マワーリーとは、イスラーム帝国における非アラブ人のイスラーム改宗者を指す用語です。イスラーム国家に組み込まれた新たなムスリムであり、信仰上はアラブ人と平等であるはずの存在でした。
イスラームでは本来、民族ではなく信仰によって共同体が成立します。そのため理論上は、ムスリムであれば誰もが対等に扱われるべきでした。
しかし現実の国家運営の中では、この理念と大きく食い違う状況が生まれていきます。
第1章 ウマイヤ朝におけるマワーリーの位置づけ
ウマイヤ朝のもとで、マワーリーはムスリムでありながらアラブ人とは異なる扱いを受けました。最大の問題は税制です。
本来、ジズヤはイスラームに改宗しない非ムスリム(ジンミー)に課される人頭税であり、ムスリムは免除されるのが原則でした。またハラージュも土地に課される税で、民族を問わない仕組みのはずでした。
しかし実際には、非アラブ系ムスリムであるマワーリーに対してもジズヤが課されることがあり、さらに土地を持つ者にはハラージュも負担させられました。一方、アラブ人ムスリムは両税から実質的に解放される傾向が強まります。
こうしてマワーリーは、同じイスラーム教徒でありながら重い税負担と社会的差別に直面しました。徴収された税はアラブ軍団への俸給(アター)として分配され、非アラブ住民の負担がアラブ支配層の生活を支える構造が固定化されていきます。
この制度的不公平は、経済的不満だけでなく、信仰上の平等が踏みにじられるという強い疎外感を生み出しました。
第2章 宗派対立とアッバース革命への結びつき
マワーリーの不満は単独で高まったわけではありません。ウマイヤ朝に反発するシーア派の思想と結びつき、政治運動へと発展していきます。
シーア派はアリー家の血統による正統性を重視し、ウマイヤ朝の世襲支配を批判していました。税制差別と社会的周縁化によって不満を抱えていたマワーリーは、この「正統な支配」を求める思想に共感しやすい立場にありました。
とくに非アラブ系ムスリムが多く居住するホラーサーン地方では、マワーリーの不満と宗教的反ウマイヤ感情が合流し、反体制運動の人的基盤が形成されます。こうして750年のアッバース革命が起こり、ウマイヤ朝は滅亡しました。
アッバース朝成立後、税制は整理され、マワーリーはジズヤを免除され、土地を持つ者はハラージュのみを負担する体制へと改められます。これにより、ムスリムであること自体が社会的地位と課税の基準となり、民族差別は大きく緩和されました。
第3章 マワーリーの歴史的意義
アッバース朝以降、マワーリーという言葉は単なる「差別された改宗者」を指すものではなく、より広く非アラブ出身のムスリムや保護関係に基づく結びつきを示す概念へと変化していきます。
ペルシア系官僚や学者、軍人が台頭し、イスラーム文明は次第に多民族的性格を強めました。
マワーリーの歴史は、初期イスラーム帝国が抱えた差別と緊張、そしてそれを乗り越えて多民族的文明へと発展していく過程そのものを象徴しています。
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