【受験世界史】十字軍国家の成立と衰退を徹底解説|エルサレム王国からアッコン陥落まで

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十字軍国家とは、11世紀末から13世紀末にかけて中東に建設されたラテン系の小国家群を指します。

第一次十字軍の遠征によってエルサレムを奪取した後、ヨーロッパの騎士や領主たちは聖地に拠点を築き、エルサレム王国を中心にアンティオキア公国、トリポリ伯国、エデッサ伯国といった国家を形成しました。

これらは「ラテン帝国」と並んで中世西欧世界の対外活動の象徴ですが、ムスリム勢力の反撃や内部の脆弱性によって短命に終わります。

大学受験では、十字軍の遠因・近因だけでなく、成立した国家群とその衰退過程、さらに歴史的意義が頻出テーマです。

本記事では、エルサレム王国の成立から、最終的にアッコン陥落によって十字軍国家が消滅するまでを整理し、入試に狙われるポイントを押さえていきます。

目次

第1章 十字軍国家の成立とエルサレム王国の建設

十字軍国家の成立は、第一次十字軍の成功に直結しています。

ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけから始まった遠征は、偶然の連続とイスラーム世界の分裂に支えられて予想外の勝利を収めました。

その成果として中東に誕生したのが「十字軍国家」と呼ばれる一群の領国です。

とりわけエルサレム王国は十字軍国家の中心的存在であり、その成り立ちを理解することが世界史学習の出発点となります。

1. 第一次十字軍と聖地奪回

1095年のクレルモン公会議でウルバヌス2世が聖地解放を呼びかけ、翌年以降、数万の騎士・農民が中東へ進軍しました。

セルジューク朝が小アジアやシリアを支配していたものの、ムスリム側は内紛状態であり、十字軍はアンティオキアを経て1099年にエルサレムを攻略。

血の海とも呼ばれる虐殺を伴う奪取ののち、聖墳墓教会を掌握し、聖地奪回を果たしました。

2. エルサレム王国の建設

奪回後、指導者ゴドフロワ=ド=ブイヨンは「聖墓守護者」として即位を辞退しましたが、その弟ボードゥアン1世が1100年にエルサレム王に即位しました。

これによりエルサレム王国が正式に建国されます。国王は領主たちに封土を分け与え、ヨーロッパ的封建制を中東に持ち込みましたが、人口基盤が乏しく、防衛には常に苦労しました。

3. 周辺に建設された諸国家

エルサレム王国のほか、北部にアンティオキア公国、内陸にエデッサ伯国、レバノン沿岸にトリポリ伯国が建設され、これらを総称して「十字軍国家」と呼びます。

いずれもヨーロッパの騎士や領主が支配し、カトリック教会と修道会の支援を受けつつ運営されました。

4. 脆弱性と課題

しかし、これらの国家は遠隔地支配のため補給線が細く、地元の住民であるギリシア正教徒やムスリムとの関係も不安定でした。

聖地巡礼の防衛や通商路の確保が主目的であったため、国家基盤としては脆弱で、ムスリム勢力が再統合するにつれて防衛は困難になっていきます。

入試で狙われるポイント

  • 第一次十字軍によるエルサレム奪回(1099年)とその結果の国家群
  • エルサレム王国の建国(1100年、ボードゥアン1世)
  • 主要な十字軍国家(アンティオキア公国・エデッサ伯国・トリポリ伯国)
  • 「十字軍国家」の脆弱性と短命性の要因

重要論述問題にチャレンジ

第一次十字軍の成功要因と、エルサレム王国の建国が抱えた脆弱性について200字程度で説明せよ。

第一次十字軍が成功した背景には、教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた西欧の宗教的熱狂、セルジューク朝内部の分裂、また予想外の軍事的幸運があった。1099年にエルサレムを奪取し、1100年にボードゥアン1世が即位してエルサレム王国が成立したが、その基盤は脆弱であった。ヨーロッパから遠隔地にあるため補給線が弱く、現地住民の多数を占めるムスリムやギリシア正教徒との対立を抱え、また人口も少なく防衛力に乏しかったことが衰退の要因となった。

一問一答と正誤問題に挑戦しよう!

第1章: 十字軍国家の成立と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
第一次十字軍を提唱した教皇は誰か。

解答:ウルバヌス2世

問2
第一次十字軍が出発する契機となった会議を何というか。

解答:クレルモン公会議

問3
第一次十字軍がエルサレムを奪回したのは西暦何年か。

解答:1099年

問4
エルサレム王国初代国王となったのは誰か。

解答:ボードゥアン1世

問5
ボードゥアン1世の兄で、「聖墳墓の守護者」と称された人物は誰か。

解答:ゴドフロワ=ド=ブイヨン

問6
十字軍国家のうち、シリア北部に建国されたものを答えよ。

解答:アンティオキア公国

問7
十字軍国家のうち、最初にムスリムに奪われたのはどこか。

解答:エデッサ伯国

問8
十字軍国家のうち、レバノン沿岸に成立したものは何か。

解答:トリポリ伯国

問9
エルサレム王国はどのような制度を現地に持ち込んだか。

解答:西欧的封建制

問10
十字軍国家が脆弱だった最大の理由は何か。

解答:遠隔地で補給線が弱く、人口・防衛力に乏しかったから

正誤問題(5問)

問1
第一次十字軍は、セルジューク朝の統一と強力な防衛体制を突破して聖地を奪回した。

解答:誤り(セルジューク朝は分裂しており、それが十字軍の成功要因となった)

問2
ゴドフロワ=ド=ブイヨンは「聖墳墓の守護者」と称し、エルサレム王位を辞退した。

解答:正しい

問3
エルサレム王国は1100年に成立し、初代国王はボードゥアン1世である。

解答:正しい

問4
十字軍国家の中で最初に滅んだのはアンティオキア公国である。

解答:誤り(最初に滅んだのはエデッサ伯国)

問5
十字軍国家は補給線の安定と人口基盤の厚さにより、中世西欧で最も安定した国家群となった。

解答:誤り(補給線は不安定で人口も乏しく、むしろ脆弱だった)

第2章 ムスリム勢力の反撃と十字軍国家の衰退

十字軍国家は建国当初こそ勢いを見せましたが、すぐに大きな試練に直面しました。

セルジューク朝の衰退後、イスラーム世界は一時分裂していましたが、やがて新たな指導者のもとに再統合が進みます。

その代表的人物がサラディンであり、彼の登場によって十字軍国家は決定的な打撃を受けました。

十字軍国家の衰退過程を理解するうえで、サラディンとヒッティーンの戦いは必ず押さえるべき重要ポイントです。

1. エデッサ伯国の陥落と第2回十字軍

十字軍国家の中でも北方に位置するエデッサ伯国は防衛が難しく、1144年にザンギーによって攻略されました。

これにより第2回十字軍(1147〜1149年)が編成されますが、フランス王ルイ7世と神聖ローマ皇帝コンラート3世が参加したにもかかわらず、戦果は乏しく失敗に終わりました。

この時点で十字軍国家の脆さが明確になり、ヨーロッパ側の熱意も徐々に衰え始めます。

2. サラディンの台頭とヒッティーンの戦い

12世紀後半、アイユーブ朝を建国したサラディンがシリア・エジプトを統合し、ムスリム勢力を結集させました。

1187年、ヒッティーンの戦いで十字軍軍勢を壊滅させ、続いてエルサレムを奪回します。この出来事は十字軍国家にとって致命的な打撃であり、以後は沿岸都市を細々と維持するのみとなりました。

3. 第3回十字軍の挫折

エルサレム奪回に衝撃を受けたヨーロッパでは、第3回十字軍(1189〜1192年)が組織され、イギリス王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世らが参戦しました。

しかし皇帝は途上で溺死し、フランス王は途中で撤退。唯一奮戦したリチャード1世も結局エルサレムを奪還できず、サラディンとの和約によってキリスト教徒の巡礼権のみが保証されるにとどまりました。

4. 衰退の決定打へ

サラディンの時代以降、十字軍国家は海岸線の数都市を保持するに過ぎなくなりました。

商業都市ヴェネツィアやジェノヴァの支援で経済活動は続いたものの、領土縮小と人口減少は避けられず、もはや「国家」と呼ぶには形骸化していきました。

入試で狙われるポイント

  • エデッサ伯国陥落(1144年)と第2回十字軍の失敗
  • サラディンとアイユーブ朝の成立
  • 1187年ヒッティーンの戦いとエルサレム奪回
  • 第3回十字軍とリチャード1世の奮闘、成果は巡礼権の保証のみ

重要論述問題にチャレンジ

サラディンが十字軍国家に与えた影響について、エルサレム奪回の意義とその後のヨーロッパ側の対応を200字程度で説明せよ。

アイユーブ朝を建てたサラディンは、シリアとエジプトを統合してムスリム勢力を結集し、1187年ヒッティーンの戦いで十字軍を破った。その後エルサレムを奪回し、十字軍国家の支配を根底から揺るがした。これに対してヨーロッパではリチャード1世らの第3回十字軍が組織され、部分的な成功はあったものの、聖地奪還は果たせなかった。サラディンの勝利は十字軍国家の衰退を決定づけ、西欧に挫折感を残した。

一問一答と正誤問題に挑戦しよう!

第2章: 十字軍国家の成立と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1144年にムスリムのザンギーによって陥落した十字軍国家はどこか。

解答:エデッサ伯国

問2
エデッサ伯国の陥落を契機に始まった十字軍を何というか。

解答:第2回十字軍

問3
第2回十字軍に参加したフランス王は誰か。

解答:ルイ7世

問4
第2回十字軍に参加した神聖ローマ皇帝は誰か。

解答:コンラート3世

問5
アイユーブ朝を建国した人物は誰か。

解答:サラディン

問6
1187年、十字軍が大敗した戦いを何というか。

解答:ヒッティーンの戦い

問7
ヒッティーンの戦いの後、ムスリム側に奪われた重要都市はどこか。

解答:エルサレム

問8
第3回十字軍に参加したイギリス王は誰か。

解答:リチャード1世

問9
第3回十字軍に参加したフランス王は誰か。

解答:フィリップ2世

問10
第3回十字軍の結果、キリスト教徒に認められた権利は何か。

解答:聖地巡礼権

正誤問題(5問)

問1
第2回十字軍はエジプト遠征で成功を収め、エルサレム王国を強化した。

解答:誤り(第2回十字軍は失敗に終わり、成果を残さなかった)

問2
サラディンはシリアとエジプトを統合し、アイユーブ朝を建国した。

解答:正しい

問3
1187年、ヒッティーンの戦いで十字軍軍勢はサラディンに大敗した。

解答:正しい

問4
第3回十字軍で神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はアッコン攻略に大きな戦功を立てた。

解答:誤り(遠征途上で溺死し、戦果を残せなかった)

問5
第3回十字軍の結果、エルサレムはキリスト教徒の支配下に戻った。

解答:誤り(奪還には失敗し、巡礼権の保証にとどまった)

第3章 第4回十字軍とラテン帝国の成立

十字軍国家の衰退を決定づけた要因の一つに、第4回十字軍の逸脱があります。

本来はエジプト遠征を目指していたにもかかわらず、十字軍はコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ帝国を一時的に崩壊させました。

ここから成立したのがラテン帝国であり、十字軍本来の目的から大きく逸脱した事件として歴史に刻まれています。

この出来事は十字軍国家の再建どころか、東西キリスト教の分裂を深め、中東における十字軍の立場をさらに弱体化させる結果となりました。

1. 第4回十字軍の経緯

1202年、教皇インノケンティウス3世の主導で編成された第4回十字軍は、当初エジプト攻略を目標に掲げました。

しかし、資金不足からヴェネツィア商人に依存することになり、その見返りとしてザラ(現在のクロアチア・ザダル)を攻略。

さらにビザンツ帝国内の皇位争いに介入する形で進軍が 逸脱していきます。

2. コンスタンティノープルの占領

1204年、十字軍はついにコンスタンティノープルを占領。

略奪の嵐が吹き荒れ、ビザンツ帝国は崩壊しました。

この結果、バルカン半島にラテン帝国が建国され、以後57年間(1204〜1261年)存続します。

3. ラテン帝国と東方問題

ラテン帝国の成立は、ビザンツ帝国の正統後継国家(ニカイア帝国・トレビゾンド帝国・エピロス専制公国)との対立を招き、東方正教圏の分裂をさらに深めました。

1261年にはニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国が復活しますが、もはや往年の力はなく、西欧と東方正教世界の断絶は決定的となりました。

4. 十字軍国家への影響

第4回十字軍が聖地奪回という本来の目的から逸れたことにより、エルサレム王国をはじめとする十字軍国家への支援は事実上断絶。以後、ヨーロッパからの大規模遠征は衰退し、十字軍国家は孤立を深めることになりました。

入試で狙われるポイント

  • 第4回十字軍(1202〜1204年)の逸脱とヴェネツィアの関与
  • コンスタンティノープル占領(1204年)とラテン帝国成立
  • ビザンツ帝国の一時的崩壊と1261年の復活
  • 十字軍本来の目的からの逸脱と東西教会分裂の決定的深化

重要論述問題にチャレンジ

第4回十字軍が本来の目的から逸脱した経緯と、その結果ヨーロッパとビザンツ帝国・東方正教世界に及ぼした影響について200字程度で説明せよ。

第4回十字軍(1202〜1204年)は当初エジプト遠征を目的としていたが、資金難からヴェネツィアに依存し、ザラ攻略を経てビザンツ帝国の皇位争いに介入した。1204年にはコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国を建国したが、ビザンツ帝国は一時崩壊し、東西教会の分裂は決定的となった。これにより十字軍は聖地奪回の本来目的から逸脱し、十字軍国家への支援は弱体化して孤立を深めた。

一問一答と正誤問題に挑戦しよう!

第3章: 十字軍国家の成立と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
第4回十字軍を提唱した教皇は誰か。

解答:インノケンティウス3世

問2
第4回十字軍が出発したのは西暦何年か。

解答:1202年

問3
第4回十字軍は当初どこを目標にしていたか。

解答:エジプト

問4
第4回十字軍がまず攻略した、アドリア海沿岸の都市はどこか。

解答:ザラ(ザダル)

問5
第4回十字軍が介入した帝国はどこか。

解答:ビザンツ帝国

問6
第4回十字軍が占領した都市はどこか。

解答:コンスタンティノープル

問7
コンスタンティノープル占領によって建国された国家は何か。

解答:ラテン帝国

問8
ラテン帝国が存続した期間はいつからいつまでか。

解答:1204年〜1261年

問9
1261年、ラテン帝国を滅ぼしビザンツ帝国を復活させた勢力は何か。

解答:ニカイア帝国

問10
第4回十字軍の逸脱がもたらした最大の歴史的結果は何か。

解答:東西教会分裂の決定的深化、十字軍国家の孤立化

正誤問題(5問)

問1
第4回十字軍はエルサレム奪回を実現し、聖地支配を回復した。

解答:誤り(コンスタンティノープルを占領し、聖地奪回は達成されなかった)

問2
第4回十字軍ではヴェネツィア商人が大きな影響力を持っていた。

解答:正しい

問3
1204年のコンスタンティノープル占領によってラテン帝国が建国された。

解答:正しい

問4
ラテン帝国は14世紀まで続き、バルカン半島の覇権を握った。

解答:誤り(存続は1204〜1261年のみ、バルカンの覇権も握れなかった)

問5
1261年、トレビゾンド帝国がコンスタンティノープルを奪回してビザンツ帝国を再建した。

解答:誤り(奪回したのはニカイア帝国)

第4章 アッコン陥落と十字軍国家の終焉

第4回十字軍の逸脱以降、十字軍国家は沿岸都市をかろうじて保持するのみとなり、エルサレム王国の実態はすでに失われていました。

13世紀にはモンゴル帝国の西方進出やマムルーク朝の台頭など、イスラーム世界の情勢も大きく変動し、十字軍国家はますます孤立していきます。

その最終章を飾るのが、アッコンの陥落(1291年)であり、これをもって約200年に及んだ十字軍国家の歴史は終わりを迎えました。

1. ルイ9世の遠征と失敗

フランス王ルイ9世(聖ルイ)は第7回・第8回十字軍を主導し、かつての十字軍の栄光を取り戻そうとしました。

しかし、第7回十字軍(1248〜1254年)ではエジプト遠征に失敗し、捕虜となる屈辱を味わいます。さらに第8回十字軍(1270年)ではチュニスで疫病に倒れ、成果を上げることはできませんでした。

これにより、西欧諸国の十字軍熱は完全に冷え込みました。

2. マムルーク朝の攻勢

13世紀半ばに成立したマムルーク朝は、強力な軍事力を背景に次々と十字軍国家の拠点を攻略しました。

バイバルスの治世下ではアンティオキア公国が陥落し、トリポリ伯国も滅亡。残された最後の要塞都市がアッコンでした。

3. アッコンの陥落(1291年)

1291年、マムルーク朝のスルタン・カラウーンの後継者ハリールによって、十字軍最後の拠点アッコンが包囲・陥落しました。

これにより、聖地におけるラテン人の国家は完全に消滅。十字軍国家は歴史から姿を消すことになります。

4. 十字軍国家の歴史的意義

十字軍国家は短命に終わりましたが、いくつかの歴史的意義を残しました。

  • 地中海商業圏を拡大し、イタリア商人(ヴェネツィア・ジェノヴァ)が台頭
  • 東西文化交流を促進し、シルクロードや香辛料貿易への関心を高める
  • 西欧の国際関係に「遠征」という概念を定着させた

こうした影響は、その後の大航海時代や商業資本主義の発展へとつながっていきます。

入試で狙われるポイント

  • ルイ9世の遠征(第7・第8回十字軍)の失敗
  • マムルーク朝のバイバルスによる攻勢
  • 1291年アッコン陥落=十字軍国家の終焉
  • 十字軍国家の歴史的意義(商業圏拡大・文化交流・大航海時代への布石)

重要論述問題にチャレンジ

アッコン陥落による十字軍国家の終焉の背景と歴史的意義について、200字程度で説明せよ。

13世紀半ば以降、マムルーク朝が台頭し、バイバルスはアンティオキア公国やトリポリ伯国を次々と攻略した。最後に残った十字軍国家の拠点アッコンも1291年にカラウーンの後継者ハリールによって陥落し、十字軍国家は消滅した。短命な国家群ではあったが、東西交流を活発化させ、地中海商業圏を拡大し、イタリア商人の活動を促進した。また香辛料貿易やシルクロードへの関心を高め、大航海時代の遠因となるなど歴史的意義を残した。

第4章: 十字軍国家の成立と衰退 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
第7回十字軍を主導したフランス王は誰か。

解答:ルイ9世(聖ルイ)

問2
第7回十字軍の遠征先はどこか。

解答:エジプト

問3
第8回十字軍でルイ9世が遠征した場所はどこか。

解答:チュニス

問4
第7回十字軍でルイ9世が直面した結果は何か。

解答:エジプト遠征の失敗と捕虜化

問5
第8回十字軍でルイ9世が没した原因は何か。

解答:チュニスでの疫病

問6
13世紀半ばに成立し、強力な軍事力を誇ったイスラーム王朝は何か。

解答:マムルーク朝

問7
マムルーク朝のスルタンで、アンティオキア公国を攻略したのは誰か。

解答:バイバルス

問8
十字軍最後の拠点都市アッコンが陥落したのは西暦何年か。

解答:1291年

問9
アッコンを陥落させたマムルーク朝のスルタンは誰か。

解答:ハリール(カラウーンの後継者)

問10
十字軍国家が残した歴史的意義を一つ挙げよ。

解答:東西交流の促進/イタリア商人の台頭/大航海時代への布石(いずれかで可)

正誤問題(5問)

問1
第7回十字軍はエジプト遠征で成功し、エルサレムを奪回した。

解答:誤り(エジプト遠征は失敗し、ルイ9世は捕虜となった)

問2
ルイ9世は第8回十字軍でチュニス遠征を行ったが、疫病で没した。

解答:正しい

問3
マムルーク朝はモンゴル軍との戦いに勝利し、シリア支配を確立した。

解答:正しい

問4
十字軍国家最後の拠点アッコンは、1281年にオスマン帝国によって陥落した。

解答:誤り(1291年、マムルーク朝のハリールによって陥落)

問5
アッコン陥落後もトリポリ伯国は存続し、十字軍国家は細々と命脈を保った。

解答:誤り(すでにトリポリ伯国はバイバルスにより滅亡していた)

十字軍国家のまとめ

十字軍国家は、第一次十字軍の成功によって建国されたものの、エデッサ伯国陥落やサラディンの反撃、第4回十字軍の逸脱といった出来事を経て次第に弱体化し、1291年のアッコン陥落をもって消滅しました。

短命で脆弱な存在ではありましたが、地中海世界の交流やヨーロッパ史の展開に大きな足跡を残し、後世に大きな影響を与えました。

入試では「建国(1099〜1100年)」「サラディンのエルサレム奪回(1187年)」「アッコン陥落(1291年)」の年号を軸に流れを整理しておくとよいでしょう。

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