大航海時代の探検家たちは、ヨーロッパの視野を地球規模に広げ、世界史の流れを大きく変えました。
その中でも特に象徴的なのが、マゼラン艦隊による「世界周航」です。
マゼラン本人はフィリピンで命を落としましたが、彼の艦隊はついに地球を一周し、人類が初めて「地球が丸い」ことを実証した歴史的な航海を成し遂げました。
本記事では、マゼランの生涯と航海の背景、航路の詳細、そしてその意義について大学受験世界史の視点から整理していきます。
第1章 マゼランと世界周航の背景
マゼランの世界周航は、単なる冒険談ではありません。
その背後には大航海時代を推進した国家間の競争、特にスペインとポルトガルによる香辛料貿易をめぐる激しい争いが存在しました。
ここでは、マゼランがなぜ世界一周に挑んだのか、その背景を探ります。
1. ポルトガルの出身とスペインへの仕官
マゼラン(1480頃〜1521)はポルトガル生まれの航海者でした。
当初はポルトガル王に仕えてインド航路などで経験を積みましたが、待遇や評価に不満を抱き、最終的にスペインに仕官します。
この経歴は、当時の大航海時代における人材の流動性を象徴しています。
2. トルデシリャス条約と勢力圏問題
1494年のトルデシリャス条約で、スペインとポルトガルは地球を分割しました。
しかし「地球の反対側でどこが境界になるか」という点は未解決でした。
特に香辛料の産地モルッカ諸島(現在のインドネシア)がどちらに属するのかが大問題となり、マゼランの航海はこの解決を目的とするものでもありました。
3. 世界周航計画の立案
マゼランは「西回りでモルッカ諸島へ到達できる」と主張し、スペイン王カルロス1世(のち神聖ローマ皇帝カール5世)の支持を得ました。
こうして1519年、壮大な世界周航の航海がスタートするのです。
入試で狙われるポイント
- マゼランがポルトガル出身でスペインに仕官した点は頻出。
- 航海の背景にはトルデシリャス条約による勢力分割問題がある。
- 世界周航の直接的目的は「モルッカ諸島のスペイン領有の正当性証明」である。
- マゼランの世界周航が持つ歴史的意義について、トルデシリャス条約との関係を踏まえて200字程度で説明せよ。
-
マゼランの世界周航は、人類史上初めて地球を一周し、「地球は丸い」という事実を実証した点で画期的であった。さらにこの航海は、トルデシリャス条約で分割された勢力圏が地球の裏側でどのように適用されるのかを明らかにする目的を持ち、特にモルッカ諸島をめぐるスペインとポルトガルの対立に直結していた。その結果、航海は地理的発見であると同時に、国際政治上の大きな意味を持った。
第1章:マゼランと世界周航 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
マゼランはどの国の出身か。
解答:ポルトガル
問2
マゼランが仕えたのは最終的にどの国か。
解答:スペイン
問3
マゼランの航海を支持したスペイン王は誰か。
解答:カルロス1世(カール5世)
問4
トルデシリャス条約は何年に結ばれたか。
解答:1494年
問5
トルデシリャス条約で分割されたのは何か。
解答:新大陸や航路における勢力圏
問6
モルッカ諸島は何の産地として重要だったか。
解答:香辛料(特に丁子・ナツメグ)
問7
マゼランの航海は何年に出発したか。
解答:1519年
問8
マゼランの航海の直接的な目的は何か。
解答:モルッカ諸島のスペイン領有を証明すること
問9
マゼランの航海で最初に出発した港はどこか。
解答:セビリア
問10
マゼランの航海を可能にした科学的要素は何か。
解答:地球球体説の普及と航海技術の進歩
正誤問題(5問)
問1
マゼランはスペイン生まれで、最初からスペインに仕えた。
解答:誤(ポルトガル生まれ → のちスペインに仕官)
問2
トルデシリャス条約は、教皇の仲介によって締結された。
解答:正
問3
モルッカ諸島は当時、銀鉱山として重要であった。
解答:誤(香辛料の産地)
問4
マゼランは航海中にフィリピンで死亡した。
解答:正
問5
マゼラン艦隊が世界周航を達成したのは1522年である。
解答:正
第2章 マゼラン艦隊の航路と航海の実際
マゼラン艦隊は1519年にスペインを出発し、大西洋から南米を経て太平洋へ、そしてフィリピンを経由してインド洋を回り込む壮大な航路をたどりました。
航海の途中では、想像を絶する困難や悲劇が艦隊を襲い、最終的に出発した5隻のうち帰還できたのはわずか1隻にすぎません。
この章では、航路の具体的な流れと主要な出来事を整理していきます。
1. 出発から南米へ
1519年、セビリアを出発したマゼラン艦隊は5隻約270人の乗組員を抱えていました。
艦隊は大西洋を南下し、南米大陸を西へ突破するルートを探索しました。
2. マゼラン海峡の発見
1520年、南米大陸南端でついに太平洋への抜け道を発見します。
後に「マゼラン海峡」と呼ばれるこの海峡は、嵐や寒冷な気候で非常に過酷な環境でしたが、ここを突破したことで艦隊は新たな大洋に出ることができました。
3. 太平洋横断の困難
「太平洋」という名前はマゼランが「穏やかな海」と名付けたことに由来しますが、実際には食料不足や病気が乗組員を苦しめました。
3か月以上陸地に寄港できず、壊血病によって命を落とす者も続出しました。
4. フィリピンでの死
1521年、艦隊はフィリピンに到達。
マゼランは現地の部族間の戦いに介入し、マクタン島の戦いで戦死しました。
指導者を失った艦隊は混乱に陥りますが、残された乗組員たちが航海を続けました。
5. 帰還と世界周航の達成
最終的に、指揮を引き継いだエルカーノが艦隊を率い、1522年に「ヴィクトリア号」ただ1隻がスペインに帰還しました。
乗組員は出発時の約270人からわずか18人に減っていましたが、人類初の世界一周が成し遂げられたのです。
入試で狙われるポイント
- マゼラン海峡の発見(1520年)は重要暗記事項。
- 「太平洋」の命名はマゼラン本人。
- マゼランが戦死したのはフィリピンのマクタン島。
- 世界周航を完成させたのはマゼランではなくエルカーノ。
- マゼラン艦隊の航海の過程で直面した困難と、その歴史的意義について200字程度で述べよ。
-
マゼラン艦隊は南米大陸南端の海峡を突破し太平洋を横断する途上で、飢餓や壊血病などの困難に直面した。また、マゼラン自身はフィリピンで戦死し、指揮官を失う危機に陥った。それでもエルカーノが航海を続け、スペインに帰還したことで人類初の世界周航が達成された。この航海は、地球の球体性を実証すると同時に、ヨーロッパ世界が真にグローバルな時代へ突入する契機となった。
第2章:マゼランと世界周航 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
マゼラン艦隊が出発したのは西暦何年か。
解答:1519年
問2
艦隊は出発時、何隻・何人で構成されていたか。
解答:5隻・約270人
問3
マゼラン海峡を発見したのは何年か。
解答:1520年
問4
「太平洋」と命名したのは誰か。
解答:マゼラン
問5
太平洋横断の際、乗組員を苦しめた代表的な病気は何か。
解答:壊血病
問6
マゼランが戦死した場所はどこか。
解答:フィリピン・マクタン島
問7
マゼランが戦死した年はいつか。
解答:1521年
問8
マゼラン艦隊を最終的にスペインへ帰還させた人物は誰か。
解答:エルカーノ
問9
スペインに帰還した艦は何という船か。
解答:ヴィクトリア号
問10
世界周航を成し遂げた年はいつか。
解答:1522年
正誤問題(5問)
問1
マゼラン海峡はアフリカ大陸南端にある。
解答:誤(南米大陸南端)
問2
「太平洋」という名称は、マゼランが航海中に名付けた。
解答:正
問3
マゼランはインド洋で戦死した。
解答:誤(フィリピンのマクタン島)
問4
世界周航を果たしたのはエルカーノである。
解答:正
問5
帰還したヴィクトリア号は唯一の生存船であった。
解答:正
第3章 航海の結果と歴史的意義
マゼラン艦隊の世界周航は、多くの犠牲を伴いながらも人類史上初めて「地球一周」を成し遂げた偉業でした。
この航海は単なる地理的発見にとどまらず、世界史の流れを大きく変える転換点となりました。
ここでは、航海の成果とその意義を受験世界史の観点から整理します。
1. 地球球体説の実証
マゼラン艦隊が世界一周を成し遂げたことで、地球が球体であることが実証されました。
これは中世以来の地理的世界観を大きく塗り替え、人類の認識を拡大させました。
2. 香辛料貿易とスペインの利権
艦隊が目指したモルッカ諸島は、依然としてスペインとポルトガルの間で領有をめぐる争いの対象でした。
結果的にスペインは一時的に権益を主張しましたが、後にサラゴサ条約(1529年)でポルトガルに譲歩することになります。
3. 世界的なネットワークの形成
世界周航は、ヨーロッパ・アジア・アメリカ・アフリカを結ぶ「地球規模の交易ネットワーク」形成を促進しました。
以降、銀の流入や香辛料貿易、さらに植民地化が加速し、近代世界システムの基盤が築かれていきます。
4. 大航海時代のクライマックス
コロンブスの新大陸到達、ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路発見と並び、マゼランの世界周航は「大航海時代の到達点」とされます。
地理的発見の段階が一つの区切りを迎えたことで、次の時代は植民地支配と商業資本主義の発展へと進んでいきました。
入試で狙われるポイント
- 世界周航の達成年(1522年)は要暗記。
- 世界周航を完成させたのはエルカーノであり、マゼランではない。
- サラゴサ条約(1529年)は、モルッカ諸島をポルトガル領とした。
- 世界周航は「大航海時代の到達点」であり、近代世界システムの幕開けに直結する。
- マゼラン艦隊の世界周航が大航海時代にもたらした意義について、200字程度で説明せよ。
-
マゼラン艦隊の世界周航は、地球球体説を実証し、人類の地理的認識を大きく変革した。また、香辛料貿易をめぐるスペインとポルトガルの対立を激化させ、最終的にサラゴサ条約で領有が調整されることになった。この航海はヨーロッパ諸国が世界規模で進出する契機となり、大航海時代の到達点であると同時に、近代世界システムの幕開けを告げる画期的出来事であった。
第3章:マゼランと世界周航 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
マゼラン艦隊が世界周航を達成したのは何年か。
解答:1522年
問2
世界周航を完成させた指揮官は誰か。
解答:エルカーノ
問3
帰還に成功した艦は何という船か。
解答:ヴィクトリア号
問4
帰還時の生存者は何人だったか。
解答:約18人
問5
マゼラン艦隊の世界周航が証明したことは何か。
解答:地球が球体であること
問6
モルッカ諸島をめぐる争いを最終的に調整した条約は何か。
解答:サラゴサ条約(1529年)
問7
サラゴサ条約ではモルッカ諸島をどちらの領有としたか。
解答:ポルトガル
問8
世界周航が契機となり加速した経済的動きは何か。
解答:世界規模の交易ネットワーク形成・商業資本主義の発展
問9
マゼランの航海がフィリピン史に与えた影響は何か。
解答:スペイン進出の端緒となった
問10
マゼラン艦隊の航海は大航海時代の何と位置づけられるか。
解答:到達点
正誤問題(5問)
問1
マゼラン艦隊は3隻がスペインに帰還した。
解答:誤(帰還したのは1隻)
問2
サラゴサ条約でスペインはモルッカ諸島を獲得した。
解答:誤(ポルトガルが領有)
問3
世界周航の達成は近代世界システムの形成を促した。
解答:正
問4
世界周航は「地球球体説」の実証につながった。
解答:正
問5
マゼラン自身が世界周航を最後まで成し遂げた。
解答:誤(フィリピンで戦死、航海完成はエルカーノ)
第4章 まとめ|マゼランと世界周航の歴史的意義を整理する
マゼラン艦隊の世界周航は、犠牲を伴いながらも人類史に新たな扉を開いた大航海時代のクライマックスでした。
この航海は単に地理的発見にとどまらず、ヨーロッパ諸国が真にグローバルな時代へ踏み出すきっかけを提供しました。
大学受験世界史では、航海の背景・過程・結果を整理し、「大航海時代の到達点」として理解することが重要です。
マゼランと世界周航の流れ【年表】
年 | 出来事 |
---|---|
1480頃 | マゼラン誕生(ポルトガル) |
1494 | トルデシリャス条約締結(スペイン・ポルトガルで世界を分割) |
1519 | マゼラン艦隊、スペインのセビリアを出発(5隻・約270人) |
1520 | 南米南端でマゼラン海峡を発見、太平洋へ到達 |
1521 | フィリピン・マクタン島の戦いでマゼラン戦死 |
1522 | エルカーノ率いるヴィクトリア号がスペイン帰還、人類初の世界周航達成 |
1529 | サラゴサ条約でモルッカ諸島はポルトガル領に確定 |
マゼラン世界周航の意義【フローチャート】
大航海時代の背景(香辛料貿易・スペインとポルトガルの競争)
↓
マゼラン航海計画(西回りでモルッカ諸島へ)
↓
1519年出発 → 1520年マゼラン海峡発見 → 太平洋横断(困難)
↓
1521年マゼラン戦死(フィリピン・マクタン島)
↓
1522年エルカーノが帰還 → 世界周航達成
↓
地球球体説の実証/グローバル交易ネットワークの形成
↓
サラゴサ条約(1529年) → モルッカ諸島はポルトガル領
↓
大航海時代の到達点 → 近代世界システムの幕開け
入試で狙われるポイント(総まとめ)
- マゼランはポルトガル出身→スペインに仕官した点を押さえる。
- 航海の背景には**トルデシリャス条約(1494年)**による勢力圏分割があった。
- 航路の要点は「マゼラン海峡の発見」「太平洋の命名」「フィリピンで戦死」「エルカーノ帰還」。
- 1522年:世界周航達成は頻出。
- サラゴサ条約(1529年)でモルッカ諸島=ポルトガル領に確定。
- 世界周航は「大航海時代の到達点」であり、近代世界システム形成に直結する。
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