ヨーロッパの思想史において、しばしば見落とされがちな存在が「サラマンカ学派」です。
16世紀のスペインにおいて、植民地支配や新大陸の発見に直面しながら、神学と法学を融合させて新しい秩序を模索した学派でした。
彼らの議論は、単なる神学論争にとどまらず、自然法・国際法・人権思想といった近代世界を形づくる根幹にまで影響を与えました。
本記事では、サラマンカ学派の誕生から思想的意義、そして後世への影響までを体系的に整理します。大学受験に必要な基礎知識をおさえつつ、大人の教養としても学び直せる内容を目指します。
第1章 サラマンカ学派の成立と歴史的背景
サラマンカ学派は、スペインの古都サラマンカにあるサラマンカ大学を拠点に活動した学者たちの総称です。
16世紀前半、新大陸の発見やスペイン帝国の拡大に直面した時代に、従来のスコラ哲学を継承しながら、新しい現実に即した自然法解釈を打ち出しました。
彼らの思想は単なる神学的な議論ではなく、現実の国際関係や植民地支配の是非に直結する点で、当時としては画期的でした。

16世紀ヨーロッパの大変動と新大陸の発見
サラマンカ学派が誕生した背景には、16世紀ヨーロッパの大変動がありました。
大航海時代の到来により、コロンブスが1492年に新大陸へ到達すると、スペイン王国は急速に領土を拡大しました。
しかし、新大陸の先住民をどのように扱うべきかという問題が、早くも大きな社会的・道徳的論争を引き起こしました。
先住民は「人間」として権利を持つ存在なのか、それとも単なる征服対象なのか。この問いに真正面から向き合ったのが、サラマンカ大学を中心とする学者たちだったのです。
フランシスコ=デ=ヴィクトリアの登場
代表的な思想家には、フランシスコ=デ=ヴィクトリア(1483頃~1546)がいます。
彼はトマス=アクィナス以来のスコラ哲学を継承しつつ、先住民も理性を持った存在であり、自然法に基づく権利を有すると主張しました。
これは当時の植民地主義に対する批判的な立場であり、現代的に見れば「人権思想」の萌芽と評価できます。
国際法の基礎へ
さらにヴィクトリアは、スペインが新大陸を支配する正当性を否定する一方で、国際社会に共通するルールを探ろうとしました。
ここから「国際法」の基礎が形成されていきます。
こうした議論は後にグロティウス(オランダ、1583~1645)へと受け継がれ、17世紀以降の国際秩序形成に大きな影響を与えました。
中世から近代への転換点
サラマンカ学派の登場は、単に一大学の神学論争にとどまらず、「中世から近代への転換点」に位置づけられる重要な出来事でした。
宗教的権威だけに依存せず、人間理性や普遍的な自然法を重視する態度は、まさに「近代的思考」の先駆けといえるでしょう。
入試で狙われるポイント
- サラマンカ学派は「スペイン・サラマンカ大学を拠点とした神学・法学の学派」であること。
- 新大陸先住民の権利を認め、人権思想の先駆けとされた点。
- フランシスコ=デ=ヴィクトリアが代表人物で、のちのグロティウスに国際法思想を継承させたこと。
- 「自然法の世俗化」の始まりとして、スコラ哲学と近代思想をつなぐ役割を果たしたこと。
第2章 サラマンカ学派の思想とその意義
サラマンカ学派の学者たちは、単なる神学的な議論にとどまらず、現実の社会問題に取り組みました。
特に「自然法」「人権思想」「国際法」という三つのテーマにおいて、後世へ大きな影響を残しました。
彼らの思想は中世スコラ哲学の伝統を継承しながら、16世紀の新しい時代に即した形で再構築された点に特徴があります。
自然法思想の再解釈
第一に注目すべきは、自然法思想の再解釈です。
中世の自然法は「神の永遠法の一部」として理解されていましたが、サラマンカ学派はより人間社会に即した形で自然法を捉え直しました。
つまり、神の意思を前提としつつも、人間の理性によって普遍的な秩序を把握できると考えたのです。これにより「自然法の世俗化」が始まったと評価されます。
人権思想の萌芽
第二に、人権思想の萌芽です。代表的なヴィクトリアは「先住民も理性を持つ存在であり、自然法上の権利を持つ」と明言しました。
これは当時のヨーロッパにとってきわめて革新的であり、後の「万人の権利」「人間の尊厳」といった近代人権思想につながる大きな一歩でした。
植民地支配を正当化する論理に対し、人間の普遍的権利を主張した点で、今日でも評価されています。
国際法の先駆
第三に重要なのが、国際法の先駆です。
サラマンカ学派は、国家間に共通するルールの存在を認め、武力による一方的支配を否定しました。
たとえば「スペインが新大陸を一方的に支配する権利はない」とし、国際社会に共通する秩序を模索しました。
こうした考えはオランダのグロティウスに継承され、近代国際法の礎となっていきます。
近代の先駆としての意義
サラマンカ学派の思想は、単なる理論的抽象ではなく、実際の社会・国際問題を背景として生まれた点に大きな意義があります。
大航海時代と植民地支配という現実がなければ、このような議論は生まれなかったでしょう。
ここにこそ、彼らを「近代の先駆」と位置づける理由があるのです。
入試で狙われるポイント
- 自然法の世俗化:神学的枠組みから、人間理性を通じた理解へ。
- 先住民の権利を擁護 → 「人権思想の萌芽」と評価される。
- 国際秩序の共通原理を模索 → グロティウスへとつながる国際法の源流。
- 背景には大航海時代と植民地支配の拡大がある。
第3章 サラマンカ学派の代表的思想家たち
サラマンカ学派といっても、一人の思想家を指すのではなく、16世紀のサラマンカ大学を中心に活躍した学者の総称です。
彼らは共通してスコラ哲学の伝統を継承しつつ、新大陸の発見や国際秩序の課題に応答しました。
ここでは特に代表的な三人――ヴィクトリア、ソト、スアレス――を取り上げて、それぞれの思想的特徴を確認していきましょう。
1. フランシスコ=デ=ヴィクトリア(1483頃~1546)
サラマンカ学派の中心的人物。トマス=アクィナスの自然法論を継承しつつ、16世紀の国際問題に応用しました。
特に「先住民も理性を持ち、自然法上の権利を有する」という主張は革新的であり、人権思想の先駆とされます。
彼はまた、スペインの新大陸支配を全面的に正当化する立場を否定し、国際社会には共通する法(ius gentium)が存在すると論じました。
こうした議論はのちにグロティウスの国際法思想に受け継がれました。
2. ドミンゴ=デ=ソト(1494~1560)
ヴィクトリアの弟子であり、自然法を経済学や社会問題へ広く適用した人物です。
ソトは特に経済思想の先駆者として知られ、価格変動や貨幣の価値に関する分析を行いました。
後世の「価格革命」の議論に直結する部分もあり、単に神学者ではなく社会科学的な関心を持っていたことが特徴です。
サラマンカ学派が「近代経済学の源流」とも呼ばれるのは、このソトらの活動に由来します。
3. フランシスコ=スアレス(1548~1617)
サラマンカ学派の最後の大物とされる思想家で、ヴィクトリアの影響を受けつつ、より体系的な自然法論を展開しました。
彼は「国家権力の起源」を論じ、権力は神から直接与えられるのではなく、人民に由来すると主張しました。
これは近代的な主権論や社会契約論の先駆けといえる思想で、のちにヨーロッパ各地の政治思想に大きな影響を与えました。
4. ラス=カサスとの関係
サラマンカ学派と思想的に近い立場をとったのが、ドミニコ会修道士バルトロメ=デ=ラス=カサス(1484~1566)です。
彼は新大陸で実際に活動し、先住民の虐待や奴隷化に反対して「インディオの保護者」と呼ばれました。
代表作『インディアス破壊についての簡潔な報告』では、スペイン人による残虐行為を告発しました。
ラス=カサスはサラマンカ大学の神学教授ではなかったため「学派」には含まれませんが、思想的にはヴィクトリアらと共鳴していました。
特に「先住民も理性を持つ人間であり、権利を有する」という主張は学派の自然法論と一致しています。
バリャドリード論争(1550-51)で彼が「先住民の人権」を訴えた際、その背景にはサラマンカ学派の理論的支えがありました。
つまり、ラス=カサスは学問的理論を展開する学派と、現場から訴える実践者をつなぐ存在であり、16世紀スペインにおける人権思想の形成を実際に推し進めた重要人物といえます。
入試で狙われるポイント
- ヴィクトリア:自然法を再解釈し、先住民の権利を主張 → 人権思想・国際法の先駆。
- ソト:自然法を経済・社会問題へ応用 → 価格革命・経済学史との関連。
- スアレス:人民主権的な発想を展開 → 社会契約説の先駆け。
- ラス=カサス:学派には属さないが、思想的に共鳴し、現場から人権擁護を訴えた。
- サラマンカ学派は単なる神学者集団ではなく、国際法・人権・経済思想など多方面に影響。
第4章 サラマンカ学派からグロティウスへの継承
サラマンカ学派の議論は16世紀スペインの宗教的・政治的文脈の中で生まれましたが、その影響は国境を越えて広がり、17世紀オランダの法学者グロティウスへと受け継がれました。
グロティウスは「国際法の父」と称されますが、その基盤はまさにサラマンカ学派の思想にありました。本章では、この思想的な継承の流れを整理していきます。
自然法の普遍性と万民法
サラマンカ学派の中心テーマの一つは「自然法の普遍性」でした。
ヴィクトリアらは、先住民を含めすべての人間が理性を通じて自然法に従うべきだと説き、国際社会には共通のルール(万民法=ius gentium)が存在すると論じました。
この発想は、単なる宗教的論理ではなく、人間理性に基づく普遍的秩序の構想でした。
グロティウスと自然法の体系化
オランダのグロティウス(1583~1645)は、この系譜を引き継ぎ、戦争と平和に関する法を体系化しました。
彼の主著『戦争と平和の法』(1625)は、しばしば「近代国際法の出発点」とされます。
グロティウスは、神学に依存しすぎない理性に基づく法を説き、「たとえ神が存在しなかったとしても自然法は成立する」と述べました。
これはサラマンカ学派の自然法論をさらに世俗化したものであり、近代思想の方向性を決定づけるものでした。
実践的課題から体系化へ
サラマンカ学派の議論が「植民地支配の是非」という実践的問題から出発していたのに対し、グロティウスはそれを抽象化・体系化することで、国家間関係を規律する普遍的な法体系へと昇華させました。
この転換こそ、サラマンカ学派とグロティウスをつなぐ最大のポイントです。
政治思想への広がり
また、スアレスの「権力は人民に由来する」という思想も、のちの社会契約論(ホッブズ、ロック、ルソー)や主権論に影響を与え、グロティウスを経由して近代政治思想へ広がっていきました。
つまり、サラマンカ学派は単に16世紀スペインの学派ではなく、ヨーロッパ全体の近代思想の「起点」として評価されるべきなのです。
入試で狙われるポイント
- グロティウスは「国際法の父」とされるが、その基盤にはサラマンカ学派の自然法思想がある。
- ヴィクトリア:万民法(ius gentium)を強調 → 国際社会に共通のルールを構想。
- グロティウス:『戦争と平和の法』(1625)→ 自然法を神学から切り離し、世俗的に体系化。
- スアレスの人民主権論 → 社会契約説や主権論へ影響。
第5章 まとめ:サラマンカ学派の意義と現代的評価
サラマンカ学派は、16世紀スペインという歴史的文脈の中で誕生した思想運動でした。
当時の世界は大航海時代を迎え、従来のスコラ哲学では説明できない新しい問題――植民地支配の正当性や国際秩序のあり方――に直面していました。
その課題に応答する中で、彼らは人権思想や国際法といった近代の根幹にかかわる理論を提示しました。本章では、その意義を整理し、現代的な評価につなげます。
自然法の世俗化
第一に、サラマンカ学派は自然法の世俗化を進めました。
中世の自然法が神の永遠法を基盤としていたのに対し、彼らは「人間理性によって普遍的秩序を理解できる」という立場を明確にしました。
これは近代的な法思考の出発点とされます。
人権思想の先駆
第二に、彼らは人権思想の先駆となりました。ヴィクトリアやラス=カサスは、先住民にも理性と権利があると主張し、征服と奴隷化に反対しました。
これは後世の「人権宣言」や「市民的自由」の思想につながるものであり、今日の国際人権法の歴史的源流といえます。
国際法の形成
第三に、国際法の形成に寄与しました。国際社会に共通のルールを構想した彼らの議論は、オランダのグロティウスに受け継がれ、『戦争と平和の法』へと結実しました。
近代国家体制を支える国際法の発展は、サラマンカ学派を抜きには語れません。
サラマンカ学派とグロティウスの自然法の違い
項目 | サラマンカ学派 | グロティウス |
---|---|---|
背景 | 大航海時代と植民地支配の問題 | 宗教戦争(特に三十年戦争前夜) |
基盤 | 神の永遠法を前提に、人間理性で把握可能 | 神を前提にせず、理性そのものを根拠にする |
性格 | 神学と理性の折衷 | 理性に独立した普遍的自然法 |
方向性 | 「自然法の世俗化」の始まり | 「自然法の完全な世俗化」 |
このように、サラマンカ学派は「神学に根ざした理性の活用」という形で近代的思考の出発点を示し、グロティウスはそれを徹底して神学から切り離すことで、近代国際法の体系を打ち立てました。
多面的な影響
最後に、サラマンカ学派は多面的な影響を残しました。
ソトの経済思想は価格革命や貨幣価値の議論に先駆的役割を果たし、スアレスの人民主権論は社会契約説の萌芽となりました。
つまり、彼らは神学に閉じこもるのではなく、現実の政治・経済・社会問題に積極的に応答した「実践的学者」でもあったのです。
入試で狙われるポイント
- サラマンカ学派=16世紀スペイン、サラマンカ大学を中心とした学派。
- 自然法を人間理性に基づいて再解釈 → 自然法の世俗化。
- ヴィクトリア・ラス=カサス:先住民の権利を主張 → 人権思想の萌芽。
- 国際社会に共通ルールを構想 → グロティウスへ継承 → 国際法の起点。
- ソト:経済思想/スアレス:人民主権論 → 近代経済学・政治思想への影響。
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