【世界史】スペイン帝国の栄光と衰退|「面の帝国」と新大陸征服の衝撃

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15世紀末、コロンブスの航海をきっかけに新大陸を獲得したスペインは、アステカ・インカの征服によって広大な領土を支配する「面の帝国」を築き上げました。

銀や金の大量流入はヨーロッパ経済に衝撃を与え、やがて「世界の一体化」を促進する大きな契機となります。

さらにコロンブス交換による作物や病原菌の移動は人口・社会構造に大きな変化をもたらしました。

しかし、銀依存経済や戦争負担は財政を圧迫し、17世紀にはオランダ・イギリスの台頭によって覇権を失っていきます。

本記事ではスペイン植民地帝国の成立から衰退までを整理し、入試頻出のキーワードとともに解説します。

目次

第1章 コロンブスの航海と「面の帝国」の成立

スペインの植民地帝国は、1492年のコロンブスの航海から始まりました。

スペイン王室の後援を受けたコロンブスは新大陸に到達し、以後アメリカ大陸は征服と植民の舞台となりました。

スペインはアステカ・インカを征服して広大な領土を直接支配する「面の帝国」を築き、ポルトガルの「点と線の帝国」とは異なる性格を示しました。

1-1. コロンブスの航海

1492年、コロンブスはスペイン女王イサベルの支援を受けて西回りでアジアを目指しました。

その結果、新大陸バハマ諸島に到達し、スペインの海外進出が始まります。

1-2. アステカ・インカの征服

16世紀前半、コルテスがアステカ帝国を、ピサロがインカ帝国を征服しました。

スペインは中南米を広く支配し、先住民の労働を利用するエンコミエンダ制を導入しました。

1-3. 銀の流入と世界経済

メキシコやポトシ銀山から大量の銀が産出され、セビリアを経由してヨーロッパに流入しました。

さらにマニラを経由するガレオン貿易によって中国にも銀が流入し、世界経済が結びつく契機となりました。

1-4. コロンブス交換の衝撃

スペインの植民活動は、作物・家畜・病原菌の大規模な移動を引き起こしました。

ジャガイモやトウモロコシはヨーロッパに広がり、人口増加を促進しましたが、天然痘などの感染症は先住民社会を壊滅させました。

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入試で狙われるポイント

  • コロンブスの航海(1492年)とスペイン王室の支援
  • アステカ帝国・インカ帝国の征服(コルテス・ピサロ)
  • エンコミエンダ制の特徴と問題点
  • ポトシ銀山・ガレオン貿易と「世界の一体化」
  • コロンブス交換の意義と影響

重要論述問題にチャレンジ

スペインが築いた「面の帝国」の特徴と、その歴史的意義を200字程度で説明せよ。

コロンブスの航海以降、スペインはアステカ・インカを征服し、中南米を広大に支配する「面の帝国」を築いた。エンコミエンダ制により先住民労働を利用し、ポトシ銀山から産出された銀はヨーロッパに流入した。さらにアカプルコとマニラを結ぶガレオン貿易によって銀はアジアに流れ込み、世界規模の交易網が形成された。またコロンブス交換により作物や病原菌が移動し、人口や社会構造に決定的な影響を与えた。スペイン帝国は「世界の一体化」を進めた先導的存在となった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章:スペイン帝国の栄光と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1492年に新大陸に到達した航海者は誰か。

解答:コロンブス

問2
コロンブスに航海を支援したスペイン女王は誰か。

解答:イサベル

問3
アステカ帝国を滅ぼしたスペインの征服者は誰か。

解答:コルテス

問4
インカ帝国を征服したスペインの征服者は誰か。

解答:ピサロ

問5
スペインが新大陸で導入した先住民労働制度は何か。

解答:エンコミエンダ制

問6
スペイン帝国の財政を支えた南米の大銀山はどこか。

解答:ポトシ銀山

問7
アメリカ銀がアジアへ輸出された貿易を何というか。

解答:ガレオン貿易

問8
ガレオン貿易で結ばれた二つの都市はどことどこか。

解答:アカプルコとマニラ

問9
新旧両大陸間で作物・家畜・病原菌が移動した現象を何というか。

解答:コロンブス交換

問10
スペインの植民地帝国を「面の帝国」と呼ぶ理由は何か。

解答:広大な大陸を直接支配したから

正誤問題(5問)

問11
コロンブスは西回りでアジアを目指し、結果的に新大陸に到達した。

解答:正

問12
アステカ帝国を滅ぼしたのはピサロである。

解答:誤(アステカはコルテス、インカはピサロ)

問13
ポトシ銀山からの銀はヨーロッパだけでなく中国にも流入した。

解答:正

問14
エンコミエンダ制は先住民を保護する目的で成功した制度である。

解答:誤(実際は先住民労働を酷使する制度だった)

問15
コロンブス交換ではジャガイモやトウモロコシが新大陸からヨーロッパへ伝わった。

解答:正

第2章 銀依存経済とスペイン帝国の限界

スペイン帝国は新大陸から流入する莫大な銀によって一時的に繁栄しました。

しかし、経済構造が銀依存型であったため、生産力や産業基盤は育たず、むしろインフレと財政赤字を引き起こしました。

さらにヨーロッパでの戦争負担が加わり、国力の限界が露呈します。ここでは、スペイン帝国の栄光を支えた銀経済と、それが同時に衰退を招いた過程を整理します。

2-1. 銀の大量流入と経済効果

ポトシ銀山やメキシコ銀山からの銀は、セビリアを経由してヨーロッパに流入しました。

これによりヨーロッパ経済全体に通貨供給が増え、商業活動は活性化しました。

2-2. 価格革命と社会への影響

16世紀後半、銀の過剰流入によってインフレ(価格革命)が発生しました。

ヨーロッパでは農民や固定収入層が打撃を受けた一方、商工業者や地主層は利益を得ました。

スペイン自身は銀に依存し、自国の産業振興を怠ったため、経済的基盤を強化できませんでした。

2-3. 銀依存の弊害

銀の流入は短期的には財政を潤しましたが、輸入に頼る経済を助長し、スペイン国内の産業は育ちませんでした。

軍事や宮廷の浪費に銀が吸い取られ、経済は不安定化しました。

2-4. 戦争負担と財政破綻

スペインはカトリック擁護を掲げ、オスマン帝国・フランス・ネーデルラントとの戦争に積極的に介入しました。

1588年のアルマダ海戦の敗北は象徴的で、戦費負担が財政破綻を加速させました。

入試で狙われるポイント

  • ポトシ銀山・メキシコ銀山からの銀流入
  • セビリアを経由したヨーロッパ経済への影響
  • 価格革命(インフレ)と社会的影響
  • 銀依存経済と産業振興の失敗
  • アルマダ海戦(1588年)とスペイン財政の悪化

重要論述問題にチャレンジ

スペインが銀依存経済によって一時的に繁栄しながらも衰退していった理由を200字程度で説明せよ。

スペインはアステカ・インカ征服後、ポトシ銀山などから大量の銀をヨーロッパに流入させ、一時的に繁栄した。銀はヨーロッパの商業を活性化させたが、過剰流入により価格革命を引き起こし、社会に格差を生んだ。スペイン自身は銀依存型経済で産業振興を怠り、国内生産力を高められなかった。さらにオスマン帝国やネーデルラントとの戦争、アルマダ海戦などに巨額の戦費を投じたことで財政は破綻した。結果的にスペインは覇権国としての地位を失っていった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章:スペイン帝国の栄光と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
スペイン帝国の財政を支えた南米の大銀山はどこか。

解答:ポトシ銀山

問2
新大陸の銀はスペイン本国でどの都市を経由してヨーロッパに流入したか。

解答:セビリア

問3
銀の大量流入により16世紀後半にヨーロッパで起こった経済現象は何か。

解答:価格革命

問4
価格革命によって打撃を受けたのはどのような層か。

解答:農民や固定収入層

問5
価格革命によって利益を得たのはどのような層か。

解答:商工業者や地主層

問6
銀依存経済がスペイン国内で阻害したものは何か。

解答:産業振興

問7
1588年にイギリスに敗北した戦いは何か。

解答:アルマダ海戦

問8
アルマダ海戦でスペインが投入した艦隊は一般に何と呼ばれるか。

解答:無敵艦隊

問9
スペインが戦費を費やした主な戦争の一つを挙げよ。

解答:ネーデルラント独立戦争(八十年戦争)など

問10
スペインが銀依存経済で衰退していった背景には何があるか。

解答:戦争負担・財政浪費・産業基盤の欠如

正誤問題(5問)

問11
ポトシ銀山は現在のペルーに位置する。

解答:誤(現在のボリビアに位置する)

問12
価格革命は16世紀後半の銀流入によって引き起こされた。

解答:正

問13
価格革命では固定収入層が利益を得た。

解答:誤(彼らは打撃を受けた)

問14
スペインは銀に依存したため国内産業の発展が進まなかった。

解答:正

問15
アルマダ海戦は1588年にスペインがイギリスを破った戦いである。

解答:誤(スペインは敗北した)

第3章 スペイン帝国の衰退と覇権の移行

16世紀に「面の帝国」として栄華を極めたスペインも、17世紀にはその地位を失っていきました。

銀依存経済と財政難に加え、宗教戦争やネーデルラント独立戦争で国力を消耗し、さらに1588年のアルマダ海戦での敗北は海上覇権の喪失を決定づけました。

その後、オランダとイギリスが新たな海上覇権国として台頭し、近世ヨーロッパの主導権はスペインから北西ヨーロッパへ移行しました。

ここではスペインの衰退と覇権移行の流れを整理します。

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3-1. ネーデルラント独立戦争

スペインの重税と宗教弾圧に反発したネーデルラントでは独立戦争が勃発(1568年)。戦争は長期化し、スペインの財政を大きく圧迫しました。

1648年のウェストファリア条約で独立が正式に承認されると、オランダは新たな覇権国として台頭しました。

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3-2. アルマダ海戦の敗北

1588年、イギリス討伐を目的に無敵艦隊(アルマダ)を派遣しましたが、イギリス艦隊と悪天候により敗北しました。

これによりスペインは「海上覇権の象徴的地位」を失い、イギリスが台頭する契機となりました。

3-3. 財政破綻と国家衰退

度重なる戦争と宮廷の浪費により、スペイン王国は17世紀を通じて何度も国家財政を破綻させました。

銀依存経済の限界もあり、ヨーロッパの中心は徐々に北西ヨーロッパへと移っていきました。

3-4. 覇権の移行

17世紀にはオランダが東インド会社を設立しアジア貿易を独占、さらにアムステルダムは新たな金融・商業の中心となりました。

続いて18世紀にはイギリスが海上覇権を確立し、スペインは一地方国へと転落していきました。

入試で狙われるポイント

  • ネーデルラント独立戦争(1568〜1648年)とウェストファリア条約
  • アルマダ海戦(1588年)でのスペイン敗北
  • 財政破綻と銀依存の限界
  • 覇権がオランダ→イギリスへ移行する流れ

重要論述問題にチャレンジ

スペインが17世紀に衰退した要因と、その後の覇権移行について200字程度で説明せよ。

スペインは16世紀にアメリカ大陸を支配する「面の帝国」を築いたが、銀依存経済と度重なる戦争によって国力を消耗した。特にネーデルラント独立戦争やアルマダ海戦の敗北は財政を圧迫し、海上覇権の喪失を招いた。17世紀以降、オランダが東インド会社を通じてアジア貿易を独占し、アムステルダムを金融・商業の中心とした。さらに18世紀にはイギリスが覇権を握り、スペインはヨーロッパの中心的地位から後退していった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章:スペイン帝国の栄光と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1568年に始まり1648年に終結した戦争は何か。

解答:ネーデルラント独立戦争

問2
ネーデルラント独立戦争が正式に終結した条約は何か。

解答:ウェストファリア条約

問3
1588年にスペインがイギリス討伐を試みた戦いは何か。

解答:アルマダ海戦

問4
アルマダ海戦に投入されたスペイン艦隊は一般に何と呼ばれるか。

解答:無敵艦隊

問5
スペインが衰退した主な経済的要因は何か。

解答:銀依存経済と財政破綻

問6
17世紀にアジア貿易を独占したオランダの組織は何か。

解答:東インド会社(VOC)

問7
オランダの新たな商業・金融の中心都市はどこか。

解答:アムステルダム

問8
17世紀後半以降に海上覇権を握った国はどこか。

解答:イギリス

問9
スペインが度重なる戦争で疲弊した背景にあった宗教的姿勢は何か。

解答:カトリック擁護政策

問10
スペインの覇権移行の過程を「○○→○○→○○」の順で答えよ。

解答:スペイン → オランダ → イギリス

正誤問題(5問)

問11
ネーデルラント独立戦争はスペインの重税と宗教弾圧に対する反発から始まった。

解答:正

問12
ウェストファリア条約は1648年にネーデルラントの独立を承認した。

解答:正

問13
アルマダ海戦でスペインは勝利し、海上覇権を確立した。

解答:誤(スペインは敗北し、覇権を失った)

問14
17世紀にはアムステルダムがヨーロッパ商業の中心地となった。

解答:正

問15
18世紀以降、スペインが再びヨーロッパの覇権国に返り咲いた。

解答:誤(覇権はイギリスに移行した)

まとめ スペイン植民地帝国の歴史的意義

スペイン帝国は、1492年のコロンブス航海に始まり、アステカ・インカ征服を通じてアメリカ大陸を広大に支配しました。

そのため「点と線の帝国」を築いたポルトガルと異なり、スペインは「面の帝国」と呼ばれます。

新大陸から流入した銀はヨーロッパ経済を潤し、ガレオン貿易によってアジアとも結びつき、世界の一体化を大きく進めました。

またコロンブス交換により作物や病原菌が移動し、人口構造や社会を根本から変化させました。

しかし、銀依存経済や戦争負担によって財政は逼迫し、アルマダ海戦の敗北やネーデルラント独立戦争を経て17世紀には衰退しました。

覇権はオランダ、さらにイギリスへと移り、スペイン帝国はヨーロッパの中心から退いていきました。

スペイン植民地帝国の歴史は、「栄光と衰退」の典型例であり、世界史全体の流れを理解する上で欠かせないテーマです。

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スペイン植民地帝国 年表

年代出来事意義
1492コロンブス、新大陸到達スペインの海外進出の始まり
1519コルテス、アステカ帝国征服開始メソアメリカ支配
1533ピサロ、インカ帝国征服南米支配の確立
1545ポトシ銀山の発見世界経済への銀流入の中心
1568ネーデルラント独立戦争開始長期戦争による国力消耗
1588アルマダ海戦スペインの海上覇権喪失
1648ウェストファリア条約ネーデルラント独立承認
17世紀財政破綻繰り返す衰退の象徴
18世紀イギリスの覇権確立スペインは後退

フローチャート:スペイン植民地帝国の流れ

コロンブス航海(1492)

アステカ・インカ征服 → 「面の帝国」成立

ポトシ銀山 → 銀の大量流入

価格革命(ヨーロッパ経済活性化)

ガレオン貿易 → 世界の一体化進展

銀依存経済+戦争負担

アルマダ海戦敗北(1588)

ネーデルラント独立戦争 → 財政悪化

ウェストファリア条約(1648) → ネーデルラント独立承認

覇権移行(スペイン → オランダ → イギリス)

まとめのポイント

  • スペインは「面の帝国」としてアメリカ大陸を支配した。
  • ポトシ銀山・ガレオン貿易・コロンブス交換は入試頻出。
  • 銀依存経済と戦争負担が衰退を招いた。
  • 覇権は17世紀にオランダ、18世紀にイギリスへ移行。
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