中世ヨーロッパでは、11〜13世紀にかけて 大学制度 が急速に発展し、知識人たちが学びを深める場として機能しました。
ボローニャ大学やパリ大学など、現代にもつながる大学の原型はこの時代に誕生します。
当時の大学は、神学・法学・医学・哲学などを中心に「学問の体系化」を進め、やがて 大学都市(ユニヴェルシタス)と呼ばれる学問の拠点を形成しました。
この記事では、大学制度の成立背景から、主要な大学とその特徴、大学都市の発展までを体系的に解説します。
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また、大学入試では、用語の暗記だけでなくどのような切り口で試験に理解することが重要です。
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第1章 大学制度の成立と発展
12世紀前後の西ヨーロッパでは、都市の発展とともに知識層の需要が高まり、大学(Universitas) が誕生しました。
大学は、聖職者の養成だけでなく、法学や医学、自由七科などの教育機関としても機能し、学問研究の中心地となります。
ここでは、大学制度の誕生と、その象徴的存在である ボローニャ大学・パリ大学 を中心に解説し、さらに大学都市の発展と学生文化にも触れていきます。
1-1. 大学制度の誕生と背景
11世紀末から12世紀にかけて、ヨーロッパ各地では商業都市の発展に伴い、行政官僚や聖職者を養成する高等教育機関が必要とされるようになりました。
こうした需要を背景に、修道院付属学校や大聖堂学校から発展したのが大学です。
- 大学(Universitas) の語源
→ ラテン語で「共同体」を意味し、当時は「学生や教師の組合」を指していた - 教授と学生が自治権を持つことで、都市と大学は対立することもしばしばあった
- 大学の中心的役割は 「知識の体系化」 と 「資格の授与」
この時期、大学は単なる教育機関ではなく、法曹・聖職・官僚などのエリート養成機関として機能しました。
1-2. ボローニャ大学とパリ大学の成立
12世紀にイタリアのボローニャ大学が設立され、ローマ法学研究の中心となりました。
ここでは学生の自治権が非常に強く、教授は学生の雇用形態で契約関係にありました。
一方、フランスのパリ大学は、神学教育の中心地として発展しました。
パリ大学は「ソルボンヌ神学校」を核に成立し、神学部の権威が極めて高かったのが特徴です。
大学名 | 設立時期 | 特徴 | 主な学問分野 |
---|---|---|---|
ボローニャ大学 | 1088年頃 | 学生自治が強く、法学研究の中心地 | ローマ法、法学 |
パリ大学 | 1150年頃 | 教授自治が強く、神学の権威を確立 | 神学、哲学、自由七科 |
1-3. 大学都市の形成と学生文化
大学制度が確立すると、大学を中心に人々が集まり、大学都市 が形成されました。ボローニャ、パリ、オックスフォード、ケンブリッジなどはその代表例です。
- 学生人口の増加により、書籍・宿泊施設・飲食店などの産業が発展
- 都市側との対立も多く、学生暴動が起きることもしばしば
- ラテン語が共通言語として使用され、ヨーロッパ全域で学者同士の交流が進んだ
こうして、大学は単なる地域的な教育機関ではなく、ヨーロッパ全体をつなぐ知識のネットワークとなっていきます。
1-4. スコラ哲学との関わり
大学制度の発展と同時期に、神学・哲学を融合させた スコラ哲学 が発達しました。
大学においては特にパリ大学神学部を中心にスコラ哲学が展開され、多くの神学者・哲学者がここから輩出されています。
※スコラ哲学については詳しくはこちらの記事で解説しています。
1-5. 入試で狙われるポイント
- 大学の語源「Universitas」は 共同体 を意味する
- ボローニャ大学 → 法学の中心・学生自治
- パリ大学 → 神学の中心・教授自治
- 大学都市の形成とラテン語の役割
- スコラ哲学との関係は別記事リンクで補完
- 12〜13世紀ヨーロッパにおける大学制度の発展が、学問や社会にどのような影響を与えたのかを120字以内で説明せよ。
-
12〜13世紀の大学制度は、神学・法学・医学などを体系的に学ぶ場を提供し、知識人を大量に輩出した。
大学都市が形成され、ラテン語を通じた学術交流が進み、ヨーロッパ全体で共通の学問基盤が確立された。
第1章:大学制度と学問の発展 一問一答+正誤問題15問 問題演習
一問一答(10題)
問1
「大学」を意味するラテン語は何か。
解答:Universitas
問2
ボローニャ大学の中心的学問分野は何か。
解答:ローマ法・法学
問3
パリ大学の中心的学問分野は何か。
解答:神学
問4
ボローニャ大学で強かったのは学生自治か教授自治か。
解答:学生自治
問5
パリ大学で強かったのは学生自治か教授自治か。
解答:教授自治
問6
大学都市の代表例を2つ挙げよ。
解答:ボローニャ、パリ
問7
12〜13世紀の大学で共通語として使われた言語は何か。
解答:ラテン語
問8
大学制度が発展した背景として重要な社会的変化は何か。
解答:都市の発展と知識人需要の増加
問9
大学の起源となった教育機関は何か。
解答:修道院付属学校や大聖堂学校
問10
スコラ哲学の中心地であった大学はどこか。
解答:パリ大学
正誤問題(5題)
問1
パリ大学は法学研究で名を馳せた大学である。
解答:誤(神学中心)
問2
ボローニャ大学は学生自治が強かった。
解答:正
問3
大学制度の発展により、ラテン語が学術共通語として広まった。
解答:正
問4
「Universitas」という語は教授を意味する。
解答:誤(共同体を意味する)
問5
大学都市は大学を中心に発展した都市であり、学生暴動も発生した。
解答:正
第2章 イギリスの大学制度と英仏比較
第2章 導入文
12世紀後半から13世紀にかけて、イギリスにも オックスフォード大学 と ケンブリッジ大学 という2大名門大学が成立しました。
これらは「オクスブリッジ(Oxbridge)」とも呼ばれ、現代でも世界最高峰の学術機関として知られています。
この章では、オクスブリッジの成立と特徴、そしてフランスの大学制度との違いを中心に見ていきます。
2-1. オックスフォード大学の成立と特徴
2-1-1. 成立の背景
- 設立時期は 12世紀後半、イギリス最古の大学
- パリ大学から帰国した学者や学生が中心となり設立
- 初期は神学研究が中心だったが、法学・自然科学などへ発展
2-1-2. 大学自治とカレッジ制度
オックスフォード大学は カレッジ制 を採用した点が大きな特徴です。
学生は小規模な自治組織「カレッジ」に所属し、共同生活を送りながら学問を深めました。
- 各カレッジは独立した自治組織であり、財産や学生管理を行う
- 教授と学生が密接なコミュニケーションを取る少人数教育
- 初期は神学中心だったが、後に法学・哲学・自然科学へ拡大
2-2. ケンブリッジ大学の成立と特徴
2-2-1. オックスフォードからの分離
- 1209年、オックスフォード大学での学生暴動をきっかけに、一部の学者がケンブリッジへ移住
- これがケンブリッジ大学の起源とされる
- 神学・自然哲学・天文学などで発展し、16世紀には数学・自然科学の研究拠点へ
2-2-2. ケンブリッジと科学革命
ケンブリッジ大学は、ニュートンを輩出した大学としても有名です。
16〜17世紀には自然科学分野の先駆的研究が進み、近代科学の基盤を築く重要な役割を果たしました。
2-3. 英仏大学制度の違い
オクスブリッジとパリ大学を比較すると、自治権の構造 と 学問分野 の違いが顕著です。
特色項目 | イギリス(オックスフォード・ケンブリッジ) | フランス(パリ大学) |
---|---|---|
設立時期 | 12世紀後半〜13世紀初頭 | 12世紀前半 |
大学自治 | カレッジ制で自治が強い | 教授自治 |
学問分野 | 神学中心 → 法学・自然科学へ拡大 | 神学中心 |
学生生活 | カレッジ内での共同生活 | 学寮はあるが大学自治中心 |
社会的役割 | 政治家・科学者を多く輩出 | 教会・神学者中心 |
2-4. 大学制度と国家の関係
イギリスとフランスでは、大学と国家権力との関係にも違いがありました。
- イギリス:国王や貴族が大学を庇護 → 学問の多様性が確保される
- フランス:カトリック教会の影響が強く、神学研究に特化
- 結果:イギリスは近代科学発展の基盤、フランスは神学中心の保守的学問体系へ
2-5. 入試で狙われるポイント
- オックスフォード大学とケンブリッジ大学の設立時期と背景
- オックスフォード → カレッジ制・神学中心
- ケンブリッジ → 科学革命の拠点・ニュートン輩出
- 英仏の大学制度比較 → イギリスは学問多様性・フランスは神学中心
- 大学と国家権力との関係の違い
- イギリスとフランスの大学制度の違いを、学問分野と自治権に注目して120字以内で説明せよ。
-
イギリスのオックスフォード・ケンブリッジ大学はカレッジ制を採用し、自治が強く、神学から自然科学まで幅広い学問を展開した。一方、フランスのパリ大学は教授自治で神学研究を中心とし、教会権力の影響を強く受けた。
第2章:大学制度と学問の発展 一問一答+正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
オックスフォード大学が設立されたのは何世紀か。
解答:12世紀後半
問2
ケンブリッジ大学の成立契機となった出来事は何か。
解答:オックスフォードでの学生暴動(1209年)
問3
オックスフォード大学の大きな特徴は何か。
解答:カレッジ制
問4
ケンブリッジ大学出身で科学革命を代表する人物は誰か。
解答:アイザック・ニュートン
問5
オックスフォード大学設立当初の中心的学問分野は何か。
解答:神学
問6
ケンブリッジ大学が発展した16〜17世紀の主な研究分野は何か。
解答:自然科学・数学
問7
オックスフォードとパリ大学の大学自治の違いを答えよ。
解答:オックスフォードはカレッジ制で自治が強い/パリ大学は教授自治
問8
フランスのパリ大学はどの分野で権威を持っていたか。
解答:神学
問9
オックスフォード・ケンブリッジ大学を総称して何と呼ぶか。
解答:オクスブリッジ(Oxbridge)
問10
ケンブリッジ大学は後に科学革命の拠点となった。〇か×か。
解答:〇
正誤問題(5問)
問1
ケンブリッジ大学はパリ大学の分校として設立された。
解答:誤(オックスフォードからの分離)
問2
オックスフォード大学はカレッジ制を採用していた。
解答:正
問3
ケンブリッジ大学は神学中心で、自然科学にはほとんど関与しなかった。
解答:誤(自然科学研究の中心地となった)
問4
パリ大学は教授自治が強く、神学研究で名声を得た。
解答:正
問5
オックスフォード・ケンブリッジ大学は現代でも世界有数の名門大学である。
解答:正
第3章 神聖ローマ帝国の大学制度と宗教改革
12〜15世紀、神聖ローマ帝国(ドイツ地域)では、諸侯や皇帝が主導して多くの大学が設立されました。
プラハ大学やハイデルベルク大学などはその代表例で、後の宗教改革や学問発展の舞台にもなります。
ここでは、ドイツ圏の大学制度の特徴、宗教改革との関係、そして神聖ローマ帝国内の知的ネットワークについて解説します。

3-1. プラハ大学の成立と役割
3-1-1. 神聖ローマ帝国初の大学
- 1348年、カール4世(神聖ローマ皇帝)が設立
- 神聖ローマ帝国最古の大学
- 教皇の承認を得て創設され、ボローニャ・パリ大学の制度をモデルとした
3-1-2. 学部構成と学問分野
- 神学部・法学部・医学部・哲学部の4学部体制
- 神学・法学だけでなく、自由七科(文法・修辞・論理・算術・幾何・天文・音楽)も重視
- 中欧地域における学問の中心地となる
3-2. ハイデルベルク大学と学問の多様化
3-2-1. 設立の背景
- 1386年、ループレヒト1世(プファルツ選帝侯)が創設
- ドイツ最古の大学として名を馳せ、神学・法学・医学・哲学を幅広く研究
3-2-2. 学問の広がり
- 中世末期には宗教改革の拠点としても重要な役割を果たす
- 神学研究に加えて、自然科学や人文学の研究も盛んに行われる
3-3. ドイツ圏大学と宗教改革
ドイツ圏の大学は、16世紀以降の宗教改革と深い関わりを持ちます。
- ヴィッテンベルク大学(1502年設立)
→ マルティン・ルターが教授を務め、95か条の論題を発表した場 - 宗教改革期には大学が神学論争の中心となり、プロテスタント・カトリック双方の知識人を輩出
- 大学間の学者ネットワークを通じ、宗教思想が広範囲に拡散
3-4. 神聖ローマ帝国の大学制度の特徴
特色項目 | 神聖ローマ帝国(ドイツ圏) | フランス・イギリス |
---|---|---|
設立主体 | 皇帝・諸侯・都市 | 教会・国王・都市 |
設立時期 | 14世紀以降 | 12世紀〜13世紀 |
学問分野 | 神学・法学中心 → 自然科学・人文学へ拡大 | 神学中心(フランス)、科学も重視(イギリス) |
宗教との関係 | 宗教改革期に神学論争の中心地となる | カトリック優位(パリ大学)、多様性(オックスフォード) |
主な大学 | プラハ大学・ハイデルベルク大学・ヴィッテンベルク大学 | パリ大学・オックスフォード・ケンブリッジ |
3-5. 入試で狙われるポイント
- プラハ大学(1348年):神聖ローマ帝国最初の大学
- ハイデルベルク大学(1386年):ドイツ最古で多様な学問の中心
- ヴィッテンベルク大学とルター、宗教改革とのつながり
- ドイツ圏大学は神学論争と宗教改革の発信地
- 教皇・皇帝・諸侯の権力関係と大学設立の背景
- 14〜16世紀の神聖ローマ帝国における大学制度の発展が、宗教改革にどのような影響を与えたのかを120字以内で説明せよ。
-
プラハ大学やハイデルベルク大学などドイツ圏の大学は神学研究の拠点であり、ルターら改革派知識人を輩出した。ヴィッテンベルク大学を中心に神学論争が活発化し、宗教改革思想の拡散に重要な役割を果たした。
第3章:大学制度と学問の発展 一問一答+正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
プラハ大学を設立した神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:カール4世
問2
プラハ大学の設立年は西暦何年か。
解答:1348年
問3
ハイデルベルク大学を設立したのは誰か。
解答:ループレヒト1世(プファルツ選帝侯)
問4
ハイデルベルク大学の設立年はいつか。
解答:1386年
問5
ヴィッテンベルク大学を設立したのは誰か。
解答:ザクセン選帝侯フリードリヒ3世
問6
マルティン・ルターが教授を務めた大学はどこか。
解答:ヴィッテンベルク大学
問7
神聖ローマ帝国で最初に設立された大学はどこか。
解答:プラハ大学
問8
神聖ローマ帝国の大学で最も宗教改革と関係が深かったのはどこか。
解答:ヴィッテンベルク大学
問9
プラハ大学の学部構成は何か。
解答:神学・法学・医学・哲学の4学部
問10
宗教改革期、ドイツ圏大学が果たした役割は何か。
解答:神学論争と改革思想の拡散拠点
正誤問題(5問)
問1
プラハ大学はパリ大学の分校として設立された。
解答:誤(独立した神聖ローマ帝国最初の大学)
問2
ハイデルベルク大学は神学だけでなく自然科学研究にも力を入れた。
解答:正
問3
ヴィッテンベルク大学は宗教改革と無関係だった。
解答:誤(ルターが教授を務めた中心拠点)
問4
神聖ローマ帝国の大学は教会の直接支配を受けることが多かった。
解答:正
問5
プラハ大学は14世紀に設立された神聖ローマ帝国最古の大学である。
解答:正
第4章 ルネサンスと科学革命がもたらした大学制度と学問の変革
15〜17世紀のヨーロッパは、ルネサンスと科学革命を通じて、学問体系が大きく変革した時代でした。
中世の大学は神学を中心としていましたが、ルネサンス以降は人文主義が広まり、自然科学や数学などの新しい分野が急速に発展します。
この章では、ルネサンスと科学革命が大学制度や学問体系に与えた影響を詳しく見ていきます。
4-1. ルネサンスと人文主義の広がり
4-1-1. 人文主義(ヒューマニズム)の台頭
- 14世紀末から15世紀にかけて、イタリアを中心に人文主義(Humanismus)が興隆
- 古典ギリシア・ローマの文献を研究し、人間中心の学問観が広まる
- 大学でも神学中心から文芸復興・人文学を重視する流れへ変化
4-1-2. 大学教育への影響
- イタリアのパドヴァ大学・フィレンツェ大学ではギリシア語・ラテン語文献研究が進む
- 古典文献の復活により、法学・歴史学・哲学が新たに注目を集める
- 一方で、神学中心のパリ大学など伝統的大学では抵抗もあった
4-2. 科学革命と大学制度の変革
4-2-1. 科学革命の幕開け
- 16世紀後半〜17世紀にかけて、近代科学が台頭
- コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンらが登場
- 従来のスコラ哲学に基づくアリストテレス的世界観を批判し、実証的自然科学が発展
4-2-2. 大学での科学研究の進展
- ケンブリッジ大学ではニュートンが「プリンキピア」を執筆
- パドヴァ大学ではガリレオが望遠鏡を用いた天体観測を行う
- ライデン大学(オランダ)やライプツィヒ大学(ドイツ)では医学・物理学が急成長
4-3. 印刷革命と知識の拡散
4-3-1. グーテンベルクの活版印刷術
- 1450年代、グーテンベルクが活版印刷を実用化
- 書籍の大量生産が可能になり、大学教育の普及に大きく貢献
4-3-2. 学術ネットワークの形成
- 学者たちは新たな知識を論文・書籍で共有
- ラテン語を共通語とすることで国境を越えた学術交流が活発化
- 大学間の研究協力が進み、近代科学の基盤が形成された
4-4. 大学と教会・国家の関係変化
ルネサンスと科学革命は、大学と教会・国家の関係にも大きな影響を与えました。
- カトリック教会の権威低下
→ ガリレオ事件など、宗教と科学の対立が顕著に - 国家による大学支配の強化
→ フランスのソルボンヌ神学校は王権の影響下に - プロテスタント諸国での大学設立ラッシュ
→ ライデン大学(1575年)など、宗教改革後の国家建設と直結
4-5. 入試で狙われるポイント
- ルネサンス期の人文主義と大学教育の関係
- 科学革命と大学制度のつながり(ガリレオ・ニュートン・パドヴァ大学など)
- グーテンベルクの活版印刷術と知識拡散
- 大学と教会・国家の関係変化
- ラテン語を通じた学術ネットワークの形成
- ルネサンスと科学革命がヨーロッパの大学制度と学問体系に与えた影響を120字以内で説明せよ。
-
ルネサンス期の人文主義は古典研究を促し、神学中心だった大学に人文学や自然科学を導入した。
科学革命では実証的研究が進み、ガリレオやニュートンらを輩出。印刷術の普及により知識の拡散が加速した。
第4章:大学制度と学問の発展 一問一答+正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
人文主義を意味する英語(またはラテン語)を答えよ。
解答:Humanism(Humanismus)
問2
ルネサンス期に活躍した代表的なイタリアの大学を1つ挙げよ。
解答:パドヴァ大学
問3
ガリレオが望遠鏡観測を行った大学はどこか。
解答:パドヴァ大学
問4
ニュートンが「プリンキピア」を執筆した大学はどこか。
解答:ケンブリッジ大学
問5
グーテンベルクが活版印刷術を実用化した年代はいつか。
解答:1450年代
問6
印刷術の普及で拡大した学術言語は何か。
解答:ラテン語
問7
ルネサンス期に大学で注目された新しい学問分野を1つ挙げよ。
解答:人文学・自然科学・歴史学など(いずれも可)
問8
科学革命期の代表的天文学者で『天体の回転について』を著した人物は誰か。
解答:コペルニクス
問9
17世紀の自然哲学者で万有引力を提唱した人物は誰か。
解答:ニュートン
問10
宗教改革後、オランダに設立された代表的な大学はどこか。
解答:ライデン大学
正誤問題(5問)
問1
ルネサンス期の大学では神学が唯一の中心であり、人文学は軽視された。
解答:誤(人文主義が広まり、人文学が重視された)
問2
ガリレオはパドヴァ大学で望遠鏡を用いた天体観測を行った。
解答:正
問3
ニュートンはオックスフォード大学で「プリンキピア」を執筆した。
解答:誤(ケンブリッジ大学)
問4
グーテンベルクの印刷術は大学教育の普及に大きく貢献した。
解答:正
問5
科学革命期、ラテン語は学術共通語として広く用いられた。
解答:正
第5章 近代国家の形成と大学制度の再編
18〜19世紀は、近代国家の形成が進むなかで、大学制度も大きな変革を迎えました。
産業革命や啓蒙思想の広まりによって、大学は単なる聖職者・法曹養成機関から、科学研究と人材育成の拠点へと進化します。
この章では、近代国家と大学制度の関係、研究機関としての大学の役割、そして現代につながる制度の特徴を解説します。
5-1. 啓蒙思想と大学改革
5-1-1. 啓蒙思想の影響
- 18世紀、ヨーロッパ全体で啓蒙思想が拡大
- 理性と科学を重視する思想により、神学中心の大学教育から、自然科学・社会科学重視への転換が進む
5-1-2. 国家主導の大学制度再編
- 啓蒙専制君主による大学改革
- マリア=テレジアやヨーゼフ2世(オーストリア)による教育政策
- プロイセンでは、国家官僚養成を目的とした大学システムを整備
5-2. 産業革命と大学の役割変化
5-2-1. 技術革新と高等教育
- 18世紀後半から19世紀にかけての産業革命により、工学・化学・物理学の重要性が急上昇
- 従来の神学中心大学では対応が難しく、新たな学部や専門学校が誕生
5-2-2. ドイツ型研究大学の登場
- ベルリン大学(1810年設立)が典型例
- フンボルトの理念に基づき、研究と教育の統合を実現
- 学問の自由(Lehrfreiheit)と学習の自由(Lernfreiheit)が保障され、現代型大学のモデルとなる
5-3. 大学と国家の関係強化
5-3-1. 近代国家建設と大学
- 国家は、産業・軍事・行政を担う人材育成を目的に大学制度を整備
- フランスではナポレオンによる中央集権的教育制度
- ドイツやイギリスでは学問の自由を尊重しつつも国家管理を強化
5-3-2. 国際競争と学術研究
- 大学は国家間競争の中核を担う機関へ
- 19世紀後半には国際的な学術交流が進展し、近代科学の基盤がさらに強化された
5-4. 近代大学制度の確立
地域 | 大学制度の特徴 | 代表大学 |
---|---|---|
ドイツ | 研究重視・学問の自由・国家管理型 | ベルリン大学、ハイデルベルク大学 |
フランス | 国家主導・中央集権的大学制度 | ソルボンヌ大学 |
イギリス | カレッジ制を維持しつつ自然科学分野を拡充 | オックスフォード、ケンブリッジ |
アメリカ | 19世紀後半にドイツ型研究大学を導入 | ハーバード大学、ジョンズ・ホプキンス大学 |
5-5. 入試で狙われるポイント
- 啓蒙思想と大学制度改革の関係
- 産業革命と自然科学・工学の重要性増大
- フンボルト理念とベルリン大学の役割
- 国家と大学の結びつき強化(ナポレオン教育制度など)
- 現代大学制度の原型がこの時期に確立したこと
- 18〜19世紀の大学制度の変化が、近代国家形成と科学研究にどのような影響を与えたかを120字以内で説明せよ。
-
啓蒙思想の影響で大学教育は神学中心から自然科学・社会科学重視へ転換した。産業革命期には研究大学が登場し、ベルリン大学を中心に科学研究が進展。国家主導の大学制度整備は近代国家形成に不可欠だった。
第5章:大学制度と学問の発展 一問一答+正誤問題15問 問題演習
一問一答(10題)
問1
啓蒙思想は大学教育にどのような影響を与えたか。
解答:神学中心から自然科学・社会科学重視への転換を促した
問2
ベルリン大学を設立した人物は誰か。
解答:ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
問3
ベルリン大学設立年は西暦何年か。
解答:1810年
問4
フンボルトの大学理念の柱となる2つの自由は何か。
解答:研究の自由(Lehrfreiheit)と学習の自由(Lernfreiheit)
問5
産業革命期に重要性が高まった学問分野を2つ挙げよ。
解答:工学・自然科学
問6
ナポレオンが整備した大学制度の特徴を答えよ。
解答:中央集権的な国家主導型大学制度
問7
ドイツ型研究大学が近代科学に与えた影響は何か。
解答:研究と教育の統合を進め、科学研究を飛躍的に発展させた
問8
アメリカの大学制度が影響を受けたのはどこのモデルか。
解答:ドイツ型研究大学
問9
18〜19世紀に大学制度改革を進めたオーストリアの啓蒙専制君主を1人挙げよ。
解答:マリア=テレジアまたはヨーゼフ2世
問10
産業革命は大学制度にどのような変化をもたらしたか。
解答:工学・化学などの新しい学問分野を拡充させた
正誤問題(5題)
問1
フンボルトはベルリン大学の設立に関与した。
解答:正
問2
ナポレオンは地方分権的な大学制度を整備した。
解答:誤(中央集権的制度)
問3
産業革命は大学教育にほとんど影響を与えなかった。
解答:誤(自然科学・工学教育の重要性を高めた)
問4
アメリカの研究大学制度はフランス型大学をモデルにした。
解答:誤(ドイツ型研究大学を導入)
問5
啓蒙思想は神学重視の大学教育を強化する方向で作用した。
解答:誤(神学中心から科学重視へ転換させた)
まとめ
大学制度の発展は、
- 中世の大学誕生(ボローニャ・パリ大学)
- 大学都市と知識ネットワークの形成
- ルネサンス・科学革命による学問体系の変革
- 近代国家と研究大学制度の確立
という大きな流れで理解することが重要です。
特に、大学制度の変化は宗教・国家・科学という複数のテーマと関連しているため、単語暗記よりも構造的理解が問われます。
さらに、大学制度の発展と並行して展開されたスコラ哲学を押さえると、入試問題で狙われやすい神学論争や思想史もカバーできます。詳しくはスコラ哲学の記事で確認してください。

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