ジズヤは、イスラーム国家に服属しながら改宗しない人々、すなわちジンミー(保護民)に課された人頭税です。
軍役を免除される代わりに、信仰の自由と生命・財産の保護を保障されることへの対価という性格を持っていました。
イスラーム国家では、
- ムスリム:軍役の義務を負う
- 非ムスリム:軍役を免除され、その代わりにジズヤを納める
という役割分担が成り立っており、原則としてムスリムにはジズヤは課されません。
この点が重要で、ジズヤは宗教的身分に基づく税であり、民族ではなく「信仰」によって区別される制度でした。
ウマイヤ朝におけるジズヤの変質
ところがウマイヤ朝の統治下では、この原則が大きく崩れていきます。
イスラームへ改宗した非アラブ系ムスリム、すなわちマワーリーに対しても、ジズヤが課され続けたのです。本来であればムスリムとなった時点で免除されるはずの人頭税が維持され、マワーリーは「ムスリムでありながらジズヤを負担する」という矛盾した立場に置かれました。
この背景には、国家財政の問題がありました。ウマイヤ朝では、ジズヤやハラージュによる税収が、アラブ軍団への俸給(アター)を支える重要な財源となっており、改宗者が増えるほど財政が不安定になる構造を抱えていたのです。そのため政権は、マワーリーに対してもジズヤを課し続けました。
こうしてジズヤは、本来の「軍役免除の対価」という性格を失い、実質的には非アラブ住民に集中する負担へと変質していきます。これはイスラームの掲げる信仰上の平等と正面から矛盾し、マワーリーの深刻な不満を生み出しました。
アッバース朝以降の変化
750年のアッバース革命後、こうした制度は是正され、ムスリムとなった者は民族を問わずジズヤを免除されるようになります。
以後、ジズヤは本来の原則どおり「非ムスリムに課される税」として整理され、イスラーム社会は次第に信仰を基準とする体制へと移行していきました。
ジズヤをめぐる問題は、初期イスラーム帝国が抱えた財政的現実と宗教理念の緊張関係を象徴しています。
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