高校世界史では、
「フランス革命で自由・平等・国民主権が誕生した」
「七月革命で国民主権が実現した」
というように学ぶ。
しかし入試問題では、しばしば次のような微妙な表現が出る。
「七月革命によって国民主権が実現した」 → ○
「七月革命によって国民主権が完全に/普遍的に実現した」 → ✕
同じ“実現”という言葉を使っているのに、なぜ結果が違うのか?
そして、ナポレオン法典(1804年)のように一見「制度」を作った出来事が、なぜ国民主権の実現とは言えないのか?
この違いを正しく理解しておくと、入試問題で迷わなくなる。
「実現」は“制度的実現”の意味で使われる
入試問題でいう「実現」は、日常語でいう“完全な達成”ではなく、「理念が制度に取り込まれた(=制度化された)」段階を指す。
たとえば七月革命(1830)は、王権の根拠を「神」から「国民の合意」へと移し、立憲王政(七月王政)を確立した。
- 憲章(改正憲法)で国王の権限を制限
- 国民代表(議会)が政治の正統性の中核に
- 言論・出版の自由を制度として保障
つまり、理念(国民主権)が国家制度に組み込まれた=実現であり、入試では「○」となる。
なぜ「完全に」「普遍的に」がつくと✕になるのか
七月王政下では、参政権が厳しく制限されていた。
選挙権を持てたのは高額納税者だけで、有権者は人口のわずか1%ほど。
- 労働者・農民・女性は排除
- 国王も依然として存在し、共和政ではない
したがって、この段階では制度的には実現したが、民主的には未完成である。
だから、
という判定になる。
ナポレオン法典はなぜ“国民主権の制度化”ではないのか
ここで混乱しやすいのが、ナポレオン法典(1804)。
「法の下の平等」や「所有権の保護」を明文化したのだから、「制度化」では?と思いがちだ。
しかし、ナポレオン法典が制度化したのは「平等の理念」であって、「国民主権」や「自由」ではない。
- ナポレオンは、国民の意思を利用して独裁を正当化した(国民投票=プレブリシテ)
- つまり「主権は国民にある」という理念を掲げながら、実際は「権力は統領=皇帝に集中」していた
このため、国民主権の理念を制度として定着させたとは言えない。
法典は平等を法に翻訳したが、国民主権を政治制度にしたのはナポレオンではなく七月革命(1830)だった。
自由・平等・国民主権 ― 理念の誕生から完全実現まで
自由・平等・国民主権 ― 理念の誕生から完全実現までを表にした。
理念 | 理念の誕生(思想として) | 実現=制度化(政治・法への定着) | 完全な実現(社会的・民主的定着) |
---|---|---|---|
自由 | 1789年 フランス革命 人権宣言で「人は自由に生まれる」と明示 | 1830年 七月革命 言論・出版の自由を保障する立憲王政を確立 | 1848年 二月革命以降 共和政と普通選挙により自由が普遍化 |
平等 | 1789年 フランス革命 「法の下の平等」「特権廃止」を掲げる | 1804年 ナポレオン法典 身分・出自を問わない法的平等を制度化 | 20世紀以降 社会権・男女平等・人種平等の実質化 |
国民主権 | 1789年 フランス革命 シェイエス『第三身分とは何か』で理念として登場 | 1830年 七月革命 王権神授説を否定し、立憲君主制を確立(制度的実現) | 1848年 二月革命 普通選挙による主権の民主的実現(女性は1944年) |
入試での判断ポイントまとめ
記述 | 判定 | 理由 |
---|---|---|
「七月革命で国民主権が実現した」 | ○ | 制度的実現(理念が政治制度に組み込まれた) |
「七月革命で国民主権が完全に実現した」 | ✕ | 制限選挙で民主的に未完成 |
「フランス革命で国民主権が実現した」 | ✕ | 理念提示のみ |
「ナポレオン法典で国民主権が制度化された」 | ✕ | 平等の制度化であり、主権は皇帝に集中 |
まとめ:制度化=実現、ただし“完全ではない”
入試での「実現」は、制度的実現(理念の制度化)の意味で使われる。
だから「実現」は○でも、「完全に」「普遍的に」がつくと✕になる。
ナポレオン法典は「平等」の制度化であって、「国民主権」の実現ではない――
この線引きを理解していれば、フランス革命期から19世紀の設問で迷うことはない。
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