キリスト教がローマ帝国で公認されると、信仰の自由は得られたものの、今度は教義をめぐる深刻な対立が起こりました。その中心にあったのが「三位一体論争」と呼ばれる神学上の大問題です。
神は「父・子・聖霊」の三つの位格を持つのか、それとも「父」に従属する「子」という上下関係があるのか。この議論は帝国内で深刻な分裂を生み、皇帝自らが介入するほどの大事件となりました。
特にニカイア公会議(325年)を皮切りに、アリウス派・ネストリウス派・単性論など、数々の異端問題が連鎖的に発生します。さらに、東西教会分裂やイスラームの台頭にも影響を与えるため、世界史入試での頻出テーマです。
【ときおぼえ世界史シーリーズ】では、大学受験世界史で頻出のポイントを押さえつつ、章末には関連する論述問題や一問一答も用意しているので、入試対策にも最適です。
大学入試では、用語の暗記だけでなくどのような切り口で試験に理解することが重要です。
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第1章 三位一体論争の始まりとニカイア公会議
キリスト教がローマ帝国で公認されると、信者数は爆発的に増えます。しかし、多様な信仰解釈が表面化し、帝国内で神学論争が激化しました。その代表例がアリウス派とアタナシウス派の対立です。
この論争を調停するため、325年にニカイア公会議が開かれ、三位一体説が正統教義とされました。
1-1. 三位一体論争の背景
(1) キリスト教公認と多様な教義
- 313年:コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令でキリスト教が公認される。
- 公認後、異なる地域や思想背景を持つ信者間で、神とキリストの関係について議論が噴出。
(2) アリウス派 vs アタナシウス派
- アリウス派:イエスは神に従属する被造物であり、父なる神より格下とする立場。
- アタナシウス派:父と子と聖霊は同一の本質(ホモウシオス)を持つと主張。
1-2. ニカイア公会議(325年)
(1) 公会議の開催
- 主催者:コンスタンティヌス帝
- 目的:帝国内の分裂を防ぎ、教義統一を図る。
- 決定:三位一体説(父・子・聖霊は同質)を正統と認定。
(2) ニカイア信条
- 「御子は父と同質(ホモウシオス)である」と明文化。
- アリウス派は異端として退けられる。
1-3. その後の展開:アリウス派の逆襲
- コンスタンティヌス帝死後、アリウス派を支持する皇帝が現れ、一時的にアリウス派が勢力を拡大。
- 381年、コンスタンティノープル公会議で改めてアリウス派が否定され、三位一体説が再確認。
1-4. 入試頻出!「三位一体論争×異端問題」年表
年代 | 公会議・出来事 | 内容 | 正統派 / 異端派 |
---|---|---|---|
313 | ミラノ勅令 | キリスト教公認 | – |
325 | ニカイア公会議 | 三位一体説を正統と決定、ニカイア信条制定 | 正統:アタナシウス派 |
381 | コンスタンティノープル公会議 | 三位一体説を再確認 | 正統再確認 |
431 | エフェソス公会議 | ネストリウス派を異端認定 | 正統:マリアを「神の母」とする立場 |
451 | カルケドン公会議 | 単性論を異端認定 | 正統:キリストは神性・人性を併せ持つ |
入試で狙われるポイント
- ニカイア公会議の開催年(325年)は頻出
- 「ホモウシオス(同質)」と「ホモイウシオス(類似)」の違いは要暗記
- アリウス派・ネストリウス派・単性論など、異端問題の名称+主張内容をセットで整理する
- ニカイア公会議(325年)が開かれた背景とその意義について、アリウス派とアタナシウス派の対立を踏まえて説明せよ。
-
ローマ帝国でキリスト教が公認されると、神とキリストの関係をめぐり、アリウス派(子は父より劣ると主張)とアタナシウス派(父と子は同質と主張)の対立が激化した。帝国内の分裂を防ぐため、コンスタンティヌス帝は325年にニカイア公会議を開催し、三位一体説を正統とする「ニカイア信条」を制定した。これによりアリウス派は異端とされたが、帝国内の神学論争はその後も続いた。
第1章: 三位一体論争と異端問題 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
313年、キリスト教を公認した勅令を何というか。
解答:ミラノ勅令
問2
ニカイア公会議を召集したローマ皇帝は誰か。
解答:コンスタンティヌス帝
問3
ニカイア公会議で正統とされた説を何というか。
解答:三位一体説
問4
ニカイア公会議で退けられた異端は何派か。
解答:アリウス派
問5
アリウス派の主張は何か。
解答:子なるキリストは父なる神に従属する被造物
問6
アタナシウス派の主張は何か。
解答:父・子・聖霊は同一の本質(ホモウシオス)を持つ
問7
ニカイア信条で使われた「同質」を意味するギリシア語は何か。
解答:ホモウシオス
問8
381年の公会議の名称は何か。
解答:コンスタンティノープル公会議
問9
コンスタンティノープル公会議で再確認された教義は何か。
解答:三位一体説
問10
アリウス派を支持したことでゲルマン諸族に広がった異端は何か。
解答:アリウス派キリスト教
正誤問題(5問)
問1
ニカイア公会議は381年に開かれた。
解答:誤り → 325年に開かれた
問2
アリウス派は父と子が同質であると主張した。
解答:誤り → アリウス派は子を父に従属する被造物とした
問3
アタナシウス派は父と子が同一の本質であると主張した。
解答:正しい
問4
ニカイア信条では三位一体説が正統とされた。
解答:正しい
問5
コンスタンティヌス帝は異端弾圧を避け、教義統一には関与しなかった。
解答:誤り → 皇帝自ら公会議を召集し教義統一を図った
よくある誤答パターンまとめ
誤答 | 正しい知識 |
---|---|
ニカイア公会議は381年 | × → 325年 |
アリウス派=三位一体説 | × → アリウス派は従属説 |
ホモウシオス=「類似」 | × → ホモウシオス=「同質」、ホモイウシオス=「類似」 |
ニカイア信条で異端はネストリウス派 | × → この時点ではアリウス派 |
皇帝は神学論争に関与しなかった | × → 皇帝は積極的に介入した |
第2章 ネストリウス派・単性論争とカルケドン公会議
ニカイア公会議(325年)とコンスタンティノープル公会議(381年)で三位一体説は正統とされましたが、キリストの「神性」と「人性」の関係をめぐる新たな論争が勃発します。
その中心にあるのが、ネストリウス派と単性論をめぐる対立です。431年のエフェソス公会議と451年のカルケドン公会議は、この問題を解決するための重要な節目となりました。
2-1. ネストリウス派論争
(1) ネストリウス派の主張
- ネストリウス(コンスタンティノープル総主教)の考え:
- キリストには神性と人性の二つの本質があり、それは明確に分離している。
- そのため、マリアを「神の母(テオトコス)」と呼ぶことに反対。
- これに対し、アレクサンドリアの総主教キュリロスらは、「神性と人性は不可分」と批判。
(2) エフェソス公会議(431年)
- 皇帝テオドシウス2世の下で開催。
- ネストリウス派を異端として退け、マリアを「神の母(テオトコス)」と認定。
- しかし、ネストリウス派はペルシア方面に逃れ、シリア・ペルシアで発展。
2-2. 単性論争とカルケドン公会議
(1) 単性論とは
- アレクサンドリア系の神学者が唱えた説。
- キリストの人性は神性に吸収され、神性のみが残るという立場。
- ネストリウス派の「二性分離論」とは正反対の考え方。
(2) カルケドン公会議(451年)
- 開催者:東ローマ皇帝マルキアヌス
- 決定:
- キリストは「完全な神性」と「完全な人性」を併せ持つ(二性説)。
- 単性論は異端とされる。
- この決定を不服としたエジプトのコプト教会などは正統派から分裂。
2-3. 「三位一体論争×異端問題」完全年表(325~451年)
年代 | 公会議・出来事 | 異端・争点 | 決定 | 正統派 / 異端派 |
---|---|---|---|---|
325 | ニカイア公会議 | アリウス派 vs アタナシウス派 | 三位一体説を正統とする | 正統:アタナシウス派 |
381 | コンスタンティノープル公会議 | 三位一体説の再確認 | 三位一体説確立 | 正統再確認 |
431 | エフェソス公会議 | ネストリウス派 | マリアを「神の母」と認定 | 正統:キュリロス派 |
451 | カルケドン公会議 | 単性論 | キリストは「神性+人性」を併せ持つ(二性説) | 正統:カルケドン派 |
入試で狙われるポイント
- ネストリウス派と単性論は対照的な主張 → 「二性分離」 vs 「神性一元」で覚える。
- マリアの呼称「テオトコス(神の母)」は重要ワード。
- カルケドン公会議で決まった「キリストは神性と人性を併せ持つ」という二性説は超頻出。
- ネストリウス派がペルシア・中国方面に伝わったことも、東方世界史で問われやすい。
- ネストリウス派と単性論の主張の違いと、それに対するカルケドン公会議(451年)の決定について説明せよ
-
ネストリウス派は、キリストには神性と人性の二つの本質があり、明確に分離していると主張し、マリアを「神の母」と呼ぶことを否定した。一方、単性論はキリストの人性は神性に吸収され、神性のみが残ると主張した。451年のカルケドン公会議では、これら両極端な説を退け、キリストは「完全な神性」と「完全な人性」を併せ持つとする二性説を正統と認定した。
第2章: 三位一体論争と異端問題 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ネストリウス派を異端とした公会議は何か。
解答:エフェソス公会議
問2
ネストリウス派はマリアを何と呼ぶことを否定したか。
解答:「神の母(テオトコス)」
問3
エフェソス公会議を召集した皇帝は誰か。
解答:テオドシウス2世
問4
ネストリウス派はその後どの地域で発展したか。
解答:シリア・ペルシア方面
問5
単性論を異端とした公会議は何か。
解答:カルケドン公会議
問6
カルケドン公会議を召集した東ローマ皇帝は誰か。
解答:マルキアヌス
問7
カルケドン公会議で正統とされたキリスト論は何か。
解答:二性説(神性と人性を併せ持つ)
問8
単性論を支持したエジプトのキリスト教会は現在何と呼ばれるか。
解答:コプト教会
問9
ネストリウス派が中国に伝えた宗教は何か。
解答:景教
問10
景教の存在を示す中国の遺物は何か。
解答:大秦景教流行中国碑
正誤問題(5問)
問1
ネストリウス派はマリアを「神の母」と呼ぶことを肯定した。
解答:誤り → 否定した
問2
単性論はキリストの人性が神性に吸収されたとする立場である。
解答:正しい
問3
カルケドン公会議では単性論が正統とされた。
解答:誤り → 二性説が正統
問4
エフェソス公会議は451年に開かれた。
解答:誤り → 431年
問5
ネストリウス派はペルシア方面で発展した後、中国にも伝わった。
解答:正しい
よくある誤答パターンまとめ
誤答 | 正しい知識 |
---|---|
ネストリウス派=「神の母」肯定 | × → 「神の母」を否定 |
単性論=二性説 | × → 単性論は人性が神性に吸収される説 |
カルケドン公会議で単性論が正統 | × → 二性説が正統 |
エフェソス公会議=451年 | × → 431年 |
ネストリウス派はヨーロッパで消滅 | × → 東方で発展し景教として中国にも伝来 |
ここまでのまとめ
- 第1章:ニカイア公会議で三位一体説を正統化 → アリウス派を異端化
- 第2章:ネストリウス派と単性論をめぐる新たな論争 → エフェソス・カルケドン公会議で決着
- キーワード:「ホモウシオス」「テオトコス」「二性説」「景教」
【三位一体論争 × 異端問題 フローチャート】
313年 ミラノ勅令(コンスタンティヌス帝)
└─ キリスト教公認 → 教義統一の必要性高まる
↓
325年 ニカイア公会議
├─ 【争点】神とキリストは同質か?
│ ・アリウス派:子なるキリストは父より劣る(被造物)
│ ・アタナシウス派:父・子・聖霊は同質(ホモウシオス)
├─ 【決定】三位一体説を正統化、アリウス派を異端に
└─ 【結果】「ニカイア信条」制定
↓
381年 コンスタンティノープル公会議
└─ 【目的】アリウス派再台頭を抑制 → 三位一体説再確認
↓
431年 エフェソス公会議
├─ 【争点】キリストの神性と人性の関係
│ ・ネストリウス派:二性分離論
│ → 「マリアは神の母ではない」
│ ・アレクサンドリア派:二性不可分論
├─ 【決定】ネストリウス派を異端に
└─ 【結果】ネストリウス派はペルシア・中国へ → 景教として伝播
↓
451年 カルケドン公会議
├─ 【争点】単性論 vs 二性説
│ ・単性論:人性は神性に吸収 → 神性一元
│ ・正統派:神性と人性を併せ持つ(二性説)
├─ 【決定】二性説を正統化、単性論を異端に
└─ 【結果】エジプトのコプト教会などが分離
ビジュアルイメージ(簡略版)
年代 | 公会議・出来事 | 争点 | 正統派 | 異端派 |
---|---|---|---|---|
325 | ニカイア公会議 | 父と子は同質か | アタナシウス派(三位一体説) | アリウス派(子は従属) |
381 | コンスタンティノープル公会議 | 三位一体説再確認 | 三位一体説確立 | アリウス派退け |
431 | エフェソス公会議 | キリストの神性と人性の関係 | 二性不可分論 | ネストリウス派(二性分離) |
451 | カルケドン公会議 | 神性と人性のバランス | 二性説 | 単性論 |
第3章 異端派の広がりと東西教会分裂への道
カルケドン公会議(451年)で二性説が正統とされ、単性論やネストリウス派は異端とされました。
しかし、異端とされた教派は完全には消滅せず、シリア・エジプト・ペルシア・中国など東方世界で独自の発展を遂げます。
また、この分裂はやがて東方正教会とローマ・カトリック教会の対立、さらにイスラーム世界との競合にも影響を与え、世界史全体を大きく動かしました。
3-1. 異端派の東方への広がり
(1) ネストリウス派(景教)
- エフェソス公会議(431年)で異端とされたが、ペルシアへ逃れて発展。
- ササン朝ペルシア下で保護され、布教活動を展開。
- 唐代には中国へ伝わり、「景教」と呼ばれる。
- 重要遺物:大秦景教流行中国碑(781年、長安に建設)。
(2) 単性論とコプト教会
- カルケドン公会議で異端とされた単性論は、主にエジプト・エチオピア方面で広がる。
- 現在のコプト教会(エジプト)やエチオピア正教会の源流となる。
- 正統派からは分離したまま現在も存続。
3-2. 東西教会分裂(1054年)への布石
(1) 皇帝権と教会権の対立
- 東ローマ帝国では皇帝が教会を強く統制(カエサロパピズム)。
- 西方ローマではローマ教皇が独自の権威を主張。
(2) 教義・典礼上の違い
- フィリオクェ問題(「聖霊は父からのみか、父と子からか」)
- 西方:父と子から発すると主張。
- 東方:父からのみと主張。
- 聖像崇拝論争(8世紀)など、思想面でも対立。
(3) 1054年の東西教会分裂
- ローマ教皇(西方カトリック)とコンスタンティノープル総主教(東方正教会)が相互破門。
- 三位一体論争を含む長年の神学的対立が背景の一つ。
3-3. イスラーム世界への影響
- ネストリウス派・単性論派など異端教会は、イスラーム帝国下で比較的保護され布教活動を継続。
- 特にアッバース朝では、ネストリウス派の知識人が翻訳活動を担い、ギリシア哲学をイスラーム世界に伝えた。
- これにより、後のイスラーム哲学や科学発展に寄与。
3-4. 「異端問題と東西教会分裂」年表
年代 | 出来事 | 異端派の動き | 影響 |
---|---|---|---|
431 | エフェソス公会議 | ネストリウス派異端 → ペルシアに移動 | 景教として中国へ伝播 |
451 | カルケドン公会議 | 単性論異端 → エジプト・エチオピアで存続 | コプト教会・エチオピア正教会成立 |
632~ | イスラーム拡大 | 異端派はイスラーム帝国下で布教 | 翻訳活動で知識伝播に寄与 |
1054 | 東西教会分裂 | 東方正教会と西方カトリックに完全分裂 | 宗教的二極化の固定化 |
「異端問題と東西教会分裂」チャート
313年 ミラノ勅令(コンスタンティヌス帝)
│
├─ キリスト教公認
│ → 教義統一の必要性が高まる
│
325年 ニカイア公会議
│ 【争点】神とキリストは同質か?
│ ├─ アリウス派:子は父に従属する被造物
│ └─ アタナシウス派:父・子・聖霊は同質(ホモウシオス)
│ 【決定】三位一体説を正統化
│ 【結果】アリウス派を異端に、「ニカイア信条」制定
│
381年 コンスタンティノープル公会議
│ 【目的】アリウス派再台頭を抑制
│ 【決定】三位一体説を再確認、正統教義として確立
│
431年 エフェソス公会議
│ 【争点】キリストの神性と人性の関係
│ ├─ ネストリウス派:二性分離論(マリアは神の母でない)
│ └─ アレクサンドリア派:二性不可分論
│ 【決定】ネストリウス派を異端化
│ 【結果】ネストリウス派はペルシア・中国へ → 景教として伝播
│
451年 カルケドン公会議
│ 【争点】単性論 vs 二性説
│ ├─ 単性論:人性は神性に吸収される
│ └─ 二性説:神性と人性を併せ持つ
│ 【決定】二性説を正統化
│ 【結果】単性論派は異端化 → コプト教会・エチオピア正教会として存続
│
(異端派の東方伝播)
│
├─ ネストリウス派 → ペルシア → 中国(景教)
└─ 単性論派 → エジプト・エチオピア(コプト教会)
│
↓
異端問題の分裂構造が固定化
│
1054年 東西教会分裂
│ 【背景】
│ ・フィリオクェ問題(聖霊は父からか、父と子からか)
│ ・聖像崇拝論争
│ ・皇帝権 vs 教皇権
│ 【結果】ローマ・カトリック教会(西方)と東方正教会(東方)に分裂
入試で狙われるポイント
- ネストリウス派=景教、中国伝来 → 大秦景教流行中国碑は頻出。
- 単性論=現在のコプト教会・エチオピア正教会につながる。
- 東西教会分裂(1054年)は、三位一体論争から続く宗教対立の延長線上にある。
- ネストリウス派の翻訳活動がイスラーム科学の発展に寄与した点は東方史でも狙われる。
- ネストリウス派と単性論派が異端とされた後、どのように東方世界に広がっていったか、宗教的・文化的影響を含めて説明せよ。
-
ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で異端とされたが、ペルシアへ逃れて発展し、唐代には「景教」として中国へ伝播した。単性論は451年のカルケドン公会議で異端とされ、エジプト・エチオピアでコプト教会やエチオピア正教会として存続した。これら異端派はイスラーム帝国下でも布教を継続し、特にネストリウス派は翻訳活動を通じてギリシア哲学をイスラーム世界へ伝え、文化的交流に大きな役割を果たした。
第3章: 三位一体論争と異端問題 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ネストリウス派が中国へ伝えた宗教は何と呼ばれるか。
解答:景教
問2
景教の存在を示す中国の遺物は何か。
解答:大秦景教流行中国碑
問3
単性論が存続したエジプトのキリスト教会は現在何と呼ばれるか。
解答:コプト教会
問4
単性論が広がったアフリカの正教会は何か。
解答:エチオピア正教会
問5
ネストリウス派が異端とされた公会議は何か。
解答:エフェソス公会議
問6
単性論が異端とされた公会議は何か。
解答:カルケドン公会議
問7
東西教会分裂が起きた年はいつか。
解答:1054年
問8
東西教会分裂の直接原因となった神学的対立を何というか。
解答:フィリオクェ問題
問9
イスラーム帝国下でネストリウス派が果たした文化的役割は何か。
解答:ギリシア哲学などの翻訳活動
問10
東西教会分裂後、西方の教会を何と呼ぶか。
解答:ローマ・カトリック教会
正誤問題(5問)
問1
景教は日本で広まったキリスト教の一派である。
解答:誤り → 中国で広まった
問2
大秦景教流行中国碑はイスラーム世界の遺物である。
解答:誤り → 唐代中国の遺物
問3
単性論はカルケドン公会議で正統とされた。
解答:誤り → 異端とされた
問4
東西教会分裂は11世紀に起きた。
解答:正しい
問5
ネストリウス派はイスラーム帝国下で完全に滅亡した。
解答:誤り → 翻訳活動などを通じて存続した
よくある誤答パターンまとめ
誤答 | 正しい知識 |
---|---|
景教=日本に伝播 | × → 唐代中国に伝播 |
大秦景教流行中国碑=イスラーム遺物 | × → 唐代中国の景教碑 |
単性論=正統派 | × → カルケドン公会議で異端認定 |
ネストリウス派=西方で消滅 | × → ペルシア・中国で発展 |
東西教会分裂=8世紀 | × → 1054年 |
まとめ:三位一体論争と異端問題を体系的に攻略しよう
1. 三位一体論争は「教義統一の出発点」
- キリスト教が313年にミラノ勅令で公認されると、帝国内で信者が急増。
- 多様な地域・思想背景を持つ信者間で神とキリストの関係をめぐる対立が噴出。
- 325年のニカイア公会議では、アリウス派を退け三位一体説が正統教義とされた。
- この時制定された「ニカイア信条」は、世界史入試の超頻出ワード。
2. 公会議を軸に覚えると最強
年代 | 公会議 | 主な争点 | 正統派 | 異端派 |
---|---|---|---|---|
325 | ニカイア公会議 | 父と子は同質か | アタナシウス派(三位一体説) | アリウス派 |
381 | コンスタンティノープル公会議 | 三位一体説再確認 | 三位一体説 | アリウス派退け |
431 | エフェソス公会議 | 神性と人性の関係 | 二性不可分論 | ネストリウス派 |
451 | カルケドン公会議 | 単性論 vs 二性説 | 二性説 | 単性論 |
3. 異端派は東方世界で発展する
- ネストリウス派:ペルシアに逃れ、唐代中国に「景教」として伝播。
→ 遺物:大秦景教流行中国碑(781年)。 - 単性論:エジプト・エチオピアで存続し、コプト教会・エチオピア正教会の源流に。
- イスラーム世界:ネストリウス派は翻訳活動でギリシア哲学をイスラームに伝える役割を担った。
4. 東西教会分裂(1054年)への伏線
- 三位一体論争や異端問題は、後の東西教会分裂の原因の一部。
- フィリオクェ問題や聖像崇拝論争なども絡み、東西で教義・典礼が分離。
- 1054年、ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教が相互破門し、
→ ローマ・カトリック教会(西方)と東方正教会(東方)に完全分裂。
5. 入試で差がつく頻出ワード
用語 | 意味 | 公会議 |
---|---|---|
ホモウシオス | 「父と子は同質」 | ニカイア公会議 |
ホモイウシオス | 「父と子は類似」 | アリウス派の主張 |
テオトコス | 「神の母」 | エフェソス公会議 |
景教 | ネストリウス派が中国に伝えたキリスト教 | エフェソス公会議後 |
コプト教会 | 単性論派が残したエジプトの教会 | カルケドン公会議後 |
6. 学習アドバイス
(1) 公会議を軸に時系列暗記
- 年代は325 → 381 → 431 → 451を必ずセットで覚える。
- 公会議ごとの争点・決定・異端派を一気に押さえる。
(2) フローチャートで整理する
- 異端派の拡散ルート(ペルシア・中国・エジプト)を図解で理解すると定着が早い。
(3) 正誤問題で差をつける
- 「ネストリウス派=マリアを神の母と呼ぶ」など、ひっかけ問題が頻出。
- 誤答パターン表を何度も見返して暗記するのがおすすめ。
7. この記事のまとめ
- 三位一体論争は、ローマ帝国内での教義統一をめぐる最重要テーマ。
- ニカイア・コンスタンティノープル・エフェソス・カルケドンの4大公会議を軸に整理する。
- 異端派の東方伝播(景教・コプト教会)は、東西交流やイスラーム世界にも影響。

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