ヨーロッパ近世の国際政治において、最も重要な対立軸のひとつが「ハプスブルク家」と「ブルボン家」の争いです。
神聖ローマ帝国とスペインを支配したハプスブルク家と、フランスを統治したブルボン家は、宗教・領土・覇権をめぐり幾度も衝突しました。
その背景には、宗教改革後の混乱や、新興国の台頭による勢力図の変化がありました。
特に三十年戦争(1618〜1648)とスペイン継承戦争(1701〜1713)は、両王家の対立がヨーロッパ全体を巻き込む国際大戦へと発展した代表例です。
この記事では両家の勢力基盤から対立の構造、そして大戦争の展開と影響までを、入試頻出の観点から整理していきます。
第1章 ハプスブルク家とブルボン家の勢力基盤
まずは両王家がどのような勢力基盤を持ち、なぜ対立が避けられなかったのかを確認しておきましょう。
ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝位を独占し、スペインや新大陸の植民地をも手中に収めた一大王家でした。
一方ブルボン家はフランス絶対王政を確立し、ヨーロッパの覇権を狙う強国へと成長します。両者の拡大路線は必然的に衝突を生み出し、後の戦争の火種となったのです。
1. ハプスブルク家の拡大と神聖ローマ皇帝位
ハプスブルク家はオーストリアを本拠とし、政略結婚を武器に領土を広げました。
マクシミリアン1世以降、神聖ローマ皇帝位を独占し、さらにカール5世の時代にはスペイン王位も兼ねました。
広大な領土と新大陸植民地を手に入れたハプスブルク家は、ヨーロッパで「日の沈まぬ帝国」と呼ばれる強大な支配体制を築き上げます。
しかしこの膨張はフランスにとって深刻な脅威でした。
2. ブルボン家とフランス絶対王政の成立
16世紀末、ユグノー戦争を制したアンリ4世がフランス王となり、ブルボン朝を開きました。
ルイ13世・ルイ14世の時代には、リシュリューやマザランといった宰相の指導により絶対王政が確立。
軍事・経済力を背景に、フランスはヨーロッパ覇権を狙う強国へと成長します。ブルボン家の目標は、ハプスブルク家に挟まれた地政学的圧迫から脱し、領土を拡大することでした。
3. 両王家の対立構造
地理的にフランスは、東の神聖ローマ帝国と南のスペイン=ハプスブルク領に挟まれていました。
これが「ハプスブルク包囲網」と呼ばれる状況です。
ブルボン家はこれに対抗するため、宗派を超えて新教国と手を結びました。カトリックでありながらプロテスタントと同盟したフランスの外交姿勢は、宗教より国家利益を優先する「勢力均衡」の典型例です。
こうしてヨーロッパ政治は、両王家の抗争を軸に展開していきます。
入試で狙われるポイント
- ハプスブルク家=神聖ローマ皇帝位・スペイン王位を独占 → 「ハプスブルク包囲網」
- ブルボン家=フランス絶対王政を基盤に対抗
- 宗教対立よりも「勢力均衡外交」が本質
- 三十年戦争・スペイン継承戦争が代表的事例
- ハプスブルク家とブルボン家の対立が、17世紀から18世紀初頭のヨーロッパ政治にどのような影響を与えたかを200字程度で説明せよ。
-
ハプスブルク家とブルボン家の対立は、宗教戦争の枠を超えて国際的な勢力均衡を左右した。三十年戦争ではカトリックのフランスがプロテスタント諸国と連携し、神聖ローマ帝国の権威を弱体化させた。さらにスペイン継承戦争ではフランス王家の拡張を抑制するためにイギリス・オランダが介入し、ユトレヒト条約で「勢力均衡の原則」が国際秩序として確立した。この結果、近世ヨーロッパの外交は王家間の対立を超え、列強による均衡維持へと展開した。
第1章:ハプスブルク家とブルボン家の対立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1 ハプスブルク家が支配した神聖ローマ皇帝カール5世の治世下で領土は「〇〇〇〇〇帝国」と呼ばれた。
解答:日の沈まぬ帝国
問2 カール5世の後、スペインを相続したのは誰か。
解答:フェリペ2世
問3 ブルボン朝を開いたのは誰か。
解答:アンリ4世
問4 アンリ4世が発布した勅令は何か。
解答:ナントの勅令
問5 ルイ13世の宰相で、三十年戦争でハプスブルク家に対抗した人物は誰か。
解答:リシュリュー
問6 ハプスブルク家の勢力拡大を「包囲」と感じた国はどこか。
解答:フランス
問7 ルイ14世の時代、フランスの外交を指導した宰相は誰か。
解答:マザラン
問8 ハプスブルク家とブルボン家の対立が最も顕著に現れた戦争のひとつで、1618〜1648年に起きた戦争は何か。
解答:三十年戦争
問9 1701年に始まったハプスブルク家とブルボン家の大戦争は何か。
解答:スペイン継承戦争
問10 スペイン継承戦争を終結させた条約は何か。
解答:ユトレヒト条約
正誤問題(5問)
問1 ハプスブルク家は政略結婚を通じて領土を拡大した。
解答:正
問2 フランスのブルボン家は神聖ローマ皇帝位を独占した。
解答:誤(ハプスブルク家が独占)
問3 アンリ4世はユグノー戦争を終結させるためにアウクスブルクの和議を結んだ。
解答:誤(ナントの勅令)
問4 リシュリューはプロテスタント勢力と同盟してカトリックのハプスブルク家に対抗した。
解答:正
問5 スペイン継承戦争はブルボン家のフランスとハプスブルク家オーストリアを中心とした戦争である。
解答:正
第2章 三十年戦争と両王家の思惑
続いて、両王家の対立が最も激化した代表例の一つ、三十年戦争を見ていきましょう。
当初は神聖ローマ帝国内の宗教対立が原因でしたが、やがてハプスブルク家とブルボン家の覇権争いへと発展し、ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争へと変質しました。
その過程を整理すると、宗教戦争から国際戦争へと転換していく近世外交の特徴が理解できます。
1. 戦争勃発の背景
三十年戦争(1618〜1648)は、神聖ローマ帝国内の宗教対立が直接の引き金でした。
新教徒と旧教徒の対立はボヘミア反乱を契機に拡大しますが、次第にハプスブルク家とブルボン家の覇権争いへと変質します。
神聖ローマ皇帝フェルディナント2世(ハプスブルク家)はカトリックの再強化を目指し、これに対してフランス(ブルボン家)はカトリックでありながら新教国と連携して対抗しました。
宗派よりも国家利益が優先される転換点となったのです。
2. 戦争の4段階
- ボヘミア=プファルツ戦争期(1618〜25)
プラハ窓外投擲事件に始まり、カトリック軍が新教徒を圧倒。 - デンマーク戦争期(1625〜29)
デンマーク王クリスチャン4世が参戦するも敗北。 - スウェーデン戦争期(1630〜35)
スウェーデン王グスタフ=アドルフが参戦し新教徒側を優勢に導く。 - フランス戦争期(1635〜48)
フランスが直接参戦し、宗教戦争から国際戦争へと転化。
3. ウェストファリア条約と影響
1648年のウェストファリア条約は、三十年戦争を終結させると同時に国際秩序を大きく変えました。
- 神聖ローマ皇帝の権威低下、諸侯の独立性強化
- オランダ・スイスの独立承認
- フランス・スウェーデンの国際的地位上昇
宗派対立よりも「ハプスブルク抑止」が重視され、以後ヨーロッパ外交は「勢力均衡」を基盤とする近代的な国際関係へと移行しました。
入試で狙われるポイント
- 三十年戦争=「宗教戦争」から「国際戦争」へ変化
- ウェストファリア条約=主権国家体制の成立
- フランスがカトリックでありながら新教徒と同盟した点が頻出
- スウェーデン王グスタフ=アドルフの登場も重要事項
- 三十年戦争が「宗教戦争」から「国際戦争」へと変化した理由と、その歴史的意義を200字程度で説明せよ。
-
三十年戦争は当初ボヘミアでの宗教対立から始まったが、やがてハプスブルク家の覇権拡大に対抗する国際戦争へ転化した。スウェーデン王グスタフ=アドルフの介入、さらにフランスが新教国と同盟して参戦したことは、宗派よりも国家利益を優先する外交への転換を示す。1648年のウェストファリア条約は神聖ローマ皇帝の権威を低下させ、オランダ・スイス独立を承認し、主権国家体制を確立した。この戦争は近代国際秩序の出発点となった。
第2章:ハプスブルク家とブルボン家の対立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1 三十年戦争の発端となった1618年の事件は何か。
解答:プラハ窓外投擲事件
問2 三十年戦争第2段階で参戦した北欧の国はどこか。
解答:デンマーク
問3 デンマーク王として参戦したのは誰か。
解答:クリスチャン4世
問4 三十年戦争第3段階で参戦したスウェーデン王は誰か。
解答:グスタフ=アドルフ
問5 グスタフ=アドルフが戦死した戦いは何か。
解答:リュッツェンの戦い
問6 フランスが直接参戦したのは第何期か。
解答:第4期(フランス戦争期)
問7 三十年戦争を終結させた条約は何か。
解答:ウェストファリア条約
問8 ウェストファリア条約で独立が承認された2国はどこか。
解答:オランダ、スイス
問9 ウェストファリア条約で国際的地位を高めた国を2つ挙げよ。
解答:フランス、スウェーデン
問10 三十年戦争中の神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:フェルディナント2世
正誤問題(5問)
問1 三十年戦争は宗教改革後の新旧両派の対立から始まった。
解答:正
問2 グスタフ=アドルフはデンマーク王として参戦した。
解答:誤(スウェーデン王として参戦)
問3 フランスはハプスブルク家に対抗するため新教国と同盟した。
解答:正
問4 ウェストファリア条約で神聖ローマ皇帝の権威は強化された。
解答:誤(弱体化した)
問5 ウェストファリア条約は主権国家体制の成立を意味する。
解答:正
第3章 スペイン継承戦争と勢力均衡
三十年戦争後、ヨーロッパの国際秩序は「勢力均衡」を原則として動き始めました。
その中で新たに勃発した大規模な戦争がスペイン継承戦争(1701〜1713)です。ハプスブルク家の断絶をきっかけに、スペイン王位をめぐってブルボン家とハプスブルク家が争い、さらにイギリス・オランダなども介入する「ヨーロッパ全体戦争」となりました。
この戦争は、列強の思惑が複雑に絡み合った典型例であり、近世ヨーロッパ外交の転換点を理解するうえで欠かせません。
1. スペイン王位継承問題
1700年、スペイン=ハプスブルク家のカルロス2世が嗣子なく死去しました。
彼は遺言でフランス王ルイ14世の孫フィリップを後継者に指名します。
これによりスペイン王位はブルボン家に継承される見込みとなり、ハプスブルク家にとっては領土を失う危機でした。
もしフランスとスペインが同じブルボン家の支配下に入れば、ヨーロッパの勢力均衡は崩壊することは明白でした。
2. 列強の参戦と大規模戦争
この危機を防ぐため、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国などが同盟を結び、ブルボン家フランスに対抗しました。
こうして戦争はヨーロッパ全土に広がり、海上や植民地でも戦火が交えられました。
特にイギリスは、スペイン領アメリカやアジアの交易権を狙い、積極的に参戦しました。
スペイン継承戦争は単なる王位継承争いを超え、国際的な勢力均衡を守るための戦争となったのです。
3. ユトレヒト条約とその意義
1713年に結ばれたユトレヒト条約は、この戦争を終結させる画期的な条約でした。
- フィリップ5世(ブルボン家)がスペイン王位に即位することは承認された。
- ただしフランス王位との兼任は禁止され、「フランスとスペインの合併は行わない」と明記。
- イギリスはジブラルタル・ミノルカ島を獲得し、アシエント(黒人奴隷供給権)を得て海上覇権を強化。
- オーストリア・ハプスブルク家は南ネーデルラントやナポリ・ミラノなどを獲得し、領土を補償された。
この結果、ブルボン家のスペイン継承は認められつつも、「勢力均衡」が維持される形となりました。
ユトレヒト条約は、近代国際秩序の確立を象徴する条約として重要視されています。
入試で狙われるポイント
- スペイン継承戦争=ハプスブルク断絶による王位継承問題が発端
- フランスとスペインの「ブルボン家二重支配」が阻止された
- イギリスの海上覇権確立(ジブラルタル・アシエント)
- ユトレヒト条約=勢力均衡外交の確立
- スペイン継承戦争の原因とユトレヒト条約の歴史的意義を200字程度で説明せよ。
-
1700年、スペイン=ハプスブルク家が断絶すると、遺言でブルボン家フィリップが後継者に指名された。もしフランスとスペインが同じ王家の支配下に入れば、ヨーロッパの勢力均衡は崩壊するため、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国が戦争に介入し、スペイン継承戦争が勃発した。1713年のユトレヒト条約により、フィリップ5世のスペイン王位は認められたが、フランスとの合併は禁止された。これによりブルボン家支配と勢力均衡が両立され、イギリスは海上覇権を確立した。
第3章:ハプスブルク家とブルボン家の対立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1 スペイン継承戦争の発端となったスペイン王の死去は誰か。
解答:カルロス2世
問2 カルロス2世の遺言でスペイン王に指名されたのは誰か。
解答:フィリップ(ルイ14世の孫、後のフィリップ5世)
問3 スペイン継承戦争に反対して結成された同盟の中心国を2つ挙げよ。
解答:イギリス、オランダ
問4 イギリスがスペイン継承戦争で狙った利益は何か。
解答:海外交易権(特にアシエント)
問5 スペイン継承戦争を終結させた条約は何か。
解答:ユトレヒト条約
問6 ユトレヒト条約でブルボン家が得たのは何か。
解答:スペイン王位の継承(フィリップ5世の即位)
問7 ユトレヒト条約でブルボン家に課された制限は何か。
解答:フランスとスペインの王位兼任禁止
問8 ユトレヒト条約でイギリスが得た拠点を2つ挙げよ。
解答:ジブラルタル、ミノルカ島
問9 ユトレヒト条約でイギリスが得た奴隷供給権を何というか。
解答:アシエント
問10 ユトレヒト条約で南ネーデルラントを獲得したのはどの王家か。
解答:オーストリア・ハプスブルク家
正誤問題(5問:うち3問誤り)
問1 スペイン継承戦争はカルロス2世の後継問題から始まった。
解答:正
問2 フィリップ5世はフランス王位とスペイン王位を兼ねることが認められた。
解答:誤(兼任は禁止された)
問3 イギリスはユトレヒト条約でアシエントを獲得した。
解答:正
問4 オーストリア・ハプスブルク家はユトレヒト条約でポルトガルを獲得した。
解答:誤(南ネーデルラントやイタリアの一部を獲得)
問5 ユトレヒト条約は勢力均衡の原則を国際秩序に組み込んだ点で重要である。
解答:正
第4章 まとめ ― ハプスブルク家とブルボン家の対立の歴史的意義
ここまで見てきたように、ハプスブルク家とブルボン家の対立は単なる王家間の権力争いにとどまらず、ヨーロッパ国際政治の秩序を形づくる要因となりました。
三十年戦争とスペイン継承戦争はいずれも「宗教戦争の時代」から「勢力均衡外交の時代」への転換を示しており、この流れを理解することは大学受験において極めて重要です。
1. 対立の本質
両家の対立は「宗派の違い」よりも「領土と覇権の衝突」に根ざしていました。
フランスはカトリックでありながらプロテスタントと同盟し、国家利益を優先しました。
このことは近代国際関係におけるリアリズム的外交の萌芽といえます。
2. 国際秩序への影響
三十年戦争のウェストファリア条約では、神聖ローマ帝国の権威が低下し、諸侯・新興国の独立が承認されました。
スペイン継承戦争のユトレヒト条約では、ブルボン家スペインの成立が認められつつも「勢力均衡」の原則が確立され、イギリスが海上覇権を確立しました。
これらの流れは、後の七年戦争やナポレオン戦争につながる国際秩序の前提を築きました。
3. 入試での重要性
受験においては「宗教戦争から国際戦争へ」「勢力均衡の原則の成立」「イギリスの海上覇権」という3つの観点が頻出です。
王家名(ハプスブルク・ブルボン)、戦争名(三十年戦争・スペイン継承戦争)、条約名(ウェストファリア条約・ユトレヒト条約)は必ずセットで整理しましょう。
入試で狙われるポイント
- 両家対立は「宗派」より「覇権争い」が本質
- ウェストファリア条約=主権国家体制の成立
- ユトレヒト条約=勢力均衡の原則確立
- イギリスが台頭 → 18世紀以降の国際政治の中心へ
- ハプスブルク家とブルボン家の対立が、近世ヨーロッパの国際秩序に果たした歴史的意義を200字程度で説明せよ。
-
ハプスブルク家とブルボン家の対立は、ヨーロッパの宗教戦争を国際戦争へと転化させ、勢力均衡外交の原則を確立する契機となった。三十年戦争のウェストファリア条約は神聖ローマ皇帝の権威を低下させ、諸侯・新興国の独立を承認し、主権国家体制を生み出した。さらにスペイン継承戦争のユトレヒト条約では、ブルボン家スペインの成立を認めつつ、フランスとの合併を禁止することで勢力均衡を維持した。これによりイギリスは海上覇権を確立し、近代的な国際秩序の基盤が形成された。
第4章:ハプスブルク家とブルボン家の対立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1 ハプスブルク家が拠点とした地域はどこか。
解答:オーストリア
問2 ブルボン家が開いた王朝は何か。
解答:フランス・ブルボン朝
問3 三十年戦争を終結させた条約は何か。
解答:ウェストファリア条約
問4 ウェストファリア条約で独立が承認された国を2つ挙げよ。
解答:オランダ、スイス
問5 スペイン継承戦争を終結させた条約は何か。
解答:ユトレヒト条約
問6 ユトレヒト条約でイギリスが獲得した重要な港はどこか。
解答:ジブラルタル
問7 ハプスブルク家とブルボン家の対立が宗派を超えた要因は何か。
解答:国家利益の優先
問8 ハプスブルク家のスペイン系が断絶したのは何年か。
解答:1700年
問9 フランス王ルイ14世の孫でスペイン王に即位したのは誰か。
解答:フィリップ5世
問10 両家の対立の結果、18世紀以降に台頭した国はどこか。
解答:イギリス
正誤問題(5問)
問1 ハプスブルク家とブルボン家の対立は宗派対立を本質とした。
解答:誤(本質は覇権争い)
問2 ウェストファリア条約は主権国家体制の出発点とされる。
解答:正
問3 ユトレヒト条約ではフランスとスペインの王位兼任が認められた。
解答:誤(禁止された)
問4 スペイン継承戦争でイギリスは海上覇権を強化した。
解答:正
問5 両家の対立は18世紀の七年戦争やナポレオン戦争にも影響を与えた。
解答:正
年表で整理するハプスブルク家とブルボン家の対立
年代 | 出来事 | ポイント |
---|---|---|
1493年 | マクシミリアン1世即位 | ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を独占し始める |
1519年 | カール5世即位 | スペイン王位と皇帝位を兼ね、「日の沈まぬ帝国」誕生 |
1589年 | アンリ4世即位 | ブルボン朝成立(フランス) |
1598年 | ナントの勅令 | 宗教戦争を収束させたアンリ4世の政策 |
1618年 | プラハ窓外投擲事件 | 三十年戦争勃発(宗教対立が発端) |
1648年 | ウェストファリア条約 | 三十年戦争終結、主権国家体制成立 |
1700年 | カルロス2世死去 | スペイン=ハプスブルク家断絶 |
1701年 | スペイン継承戦争勃発 | フランスとスペインのブルボン家二重支配をめぐる争い |
1713年 | ユトレヒト条約 | 戦争終結、勢力均衡とイギリスの海上覇権確立 |
勢力図のフローチャートで整理
【16世紀前半】
ハプスブルク家(神聖ローマ・スペイン)
↓ 包囲
フランス(ブルボン家)
【三十年戦争(1618-1648)】
宗教対立(新旧両派)
↓ 発展
ハプスブルク家(皇帝・カトリック)
VS
ブルボン家(フランス・カトリックだが新教国と同盟)
↓
ウェストファリア条約=主権国家体制成立
【スペイン継承戦争(1701-1713)】
スペイン=ハプスブルク断絶
↓
ブルボン家フィリップ5世が即位
↓
フランス+スペインの二重支配の危機
VS
イギリス・オランダ・オーストリア
↓
ユトレヒト条約=勢力均衡維持・イギリス海上覇権確立
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