【世界史用語】岩のドームを分かりやすく解説

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エルサレム旧市街に立つ岩のドームは、イスラーム建築の中でも最古級の記念的建造物です。

ムハンマド昇天の地とされる岩を覆う形で建てられ、正統カリフ時代に聖地化され、ウマイヤ朝のカリフによって本格的な建築として整備されました。

岩のドームは単なる宗教施設ではなく、イスラーム国家の成立を可視化した政治的モニュメントでもあります。

目次

聖地化から建立へ―ウマルとアブド=アルマリク

エルサレムは正統カリフ時代、第2代カリフ・ウマルの時代にイスラーム勢力の支配下に入りました。このときウマルは、後にムハンマド昇天の地と結びつけられる岩の場所をイスラームの聖地として位置づけます。

その後、ウマイヤ朝第5代カリフ・アブド=アルマリクは、この聖地を視覚的に示す国家的建築として、692年に岩のドームを完成させました。建設地はユダヤ教の神殿の丘にあたり、三宗教が重なる極めて象徴的な場所です。

建物には人物像を用いず、クルアーン文句が帯状に刻まれています。これはビザンツ建築の技法を取り入れつつ、明確にイスラーム的な表現へと転換したもので、ウマイヤ朝が既存の地中海世界の文化を継承しながら、自立したイスラーム国家を打ち出したことを示しています。

宗教建築を超えた政治的モニュメント

岩のドームはモスクではなく、巡礼的性格をもつ記念建築です。その役割は、エルサレムをイスラームの聖地として確立すると同時に、ウマイヤ朝の正統性と権威を示す点にありました。

当時ウマイヤ朝は内乱後の体制固めの時期にあり、ビザンツ帝国やキリスト教世界との対抗関係の中で、自らの宗教的優位性を可視化する必要がありました。岩のドームはその象徴として築かれたのです。

同時期に行われた貨幣改革(ディーナール金貨の鋳造)と並び、岩のドームはウマイヤ朝が軍事国家から制度国家へと転換していく過程を象徴しています。都市景観の中にイスラームを刻み込むことで、信仰共同体は帝国的国家へと姿を変えていきました。

なぜ岩のドームはエルサレムに建てられたのか

― メッカではなく「境界の聖地」が選ばれた理由

岩のドームが建設された場所は、イスラーム最大の聖地であるメッカではなく、エルサレムでした。これは単なる宗教的理由だけでなく、当時の政治状況と深く結びついています。

まず宗教的側面として、エルサレムはムハンマド昇天の地と結びつけられ、イスラームにおいても特別な意味を持つ都市でした。同時にこの地は、ユダヤ教の神殿の丘、キリスト教の聖地を含む三宗教共通の聖域でもあります。ウマイヤ朝は、この象徴性の高い場所にイスラーム建築を築くことで、既存の宗教世界の中心に自らの存在を刻み込もうとしました。

さらに重要なのが政治的背景です。岩のドームを建設したアブド=アルマリクの時代、ウマイヤ朝は内乱直後で、アラビア半島では対抗勢力がメッカを押さえていました。そのため、王朝の権威を示す国家的建築をメッカに建てることが難しかったのです。

そこでアブド=アルマリクは、確実に支配下にあったシリア・パレスチナ地域の中心であり、かつビザンツ世界と向き合う最前線でもあったエルサレムを選びました。岩のドームは、ビザンツ帝国に対する宗教的・政治的宣言でもあったのです。

つまり岩のドームは、

  • 三宗教の交差点という宗教的象徴性
  • 内乱後の王朝正統性の誇示
  • ビザンツ世界への対抗

という三つの目的を同時に担った建築でした。メッカではなくエルサレムが選ばれたのは、岩のドームが巡礼施設ではなく、国家の存在を示すモニュメントだったからなのです。

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