イクター制をわかりやすく解説― 中央権威の低下から生まれた中世イスラームの統治制度

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イクター制とは、中世イスラーム世界において、国家が官僚や軍人に国家所有の分与地(イクター)の徴税権を与え、俸給の代わりとした制度です。

しばしば「中央財政の悪化」が背景として説明されますが、より正確には、中央政府の権威が低下し、地方からの納税が形骸化したことが直接の出発点でした。

8〜9世紀のアッバース朝前期には、各地から税が中央に集まり、官僚や軍隊には現金で俸給が支払われる財政体制が機能していました。しかし帝国の拡大とともに地方勢力が自立化すると、中央の命令は次第に届かなくなり、納税の拒否や滞納が広がります。その結果として国庫収入が減少し、現金俸給が維持できなくなるという事態が生じました。

この「中央権威の低下 → 納税の崩れ → 財政の行き詰まり」という構造的危機への対応として生まれたのがイクター制です。10世紀にはブワイフ朝がバグダードで実権を握る中で実務的に用いられ、11世紀のセルジューク朝の時代に国家制度として整備されました。さらにその仕組みは後のオスマン帝国にも受け継がれていきます。

本記事では、イクター制を単なる「財政難への対処」としてではなく、中央統治が揺らぐ中で生み出された制度的解決策として捉え直し、その成立背景から仕組み、他地域の制度との違いまでを整理していきます。

目次

現金財政が機能していた時代

8〜9世紀のアッバース朝前期、中央政府の統制力がまだ保たれていた時代には、各地から税がバグダードに集められ、官僚や軍人には現金で俸給が支払われていました。

この段階では、土地収入を個々人に割り当てる必要はなく、中央集権的な財政国家として帝国は機能していたのです。

しかし帝国が広大化するにつれて地方統治は難しくなり、有力者や軍事勢力が各地で自立化していきます。その結果、地方が中央政府への納税を拒否するようになり、国庫収入は急速に減少しました。

税が集まらなければ、当然ながら官僚や軍人への現金俸給も滞ります。俸給の遅配は軍の不満を招き、反乱や離反の原因となりました。

ここで生じたのが、

中央権威の低下 → 納税拒否 → 財政の行き詰まり → 軍事的不安定

という悪循環です。イクター制は、この連鎖の中から生まれました。

【正誤問題】
イクター制は、アッバース朝全盛期の安定した財政のもとで整備された制度である。
解答:✕
【解説】
全盛期は現金財政が機能していました。イクター制が必要になったのは、権威低下と納税拒否が進んだ後期以降です。

ブワイフ朝とイクター制の実務的開始

10世紀半ば、イラン系軍事勢力であるブワイフ朝がバグダードに入り、カリフを存続させたまま実権を掌握します。ブワイフ朝が直面した最大の課題は、「現金俸給を払えない軍隊をどう維持するか」という現実的問題でした。

それまで官僚や軍人には、国庫から現金を支給するアター制が採られていました。しかし中央権威の低下によって納税が滞ると、この現金俸給制度は維持できなくなります。そこで採用されたのが、官僚や軍人に土地そのものではなく、その土地から税を取り立てる権利(徴税権)を与える方法でした。こうして、従来のアター制に代わって成立したのがイクター制です。

これにより、中央政府が現金を用意しなくても、軍人や官僚は現地の税収を収入源として生活できるようになります。重要なのは、この段階のイクター制が理論的制度として設計されたものではなく、危機への実務的対応策として始まった点です。土地の最終的な所有権は国家に残したまま、収入だけを現場に委ねる――ここにイクター制の原型があります。

【正誤問題】
イクター制とは、国家が軍人や官僚に土地の所有権を与える制度である。
解答:✕
【解説】
与えられたのは土地そのものではなく徴税権。土地の最終的所有権は国家に残ります。ここは最頻出のひっかけです。

セルジューク朝による制度化

11世紀に登場したトルコ系王朝であるセルジューク朝は、広大な領域を軍事力によって支配する国家でした。そのため常備軍の維持が不可欠でしたが、中央集権的な現金財政はすでに機能せず、軍人や官僚への俸給を国庫から支給する体制は現実的ではありませんでした。

そこでセルジューク朝は、ブワイフ朝期に実際に運用されていた徴税権付与の仕組みを整理し、イクター制として国家制度化します。

これにより、官僚・軍人に土地の徴税権を与え、税収を俸給の代替とし、土地の最終的所有権は国家が保持するという基本構造が確立され、イクター制は軍事と行政を同時に支える統治制度として完成しました。

当初、イクターは国家が回収可能な非世襲の徴税権として運用されていましたが、宰相ニザーム=アルムルクの死後、中央統制が弱まると、地方軍事勢力の忠誠を確保するため、世襲的保有が制度的に認められるようになります。こうしてイクターは次第に固定化し、地方勢力の基盤ともなっていきました。

このように、セルジューク朝のイクター制は、当初は中央集権的な軍事・官僚統制のための制度として整備され、その後は軍事勢力の離反を防ぐために世襲的領地分与へと性格を変化させていった点が重要です。

【正誤問題】
イクター制は、セルジューク朝のもとで国家制度として整備され、軍事国家体制の中核となった。
解答:〇
【解説】
ブワイフ朝で始まり、セルジューク朝で制度として完成、という流れが基本です。

イクター制の仕組みと特徴

イクター制の最大の特徴は、与えられたのが土地の所有権ではなく徴税権である点です。国家は土地の最終的な所有者であり続け、その上で官僚や軍人に特定地域の徴税権を委ねました。イクターを与えられた者は、その地域から得られる税収を自らの収入として受け取り、それを俸給の代わりとします。

また、イクター制は軍人だけの制度ではありませんでした。軍事を担う兵士だけでなく、行政を担う官僚にもイクターが与えられ、軍事と行政の両方が地方税収に直結する形で維持されました。

さらに重要なのは、土地が私有化されなかった点です。イクターは原則として世襲ではなく、必要に応じて回収や再配分が可能でした。国家は人事と領域の再編を通じて、一定の中央統制を保とうとしたのです。

【正誤問題】
イクター制は軍人だけを対象とした制度であり、官僚には適用されなかった。
解答:✕
【解説】
軍人だけでなく官僚にもイクターが与えられ、軍事と行政の両方を支えました。

封建制・ティマール制との比較

入試では、イクター制はしばしば他地域の制度と比較されます。とくに重要なのが、西ヨーロッパの封建制との違いです。

封建制では、領主が土地を実質的に私有し、主君と家臣の人格的な主従関係が連鎖していきます。一方イクター制では、土地は国家のものであり、与えられるのは徴税権のみです。

つまり、

イクター制=国家所有+徴税権の委任
封建制=土地私有+主従関係

という根本的な違いがあります。

また、イクター制の発想は後世にも受け継がれ、最終的にはオスマン帝国のティマール制へと発展します。

ティマール制は、国家が土地所有権を保持したまま軍人に徴税権を与える制度であり、イクター制をより体系化したものと理解できます。

イクター制の入試に出るポイント

イクター制は、

  • 官僚や軍人に
  • 土地そのものではなく徴税権を与え
  • 俸給の代わりとした制度

です。

その背景には、

  • 中央権威の低下
  • 地方による納税拒否
  • 現金俸給の破綻

という構造的変化があり、ブワイフ朝で実務的に始まり、セルジューク朝で制度として完成しました。

土地私有を基盤とする西ヨーロッパ封建制とは異なり、国家所有を前提とした点が最大の特徴であり、その仕組みは後にオスマン帝国のティマール制へと受け継がれていきます。

30字論述であれば、

官僚や軍人に土地の徴税権を与え、俸給に代えた制度。

この一文で対応できますが、その背後にある「中央への納税が崩れた結果として生まれた制度」という因果関係まで理解しておくと、正誤問題や長めの論述でも安定して得点できるようになります。

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