中世ヨーロッパにおいて、北ドイツの都市を中心に形成されたハンザ同盟は、北海・バルト海の広大な商業ネットワークを支配した都市同盟でした。
リューベックを盟主とし、ハンブルクやブレーメンなど多くの都市が参加したこの同盟は、13世紀から15世紀にかけて繁栄を極め、塩・穀物・木材・毛皮などの交易を独占しました。
大学受験世界史でも頻出であり、「中世都市の発展」「商業ルネサンス」「都市同盟」といったキーワードと密接に結びついています。
本記事では、ハンザ同盟の成立から繁栄、そして衰退に至るまでの流れをわかりやすく整理していきます。
第1章 ハンザ同盟の成立と発展
ハンザ同盟は、北ドイツの都市が経済的利害を共有し、海上交易の安全と利益を守るために結成された都市同盟です。
成立の背景には、中世ヨーロッパにおける商業の復活と都市の繁栄がありました。
ここでは、同盟の誕生とその発展過程を詳しく見ていきます。
1. 商業ルネサンスと北ドイツ都市の台頭
中世後期、十字軍遠征や人口増加によって商業活動が再び活発化しました。
イタリアのヴェネツィアやジェノヴァが地中海貿易を支配した一方、北ヨーロッパでは北海・バルト海の交易ルートが発展し、北ドイツの都市が急速に成長しました。
特にリューベックは、バルト海交易の中心地として重要な役割を果たしました。
2. ハンザ同盟の成立
リューベックを中心とする都市群は、外敵からの防衛や交易の独占を目的として結束しました。
13世紀半ばには、リューベックとハンブルクが協定を結び、やがてブレーメンやケルンなど多くの都市が加わり、都市同盟としてのハンザ同盟が形成されていきます。
加盟都市は最盛期には70以上に達し、都市間の協力体制を築きました。
3. 貿易品目と交易圏
ハンザ同盟は、バルト海沿岸の豊富な資源を利用しました。
北欧の木材・鉄・毛皮、東欧の穀物、北海のニシンや塩などが主な交易品目です。
これらは西欧の都市に輸出される一方、毛織物やワインなどの西方商品が輸入されることで、広大な商業ネットワークが形成されました。
入試で狙われるポイント
- ハンザ同盟の盟主都市 → リューベック
- 主な加盟都市 → ハンブルク・ブレーメン・ケルンなど
- 主な交易品 → 木材・毛皮・鉄・穀物・ニシン・塩
- 歴史的背景 → 商業ルネサンスと中世都市の発展
- ハンザ同盟の成立背景と、その歴史的意義を200字程度で説明せよ。
-
ハンザ同盟は、13世紀の商業ルネサンスにより北ヨーロッパの交易が活発化する中で誕生した。リューベックを盟主とし、ハンブルク・ブレーメンなど北ドイツの都市が加盟して、防衛と交易の独占を目的とした。同盟はバルト海から北海にかけての交易ネットワークを形成し、都市の自治と経済力を強化する役割を果たした。これは中世都市の発展を象徴し、近代国家成立以前の地域的経済共同体として歴史的に重要である。
第1章: ハンザ同盟と中世ヨーロッパの商業ネットワーク 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ハンザ同盟の盟主都市はどこか。
解答:リューベック
問2
リューベックと同盟を結んだ都市のひとつで、北海に面した港湾都市はどこか。
解答:ハンブルク
問3
ハンザ同盟が主に活動した海域はどこか。
解答:北海・バルト海
問4
ハンザ同盟に加盟した都市の数は最盛期でおよそいくつか。
解答:70以上
問5
北欧から輸出された木材や鉄とともに、西方に輸入された代表的な商品は何か。
解答:毛織物
問6
北海で大量に獲れ、交易品として重要視された魚は何か。
解答:ニシン
問7
ハンザ同盟の商業活動の背景となった歴史的現象を何というか。
解答:商業ルネサンス
問8
ケルンはハンザ同盟の加盟都市であったが、地理的にはどの河川の沿岸に位置するか。
解答:ライン川
問9
ハンザ同盟が重視した貿易路の一端として、イギリスのどの都市と交易を行ったか。
解答:ロンドン
問10
ハンザ同盟が活動した時期として最も繁栄したのは西暦何世紀頃か。
解答:14〜15世紀
正誤問題(5問)
問11
ハンザ同盟の盟主都市はブレーメンであった。
解答:誤(正しくはリューベック)
問12
ハンザ同盟は北海・バルト海の交易を独占し、最盛期には70以上の都市が加盟した。
解答:正
問13
ハンザ同盟の交易品には、毛皮や木材のほか、南イタリア産の絹織物が含まれていた。
解答:誤(絹織物は地中海交易品)
問14
ハンザ同盟は防衛・交易のための都市間の協力組織であった。
解答:正
問15
ハンザ同盟は12世紀にはすでに成立していた。
解答:誤(13世紀半ばに成立)
第2章 ハンザ同盟の繁栄と組織
ハンザ同盟は、北ドイツの都市同盟として成立したのち、14〜15世紀にかけて最盛期を迎えました。
その繁栄の背景には、緻密な組織体制と都市間の協力関係がありました。
ここでは、ハンザ同盟の会議制度、外交力、そして商業支配の仕組みについて整理します。
1. ハンザ会議(ハンザタグ)
同盟の重要な決定は「ハンザタグ」と呼ばれる会議で行われました。
加盟都市の代表が集まり、外交・軍事・商業に関する議題を討議しました。
リューベックは盟主として強い影響力を持ち、都市間の意思統一を進めました。
2. 外交と軍事力
ハンザ同盟は単なる商業組織にとどまらず、しばしば武力を用いて利益を守りました。
例えばデンマークやノルウェーとの対立では軍を派遣し、交易の自由を確保しました。
また、イギリスのロンドンに設けた「ハンザ商館」では特権的な地位を獲得し、通商上の優位を築きました。
3. 繁栄の要因
ハンザ同盟の繁栄を支えたのは、加盟都市の協力体制と組織的な運営でした。
海上交通の安全保障や共同防衛、貿易利権の獲得など、都市単独では不可能な課題を解決できたことが、同盟を強固にしたのです。
入試で狙われるポイント
- ハンザ会議(ハンザタグ) → 同盟の意思決定機関
- ロンドンのハンザ商館 → 通商特権を確保
- 軍事力の行使 → デンマークなどとの対立で確認できる
- 繁栄の時期 → 14〜15世紀
- ハンザ同盟が軍事力を行使した事例と、その背景を200字程度で説明せよ。
-
ハンザ同盟は商業利権を守るためにしばしば武力を用いた。特に14世紀後半、デンマークが通商制限を強化すると、同盟は軍を派遣して対抗し、バルト海の交易ルートを確保した。また、イギリスのロンドンに設けた商館においても特権を維持するため、政治的・軍事的圧力を行使した。こうした行動は、ハンザ同盟が単なる商業組織ではなく、軍事同盟的性格も有していたことを示している。
第2章: ハンザ同盟と中世ヨーロッパの商業ネットワーク 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ハンザ同盟の最高意思決定機関を何というか。
解答:ハンザタグ(ハンザ会議)
問2
ハンザ会議の盟主的役割を果たした都市はどこか。
解答:リューベック
問3
ハンザ同盟が軍事行動を起こした相手の一つである北欧の王国はどこか。
解答:デンマーク
問4
ハンザ同盟がイギリスに設けた商館があった都市はどこか。
解答:ロンドン
問5
ハンザ同盟が最盛期を迎えたのはおよそ何世紀か。
解答:14〜15世紀
問6
ハンザ同盟が結んだ都市間の協力関係を表す言葉は何か。
解答:都市同盟
問7
ハンザ商館がロンドンに設けられたことで得られた権利は何か。
解答:通商特権
問8
ハンザ同盟が扱った交易品のうち、バルト海周辺から供給された代表的なものを一つ答えよ。
解答:穀物(または木材・毛皮)
問9
ハンザ同盟が軍事的行動で守ろうとしたものは何か。
解答:交易ルート・商業利権
問10
ハンザ同盟の繁栄を可能にした背景として、中世ヨーロッパ全体で進行していた現象は何か。
解答:商業ルネサンス
正誤問題(5問)
問11
ハンザタグでは全都市が平等な一票を持ち、リューベックも特別な地位を持たなかった。
解答:誤(リューベックが盟主的立場を持った)
問12
ハンザ同盟は交易の自由を守るために武力を行使することがあった。
解答:正
問13
ロンドンのハンザ商館は、同盟都市に対して通商特権を与えた拠点であった。
解答:正
問14
ハンザ同盟の繁栄期は11〜12世紀であった。
解答:誤(14〜15世紀が繁栄期)
問15
ハンザ同盟の軍事行動は主に地中海貿易圏において行われた。
解答:誤(北海・バルト海交易圏)
第3章 ハンザ同盟の衰退と歴史的意義
15世紀以降、ハンザ同盟は次第に衰退していきました。
新しい商業勢力の台頭や大航海時代の到来によって、北海・バルト海交易の独占は崩れていったのです。
同盟が果たした役割は中世ヨーロッパの経済史において大きな意義を持ちますが、その衰退の要因を理解することで、時代の転換点をより鮮明に把握できます。
「中世北方の交易を支配したハンザ同盟。しかし16世紀にはその勢力が衰えていきます。では、その後ヨーロッパ商業の中心はどこへ移っていったのでしょうか?
☞【商業中心地の変遷を徹底解説|ヴェネツィアからアムステルダム、そして並走する勢力】の記事で流れを整理してみましょう。
1. 衰退の要因
16世紀以降、大航海時代の始まりにより、貿易の中心は大西洋へと移りました。
ポルトガルやスペインの海外進出、さらにオランダやイギリスの勃興によって、ハンザ同盟の北欧中心の交易圏は相対的に重要性を失いました。
また、加盟都市間の利害対立も同盟の結束を弱める要因となりました。
2. 都市同盟としての限界
ハンザ同盟は都市間の協力体制に基づくものでしたが、強力な中央集権を持たなかったため、統一的な外交・軍事政策を遂行するには限界がありました。
新興国家が形成されつつあった近世において、都市同盟の枠組みは時代遅れになっていきました。
3. 歴史的意義
それでもハンザ同盟は、中世における国際商業ネットワークの代表例であり、都市の自治と経済力が結びついた先駆的なモデルでした。
その経験は、後の国際商業組織や経済同盟の先例として歴史的意義を持ちます。
4. ハンザ同盟の「終焉」をどう理解するか
歴史的事実としての終焉
ハンザ同盟は衰退後もすぐには消滅せず、形式的に存続しました。
- 1669年、リューベックで最後のハンザ会議(ハンザタグ)が開催され、これが事実上の終焉とみなされます。
- ただしリューベック・ハンブルク・ブレーメンなどは19世紀まで「ハンザ都市」として自治を保持し、名目上は細々と続いたため、「完全消滅の瞬間」が分かりにくい組織でもありました。
受験対策としての理解
入試で問われるのは「なぜ衰退したか」という要因です。
- 大航海時代による交易中心の大西洋移行
- スペイン・ポルトガルの海外進出
- オランダ・イギリスといった新興国の台頭
- 中央集権を欠いた都市同盟の限界
試験対策で重要なのは「16世紀以降、大航海時代と新興国の台頭で役割を終えた」と押さえることです。
「1669年の最後の会議」という事実は補足程度に知っておけば十分です。
入試で狙われるポイント
- 衰退の要因 → 大航海時代による交易ルートの変化、新興勢力(オランダ・イギリス)の台頭
- 内部的要因 → 加盟都市間の利害対立、組織の弱体化
- 意義 → 中世の国際商業ネットワークの代表例
- ハンザ同盟の衰退要因を外的要因と内的要因に分けて200字程度で説明せよ。
-
ハンザ同盟の衰退には外的・内的要因があった。外的要因としては、大航海時代の到来により貿易の中心が大西洋へ移り、スペイン・ポルトガル、さらにオランダ・イギリスなどの新興国が台頭したことがある。内的要因としては、加盟都市間の利害対立や組織の分裂傾向が挙げられる。強力な中央集権を欠いた同盟は近世国家の形成に対応できず、次第に衰退していった。
第3章: ハンザ同盟と中世ヨーロッパの商業ネットワーク 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ハンザ同盟の衰退を招いた世界史的現象は何か。
解答:大航海時代
問2
大航海時代に台頭し、ハンザ同盟の交易圏を脅かした西欧の国を一つ答えよ。
解答:オランダ(またはイギリス・スペイン・ポルトガル)
問3
ハンザ同盟の内部的な衰退要因を一つ答えよ。
解答:加盟都市間の利害対立
問4
16世紀以降、貿易の中心は北海・バルト海からどこへ移ったか。
解答:大西洋
問5
ハンザ同盟が強力な中央集権を欠いたために生じた限界は何か。
解答:外交・軍事政策の統一性を欠いたこと
問6
近世において勢力を強めた国家の特徴は何か。
解答:中央集権的な国家体制
問7
ハンザ同盟の歴史的意義を一言でまとめると何か。
解答:中世ヨーロッパにおける国際商業ネットワークの代表例
問8
ハンザ同盟の経験が後世に与えた意義を一つ答えよ。
解答:国際的な経済同盟の先例となった
問9
ハンザ同盟の盟主都市リューベックが繁栄したのは主にどの海域の交易によるものか。
解答:バルト海
問10
ハンザ同盟の衰退期は西暦何世紀頃から始まったか。
解答:16世紀
正誤問題(5問)
問11
ハンザ同盟はスペインやポルトガルの海外進出によって影響を受けた。
解答:正
問12
ハンザ同盟の衰退は、主に地中海貿易圏での敗北によるものであった。
解答:誤(大航海時代と大西洋交易の台頭による)
問13
ハンザ同盟の衰退には内部的な要因も存在した。
解答:正
問14
加盟都市間の対立が同盟の結束を強めた。
解答:誤(結束を弱めた)
問15
ハンザ同盟の衰退は16世紀以降に顕著となった。
解答:正
第4章 ハンザ同盟のまとめ
ハンザ同盟の歴史的流れ
ハンザ同盟は13世紀に北ドイツの都市同盟として成立し、14〜15世紀に繁栄の絶頂を迎えました。
リューベックを盟主とする都市同盟は、北海・バルト海の交易を独占し、商業ルネサンスを支える存在となりました。
しかし16世紀以降、大航海時代の到来や新興国の台頭により衰退し、中世都市同盟としての役割を終えることとなりました。
その歴史は、中世から近世への転換を象徴するものといえます。
年表で整理:ハンザ同盟の成立から衰退まで
西暦 | 出来事 |
---|---|
1241年 | リューベックとハンブルクが同盟を締結(ハンザ同盟の起源) |
13世紀後半 | ブレーメン・ケルンなど北ドイツ諸都市が参加 |
14世紀 | ハンザ同盟が北海・バルト海貿易を独占、最盛期へ |
1368〜1370年 | デンマークに対する戦争で勝利、交易特権を拡大 |
15世紀 | ロンドンのハンザ商館を拠点に国際的影響力を発揮 |
16世紀 | 大航海時代により交易の中心が大西洋へ移行、衰退始まる |
1669年 | 最後のハンザ会議(ハンザタグ)が開催され、事実上の終焉 |
フローチャートで理解する:ハンザ同盟の盛衰
商業ルネサンス(12〜13世紀)
↓
北ドイツの都市発展(リューベック・ハンブルク)
↓
1241年 リューベックとハンブルクの同盟 → ハンザ同盟成立
↓
加盟都市拡大(ブレーメン・ケルン・70都市以上)
↓
14〜15世紀 繁栄の最盛期
・ハンザタグ(会議制度)
・ロンドン商館で通商特権
・軍事行動で交易ルートを防衛
↓
16世紀 大航海時代で交易の中心が大西洋へ
・スペイン・ポルトガルの海外進出
・オランダ・イギリスの台頭
↓
内部対立と結束の弱体化
↓
1669年 最後のハンザ会議 → 衰退・終焉
全体のまとめ
- 成立背景:商業ルネサンスによる交易の活発化、北ドイツ都市の発展
- 繁栄要因:都市間の協力体制(ハンザタグ)、通商特権の確保、軍事力の行使
- 衰退要因:大航海時代と大西洋交易への移行、新興勢力の台頭、内部的分裂
- 歴史的意義:中世ヨーロッパにおける国際商業ネットワークの代表例であり、後世の経済同盟の先駆け
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