ザンジュの乱(869〜884年)は、アッバース朝下でイラク南部の黒人奴隷が起こした反乱で、帝国後期の社会不安と中央政府の弱体化を示す事件です。
イラク南部の塩性湿地帯で働かされていた黒人奴隷たちが大規模な反乱を起こし、国家の軍事力を長期間にわたって拘束しました。
ザンジュとは、主に東アフリカ沿岸地域(現在のケニア・タンザニア周辺)から連行された黒人奴隷を指します。彼らは過酷な環境で開墾作業に従事させられており、その不満が爆発する形で反乱へと発展しました。
この事件は単なる奴隷暴動ではなく、アッバース朝の財政難や地方統治の弱体化と結びついた、深刻な社会不安の表れでもありました。
本記事では、ザンジュの乱の背景と経過、そして歴史的な意味を簡潔に整理します。
大学入試対策の視点から
ザンジュの乱は「単独で主役級」ではないけれど、アッバース朝衰退を説明する“重要ピース”として頻出します。
つまり、「ザンジュの乱とは何か?」とそのまま出るよりも、アッバース朝の動揺・社会構造・地方反乱の文脈で絡めて問われるタイプの知識です。
- アッバース朝が「イスラーム帝国の最盛期」でありながら衰退に向かった理由を説明せよ。
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アッバース朝は文化的繁栄を遂げた一方、広大な領土経営によって財政難に陥り、軍人への依存が進んだ。中央政府の統制が弱まる中で地方総督が自立し、帝国は分裂的傾向を強めた。また奴隷労働への依存はザンジュの乱のような大反乱を招き、国家の基盤を揺るがした。こうして最盛期の繁栄とは裏腹に、統治構造は内側から崩れていった。
【ポイント】
① 広大な領土 → 財政悪化
② 軍人依存 → 地方の自立
③ 社会不安(ザンジュの乱)
④ 中央集権崩壊
超短縮テンプレ(暗記用)
アッバース朝は財政悪化と軍人依存により中央集権が動揺し、地方政権が自立した。さらにザンジュの乱など社会不安が国家を疲弊させ、カリフは名目的存在となって帝国は分裂した。
第1章 ザンジュの乱の背景
アッバース朝社会に蓄積していた矛盾
ザンジュの乱が起きた最大の背景は、イラク南部の過酷な労働環境にありました。この地域では塩分を含む湿地の開墾作業が進められており、東アフリカから連れて来られた多数の黒人奴隷(ザンジュ)が投入されていました。
彼らは劣悪な環境のもとで重労働を強いられ、生活条件も極めて厳しいものでした。
一方、9世紀のアッバース朝は、広大な領土経営による財政悪化、軍人への依存、地方支配の動揺など、構造的な問題を抱えていました。中央政府の統制力が弱まる中で、こうした社会的な不満が爆発しやすい状況が整っていたのです。
このような環境のもと、カリスマ的指導者アリー=イブン=ムハンマドが現れ、奴隷たちに解放と報酬を約束して蜂起を主導しました。これが869年に始まるザンジュの乱です。
第2章 反乱の拡大と鎮圧
大規模内乱が示したアッバース朝の衰退
反乱軍は急速に勢力を拡大し、バスラを占領するなど、イラク南部一帯を支配下に置きました。彼らは独自の拠点都市を築き、略奪と軍事行動を繰り返しながら、**約15年間(869〜884年)**にわたって抵抗を続けます。
アッバース朝は当初、十分な対応ができず、鎮圧には長い時間を要しました。最終的には中央軍の総力を投入して反乱は884年に平定されますが、その過程で国家の財政と軍事力は大きく消耗しました。
ザンジュの乱は、奴隷制度の矛盾を露呈させただけでなく、アッバース朝がすでに全盛期を過ぎ、地方反乱を容易に抑えられなくなっていた現実を明確に示しています。以後、帝国は地方政権の自立が進み、分裂的な時代へと向かっていきました。
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