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【世界史】聖像禁止令を徹底解説|ビザンツ帝国の宗教対立とローマ教皇との分裂への道
聖像禁止令(イコノクラスム)は、ビザンツ帝国を二分し、最終的には東西教会分裂の大きな伏線となった事件です。 8世紀から9世紀にかけて、皇帝が宗教政策として発したこの禁止令は、単なる「偶像崇拝禁止」ではなく、ビザンツ皇帝とローマ教皇・修道士・... -
【世界史】ピピンの寄進を徹底解説|フランク王国とローマ教皇領成立の始まり
8世紀中頃、フランク王国の小ピピン(ピピン3世)が行った「ピピンの寄進」は、ヨーロッパ中世史の転換点といえる重要な出来事です。 ピピンはランゴバルド王国から奪った土地をローマ教皇に寄進し、その見返りとしてローマ教皇から王位を承認されました。... -
【世界史】ジョージ王戦争をわかりやすく解説|北米での英仏植民地戦争とルイブルク要塞攻防
1744年から1748年にかけて、北米大陸で繰り広げられたジョージ王戦争は、イギリスとフランスの植民地間対立が激化した戦争です。 この戦争はヨーロッパで起きたオーストリア継承戦争の一部として始まりましたが、北米独自の特徴を持ち、後のフレンチ=イン... -
【世界史】オーストリア継承戦争を徹底解説|マリア=テレジア即位問題と外交革命への布石
1740年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世が崩御すると、ヨーロッパは一気に混乱へと突入しました。 後継ぎを欠いたことで勃発したオーストリア継承戦争(1740〜1748年)は、単なる王位継承問題にとどまらず、ヨーロッパ各国を巻き込んだ大規模な... -
【世界史】英仏植民地戦争を完全攻略!カーナティック戦争から七年戦争まで徹底解説
17世紀後半から18世紀にかけて、イギリスとフランスは世界中で覇権を争いました。 その舞台はヨーロッパだけでなく、北米・インド・カリブ海・アフリカと広がり、戦争の結果は世界の地図を大きく塗り替えました。 特に英仏植民地戦争は、 アメリカ独立戦争... -
【世界史】ルイ14世の侵略戦争と外交戦略を徹底解説|フランス絶対王政とヨーロッパ国際秩序の変遷
17世紀後半から18世紀初頭、フランス絶対王政の象徴であるルイ14世は「太陽王」としてヨーロッパの覇権を握ろうとしました。 ヴェルサイユ宮殿を築き上げ、豪華な宮廷文化を花開かせる一方で、彼の治世を特徴づけたのは侵略戦争の連続です。 ルイ14世は積... -
【世界史】なぜオランダ総督ウィリアム3世がイギリス国王に?
「英蘭戦争ではイギリスとオランダが敵同士だったはずなのに、なぜそのオランダ総督ウィリアム3世がイギリス国王になったの?」 この疑問は、世界史受験生がよくつまずくポイントです。 実は、この背景には イギリス国内の宗教対立、オランダの国際戦略、... -
【世界史】ピューリタン革命後の宗教対立を完全攻略|アイルランド問題とピルグリム・ファーザーズまで解説
ピューリタン革命(清教徒革命)は、世界史入試で頻出テーマです。 しかし受験生が混乱しやすいのは「革命後」の展開です。クロムウェルの独裁体制、王政復古、名誉革命…と続く中で、宗教対立の「軸」が少しずつ変化していきます。 特に重要なのは、カトリ... -
【世界史】西ローマ帝国の滅亡とゲルマン民族大移動|476年帝国崩壊の全貌
かつて地中海世界を統一し、繁栄を極めたローマ帝国。 しかし、その巨大な版図は3世紀以降、政治的混乱、経済危機、外敵の侵入といった複合的な要因によって揺らぎ始めます。 4世紀末には東西に分裂し、経済的に脆弱な西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動... -
【世界史】ゲルマン民族大移動後の西ヨーロッパ諸王国建設|西ゴート・東ゴート・フランク・アングロ=サクソン徹底解説
476年、西ローマ帝国が滅亡すると、ヨーロッパ世界は大きな転換期を迎えました。 ゲルマン民族の大移動は、ローマ帝国を崩壊させただけではありません。西方世界には多くの新しい王国が建設され、それぞれがローマ文化・キリスト教・ゲルマン的伝統を融合...