大航海時代の中心地として名を馳せたリスボンは、単なる港町にとどまらず、ポルトガル帝国を象徴する首都として世界史に刻まれました。
香辛料貿易や植民地経営の利益が集積し、ヨーロッパ経済の一大拠点となったリスボンは、受験世界史でも頻出の都市です。
本記事では、リスボンがどのようにして繁栄し、なぜ受験で狙われやすい論点になるのかを解説します。
第1章 大航海時代とリスボンの台頭
15世紀から16世紀にかけて、ポルトガルは世界の海へと乗り出しました。
その中心となったのが首都リスボンです。
インド航路の開拓やアフリカ沿岸支配を背景に、リスボンは香辛料貿易の集積地となり、ヨーロッパの経済地図を大きく塗り替えることになりました。本章では、リスボンがどのように大航海時代の拠点となったのかを見ていきましょう。
1. 航海王子エンリケと探検航路の整備
エンリケ航海王子はサグレスに航海学校を設立し、ポルトガルによる海洋探検の礎を築きました。
ここで蓄積された知識や技術はやがてリスボンを出発点とする航海へとつながります。
リスボンは探検隊の帰還港であり、アジア・アフリカからもたらされる物資が集まる場所となりました。
2. ヴァスコ=ダ=ガマとインド航路
1498年、ヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓すると、リスボンは香辛料の流通拠点として急速に発展しました。
リスボンの港には胡椒や香辛料を満載した船が次々と戻り、その富はヨーロッパ諸国の羨望を集めました。
3. 世界帝国の首都としてのリスボン
リスボンは単なる交易港を超えて、アジア・アフリカ・南米を結ぶ世界帝国の中枢都市となりました。
ブラジルの砂糖、アフリカの金、アジアの香辛料がこの都市に集まり、金融・商業の一大ハブとなったのです。
入試で狙われるポイント
- リスボンは「大航海時代の出発点」として押さえること
- ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓後、香辛料貿易の中心に
- 「ポルトガルの首都=リスボン」という基本知識も要確認
- リスボンが大航海時代に果たした役割を、ポルトガル帝国の発展と絡めて200字程度で説明せよ。
-
リスボンは大航海時代のポルトガル探検の出発点であり、インド航路開拓後は香辛料貿易の中心地として繁栄した。アフリカ・アジア・アメリカから集まる物資が集中し、ポルトガル帝国の首都として世界帝国の中枢を担った。この結果、リスボンはヨーロッパ経済の一大拠点となり、商業資本主義の進展を促した。
第1章: リスボン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
リスボンを首都とする国はどこか。
解答:ポルトガル
問2
エンリケ航海王子が拠点を置いた都市はどこか。
解答:サグレス
問3
1498年にインド航路を開拓した航海者は誰か。
解答:ヴァスコ=ダ=ガマ
問4
ヴァスコ=ダ=ガマが到達したインド西岸の港市はどこか。
解答:カリカット
問5
16世紀前半、リスボンを経由してヨーロッパに流入したアジア産品の代表例を1つ答えよ。
解答:香辛料(胡椒など)
問6
ポルトガルがアフリカ西岸からもたらした重要な産物は何か。
解答:金
問7
16世紀、ポルトガルの植民地で砂糖生産が盛んだった地域はどこか。
解答:ブラジル
問8
リスボンが大地震で壊滅的被害を受けたのは西暦何年か。
解答:1755年
問9
大航海時代におけるリスボンの発展は、ヨーロッパにおける何の進展を促したか。
解答:商業資本主義
問10
リスボンの繁栄により衰退していったイタリアの港市を1つ答えよ。
解答:ヴェネツィア
正誤問題(5問)
問11
エンリケ航海王子が航海学校を設立した都市はリスボンである。
解答:誤(サグレス)
問12
ヴァスコ=ダ=ガマは1498年に喜望峰を経由してインドに到達した。
解答:正
問13
リスボンは大航海時代におけるスペイン帝国の中心都市であった。
解答:誤(ポルトガル帝国)
問14
ブラジルの砂糖はリスボンを経由してヨーロッパへ輸出された。
解答:正
問15
1755年の大地震はリスボンに甚大な被害を与え、啓蒙思想家ヴォルテールらにも影響を与えた。
解答:正
第2章 リスボンの繁栄と衰退
リスボンは16世紀に絶頂期を迎え、ヨーロッパでも屈指の国際都市となりました。
しかし、その繁栄は長く続きませんでした。1580年のスペインによる併合、17世紀以降のオランダ・イギリスの台頭、そして1755年のリスボン大地震など、衰退を決定づける出来事が重なっていったのです。
本章ではリスボンの繁栄のピークと、その後の没落の過程を見ていきます。
1. 黄金期のリスボン
16世紀前半、インド・アジア航路の開拓によって香辛料貿易が集中した結果、リスボンは「世界の首都」と呼ばれるほどの繁栄を誇りました。
商人、金融業者、外交官が集まり、ヨーロッパ経済の中心都市の一つとなったのです。
2. スペインによる併合(1580年)
アヴィス朝断絶後、ポルトガル王位はスペインのフェリペ2世に継承され、リスボンは事実上スペイン帝国の支配下に置かれました。
ポルトガルの海外領土はスペインの戦争に巻き込まれ、イギリスやオランダとの対立によって多くを失いました。
3. リスボン大地震と衰退
1755年、リスボンを襲った大地震は都市を壊滅状態に陥れました。
建物の崩壊、津波、火災によって数万人が犠牲となり、ポルトガル帝国の威信は大きく損なわれました。
この災害は啓蒙思想家ヴォルテールの思想にも影響を与え、「神義論」批判の契機ともなりました。
入試で狙われるポイント
- 1580年のスペイン併合とその影響を押さえること
- 17世紀以降はオランダ・イギリスが台頭し、リスボンの地位が低下
- 1755年のリスボン大地震と啓蒙思想への波及効果は頻出テーマ
- 16世紀から18世紀にかけてリスボンが経験した繁栄と衰退を、国際関係や大地震の影響を含めて200字程度で説明せよ。
-
16世紀、リスボンは香辛料貿易の中心として繁栄し、世界帝国ポルトガルの首都として栄えた。しかし1580年にスペインに併合され、海外領土はオランダ・イギリスとの抗争で失われていった。さらに1755年の大地震により都市は壊滅的打撃を受け、ポルトガル帝国の国際的地位は大きく低下した。この結果、リスボンはヨーロッパ経済の中心から後退していった。
第2章: リスボン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
16世紀前半、リスボンが「世界の首都」と呼ばれた主な理由は何か。
解答:香辛料貿易の集積地となったため
問2
ポルトガルでアヴィス朝が断絶したのは西暦何年か。
解答:1580年
問3
1580年にポルトガルを併合したスペイン王は誰か。
解答:フェリペ2世
問4
ポルトガルがスペインの支配下に入った期間を何というか。
解答:イベリア連合
問5
17世紀に東南アジア・インド洋貿易でポルトガルに取って代わった国を1つ答えよ。
解答:オランダ(またはイギリス)
問6
ブラジル北東部で砂糖プランテーションを展開したのはどの国か。
解答:ポルトガル
問7
1755年の大地震で壊滅的被害を受けた都市はどこか。
解答:リスボン
問8
リスボン大地震は何という思想家に影響を与えたか。
解答:ヴォルテール
問9
リスボン大地震の被害を拡大させた二次災害を2つ答えよ。
解答:津波・火災
問10
リスボン衰退の大きな要因となった17〜18世紀の歴史的流れを一言で答えよ。
解答:新興国(オランダ・イギリス)の台頭
正誤問題(5問)
問11
リスボンは16世紀に「世界の首都」と呼ばれるほど栄えた。
解答:正
問12
アヴィス朝断絶後、ポルトガル王位はイギリス王が継承した。
解答:誤(スペイン王フェリペ2世)
問13
イベリア連合期、ポルトガルの植民地はスペインの戦争に巻き込まれ、多くを失った。
解答:正
問14
1755年のリスボン大地震は火災や津波を伴い、被害を拡大させた。
解答:正
問15
リスボン大地震はルソーの思想形成に直接影響を与えた。
解答:誤(ヴォルテールに影響)
第3章 ヨーロッパ経済の重心移動とリスボンの位置づけ導入文
16世紀に繁栄したリスボンですが、その後ヨーロッパ経済の中心は徐々に北へ移っていきました。
アムステルダムやロンドンの台頭により、リスボンは次第にその地位を失っていきます。
この章では、リスボンがどのようにヨーロッパ経済の重心移動に影響を受けたのかを整理し、他の港市との比較を通じて受験的に重要なポイントを確認します。
1. リスボンからアントワープ、アムステルダムへ
16世紀後半、ポルトガルの香辛料貿易の拠点はリスボンに集中していましたが、オランダ独立戦争以降はアントワープ、さらにアムステルダムへと交易の中心が移っていきました。
オランダの東インド会社(VOC)はリスボンに代わり、アジア貿易を独占的に掌握しました。
2. リスボンとロンドンの対比
17世紀以降、イギリス東インド会社の発展によってロンドンも国際商業都市として成長しました。
リスボンは依然として大西洋交易の要所であったものの、金融や証券市場の機能ではロンドンに遅れをとるようになりました。
3. 衰退と残された意義
リスボンは世界経済の中心からは外れたものの、大航海時代の象徴都市としての歴史的意義を残しました。
今日に至るまで、リスボンは「ヨーロッパが世界へ広がる拠点都市」として受験世界史で必ず押さえておくべき都市といえます。
入試で狙われるポイント
- ヨーロッパ経済の重心は「南(リスボン・ヴェネツィア)→北(アムステルダム・ロンドン)」へ移動
- オランダ東インド会社(VOC)の設立がリスボン衰退の大きな要因
- 各都市(リスボン・アントワープ・アムステルダム・ロンドン)の比較は頻出
- 16〜18世紀におけるヨーロッパ経済の中心地の変遷を、リスボンの位置づけと比較しながら200字程度で説明せよ。
-
16世紀、リスボンは香辛料貿易の集積地として繁栄したが、17世紀以降はオランダ・イギリスの台頭によりその地位を失った。アントワープを経てアムステルダムが世界貿易の中心となり、金融市場も整備された。さらに18世紀にはロンドンが証券取引所や銀行制度を発展させ、近代資本主義の中心となった。リスボンは大航海時代を象徴する都市として意義を残したが、ヨーロッパ経済の主導権は北方諸都市に移った。
第3章: リスボン 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
16世紀のリスボンの繁栄をもたらした貿易品は何か。
解答:香辛料
問2
オランダ独立戦争後、リスボンから交易の中心が移った都市はどこか。
解答:アントワープ
問3
1602年に設立され、アジア貿易を独占したオランダの会社は何か。
解答:オランダ東インド会社(VOC)
問4
17世紀、アムステルダムが国際商業都市として発展した主因は何か。
解答:アジア貿易の独占
問5
アムステルダムに設立された世界初の証券取引所は何年に開設されたか。
解答:1602年
問6
リスボンと同じく港市として繁栄したが、その後衰退したイタリアの都市を1つ答えよ。
解答:ヴェネツィア
問7
17世紀にイギリスの海外貿易を担った会社は何か。
解答:イギリス東インド会社
問8
18世紀にロンドンで発展し、近代資本主義の基盤を築いた制度を1つ答えよ。
解答:証券取引所(または銀行制度)
問9
ヨーロッパ経済の重心が北方へ移った大きな背景は何か。
解答:オランダ・イギリスの台頭
問10
リスボンが象徴する歴史的時代を一言で答えよ。
解答:大航海時代
正誤問題(5問)
問11
16世紀、リスボンはアジア貿易の中心として繁栄した。
解答:正
問12
アムステルダム証券取引所は17世紀に設立された。
解答:正
問13
オランダ東インド会社(VOC)はリスボンに本社を置いた。
解答:誤(アムステルダム)
問14
18世紀、ロンドンは近代金融の中心として発展した。
解答:正
問15
ヨーロッパ経済の重心は16世紀から18世紀にかけて南方都市へ移動した。
解答:誤(北方都市へ移動)
第4章 リスボンの歴史的意義と入試での押さえどころ
リスボンは大航海時代の象徴的都市であり、ポルトガル帝国の栄光と衰退を映し出す鏡でした。
ヨーロッパの海上帝国の形成において決定的な役割を果たしつつも、17世紀以降はオランダやイギリスの台頭によって後退を余儀なくされました。
リスボンの歩みを学ぶことは、大航海時代から近代資本主義へと至るヨーロッパ経済史の流れをつかむ上で欠かせません。
まとめのポイント
- 大航海時代の出発点:ヴァスコ=ダ=ガマの航路開拓により香辛料貿易の中心に
- 帝国の首都として繁栄:アジア・アフリカ・アメリカから物資が集中し「世界の首都」と呼ばれる
- 衰退の契機:1580年のスペイン併合、17世紀の新興国台頭、1755年のリスボン大地震
- 世界史での意義:ヨーロッパ経済の重心移動を理解する上での比較対象都市
リスボン関連年表
年代 | 出来事 |
---|---|
1415 | ポルトガルがセウタを占領(海外進出開始) |
1498 | ヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓、リスボン繁栄へ |
1500年代前半 | リスボンが香辛料貿易の中心に、「世界の首都」と称される |
1580 | アヴィス朝断絶 → スペインによる併合(イベリア連合) |
1602 | オランダ東インド会社(VOC)設立、アジア貿易の主導権を奪う |
17世紀 | ヨーロッパ経済の重心がアムステルダム・ロンドンへ移動 |
1755 | リスボン大地震(津波・火災も発生、数万人死亡) |
18世紀後半 | リスボンの国際的地位が低下、ポルトガル帝国の衰退顕著に |
リスボンとヨーロッパ経済の重心移動フローチャート
【15〜16世紀】
ヴェネツィア → リスボン(香辛料貿易の拠点)
【16〜17世紀】
リスボン → アントワープ(交易の中心地へ)
【17世紀】
アントワープ → アムステルダム(VOC・金融中心)
【18世紀】
アムステルダム → ロンドン(証券取引所・銀行制度の発展)
入試で狙われるポイント
- 「リスボン=大航海時代の中心」という基本を絶対に落とさない
- スペイン併合(イベリア連合)とリスボンの衰退の流れを説明できるか
- 1755年のリスボン大地震と啓蒙思想(ヴォルテール)との関連は頻出
- ヨーロッパ経済の重心移動を「比較の流れ」で押さえること
コメント