そのため、軍事力で指導部を排除しても組織全体が崩れることはなく、長期的な抵抗が可能になりました。
4.長期占領と消耗戦
イスラエルは、レバノン南部の不安定化を防ぐため、長期間にわたって軍を駐留させます。しかし、これが逆にヒズボラの活動を正当化する結果となりました。
- ゲリラ戦・自爆攻撃・ロケット攻撃の頻発
- イスラエル側の死傷者増加
- 国内で「なぜレバノンに留まるのか」という疑問が拡大
この消耗戦の末、イスラエルは2000年にレバノン南部から撤退します。しかしヒズボラは「占領を武力で追い払った勢力」として、さらに威信を高めました。
5.侵攻の長期的帰結
こうして振り返ると、1982年のレバノン侵攻は次のような逆説を生み出しました。
- 短期的成果:PLOの排除
- 長期的結果:より組織化された強固な敵の出現
イスラエルのレバノン侵攻は、 「既存の脅威を除去した結果、より持続的な脅威を生んだ」という点で、中東現代史の重要な転換点と位置づけられます。
第5章 イスラエルのレバノン侵攻が残したもの
1982年のレバノン侵攻は、当時の安全保障環境に対するイスラエルの「合理的判断」として構想されました。
しかし、その帰結は、想定された秩序の回復とは大きく異なる方向へと進みます。この最終章では、侵攻が中東全体に残した意味を整理し、現代の紛争とのつながりを考えます。
1.「パレスチナ問題」から「地域紛争」へ
レバノン侵攻以前、イスラエルにとって最大の脅威は、国外に拠点を置くパレスチナ武装組織でした。しかし侵攻後、対立の構図は大きく変化します。
- パレスチナ問題はレバノン一国の枠を超え
- 周辺諸国や宗派、国際勢力を巻き込む
- 地域全体の安全保障問題へと拡張
レバノン侵攻は、パレスチナ問題が「国境を越えて波及する紛争」であることを、はっきりと示した出来事でした。
2.軍事力では解決できないという教訓
イスラエルは、PLOの排除という点では明確な軍事的成果を挙げました。しかしその後の展開は、軍事力だけでは問題を終わらせられないことを浮き彫りにします。
- 組織を壊しても、支持基盤は消えない
- 占領は抵抗を正当化する
- 新たな武装勢力が次々に生まれる
この構図は、その後のガザ地区やヨルダン川西岸でも繰り返されていきます。
3.代理戦争の舞台としてのレバノン
レバノン侵攻以降、中東の紛争は代理戦争的性格を強めていきました。
- ヒズボラを支援するイラン
- イスラエルを支援するアメリカ
- 周辺諸国の思惑が交錯
レバノンは、単なる一国家ではなく、大国と地域勢力の力関係がぶつかる舞台として固定化されていきます。
4.現在のガザ・イスラエル北部との連続性
1982年の侵攻で見られた構図は、現在の中東情勢とも強く連続しています。
- ガザでは武装勢力とイスラエルの衝突が反復
- イスラエル北部ではヒズボラとの緊張が常態化
- 一度始まった対立が、世代を超えて引き継がれる
レバノン侵攻は、現在の紛争の「原型」を形づくった出来事だといえるでしょう。
5.歴史的評価
総合的に見ると、イスラエルのレバノン侵攻は次のように評価できます。
- 戦術的には成功
- 戦略的には長期的不安定を拡大
- 中東問題をより複雑化
この侵攻は、「力による安全保障」の限界を示した事例として、現代史に刻まれています。
おわりに
イスラエルのレバノン侵攻は、単なる過去の戦争ではありません。その選択と結果は、現在のガザ情勢やイスラエル北部の緊張にまで連なっています。
過去を知ることは、「なぜ中東の紛争は終わらないのか」という問いを考えるための、最も確かな手がかりなのです。
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