ハラージュは、征服地の農地そのものに課された土地税です。
重要なのは、ハラージュが本来「人」ではなく「土地」にかかる税であった点です。理論上は、土地を所有・耕作する者であれば民族や宗教を問わず負担する仕組みでした。
初期イスラーム国家では、
- ムスリムか非ムスリムか
- アラブ人か非アラブ人か
に関係なく、農地から安定した税収を得るための制度としてハラージュが整えられていきます。これは拡大する帝国を財政面から支える基盤であり、軍事遠征による収奪ではなく、恒常的な農業生産に依拠する国家運営への転換を意味していました。
つまりハラージュは、イスラーム帝国が「征服国家」から「統治国家」へ移行するうえで欠かせない制度だったのです。
ウマイヤ朝におけるハラージュの変質
ところがウマイヤ朝のもとで、ハラージュは本来の性格から次第に逸脱していきます。
ウマイヤ朝では、アラブ人支配層が征服地の土地を所有するようになると、アラブ人地主はハラージュを免除される一方、非アラブ住民には引き続き課税が行われました。
こうして「土地税であるはずのハラージュ」が、実質的に非アラブ住民に集中する制度へと変質していきます。
さらに、イスラームへ改宗した非アラブ系ムスリム(マワーリー)も、土地を持つ限りハラージュを負担させられました。マワーリーは、ムスリムでありながら人頭税ジズヤも課される場合があり、結果としてハラージュとジズヤの二重負担に置かれることになります。
ここで生じた問題は、
- ハラージュ:本来は民族を問わない土地税
- 現実:アラブ人は免除され、非アラブに集中
という制度上の公平性の崩れでした。
これはイスラームの平等理念だけでなく、税制の論理そのものを歪めるものであり、マワーリーの経済的不満と差別意識を強め、反ウマイヤ運動の重要な土壌となっていきます。
アッバース朝以降の整理
アッバース朝成立後は、ムスリムであれば民族を問わずジズヤを免除し、土地を持つ者はハラージュを納めるという原則が再確認されました。
これにより、ハラージュは再び「土地にかかる税」として整理され、信仰と課税の関係も一定程度是正されます。
ハラージュの歴史は、初期イスラーム帝国が抱えた「理念としての平等」と「現実の支配構造」の緊張関係を象徴しています。
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