中世ヨーロッパ社会を理解するうえで欠かせない概念のひとつが荘園制です。
荘園制は、封建社会における農村経済の基盤を形成した仕組みであり、領主と農奴の関係を通して社会全体の生産構造を決定づけました。
特に大学受験世界史では、荘園制の仕組みや経済構造だけでなく、農奴制・領主制・三圃制・貨幣経済との関係まで問われることが多いのが特徴です。
また、封建社会全体の構造と絡めた論述問題も頻出するため、単なる用語暗記ではなく、社会構造のつながりを意識した学習が重要となります。
この記事では、
- 荘園制の仕組み
- 領主と農奴の関係
- 三圃制・貨幣経済・都市との関係
を体系的に解説し、最後に重要論述問題や一問一答、誤答パターンまとめも掲載します。
1章 荘園制の仕組みとその経済的役割
1-1 荘園とは何か:封建社会を支えた土地制度
荘園(manor)とは、中世ヨーロッパにおいて領主が支配した農村単位のことを指します。
領主は国王や上位の貴族から封土を与えられ、その土地を基盤として収入を得ていました。
この荘園を耕作する農民は「農奴(serf)」と呼ばれ、多くの場合、土地に縛り付けられた半自由民でした。
荘園は大きく分けて 「直営地(領主直営地)」 と 「保有地(農民保有地)」 の2つから構成されます。
- 直営地(demesne)
領主が直接経営し、農奴が無償労働(賦役)によって耕作した土地。
収穫物はすべて領主の収入となりました。 - 保有地(peasant holding)
農奴や自由農民に割り当てられた土地で、農民はここで自給用の農作物を生産しました。
ただし、この土地は自由に売買できず、農奴は領主に対して地代や労働を提供する義務を負いました。
荘園制は「土地に縛られた農民」と「土地を支配する領主」という構造を生み、これが中世封建社会の基盤となったのです。
1-2 三つの義務:農奴が負担した経済的義務
荘園制における農奴の義務は、主に次の3つに分類されます。
- 賦役(corvée)
領主の直営地で無償労働を行う義務。
例:耕作、収穫、森の伐採、家畜の世話など。 - 貢納(cens)
農奴が保有地で生産した作物の一部を、地代として領主に納める義務。
通常は穀物や家畜などの現物納付でした。 - その他の雑役・使用料(banalités)
領主の所有する水車・パン焼き窯・ブドウ圧搾機などを利用する際の使用料や、結婚税・相続税などの名目で課された負担。
これらの負担は地域や時代によって異なりましたが、農奴にとっては重く、経済的な自由は極めて制限されていました。
1-3 三圃制と貨幣経済の影響
11世紀以降、農業技術の進歩によって 三圃制(three-field system) が広まり、生産性が向上しました。
また、中世後期には都市が発展し、貨幣経済が進展。
これに伴い、農奴の賦役は次第に 地代の貨幣納付(commutation) へと変化していきます。
これらの変化は、荘園制の枠組みを徐々に崩し、自由農民や都市ブルジョワ層の台頭を促すことにつながりました。

1-4 入試で狙われるポイント
- 荘園の 直営地と保有地の違い
- 農奴の三大義務(賦役・貢納・雑役)
- 三圃制の意義と農業生産性の向上
- 貨幣経済との関係と農奴解放の流れ
- 荘園制と封建社会の関係性をセットで理解すること
- 中世ヨーロッパにおける荘園制の仕組みと経済的役割について、農奴制・三圃制・貨幣経済との関係に言及しながら200字程度で説明せよ。
-
中世ヨーロッパの荘園制は、領主が支配する荘園を単位とした農村経済体制であり、農奴は土地に縛られ賦役・貢納・雑役の三大義務を負った。11世紀以降、三圃制の普及により農業生産性が向上するとともに、都市の発展と貨幣経済の浸透が進んだ。その結果、賦役の貨幣地代化が進行し、農奴の地位も徐々に変化。荘園制は封建社会を支える基盤であると同時に、貨幣経済の進展によって次第に変容していった。
第1章: 荘園制の仕組みと経済構造 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
荘園を構成する土地は大きく何と何に分かれるか。
解答:直営地と保有地
問2
領主直営地を耕作する農奴の無償労働を何というか。
解答:賦役
問3
農奴が生産物の一部を領主に納める義務を何というか。
解答:貢納
問4
農奴が水車やパン焼き窯を利用する際に支払った使用料を何というか。
解答:バナリテ(banalités)
問5
農奴は土地から自由に離れることができたか。
解答:できなかった(不自由民であり土地に縛られていた)
問6
農奴が負担した義務は主に3つあったが、それは何か。
解答:賦役・貢納・雑役
問7
中世ヨーロッパで11世紀以降に普及した農業方式を何というか。
解答:三圃制
問8
貨幣経済の進展により、賦役が貨幣納付に変わる現象を何というか。
解答:賦役の貨幣地代化(commutation)
問9
荘園制は何世紀頃から衰退傾向に入ったか。
解答:13世紀後半から14世紀
問10
荘園制と封建制はどのような関係にあるか。
解答:荘園制は封建制を経済的に支える基盤であった
正誤問題(5問)
問1
荘園の直営地は農民が自由に所有・売買できた。
解答:誤(直営地は領主が支配し、農民は無償労働で耕作した)
問2
農奴は土地から自由に離れることができた。
解答:誤(農奴は土地に縛られており、移動の自由はなかった)
問3
三圃制では耕地を2つに分けて交互に耕作する方式である。
解答:誤(三圃制は耕地を3つに分けて交互に利用する方式)
問4
貨幣経済の浸透は農奴解放の一因となった。
解答:正
問5
荘園制は封建制を経済的に支える重要な制度だった。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
- 「直営地」と「保有地」を逆に覚える → 領主=直営地、農民=保有地で整理
- 「賦役」と「貢納」の混同 → 労働の提供=賦役、生産物の納入=貢納
- 「三圃制」を二圃制と誤解する → 三つに分ける点がポイント
- 荘園制と封建制を同義語と誤解 → 封建制=政治的支配、荘園制=経済的基盤で区別
- 貨幣経済の進展と荘園制崩壊の関係を軽視 → 貨幣納付の普及が農奴解放につながる
2章 農奴と領主の関係|中世農村社会の実態
2-1 領主と農奴の支配・従属関係
中世ヨーロッパの農村社会では、領主と農奴との関係は「土地をめぐる支配・従属」によって成り立っていました。
領主は国王や上位の封建領主から与えられた土地を基盤として権力を行使し、農奴に対して経済的・司法的な支配を行っていました。
農奴は領主の支配下にあり、次のような制約を受けていました。
- 移動の自由がない
農奴は荘園に縛り付けられ、領主の許可なく他所へ移住できませんでした。 - 結婚・相続にも制限
農奴が結婚する場合や土地を相続する場合は、領主への許可と手数料(結婚税・相続税)が必要でした。 - 司法権の制限
領主は荘園裁判権(ban権)を持ち、農奴間の紛争から刑罰までを裁くことができました。
このように、農奴は経済的だけでなく、法的にも領主に従属していたのです。
2-2 領主の権利と農奴の義務
荘園制において、領主は「ban権」と呼ばれる幅広い権利を持ち、農奴はそれに従う立場でした。
領主の権利(ban権)
- 軍事権
荘園の農民を徴発して軍役に従事させる権利。 - 裁判権
荘園内で起きた犯罪や紛争を裁く権利。 - 経済的独占権
荘園内の水車・パン焼き窯・ブドウ圧搾機の独占経営権。農奴は使用料(バナリテ)を支払う必要がありました。
農奴の義務
- 無償労働(賦役)
- 生産物の一部を納める貢納
- 領主施設利用料(バナリテ)
- 結婚税・相続税などの雑税
これらの義務と権利は地域ごとに差があるものの、農奴にとっては重い負担であり、自由の制約は非常に大きいものでした。
2-3 農奴の生活と社会構造
農奴の生活は、基本的に 自給自足 に近いものでした。
荘園の保有地で家族と共に農業を営み、収穫物の一部を自家消費し、残りを貢納や雑役に充てる生活です。貨幣経済が浸透するまでは市場取引は限られており、農村社会は閉鎖的でした。
しかし、11世紀以降、次のような変化が見られます。
- 農業生産性の向上
三圃制の普及で収穫量が増加し、余剰生産物の発生。 - 都市の発展と市場経済
領主や修道院が市を開き、農産物や手工業品が流通。 - 貨幣経済の浸透
貢納や雑税が貨幣で納められるようになり、農奴の立場にも変化。
これらの変化は、農奴制から自由農民への移行を促す契機となり、封建社会の構造そのものを揺るがす要因となりました。
2-4 入試で狙われるポイント
- 領主のban権と農奴の義務の具体例
- 荘園内での 司法権・経済的独占権 の仕組み
- 自給自足的農村社会から貨幣経済への移行
- 農奴解放のきっかけと都市発展との関係
- 荘園制衰退の流れと封建制崩壊への影響
- 中世ヨーロッパにおいて、領主と農奴の関係を経済的・法的側面から説明し、貨幣経済の進展がこの関係にどのような変化をもたらしたかを200字程度で述べよ。
-
中世ヨーロッパでは、領主は荘園内で軍事・裁判・経済を支配するban権を持ち、農奴は賦役・貢納・雑税などの重い義務を負った。農奴は土地に縛られ、移動や結婚、相続にも領主の許可が必要であった。しかし、11世紀以降の農業生産性向上と都市発展による貨幣経済の浸透により、賦役が貨幣納付へと変化し、農奴の自由度は徐々に拡大。やがて農奴解放と荘園制衰退につながった。
第2章: 荘園制の仕組みと経済構造 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
領主が荘園内で軍事・裁判・経済を支配した権利を何というか。
解答:ban権
問2
ban権の中で、農奴を軍役に従事させる権利を何というか。
解答:軍事権
問3
ban権の中で、農奴間の紛争を裁く権利を何というか。
解答:裁判権
問4
ban権の中で、水車やパン焼き窯などの経営を独占する権利を何というか。
解答:経済的独占権
問5
農奴が婚姻時に領主へ納めた税を何というか。
解答:結婚税
問6
農奴が土地を相続するときに支払った税を何というか。
解答:相続税
問7
農奴は領主の許可なく荘園を離れることができたか。
解答:できなかった
問8
中世農村社会の経済は何型だったか。
解答:自給自足型経済
問9
貨幣経済の進展により、賦役がどのように変化したか。
解答:貨幣地代化(commutation)
問10
農奴解放の背景には、どのような社会的変化があったか。
解答:都市発展と貨幣経済の浸透
正誤問題(5問)
問1
ban権とは、国王が荘園内でのみ行使した権利である。
解答:誤(ban権は領主が荘園内で行使した)
問2
農奴は領主の許可なく自由に結婚できた。
解答:誤(結婚には領主の許可と結婚税が必要だった)
問3
農奴は完全な奴隷であり、土地の所有権もなかった。
解答:誤(農奴は保有地を耕作できたが、売買は不可)
問4
貨幣経済の発展は農奴解放の一因となった。
解答:正
問5
農奴の生活は自給自足的であり、閉鎖的な農村社会を形成していた。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
- ban権を国王の権利と誤解する → 荘園内では領主が行使
- 農奴=奴隷と誤解 → 農奴には保有地利用権があり、完全な奴隷ではない
- 貨幣経済と農奴制の関係を軽視 → 貨幣納付の普及は農奴解放の重要契機
- 封建社会=荘園制と混同 → 荘園制は封建社会の経済基盤、両者は区別
- 農奴の結婚・移動の自由を過大評価 → 許可制であり、自由ではない
3章 騎士道精神と戦士階級の形成
3-1 封建社会における騎士の役割
中世ヨーロッパにおいて、騎士(knight)は封建社会を支える軍事的階層として重要な地位を占めていました。
封建制度(feudalism)では、国王から諸侯・領主へ土地(封土)が与えられ、領主はその見返りとして軍事奉仕を提供しました。
領主に仕える下級戦士である騎士は、この軍事奉仕を実際に担う存在だったのです。
騎士は馬上槍試合や剣術を習得し、戦場では重装備で突撃を行うエリート戦士階級でした。
彼らはまた、領主に忠誠を誓い、その封土を守る軍事的守護者としても機能しました。
3-2 騎士道精神(chivalry)の誕生と発展
11世紀以降、騎士たちの間で形成された価値観・行動規範が 騎士道精神(chivalry) です。
これは単なる戦闘技術の習得だけではなく、宗教的・道徳的価値観を含んでいた点が特徴です。
騎士道精神の主な特徴
- 忠誠(loyalty)
領主や主君に対する絶対的な忠誠を重視。 - 勇敢さ(bravery)
戦場での勇敢な行動、名誉を重んじる精神。 - 敬神と奉仕(piety & service)
キリスト教的価値観に基づき、弱者や教会を守る義務。 - 女性への敬愛(courtly love)
宮廷文化と結びついた女性崇拝の観念。
この騎士道精神は、十字軍遠征など宗教戦争を背景としてさらに強調され、戦士階級の統合的な価値体系となりました。
3-3 騎士階級の衰退と軍事革命
13世紀後半以降、騎士階級の存在感は徐々に薄れていきます。
その主な理由は次の3つです。
- 長弓・火器の登場
百年戦争でのイギリス軍による長弓戦術は、重装騎士を無力化しました。 - 常備軍の形成
領主に依存しない国王直属軍が整備され、騎士の軍事的重要性が低下。 - 貨幣経済の進展
領主が貨幣で傭兵を雇うようになり、軍事奉仕に基づく封建関係が変質。
こうして、騎士道精神は文化的価値観としては残ったものの、軍事的実態としての騎士は次第に消えていきました。
3-4 入試で狙われるポイント
- 騎士が封建制度の軍事的中核を担った点
- 騎士道精神の内容と形成背景(十字軍やキリスト教的価値観との関係)
- 百年戦争による騎士階級の衰退
- 封建社会の軍事構造と経済構造の関連
- 騎士道文学(『ローランの歌』『アーサー王物語』など)と文化的影響
- 中世ヨーロッパにおける騎士階級の役割と騎士道精神の意義について、封建社会の軍事構造と関連付けながら200字程度で説明せよ。
-
中世ヨーロッパの封建社会では、国王から領主へ土地が与えられ、領主は軍事奉仕を提供する代わりに土地を保有した。騎士は領主に仕える下級戦士として軍事奉仕を担い、荘園と封建領を防衛した。11世紀以降、騎士間には忠誠・勇敢さ・敬神を重視する騎士道精神が形成され、十字軍遠征や宮廷文化とも結びついた。しかし百年戦争以降、火器や長弓の登場、常備軍の整備により騎士階級は軍事的役割を失い、封建制度は次第に変質した。
第3章: 荘園制の仕組みと経済構造 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
封建社会で国王や領主から土地を与えられ、軍事奉仕を担った戦士階級を何というか。
解答:騎士(knight)
問2
騎士道精神は何世紀頃に形成されたか。
解答:11世紀以降
問3
騎士道精神の柱となる4つの価値観は何か。
解答:忠誠・勇敢さ・敬神と奉仕・女性崇拝
問4
騎士道精神が強調された背景となった宗教的事件は何か。
解答:十字軍遠征
問5
騎士道文学の代表作で、カール大帝の騎士ローランを描いた作品は何か。
解答:『ローランの歌』
問6
宮廷文化と結びついた女性崇拝の観念を何というか。
解答:宮廷風恋愛(courtly love)
問7
百年戦争で騎士を無力化したイギリス軍の戦術は何か。
解答:長弓戦術
問8
封建社会の軍事的基盤を支えた関係を一言でいうと何か。
解答:土地の授与と軍事奉仕の交換関係
問9
常備軍の整備により、騎士階級はどうなったか。
解答:軍事的重要性が低下した
問10
騎士道精神は軍事的実態が失われた後もどのように残ったか。
解答:文化的・文学的価値として残存した
正誤問題(5問)
問1
騎士は領主に仕える下級戦士であり、封建制度の軍事的中核を担った。
解答:正
問2
騎士道精神は戦闘技術の訓練のみを意味する。
解答:誤(宗教的・道徳的価値も含む)
問3
騎士道精神は十字軍遠征とは無関係に発展した。
解答:誤(十字軍が形成を促進した)
問4
百年戦争において、長弓の登場が重装騎士を無力化した。
解答:正
問5
騎士階級は15世紀以降も軍事的中心として封建制を支え続けた。
解答:誤(常備軍の整備で衰退した)
よくある誤答パターンまとめ
- 騎士道精神=戦闘技術訓練と誤解 → 忠誠・宗教・女性崇拝も重要要素
- 十字軍と騎士道精神の関係を軽視 → 十字軍は騎士道の形成を大きく促進
- 封建制と荘園制を混同 → 騎士は封建制の軍事的中核、荘園制は経済的基盤
- 百年戦争後も騎士が軍事の中心と誤解 → 火器・常備軍で衰退
- 騎士道文学を軽視 → 『ローランの歌』や『アーサー王物語』は頻出
まとめ章|荘園制と封建社会の全体像を整理する
中世ヨーロッパ社会は、「封建制」と「荘園制」という2つの仕組みを基盤に成り立っていました。
- 封建制(feudalism):
国王 → 諸侯 → 騎士 という 土地授与と軍事奉仕の関係を軸とした 政治・軍事的支配構造 - 荘園制(manorialism):
領主と農奴の間で成立した、土地利用と生産物徴収の関係を軸とした 経済的支配構造
この2つは別の概念ですが、相互に補完し合い封建社会を形成しました。
荘園制を理解することは、封建社会の仕組みをつかむうえで不可欠であり、領主と農奴、騎士と主君、都市と農村、さらには貨幣経済の進展による社会変動までを包括的に押さえる必要があります。

中世ヨーロッパ農村社会の流れ|年表
年代 | 出来事 | ポイント |
---|---|---|
9世紀頃 | 荘園制の成立 | 領主と農奴の支配・従属関係が固定化 |
10世紀頃 | 封建制の整備 | 国王→諸侯→騎士という主従関係が形成 |
11世紀頃 | 三圃制の普及 | 農業生産力が向上し余剰生産物が発生 |
11世紀末 | 第1回十字軍遠征 | 騎士道精神の形成を促進 |
12〜13世紀 | 都市発展・貨幣経済の浸透 | 貢納が貨幣地代化、農奴解放の契機に |
13世紀後半 | 騎士階級の相対的衰退 | 常備軍の台頭、騎士の軍事的重要性低下 |
14世紀 | 黒死病・農民一揆 | 人口減少による農奴制崩壊の加速 |
15世紀 | 百年戦争終結 | 騎士階級の軍事的役割が完全に衰退 |
荘園制・封建制・貨幣経済の関係フローチャート
【封建制(政治・軍事構造)】
国王
│(封土の授与)
▼
諸侯・領主
│(軍事奉仕・忠誠)
▼
騎士
──────────────────────
【荘園制(経済構造)】
領主
│(土地を支配・ban権)
▼
荘園(直営地+保有地)
│
├─ 農奴:賦役・貢納・雑役を負担
└─ 自給自足的生産
──────────────────────
【貨幣経済の進展】
三圃制普及 → 生産力向上
│
都市発展・市場形成
│
賦役 → 貨幣地代化
│
農奴解放・荘園制衰退
受験対策まとめ|ここを押さえる!
- 荘園制の基礎
- 荘園=直営地+保有地
- 農奴の三大義務=賦役・貢納・雑役
- 封建制との違い
- 封建制=政治・軍事的構造
- 荘園制=経済的構造
- 騎士道精神の形成
- 忠誠・勇敢さ・敬神・女性崇拝
- 十字軍との関係性は重要
- 社会変動の流れ
- 三圃制→余剰生産→貨幣経済進展
- 賦役の貨幣化→農奴解放→荘園制崩壊

コメント