現在では英単語帳といえば、『システム英単語』や『ターゲット1900』、『DUO 3.0』など多様なラインナップが書店に並び、受験生は自分に合った1冊を選んで学ぶことができます。
しかし、戦後から高度経済成長期にかけて、多くの受験生にとって「英単語帳といえばこれしかない」とまで言われた参考書が存在しました。
それが、『赤尾の豆単』です。
正式名称は『英語基本単語熟語集』です。
しかし、その小さな判型と赤い表紙から、「赤尾の豆単(まめたん)」という通称で親しまれてきました。
1940年代後半に初版が登場して以来、長らく日本の受験英語界に君臨し、多くの学生にとって「英語単語のバイブル」とされてきました。豆本サイズのコンパクトなつくりと、実用性を追求した構成、そして発行部数300万部を超えるという驚異的な実績。まさに一世を風靡した単語帳です。
しかし現在では、「赤尾の豆単」を実際に使っている学生はほとんど見かけません。なぜこの名著はかつての栄光を失ったのでしょうか?
本記事では、赤尾の豆単の誕生と隆盛、そして主役の座を他の単語帳に明け渡すことになった背景まで、詳細に紹介します。
赤尾の豆単の誕生と背景
昭和の英語学習を支えた一冊
『赤尾の豆単』が生まれたのは、戦後間もない1949年(昭和24年)。著者は赤尾好夫(あかお よしお)氏。旺文社の創業者でもあり、「ラジオ講座」「蛍雪時代」などで知られる教育出版のパイオニアです。
戦後の混乱のなかで「学問こそが日本の再建の鍵になる」という信念のもと、彼は若者に向けて「コンパクトで持ち歩きやすく、効率よく英単語を覚えられる本」を目指して豆単を企画しました。
当時、紙資源は貴重であり、大型の辞書や分厚い参考書を持ち歩くのは現実的ではありませんでした。その中で、ポケットサイズの英単語集というのは、画期的な存在だったのです。

当時は、英和辞典を丸ごと1冊覚えないと東大には合格できないとか非現実的な言説がまかり通っていた時代みたいだね。
豆単の特徴と構成
コンパクトなのに濃密な中身
『赤尾の豆単』の特徴は次の点に集約されます:
- 縦12cm × 横8cm程度の文庫サイズ
- 3800語の厳選された単語と熟語
- 発音記号・語義・用例の簡潔な記述
- 単語の意味は最大3語以内
- 索引つき、和訳検索も可能
このように、必要最小限に単語数を絞り、反復学習に最適化された構成が特徴でした。
例えば、「abandon」の項目は次のように掲載されています。
abandon 〈動〉捨てる、見捨てる、あきらめる
ごく簡潔ですが、必要な意味が網羅されており、当時の大学入試に頻出の語を中心に構成されていました。
なぜ『赤尾の豆単』は大ヒットしたのか?
若者の心をつかんだ理由
理由1 手のひらサイズの可搬性
当時の学生にとって、どこでも単語学習ができるという利便性は大きな武器でした。通学中の電車内、昼休み、布団の中など、いつでもどこでもポケットから取り出して覚えることができました。
理由2 受験に出る単語だけを厳選
赤尾氏は「大学入試に出る単語とは限られている」と考え、単語を約3800語に絞り込みました。これは、「出る単語だけを覚える」という受験生の願いにマッチしていました。
以前の受験用英単語集(旺文社の『豆単』など)は、『ソーンダイク式英単語統計表』に基づいて、米国の新聞(英語)などで使われる頻度の高い単語が掲載されていた[5]。
また、『豆単』がそうであったように、収録語はアルファベット順で掲載されることが常であった[5]。
しかし、大学受験に求められる語彙と日常生活で求められる語彙には隔たりがあり、また、学習効率からすればアルファベット順ではなく出題頻度順(ないしは受験における重要度の順)に掲載するほうが望ましい[5]。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A6%E9%A8%93%E3%81%AB%E3%81%A7%E3%82%8B%E8%8B%B1%E5%8D%98%E8%AA%9E
理由3 学習効率の追求
豆単の設計は、「短時間で多くの単語を反復する」ために特化しています。意味も簡潔、例文も最小限。その割り切りが、記憶効率を高めたのです。
理由4 社会的信頼とブランド力
赤尾好夫自身の人格や旺文社の教育理念に対する信頼感もあり、「赤尾の豆単をやっておけば間違いない」という評価が全国に浸透しました。
主役交代の兆し:『試験に出る英単語』の登場
「豆単世代」という言葉もあった
1950年代から70年代にかけて、『赤尾の豆単』は事実上、英単語帳の代名詞でした。当時の大学受験生の多くがこの1冊を片手に英単語を覚えており、「豆単で受験に挑んだ」という共通体験が、ある種の世代文化を生んだとも言えます。
進学塾や高校でも推薦教材とされ、「英語はまず赤尾から」と言われたほどの圧倒的な存在感でした。
しかし、その圧倒的地位を脅かす存在が現れました。
ライバルの出現と英語教育の変化
1980年代に入ると、英語教育が大きく変化していきます。より多様化し、読解・構文・語法の重視が進む中で、単語帳にも「文脈」や「頻度」の視点が求められるようになっていきました。
そこで登場したのが、森一郎著『試験に出る英単語』(通称:出る単、でるたん)です。
『試験に出る英単語』が支持された理由
- 語の頻出度を明示
- 語法・語義の厳密な解説
- 意味の広がりや語源もカバー
- 例文による記憶の定着を重視
豆単が「覚えやすさ」「反復効率」を重視したのに対し、出る単は「理解による記憶」「語彙力の応用力強化」を重視していました。これは、大学入試が単純な暗記から読解・総合力重視へと変わっていった流れに見事に適応したのです。
「赤尾の豆単(赤尾好夫著『豆単』)」と「試験に出る英単語(森一郎著)」は、どちらも日本の英語教育に大きな影響を与えた伝説的な単語帳です。ただし、1970年代以降は明らかに《『試験に出る英単語』の方が人気を集めるようになった》と言えます。



<試験に出る!>という現代の絶対的正義が、『試験に出る英単語』の出現によってはじめて明確な受験哲学として浸透していったのね。


『赤尾の豆単』が主役の座を譲った理由
かつて英単語集の金字塔ともいわれた『赤尾の豆単』が、『試験に出る英単語』にその主役の座を譲ったのか?
その理由を考えていきましょう。
時代の変化にマッチした単語選定
赤尾の豆単(1950年代〜):やや文学的、教養的な単語も多く、抽象語・文語的な語彙も収録されていました。時代的には、受験だけでなく「英語そのものの素養」も重視されていた時代に適していました。
試験に出る英単語(1960年初版):タイトル通り「受験に本当に出る単語」に特化。1960年代からの「受験競争激化」とともに、《効率重視・目的直結型の学習スタイル》を反映して人気上昇。
「実際に試験に出るのか」が最重視される時代に合った内容で、多くの受験生のニーズに応えました。



これは、僕の推測なのだけど、当時は、本当の英語力を身に付ければ、東大でもどこでも合格できる。だから本当の学力を付けるマッチョな学習法が主流だったんじゃないかな。だから、受験での出題頻度なんかを考えるのは、できない人間の逃げみたいな精神論がまかり通っていただんだろうね。
学習効率と語彙制限
『試験に出る英単語』は、「出る度A・B・C」といったレベル分けが明確で、学習のメリハリがつけやすかった。
一方で『赤尾の豆単』は、「単語と和訳が並ぶだけの非常に簡素な構成」で、語義も最小限。復習しやすい反面、情報が少ないのがデメリットでした。



「語義の網羅よりも、頻出の語を効率よく覚えたい」という受験生には、出る順で構成された『試験に出る英単語』が刺さったのだろうね。



頻出の英単語を押しのけて、“abandon”という単語が、単語集のトップに来るのは、今の常識では考えられないわね。
例文や活用の工夫
『試験に出る英単語』は、例文にストーリー性やユーモアがあり記憶に残りやすい構成が特徴。
たとえば、「His wife ran away with his best friend.」といった、ドラマ的な例文で単語が印象づけられるようになっていました。
『赤尾の豆単』は単語と意味だけのリスト形式で、コンテクストによる記憶定着にはやや不向きでした。



「覚えやすさ」や「イメージで記憶する」点でも、森一郎氏の工夫が際立っていたのね。
時代の流れと「勉強スタイル」の変化
1950〜60年代:記憶偏重・素読スタイル → 『赤尾の豆単』の時代
1970年代以降:受験に勝つための実戦的な勉強が主流に → 『試験に出る英単語』の時代へ
つまり、「教育の目的が教養から受験合格へとシフトした」ことが、豆単の衰退と出る単の台頭を決定づけたのです。
加えて、英語学習が「試験対策」から「使える英語」へと重心が移り始めた1990年代以降、「読んで、使って覚える」タイプの単語帳の方が支持を集めるようになり、主役の座を譲ったにとどまらず、受験参考書の表舞台からも完全に姿を消しました。



『赤尾の豆単』を時代遅れに追いやった『出る単』だけど、その『出る単』も1990年頃には『ターゲット1900』によって、単語帳の主役の座を奪われるんだ。
それでも赤尾の豆単が語り継がれる理由
昭和の記憶と「青春の象徴」
赤尾の豆単は、単なる英単語帳ではありませんでした。多くの昭和世代にとって、それは「受験勉強の象徴」であり、苦楽をともにした相棒のような存在です。
今でもネット上には、「豆単を持っていた」「あれで受かった」「ボロボロになるまで使った」という回想が絶えません。受験参考書という無機質なものに対して、これほどまでに多くの人に時代を超えてセンチメンタルな感情ももたらす存在は、『赤尾の豆単』以外には考えられません。
これは、もはや書籍としての価値を超えて、文化的遺産に近い存在だといえるでしょう。
それでもなお、「赤尾の豆単」が持つ意味
「昭和の記憶」と「青春の象徴」歴史的価値としての位置づけ
今でも古本市場では「赤尾の豆単」が一定の需要を持ち、コレクション的に扱われることもあります。また、往年の受験経験者から「原点」として語られることも少なくありません。
今でもネット上には、「豆単を持っていた」「あれで受かった」「ボロボロになるまで使った」という回想が絶えません。
今でもネット上には、「豆単を持っていた」「あれで受かった」「ボロボロになるまで使った」という回想が絶えません。受験参考書という無機質なものに対して、これほどまでに多くの人に時代を超えてセンチメンタルな感情ももたらす存在は、『赤尾の豆単』以外には考えられません。
現代の多機能な単語帳と比べると機能的には見劣りする部分もありますが、もはや書籍としての価値を超えて、文化的遺産に近い存在だといえるでしょう。
- 英語学習の最初の「敷居を下げた」一冊
- 単語帳という形式の定型を作った
- 記憶の文化を共有する「象徴的存在」
本質的な「記憶の技術」は色褪せない
確かに豆単は古い本です。しかし、暗記効率を極限まで高めるという思想は、今なお有効です。
現在の単語帳も、たとえば「見開きのレイアウト」「繰り返しを前提とした設計」など、豆単に通じる工夫を数多く取り入れています。
赤尾の豆単は終わったのか?
実は、いまも復刊されている
2020年代に入り、再び「赤尾の豆単」に注目が集まっています。昭和レトロブームの影響もあり、復刻版や電子書籍としてのリリースも行われました。
また、受験を経験した世代が親となり、「昔、親が使っていた単語帳」として若い世代にも語り継がれ始めています。
さらには、豆単のフォーマットを模したミニサイズの単語帳や、昭和風デザインの学習教材も登場しており、教材デザインの世界でも「赤尾の豆単」は影響を与え続けているのです。
近年、赤尾の豆単は「復刻版」として再登場しています。2021年には旺文社が『赤尾の豆単 英語基本単語熟語集 新装版』を刊行。レトロな表紙デザインとともに、当時のままの構成を保ちつつ再編集されています。
手に取ると、確かに情報量は少ない。しかし、「英語学習の原点を再確認する」「隙間時間で暗記の習慣をつける」には最適な一冊でもあります。
まとめ|豆単が教えてくれること
『赤尾の豆単』は、単なる英単語帳ではなく、ある時代の若者たちの努力と夢を支えた学習の象徴でもあります。
効率を追求するあまり、どこかドライになりがちな現代の学習において、豆単が持っていた「温かみ」や「一冊を信じて突き進む精神」は、今でも学ぶ価値があるのかもしれません。
赤尾の豆単が教えてくれるのは、「少ない語数でも、やり抜くことの力強さ」――そして、どんなに情報があふれていても、本当に大事なことはシンプルであるという学びなのです。
コメント