【コンスタンティヌスとキリスト教公認】総合問題演習50本勝負|MARCH・早慶頻出テーマを完全攻略

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本記事では、「コンスタンティヌスとキリスト教公認」に関する頻出問題をレベル別に50問まとめました。

  • MARCHレベル20問:基本用語・流れの確認に最適
  • 早慶レベル30問:論述・複数選択を含む難問で総仕上げ

世界史は、覚えてから解くのではなく、解きながら覚えるをコンセプトに【ときおぼえ世界史】シリーズを運営しております。この記事は、世界史の重要単元を詳しく解説した【ときおぼえ世界史】シリーズの問題演習編になります。

本編の詳しい解説を読む! → 【コンスタンティヌスとキリスト教公認】本編の記事はこちら

学習手順はシンプルです:

  1. 本編のまとめ記事で【コンスタンティヌスとキリスト教公認】を理解する
  2. 本編のまとめ記事の章末問題で基礎固め
  3. 最後にこの「50本勝負」で総復習
世界史で問題演習が重要な理由!

世界史の勉強法として、教科書や一問一答を読み込んで対策している受験生も多いでしょう。

もちろん、1冊を何周も繰り返すことは大切ですが、実はそれだけでは得点が伸び悩む原因になることがあります。

世界史で合否を分けるのは、「用語を知っているか」ではなく「どう出題されるか」です。

例えば、ペトロとパウロの違いを問う次の問題にすぐ答えられるでしょうか?

Q. 元ユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害していたが、改宗後は異邦人への布教に尽力し、多くの書簡を残した人物は誰か。

A. パウロ

名前は知っていても、どちらか迷う受験生は多いはずです。このように、「切り口」を意識した問題演習が得点力を大きく左右します

問題演習を重ねることで、「この文章はよく正誤問題で正解の肢として出る」「この用語はひっかけパターンだ」という実戦感覚が身につきます。

この力は、特に上位大学になればなるほど合否を左右します。

また、一つの教材をやり込み過ぎると単調になり、頭に入りにくくなる時期があります。

そんな時こそ、50本勝負シリーズのような新しい刺激で知識を再整理すると記憶が定着しやすくなります。

50本勝負シリーズでは、志望校合格を目指す受験生の実戦力アップをお手伝いします。

目次

【コンスタンティヌスとキリスト教公認】MARCHレベルの20本

一問一答(15問)

問1
313年にキリスト教を公認した勅令を何というか。

解答:ミラノ勅令

問2
ミラノ勅令を発布した西方皇帝は誰か。

解答:コンスタンティヌス1世

問3
ミラノ勅令を共同で発布した東方皇帝は誰か。

解答:リキニウス

問4
コンスタンティヌスがマクセンティウスを破った戦いを何というか。

解答:ミルウィウス橋の戦い

問5
ミルウィウス橋の戦いの直前、コンスタンティヌスが夢で見た神託を示すラテン語は何か。

解答:In hoc signo vinces(この印のもとに勝利せよ)

問6
325年にコンスタンティヌスが招集したキリスト教会議を何というか。

解答:ニケーア公会議

問7
ニケーア公会議で異端とされたのは何派か。

解答:アリウス派

問8
アリウス派に対抗した正統派の神学者は誰か。

解答:アタナシウス

問9
ニケーア信条において、キリストは父なる神と「何」であると定義されたか。

解答:同質(ホモウシオス)

問10
330年、コンスタンティヌス帝が遷都した新首都の名前は何か。

解答:コンスタンティノープル

問11
コンスタンティノープルの旧名は何か。

解答:ビュザンティオン

問12
コンスタンティノープルが位置する戦略的海峡を何というか。

解答:ボスポラス海峡

問13
392年、キリスト教を唯一の国教と定めた皇帝は誰か。

解答:テオドシウス1世

問14
395年、ローマ帝国はテオドシウス帝の死後、東西に分裂した。このとき東ローマ帝国を継いだのは誰か。

解答:アルカディウス

問15
西ローマ帝国がゲルマン人によって滅亡したのは西暦何年か。

解答:476年

正誤問題(5問)

問16
ミラノ勅令はキリスト教のみを国教として認めた。

解答:誤(ミラノ勅令は信仰の自由を認めたもので、国教化は392年)

問17
ニケーア公会議はコンスタンティヌス帝によって招集された。

解答:正

問18
コンスタンティノープルは黒海と地中海を結ぶ戦略的拠点であった。

解答:正

問19
テオドシウス帝はキリスト教を公認した皇帝である。

解答:誤(公認は313年のコンスタンティヌス、テオドシウスは国教化)

問20
ローマ帝国の東西分裂は476年に行われた。

解答:誤(正しくは395年)

【コンスタンティヌスとキリスト教公認】早慶レベルの30本

一問一答(10問)

問21
ディオクレティアヌス帝が303年に行ったキリスト教迫害を何というか。

解答:大迫害

問22
ニケーア公会議の開催地であるニケーアは現在のどの国にあるか。

解答:トルコ

問23
ニケーア公会議で決定された「ホモウシオス」とはギリシア語でどのような意味か。

解答:「同質」

問24
コンスタンティヌス帝がコンスタンティノープルを遷都した理由の一つは、ローマ貴族から距離を置くためであった。

解答:正

問25
テオドシウス帝が394年に廃止した古代ギリシアの祭典は何か。

解答:オリンピア祭

問26
コンスタンティヌス帝が洗礼を受けたのは生涯のどの時期か。

解答:死の直前

問27
アリウス派の教義は後にどの民族に広がったか。

解答:ゲルマン民族

問28
西ローマ帝国の最後の皇帝は誰か。

解答:ロムルス・アウグストゥルス

問29
コンスタンティノープル陥落をもたらしたオスマン帝国の皇帝は誰か。

解答:メフメト2世

問30
コンスタンティノープル陥落は西暦何年か。

解答:1453年

正誤問題(15問)

問31
ミルウィウス橋の戦いは313年に起きた。

解答:誤(312年)

問32
ニケーア公会議はキリスト教史上初の公会議である。

解答:正

問33
アリウス派は「キリストは父なる神と同質」と主張した。

解答:誤(「創られた存在であり、父とは同質でない」と主張)

問34
コンスタンティヌス帝はキリスト教徒であったが、死の直前に洗礼を受けた。

解答:正

問35
東ローマ帝国はビザンツ帝国とも呼ばれた。

解答:正

問36
テオドシウス帝は異教祭儀を完全に禁止した。

解答:正

問37
オリンピア祭はニケーア公会議で廃止された。

解答:誤(394年、テオドシウス帝が廃止)

問38
コンスタンティノープルはローマ帝国時代から存在した都市である。

解答:正(旧名ビュザンティオン)

問39
ローマ帝国東西分裂後、西ローマ帝国は東ローマ帝国よりも繁栄した。

解答:誤(東が繁栄、西は衰退)

問40
1453年、コンスタンティノープルは十字軍によって陥落した。

解答:誤(オスマン帝国のメフメト2世による)

問41
リキニウスはミラノ勅令の共同発布者である。

解答:正

問42
アリウス派は正統派に比べ、ゲルマン民族の支持を受けた。

解答:正

問43
ビュザンティオンはオスマン帝国時代に「イスタンブル」と呼ばれるようになった。

解答:正

問44
テオドシウス帝は東ローマ帝国だけを統治した皇帝である。

解答:誤(東西統一最後の皇帝)

問45
476年の西ローマ帝国滅亡は中世の始まりを象徴する出来事である。

解答:正

一行問題(5問)

問46
コンスタンティヌス帝が313年に発布した勅令の正式名称とその内容を答えよ。

解答:ミラノ勅令。キリスト教を含む全宗教の信仰を自由化した。

問47
ニケーア公会議で制定された信条の名称と、その核心的内容を答えよ。

解答:ニケーア信条。キリストは父と「同質」であると定義した。

問48
コンスタンティノープル遷都の理由を2つ答えよ。

解答:東方防衛強化と東地中海の経済的利益確保。

問49
テオドシウス帝が行った宗教政策の内容を簡潔に答えよ。

解答:392年にキリスト教を唯一の国教と定め、異教祭儀を全面禁止した。

問50
1453年、コンスタンティノープルを攻略した国家とその指導者を答えよ。

解答:オスマン帝国、メフメト2世。

【コンスタンティヌスとキリスト教公認】まとめ

以上50問でした。お疲れ様です。

簡単だった、難しかったという方も本編で基礎知識を学び直してみてください。

本編の詳しい解説を読む! → 【コンスタンティヌスとキリスト教公認】本編のまとめ記事はこちら

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