【世界史解説】マグナ=カルタ(1215)|ジョン王と貴族の対立が生んだ王権制限

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1215年、イギリスで発布されたマグナ=カルタ(大憲章)は、世界史において王権を制限した最初期の文書として知られています。

ジョン王の重税と失政に反発した貴族たちが武力で国王に譲歩を迫り、その結果として結ばれたこの大憲章は、単なる封建的な取り決めにとどまらず、後世の議会政治や近代的な人権思想へとつながる重要な布石となりました。

本記事では、マグナ=カルタの成立背景・内容・意義を受験生向けに整理し、大学入試での出題ポイントを徹底解説していきます。

目次

第1章 マグナ=カルタ成立の背景

マグナ=カルタは、ジョン王の政治的失策と貴族層の反発が重なった結果として生まれました。

イギリス封建社会の仕組みを理解しつつ、その背景を押さえることが入試対策の第一歩です。

マグナ=カルタ 今どこ?

マグナ=カルタのイギリス史全体での位置関係をつかみましょう!

ノルマン朝 (1066〜1154)
│ 1066 ノルマン・コンクエスト(ウィリアム1世)

プランタジネット朝 (1154〜1399)
1215 マグナ=カルタ制定(ジョン王)  ⇒今 ココ!!
│ 1295 模範議会招集(エドワード1世)
│ 1339 百年戦争開始(エドワード3世)

ランカスター朝 (1399〜1461)
│ 1415 アジャンクールの戦い(ヘンリ5世)
│ 1455 薔薇戦争勃発

ヨーク朝 (1461〜1485)
│ 薔薇戦争続行 → ボズワースの戦いでリチャード3世敗死

テューダー朝 (1485〜1603)
│ 1534 首長法制定(ヘンリ8世)→ イギリス国教会成立
│ 1588 アルマダ海戦(無敵艦隊撃破・エリザベス1世)

ステュアート朝 (1603〜1714)
│ 1642 ピューリタン革命(清教徒革命)勃発 
  → 1649 チャールズ1世処刑
│ 1660 王政復古(チャールズ2世)
│ 1688 名誉革命(ジェームズ2世退位)
│ 1689 権利章典制定 → 立憲王政確立

ハノーヴァー朝 (1714〜1901)
│ 1775 アメリカ独立戦争開始
│ 1837 ヴィクトリア女王即位 → 大英帝国の最盛期

ウィンザー朝 (1917〜現在)
│ 1914 第一次世界大戦
│ 1939 第二次世界大戦
│ 1952 エリザベス2世即位
│ 2022 チャールズ3世即位

1. ジョン王の失政

ジョン王(在位1199〜1216)は、「失地王(ジョン=サンステール)」と呼ばれるほど領土を失いました。

兄リチャード1世の遠征に伴う財政難を受け継いだうえ、フランスのフィリップ2世との戦い(ブーヴィーヌの戦い・1214年)に敗北。これにより大陸領土の多くを喪失しました。

2. 重税と国王専制への不満

失地回復と戦費調達のため、ジョン王は貴族や都市に対して重税を課しました。

また裁判権を乱用し、恣意的な逮捕や課税を行ったことで、封建貴族の権益が脅かされました。

3. 貴族の反乱と文書の作成

こうした状況に耐えかねたイギリスの有力貴族は、ロンドン市民や聖職者の一部と結束し、武力を背景に国王に譲歩を迫ります。

その結果、1215年、テムズ川沿いのラニーミードで王と貴族が合意し、マグナ=カルタが作成・承認されました。

入試で狙われるポイント

  • ジョン王が「失地王」と呼ばれる理由 → フィリップ2世との戦いでフランス領を喪失
  • ブーヴィーヌの戦い(1214)の敗北が背景
  • 重税や恣意的な裁判が貴族の反乱を招いた
  • 1215年ラニーミードでの調印

重要論述問題にチャレンジ

1215年に制定されたマグナ=カルタの成立背景と歴史的意義について、200字程度で説明せよ。

ジョン王は失政によってフランスに領土を奪われ、財政難を補うために重税を課し、恣意的な裁判を行った。このため封建貴族は反発し、1215年ラニーミードでマグナ=カルタを国王に承認させた。これは国王の専制を封建的諸権利によって制限した文書であり、その直接的意図は貴族の権益防衛にあったが、後世にはイギリス議会政治や権利章典へと継承され、近代的自由の出発点と位置づけられる。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章: マグナ=カルタ(1215) 一問一答&正誤問題15問 問題演習

問一答(10問)

問1
マグナ=カルタが制定されたのは西暦何年か。

解答:1215年

問2
マグナ=カルタを承認したイギリス国王は誰か。

解答:ジョン王

問3
ジョン王が敗北した1214年の戦いを何というか。

解答:ブーヴィーヌの戦い

問4
ジョン王が失った大陸領土はどの地域か。

解答:フランス領土(ノルマンディー地方など)

問5
マグナ=カルタが承認された場所はどこか。

解答:ラニーミード

問6
ジョン王はその失政から何と呼ばれたか。

解答:失地王(ジョン=サンステール)

問7
マグナ=カルタはもともと誰の権利を守るための文書だったか。

解答:封建貴族

問8
マグナ=カルタの後世的意義として発展した政治制度は何か。

解答:議会政治

問9
マグナ=カルタの理念が後に影響を与えた17世紀イギリスの文書を1つ挙げよ。

解答:権利章典(1689年)

問10
マグナ=カルタの成立要因の一つである、王の乱用した権限の例を1つ挙げよ。

解答:重税の強制/恣意的な裁判

正誤問題(5問)

問1
ジョン王は「獅子心王」と呼ばれ、マグナ=カルタを承認した。

解答:誤(獅子心王は兄リチャード1世、マグナ=カルタはジョン王)

問2
ブーヴィーヌの戦いは1214年に行われ、ジョン王が敗北した。

解答:正

問3
マグナ=カルタは当初からすべての市民の自由を保障する目的で制定された。

解答:誤(当初は主に封建貴族の権益防衛が目的)

問4
マグナ=カルタは後の議会政治や権利章典につながり、近代的自由の源流とされる。

解答:正

問5
ラニーミードはイギリス南部にあるテムズ川沿いの地である。

解答:正

第2章 マグナ=カルタの内容と条項

1215年に承認されたマグナ=カルタには、当時の封建社会を反映した条項が盛り込まれています。

その多くは封建貴族の権益を守るものでしたが、一部には後世に大きな影響を与える原則が含まれており、受験でもしばしば問われます。

ここではその主要条項と歴史的意義を確認します。

1. 封建貴族の権利保障

マグナ=カルタの大部分は、国王が課す課税の制限や領地の相続・管理に関する規定など、封建貴族の既得権を守るものでした。

特に「課税には大諸侯の同意が必要」と定めた点は、王権制限の核心といえます。

2. 教会の自由

当時、教会と王権の対立も存在しました。

マグナ=カルタは「教会の自由」を保障する条項を含み、国王が聖職任命に過度に介入しないことを明記しました。

3. 自由民の権利と法の支配

最も重要な条項のひとつが、「国王といえども法に従わねばならない」という理念を示したことです。

とくに「適法な裁判によらなければ自由を奪われない」とする規定は、後世の人権思想に大きな影響を与えました。

4. 後世への影響

当初は封建的妥協文書に過ぎなかったマグナ=カルタですが、その「法による統治」という理念は、後に模範議会の召集(1295年)、権利請願(1628年)、権利章典(1689年)へと受け継がれました。

受験では「マグナ=カルタ→議会政治→近代的人権思想」という流れで問われる点が重要です。

入試で狙われるポイント

  • 「課税は大諸侯の同意による」との条項が王権制限の核心
  • 教会の自由の保障も含まれる
  • 「適法な裁判なくして自由を奪われない」という規定は近代的人権の源流
  • マグナ=カルタ→模範議会→権利章典の流れは頻出

重要論述問題にチャレンジ

マグナ=カルタに盛り込まれた主要な条項とその歴史的意義について200字程度で述べよ。

マグナ=カルタは、国王の課税に大諸侯の同意を必要とするなど封建貴族の権利を保障する条項を中心に構成された。また教会の自由や、適法な裁判なしに自由を奪われないとする規定も含まれ、王権が法に従うべき原則を示した。当初は封建的妥協に過ぎなかったが、この理念はイギリス議会政治や近代的人権思想へと継承され、権利章典や立憲主義の基盤を形づくることになった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章: マグナ=カルタ(1215) 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
マグナ=カルタの課税に関する原則とは何か。

解答:大諸侯の同意なくして課税できない

問2
マグナ=カルタで保障された宗教的自由は何か。

解答:教会の自由

問3
「適法な裁判なくして自由を奪われない」とする理念を何というか。

解答:法の支配

問4
マグナ=カルタの条項の多くは誰の権益を守るものか。

解答:封建貴族

問5
マグナ=カルタの自由民保護条項が後世に影響した思想は何か。

解答:近代的人権思想

問6
マグナ=カルタの精神が影響を与えた13世紀末の出来事は何か。

解答:模範議会(1295年)の召集

問7
マグナ=カルタの理念が引き継がれた17世紀の文書を1つ挙げよ。

解答:権利請願(1628年)

問8
マグナ=カルタの理念が結実した1689年の文書は何か。

解答:権利章典

問9
マグナ=カルタで示された国王のあり方はどのようなものか。

解答:国王も法に従うべき存在

問10
マグナ=カルタは当初から一般庶民の自由を保障する文書であった。

解答:誤(当初は貴族中心)

正誤問題(5問)

問1
マグナ=カルタには「課税は大諸侯の同意による」との条項が含まれている。

解答:正

問2
マグナ=カルタの条項は最初から全ての市民に自由を保障した。

解答:誤(当初は貴族中心)

問3
マグナ=カルタは「国王も法に従うべき」との理念を示した。

解答:正

問4
マグナ=カルタには教会の自由を保障する規定も含まれる。

解答:正

問5
マグナ=カルタの精神はその後のイギリス政治に影響を与えることはなかった。

解答:誤(議会政治や権利章典へ継承された)

カルタの歴史的意義と近代への影響

1215年のマグナ=カルタは、当初は封建貴族の権益を守るための妥協文書にすぎませんでした。

しかし、その中に込められた「王も法に従うべき」という理念は、後世のイギリス議会政治や近代立憲主義に大きな影響を与えました。

この章では、マグナ=カルタが近代ヨーロッパの政治思想や制度へとどのように継承されたのかを整理します。

1. 模範議会への影響

1295年にエドワード1世が召集した模範議会は、貴族・聖職者に加え、都市の市民代表を含むものでした。

課税に対して「代表なくして課税なし」という原則は、マグナ=カルタの精神と強く結びつきました。

2. 権利請願・権利章典への発展

17世紀、イギリスでは王権と議会が激しく対立しました。

この際、議会はマグナ=カルタを根拠として国王専制を批判し、権利請願(1628年)や権利章典(1689年)を制定しました。これらは近代立憲政治の基礎を形づける文書です。

3. 近代人権思想への継承

「適法な裁判なくして自由を奪われない」という規定は、法の支配の原則を示し、やがてアメリカ独立宣言(1776年)やフランス人権宣言(1789年)など近代憲法思想に影響を与えました。

マグナ=カルタは、ヨーロッパから世界へと広がる人権思想の源泉といえるのです。

4. 世界史における位置づけ

入試では「マグナ=カルタ→模範議会→権利請願→権利章典→近代憲法思想」という流れが頻出です。

単発の出来事としてではなく、この流れの中に位置づけて理解することが得点につながります。

入試で狙われるポイント

  • 模範議会(1295年)との関連
  • 権利請願(1628)、権利章典(1689)への継承
  • アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に与えた影響
  • 「法の支配」の理念が近代立憲政治の基礎となった

重要論述問題にチャレンジ

マグナ=カルタが近代的な立憲政治や人権思想に与えた影響について、具体的事例を挙げながら200字程度で説明せよ。

マグナ=カルタは当初、封建貴族の権利保障にとどまったが、「王も法に従うべき」という原則を示した。この理念は模範議会の召集に継承され、17世紀には議会が権利請願や権利章典を制定して国王専制を制限した。さらに「適法な裁判なくして自由を奪われない」という規定は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言など近代的自由思想に影響を与え、立憲主義と人権尊重の基礎を築くこととなった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章: マグナ=カルタ(1215) 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1295年に召集された議会を何というか。

解答:模範議会

問2
模範議会を召集したイギリス王は誰か。

解答:エドワード1世

問3
「代表なくして課税なし」という原則はどの理念に基づくか。

解答:マグナ=カルタの課税制限の原則

問4
1628年に議会が国王に対して提出した文書は何か。

解答:権利請願

問5
1689年、名誉革命後に制定された文書は何か。

解答:権利章典

問6
権利章典を承認した国王夫妻は誰か。

解答:ウィリアム3世・メアリ2世

問7
「適法な裁判なくして自由を奪われない」という理念は何の思想に影響したか。

解答:近代的人権思想

問8
アメリカ独立宣言が発表されたのは西暦何年か。

解答:1776年

問9
フランス人権宣言が発表されたのは西暦何年か。

解答:1789年

問10
マグナ=カルタの歴史的意義を一言で表すなら何か。

解答:法の支配の理念の出発点

正誤問題(5問)

問1
模範議会は1215年にマグナ=カルタと同時に召集された。

解答:誤(模範議会は1295年)

問2
「代表なくして課税なし」という原則は、マグナ=カルタの精神に基づくものである。

解答:正

問3
権利請願はチャールズ1世の時代に出された。

解答:正

問4
権利章典(1689)は名誉革命の成果として制定された。

解答:正

問5
マグナ=カルタの理念はヨーロッパのみならずアメリカ独立宣言などにも影響を与えた。

解答:正

第4章 まとめ:マグナ=カルタの歴史的流れと意義

ここまで見てきたように、マグナ=カルタは単なる封建貴族の権利保障にとどまらず、後世の議会政治・人権思想へと受け継がれていきました。

大学入試では「出来事の単発」ではなく「流れ」を問われることが多いため、年表やフローチャートで整理しておきましょう。

マグナ=カルタ関連の年表

出来事ポイント
1214ブーヴィーヌの戦いでジョン王敗北領土喪失、重税の原因
1215マグナ=カルタ制定王権制限、封建貴族の権利保障
1295模範議会召集(エドワード1世)課税と代表制の原則
1628権利請願国王専制批判、議会権限強化
1689権利章典立憲君主制確立
1776アメリカ独立宣言自由・人権思想に継承
1789フランス人権宣言世界人権思想の展開

フローチャート:マグナ=カルタから近代へ

ジョン王の失政・重税 → 貴族反乱 → マグナ=カルタ(1215)


模範議会(1295) → 課税と代表制の原則


権利請願(1628) → 王権制限の強化


権利章典(1689) → 立憲君主制確立


アメリカ独立宣言(1776)


フランス人権宣言(1789)


近代憲法・人権思想の確立

まとめ

  • マグナ=カルタは封建貴族の権利文書であると同時に、王権を法の下に置くという普遍的理念を残した。
  • 「法の支配」と「課税に対する同意」という原則は、イギリス議会政治を通じて権利章典へ、さらに近代的な人権思想へと継承された。
  • 入試では「マグナ=カルタ→模範議会→権利請願→権利章典→近代憲法思想」という流れを押さえることが重要。
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