神聖ローマ帝国史の中でも、大空位時代(1254〜1273年)は入試頻出テーマのひとつです。
フリードリヒ2世の死後、皇帝権は急速に衰退し、帝国は約40年にわたって「事実上の皇帝不在状態」に陥りました。
この混乱期に選帝侯の力が強まり、やがて1356年の金印勅書によって選帝侯制度が法的に確立します。
この記事では、大空位時代の背景 → 経過 → 影響を時系列で整理し、さらに入試に直結する論述対策・一問一答・正誤問題まで徹底的にまとめます。
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大学入試では、用語の暗記だけでなくどのような切り口で試験に理解することが重要です。
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第1章 大空位時代の背景と発端
大空位時代は、神聖ローマ帝国の分権体制を決定づけた重要な転換点です。
その背景には、シュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ2世とローマ教皇との対立がありました。ここを理解することが、後の金印勅書や選帝侯制度を正しく押さえるカギとなります。
1-1. フリードリヒ2世と教皇の対立
13世紀前半、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(シュタウフェン朝)は、イタリア政策に執着し、ローマ教皇と激しく対立しました。
- 教皇は神聖ローマ皇帝の南イタリア進出を嫌い、フリードリヒ2世を破門
- 皇帝と教皇の対立は「皇帝派(ギベリン)」と「教皇派(ゲルフ)」という諸侯間の対立にも波及
- 帝国内の諸侯はそれぞれ独自の軍事力・財源を蓄え、中央集権化は進まなかった
この構造的対立が、後の大空位時代を引き起こす土台となります。
1-2. フリードリヒ2世の死と皇帝不在状態の始まり
1250年、フリードリヒ2世が死去。
その後継者争いで帝国は混乱し、1254年にはついに「事実上の皇帝不在状態」へ突入します。
- 皇帝権を担う有力者不在 → 諸侯がそれぞれ独立性を強化
- 教皇はドイツ諸侯に影響力を強め、帝国内の分裂を助長
- イタリア政策は頓挫し、帝国の南進構想は事実上放棄される
1-3. 諸侯の台頭と皇帝選挙の混乱
大空位時代には、皇帝候補をめぐる対立が続きます。
- 教皇が推す人物 vs. ドイツ諸侯が推す人物
- 複数の皇帝が同時に選出されることもあり、帝国の統一性は失われた
- この時期、マインツ・ケルン・トリーアの大司教や、ボヘミア王などの有力諸侯が次第に選帝侯として力を握る
この過程で、後に金印勅書で正式化される「選帝侯制度」が実質的に確立されていきます。
1-4. 入試で狙われるポイント
- フリードリヒ2世の死後、1254年から約40年間続いた皇帝不在期を大空位時代と呼ぶ
- 教皇と皇帝の対立が長引き、諸侯が自立 → 神聖ローマ帝国の分権体制が決定的に
- 選帝侯が台頭し、皇帝選挙権が固定化される → 1356年の金印勅書につながる流れ
- 1250年以降の神聖ローマ帝国において、大空位時代が帝国の政治体制に与えた影響について、教皇との関係も含めて120字以内で説明しなさい。
-
1250年のフリードリヒ2世死後、神聖ローマ帝国は約40年間皇帝不在となり、諸侯が自立して分権体制が強化された。教皇は皇帝選出に介入し、帝国は政治的統一性を失った。この過程で選帝侯の地位が確立し、1356年の金印勅書につながった。
第1章: 大空位時代 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
1250年に死去し、大空位時代の発端となった神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:フリードリヒ2世
問2
フリードリヒ2世と対立し、彼を破門したローマ教皇は誰か。
解答:インノケンティウス4世
問3
大空位時代は何年から何年まで続いたか。
解答:1254年〜1273年
問4
大空位時代に帝国の皇帝選出権を事実上握った有力諸侯を何と呼ぶか。
解答:選帝侯
問5
選帝侯のうち、聖職者は3名いる。具体的には誰か。
解答:マインツ大司教・ケルン大司教・トリーア大司教
問6
大空位時代の結果、神聖ローマ帝国はどのような体制が強まったか。
解答:分権体制
問7
皇帝選挙制度を法的に確立した1356年の文書を何というか。
解答:金印勅書
問8
大空位時代に教皇がドイツ諸侯に与えた影響は何か。
解答:教皇の影響力が強まり、帝国内の分裂を助長した
問9
フリードリヒ2世の王朝名を答えよ。
解答:シュタウフェン朝
問10
大空位時代後、1273年に即位して混乱を終結させた皇帝は誰か。
解答:ルドルフ1世(ハプスブルク家)
正誤問題(5問)
問1
大空位時代は、教皇権が衰退し、皇帝権が強化された時代である。
解答:誤(逆に教皇権が強まり、皇帝権は弱体化した)
問2
大空位時代には、選帝侯制度が法的に完成していた。
解答:誤(この時期に事実上形成されたが、法的確立は1356年の金印勅書)
問3
大空位時代は、フリードリヒ2世の死から1356年まで続いた。
解答:誤(1254年〜1273年までの約40年間)
問4
大空位時代、マインツ・ケルン・トリーアの大司教は皇帝選出で重要な役割を果たした。
解答:正
問5
大空位時代に帝国内の諸侯は自立性を強め、中央集権化は進まなかった。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
大空位時代はフリードリヒ1世の死後に始まった | × → フリードリヒ2世の死後(1250年) |
大空位時代は100年以上続いた | × → 約40年間(1254〜1273年) |
金印勅書は大空位時代に発布された | × → 1356年、カール4世による発布 |
選帝侯はすべて世俗諸侯である | × → 聖職者3名+世俗諸侯4名 |
大空位時代は中央集権化が進んだ | × → 分権体制が決定的となった |
第2章 大空位時代の経過と皇帝選挙の混乱
大空位時代は、単に「皇帝不在期」というだけではありません。
実際には、教皇の思惑とドイツ諸侯の利害が交錯し、複数の皇帝候補が並立する極めて複雑な状況でした。
この章では、大空位時代の具体的な出来事を整理し、1273年のルドルフ1世即位までの道筋を詳しく解説します。
2-1. 皇帝選挙の混乱と二重選挙
1254年にフリードリヒ2世が没した後、後継者争いは泥沼化しました。
- 1254年:諸侯の一部はコーンヴァル公リチャード(イングランド王ヘンリ3世の弟)を擁立
- 他方で、別の勢力はカスティーリャ王アルフォンソ10世を推し、二重選挙状態に
- どちらの皇帝も実質的な支配力を持てず、帝国は分裂状態に陥った
この二重選挙の失敗は、選帝侯制度の必要性を一層高めることになります。
2-2. 教皇の介入と帝国の分裂
ローマ教皇は、大空位時代を利用してドイツへの影響力を強化します。
- インノケンティウス4世はフリードリヒ2世を破門後、皇帝選出に直接介入
- 教皇庁はドイツ諸侯に対し、「教皇の承認を得た候補」への支持を強く要請
- しかしドイツ諸侯は必ずしも従わず、帝国内の分裂はさらに深刻化
結果として、帝国の「形骸化」が進み、中央集権体制は完全に崩壊していきます。
2-3. ルドルフ1世の即位と混乱の終結
大空位時代を終わらせたのは、1273年のルドルフ1世(ハプスブルク家)即位でした。
- 選帝侯たちは、強大すぎず、かつ教皇とも協調できる「妥協的候補」を探す
- 結果、オーストリアの小領主だったルドルフが選出
- これにより大空位時代は終結し、ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝家として台頭するきっかけとなった
しかし、帝国の分権体制は既に定着しており、ルドルフ1世以降も強力な皇帝権は回復されませんでした。
2-4. 入試で狙われるポイント
- 大空位時代には、皇帝候補が複数並立する二重選挙が行われた
- 教皇が皇帝選挙に介入し、帝国内の分裂を助長
- 1273年、ルドルフ1世即位で大空位時代は終結
- ルドルフ1世の即位はハプスブルク家台頭の契機として重要
- 大空位時代における皇帝選挙の混乱と教皇の役割について、120字以内で説明しなさい。
-
大空位時代には、教皇の承認を受けた候補と諸侯が支持する候補が並立し、皇帝選挙は混乱した。教皇は影響力を強めたが、諸侯の自立を抑えられず、帝国の分裂が進行した。この過程で選帝侯の権限が強化された。
第2章: 大空位時代 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
1254年、大空位時代の初期に諸侯の一部が擁立したイングランド王弟は誰か。
解答:コーンヴァル公リチャード
問2
大空位時代にもう一方の皇帝候補となったカスティーリャ王は誰か。
解答:アルフォンソ10世
問3
この時期、同時に複数の皇帝候補が立てられることを何というか。
解答:二重選挙
問4
大空位時代に皇帝選挙へ介入し影響力を強めたローマ教皇は誰か。
解答:インノケンティウス4世
問5
大空位時代を終結させた1273年即位の神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:ルドルフ1世
問6
ルドルフ1世はどの家系の出身か。
解答:ハプスブルク家
問7
大空位時代に事実上確立した皇帝選出権を持つ諸侯の総称は何か。
解答:選帝侯
問8
ルドルフ1世の即位後も、神聖ローマ帝国においてどのような体制が続いたか。
解答:分権体制
問9
大空位時代の混乱の背景にある、教皇と皇帝の根本的な対立は何か。
解答:イタリア政策をめぐる対立
問10
大空位時代の経験を踏まえ、1356年にカール4世が発布した皇帝選挙関連の文書を何というか。
解答:金印勅書
正誤問題(5問)
問1
大空位時代には、カスティーリャ王アルフォンソ10世が唯一の皇帝候補として即位した。
解答:誤(アルフォンソ10世とコーンヴァル公リチャードの二重選挙)
問2
教皇は大空位時代において、皇帝選挙への介入を一切行わなかった。
解答:誤(積極的に介入し、帝国分裂を助長した)
問3
大空位時代終結後、神聖ローマ帝国では強力な中央集権体制が確立された。
解答:誤(分権体制はむしろ固定化した)
問4
ルドルフ1世の即位はハプスブルク家の台頭につながる重要な契機である。
解答:正
問5
大空位時代の二重選挙は、後の金印勅書による選帝侯制度確立に影響を与えた。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
大空位時代には皇帝候補は一人だけだった | × → コーンヴァル公リチャードとアルフォンソ10世の二重選挙 |
ルドルフ1世は大空位時代中に即位した | × → 大空位時代は1273年のルドルフ即位で終結 |
ハプスブルク家は大空位時代には既に強大だった | × → ルドルフ即位時点ではまだ小領主に過ぎなかった |
教皇は大空位時代にドイツ内政へ干渉しなかった | × → 教皇は積極的に介入して諸侯対立を助長した |
大空位時代後に中央集権化が進んだ | × → 分権体制は固定化した |
第3章 大空位時代の影響と金印勅書への道
大空位時代は、神聖ローマ帝国の政治体制を大きく変えた分岐点でした。
約40年間に及ぶ皇帝不在の混乱は、中央集権的な皇帝権の復活を不可能にし、諸侯の独立性を決定的に高めます。結果として、帝国は「名ばかりの皇帝」と「強大な地方諸侯」の集合体へと変貌しました。
さらに、この大空位時代の経験を踏まえて制定されたのが、1356年の金印勅書です。
3-1. 分権体制の固定化
大空位時代の最大の影響は、神聖ローマ帝国における分権体制の決定的固定化です。
- 皇帝権が長期間空位となり、諸侯はそれぞれ独自の軍事力・税制・裁判権を確立
- 皇帝の命令は帝国内でほとんど効力を持たなくなる
- 帝国は「多様な小国家の集合体」として機能するようになり、統一国家への道は閉ざされた
この分権化は、後の近代国家形成にも大きな影響を与えました。
3-2. 選帝侯制度の実質的成立
大空位時代には、皇帝を選出する有力諸侯=選帝侯の地位が強化されました。
- マインツ・ケルン・トリーアの大司教(聖職諸侯)
- ボヘミア王・ライン宮中伯・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯(世俗諸侯)
この7名が皇帝選出権を独占する構造は、大空位時代に事実上形成され、1356年の金印勅書によって法的に固定されます。
3-3. 金印勅書と皇帝選出の固定化
1356年、ルクセンブルク家のカール4世は「金印勅書(Goldene Bulle)」を発布しました。
- 皇帝選挙を7人の選帝侯に限定し、法的根拠を与えた
- 教皇による皇帝承認は不要とされた → 教皇権の衰退を象徴
- ただし、皇帝選出権が少数諸侯に集中したことで、帝国全体の分権化はさらに進行
この金印勅書は、「皇帝は選ばれる君主」という神聖ローマ帝国特有の政治構造を決定づけました。
3-4. 入試で狙われるポイント
- 大空位時代によって、神聖ローマ帝国は分権体制が決定的に
- 選帝侯制度が事実上形成され、1356年の金印勅書で法的に確立
- 金印勅書では教皇承認が不要となり、皇帝選挙の独立性が強まった
- 大空位時代 → 選帝侯制度 → 金印勅書の流れは入試頻出
- 大空位時代が神聖ローマ帝国の政治体制に与えた長期的影響について、金印勅書との関連を踏まえて120字以内で説明せよ。
-
大空位時代は皇帝不在により諸侯の自立を強め、帝国の分権体制を固定化した。この過程で選帝侯が皇帝選出権を独占し、1356年の金印勅書で法的に確立された。これにより、皇帝は教皇の承認を必要とせず、帝国の統一性はさらに弱まった。
第3章: 大空位時代 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
大空位時代の最大の政治的影響は何か。
解答:神聖ローマ帝国の分権体制が決定的に固定化したこと
問2
大空位時代に強まった皇帝選出権を持つ諸侯を何と呼ぶか。
解答:選帝侯
問3
選帝侯は全部で何名か。
解答:7名
問4
選帝侯のうち、聖職諸侯は何名か。
解答:3名(マインツ大司教・ケルン大司教・トリーア大司教)
問5
1356年にカール4世が発布した文書を何というか。
解答:金印勅書
問6
金印勅書において、皇帝選出における教皇の承認は必要とされたか。
解答:不要となった
問7
金印勅書発布時の皇帝はどの家系の出身か。
解答:ルクセンブルク家
問8
金印勅書は何年に発布されたか。
解答:1356年
問9
大空位時代の結果、神聖ローマ帝国は統一国家への道を進んだか。
解答:いいえ。むしろ統一は遠のき、諸侯の自立が進んだ
問10
金印勅書によって法的に固定された皇帝選出制度は何か。
解答:選帝侯による皇帝選挙制度
正誤問題(5問)
問1
金印勅書では、皇帝選出における教皇の承認が必須とされた。
解答:誤(不要とされた)
問2
選帝侯は当初から7名に固定されていたわけではなく、大空位時代を経て確立した。
解答:正
問3
大空位時代以降、神聖ローマ帝国は中央集権国家へと変貌した。
解答:誤(分権体制が固定化した)
問4
大空位時代の経験が金印勅書制定の背景となった。
解答:正
問5
金印勅書により、皇帝選出権はすべての諸侯に与えられた。
解答:誤(7名の選帝侯に限定された)
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
大空位時代は中央集権化を促進した | × → 分権体制を決定的に固定化した |
金印勅書は教皇の承認を強化した | × → 皇帝選出に教皇承認は不要となった |
選帝侯は大空位時代以前から7名に固定されていた | × → 大空位時代に事実上形成され、1356年に法的確立 |
金印勅書は神聖ローマ帝国を統一した | × → むしろ分権体制を強化した |
カール4世はハプスブルク家の出身 | × → ルクセンブルク家の出身 |
まとめ|大空位時代と金印勅書への流れを総復習
まずは、大空位時代から金印勅書への流れを以下の年表で掴んでください。
大空位時代から金印勅書への流れ|年表
年代 | 出来事 | 詳細・ポイント |
---|---|---|
1245年 | 教皇インノケンティウス4世、フリードリヒ2世を破門 | 教皇と皇帝の対立が決定的に。イタリア政策をめぐる衝突 |
1250年 | フリードリヒ2世死去 | シュタウフェン朝断絶の危機、大空位時代の直接的契機 |
1254年 | 皇帝不在状態(大空位時代)始まる | 皇帝権が空位となり、諸侯の自立が進む |
1254年 | 二重選挙の発生 | コーンヴァル公リチャードとカスティーリャ王アルフォンソ10世を擁立 |
1254〜1273年 | 大空位時代 | 皇帝不在が約40年続き、帝国は実質的に分裂状態 |
1273年 | ルドルフ1世即位 | 大空位時代終結。ハプスブルク家初の皇帝として登場 |
1273年以降 | 分権体制が固定化 | 諸侯は独自の軍事・財政・裁判権を強化 |
1356年 | 金印勅書発布(カール4世) | 選帝侯7名による皇帝選出を法的に確立。教皇承認不要に |
大空位時代の歴史的意義
大空位時代(1254〜1273年)は、神聖ローマ帝国史における大転換期です。
- 皇帝権の衰退 → 諸侯の台頭
- 教皇の影響力増大 → 帝国内の分裂助長
- 選帝侯制度の実質的成立 → 金印勅書で法的確立
この時期を境に、神聖ローマ帝国は「強大な皇帝が支配する統一国家」から「名ばかりの皇帝と独立性の高い諸侯の連合体」へと変貌しました。
金印勅書への流れ
大空位時代の経験は、その後の1356年・カール4世の金印勅書制定に直結します。
- 大空位時代 → 皇帝選挙の混乱
- 選帝侯制度の実質成立 → 7人による皇帝選挙を固定化
- 金印勅書により、教皇承認不要・皇帝選挙の法的安定化が実現
この流れは入試で非常に頻出なので、しっかり押さえておきましょう。
入試での狙われ方
- 「大空位時代 → 選帝侯制度 → 金印勅書」の因果関係
- 二重選挙やルドルフ1世即位など具体的事実
- 選帝侯7名の内訳(聖職3+世俗4)
- 金印勅書と教皇承認不要の関係

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