テルミドールのクーデタとは何か|ロベスピエール失脚とジャコバン独裁の終焉

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テルミドールのクーデタ(テルミドール9日のクーデタ)とは、1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)に、国民公会でロベスピエール派が逮捕・処刑され、ジャコバン独裁が崩壊した事件です。

フランス革命の急進期を終わらせ、恐怖政治の幕を引いた重大な転換点とされています。このクーデタの背景には、ロベスピエールによる恐怖政治の長期化と、派閥内部での粛清の拡大がありました。

革命の初期に「自由」と「平等」を掲げた理念は、やがて「秩序維持のための弾圧」へと変質し、政敵だけでなく仲間までも断頭台に送る状況に人々の不満が高まっていきます。

国民公会内では、彼の独裁に恐れを抱く議員たちが結束し、ついにロベスピエールを告発して逮捕。翌日には彼と主要支持者が処刑され、ジャコバン派の支配は終焉しました。

この出来事の意義は、フランス革命が「過激な理想主義」から「保守的安定志向」へと転換する契機となった点にあります。

恐怖政治の終結によって革命は穏健化し、商人層や新興ブルジョワジーが主導する政治へと移行しました。

この流れをテルミドールの反動と呼び、のちの総裁政府(ディレクトワール)体制誕生の前段階を形成します。

つまりテルミドールのクーデタは、「革命が自らの暴走を止め、次の時代への橋渡しをした転換点」だったのです。

本記事では、クーデタの経過・主要人物・政治的影響を整理しながら、フランス革命における“恐怖の終わり”と“秩序への回帰”の意味を解説していきます。

目次

第1章:恐怖政治の行き詰まり ― クーデタの前夜

テルミドールのクーデタは突発的な事件ではなく、恐怖政治が限界に達した末の自己崩壊ともいえるものでした。

1793年から94年にかけて、公安委員会を中心とするロベスピエールの独裁は頂点に達しますが、その統治は同時に、社会全体に恐怖と疲弊をもたらしていきます。

ここでは、クーデタへと至る政治的・社会的背景を整理していきます。

1. 恐怖政治の頂点とロベスピエールの孤立

1793年、フランスは外では対欧州諸国との戦争、内ではヴァンデーの反乱など内乱に直面していました。

こうした中で、ロベスピエールらジャコバン派は、「自由の名において独裁を行う」という矛盾を抱えながらも、公安委員会による国家統制を強化します。

「革命裁判所」は拡大され、わずかな疑いでも逮捕・処刑が行われるようになりました。

特に1794年春には、「徳の共和国」を掲げながらも、反対派・穏健派・急進派を問わず粛清の対象にしていくロベスピエールの姿勢が、周囲に強い恐怖と警戒を生み出します。

2. ダントン派・エベール派の粛清

ロベスピエールは革命の純化を掲げて、次々と仲間を排除していきました。

1794年3月には急進派のエベール派が「無神論」と「暴力革命の過激化」を理由に処刑され、続いて4月には穏健派のダントン派が「腐敗と裏切り」の罪で断頭台に送られます。

この二派の粛清により、国民公会内には「明日は自分の番かもしれない」という不安が広がりました。

こうしてロベスピエールは敵だけでなく、味方からも孤立していくのです。

3. 最高存在の祭典 ― 支持を失った理想主義

1794年6月、ロベスピエールは「徳と理性の政治」を掲げ、最高存在の祭典を挙行します。

彼はこの儀式を通じて、「神の代わりに理性を置く」新しい宗教的秩序を示そうとしましたが、議員たちからは「独裁者気取り」と反発を買いました。

理想と現実の乖離は広がり、もはやロベスピエールの発言は、かつてのような熱狂を呼びません。

この時期、革命政府の内部では、恐怖政治の終わりを求める声が急速に高まっていきました。

4. クーデタ前夜 ― 静かな反発の連鎖

1794年7月、ロベスピエールは国民公会で「陰謀が政府内部にある」と発言し、誰の名も挙げずに敵の存在をほのめかしました。

この曖昧な告発は、議員たちに「次に粛清されるのは自分かもしれない」という恐怖を植え付け、ついに議会全体が彼に反旗を翻す契機となります。

こうして、革命暦テルミドール9日――

議員たちの連携によるロベスピエール逮捕の瞬間が迫っていくのです。

入試で狙われるポイント

  • テルミドールのクーデタの直接的原因は、「ロベスピエールの独裁と恐怖政治への反発」
  • エベール派とダントン派の粛清が、結果的に彼の孤立を深めた
  • 「最高存在の祭典」は理念の純化を目指したが、逆に政治的支持を失わせた
  • 「テルミドールの反動」とは、このクーデタ後の革命の穏健化・保守化を指す

関連用語整理表

用語内容意義
公安委員会ジャコバン派が設置した非常時政府機関恐怖政治の中枢
エベール派急進的・反キリスト的勢力1794年3月に粛清
ダントン派穏健的で和平を模索1794年4月に粛清
最高存在の祭典ロベスピエールの宗教的理想を象徴議員の反感を招く
テルミドール革命暦の第11月(7月下旬〜8月中旬)クーデタ名の由来

重要論述問題にチャレンジ

恐怖政治がテルミドールのクーデタへとつながった背景を、100字程度で説明しなさい。

恐怖政治が長期化し、ロベスピエールがエベール派・ダントン派を粛清したことで、議会内外に不安と反発が広がった。彼の独裁に危機感を抱いた議員たちが結束し、失脚に至った。

第2章:ロベスピエールの失脚 ― テルミドール9日の衝撃

1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)、国民公会でロベスピエール派が告発・逮捕されるという歴史的瞬間が訪れました。

恐怖政治の象徴だった男の転落は、議会による自己防衛の反乱でもありました。

ここでは、テルミドール9日から10日にかけての緊迫した経過をたどります。

1. 国民公会での攻防 ― 「沈黙の独裁者」への反撃

テルミドール9日午前、国民公会に姿を現したロベスピエールは、これまでのように演説で議会を支配しようとしました。

しかし、この日は様相が違っていました。彼が「政府内部の陰謀」を非難しながらも、名を挙げなかったことで議員たちの恐怖と怒りは頂点に達していました。

ついに議員の一人が立ち上がり、「暴君を打倒せよ!」と叫ぶと、議場は一転してロベスピエール非難の嵐に包まれます。

彼とその側近――サン=ジュスト、クートン、弟オーギュスタン=ロベスピエールらは即座に逮捕され、コンシェルジュリ(監獄)へ送られました。

2. パリ市庁舎での抵抗 ― ジャコバン派最後の夜

逮捕の報を受けたパリ市庁舎では、コミューン(市政府)がロベスピエール救出に動きます。

民兵が武装し、“革命の守護者を救え”との声が上がりました。

夜になると、逮捕されたロベスピエール一行は市庁舎に救出され、一時的に議会軍と対峙します。

しかし、一般市民の支持はすでに失われていました。

「恐怖政治を終わらせたい」という空気がパリ全体を包み、民衆はもはや立ち上がらなかったのです。

夜明け前、議会軍が市庁舎を包囲。銃声が響き、ロベスピエールは顎を撃たれて倒れました。

3. テルミドール10日 ― 恐怖の終焉

翌7月28日(テルミドール10日)、ロベスピエール、サン=ジュスト、クートンら22名は革命裁判所で即日判決を受け、コンコルド広場で断頭台にかけられました。

恐怖政治を生み出した男が、恐怖政治によって処刑される――

その皮肉な結末に、群衆は歓声を上げたといいます。

ロベスピエールの死をもって、ジャコバン独裁は完全に崩壊しました。

同時に、公安委員会の権限は縮小され、革命政府は穏健派の支配下に戻っていきます。

4. テルミドールの反動のはじまり

このクーデタの成功は、単なる権力闘争ではなく、フランス革命全体の方向転換を意味しました。

ロベスピエール派の排除後、議会は革命裁判所を制限し、ジャコバンクラブを閉鎖。

社会の空気は次第に「平穏」と「私有財産の保護」へと傾いていきます。

こうして始まったのが、「テルミドールの反動」です。

それは、自由と平等を求めた理想の時代から、秩序と安定を重視する現実政治への移行を象徴する出来事でした。

入試で狙われるポイント

  • テルミドール9日は、ロベスピエール派が議会で逮捕された日。翌日処刑される。
  • クーデタを主導したのは、恐怖政治に脅かされた中間派・穏健派の議員たち
  • 「テルミドールの反動」とは、ジャコバン独裁崩壊後の保守化・穏健化の流れを指す。
  • 公安委員会・革命裁判所の権限が縮小され、ジャコバンクラブも閉鎖された。

人物整理表

人物立場運命
ロベスピエールジャコバン派指導者テルミドール10日に処刑
サン=ジュスト革命の理論家、公安委員会同上
クートンロベスピエールの側近同上
コリオ国民公会議員、反ロベスピエール派クーデタ主導
コミューンパリ市政府、ロベスピエール救出を試みる武装蜂起失敗

重要論述問題にチャレンジ

テルミドールのクーデタがフランス革命の転換点とされる理由を100字程度で説明しなさい。

解答例:
ロベスピエールの独裁と恐怖政治が崩壊し、穏健派が権力を掌握したことで、革命は理想主義から保守的安定へ転じた。この変化が「テルミドールの反動」と呼ばれる。

第3章:テルミドールの反動 ― 革命の穏健化と総裁政府への道

テルミドール9日のクーデタによって、フランス革命は急進的な「理念の時代」から、現実的な「秩序の時代」へと転じました。

ロベスピエールらの処刑後、革命政府はその性格を大きく変化させ、社会の主導権はジャコバン派から新興ブルジョワ層へと移ります。

この新しい政治潮流を指して、歴史学では「テルミドールの反動」と呼びます。

ここでは、その政治的・社会的特徴と、のちの総裁政府(ディレクトワール)につながる変化を整理します。

1. 革命政府の穏健化と公安委員会の縮小

ロベスピエール失脚後、国民公会はまず「恐怖の象徴」の解体に着手しました。

公安委員会や革命裁判所の権限は大幅に縮小され、非常措置的な独裁体制は終了します。

これにより、逮捕や処刑の乱用は減少し、政治の主導権は穏健派(中間派)の手に戻りました。

議会内では、ジャコバン派を支持していた議員が追放され、代わって実業家・地主・金融業者などが影響力を拡大していきます。

この層こそが、のちの総裁政府を支える社会基盤となるブルジョワ階層でした。

2. 社会の右傾化と「ホワイト・テロ」

恐怖政治が終わると、今度は旧体制寄りの保守勢力が報復に動きます。

1795年には、革命派やジャコバン派の元構成員が街頭で襲撃される事件が相次ぎました。

この反革命的な暴力を、当時の人々は皮肉を込めて「ホワイト・テロ(白色テロ)」と呼びました。

「自由」や「平等」の名のもとに進められた革命は、今度は秩序と財産を守るための体制へと変貌。

人々はもはや「理想の実現」ではなく、「混乱の終結」を望むようになります。

3. 1795年憲法の制定 ― 総裁政府への移行

テルミドールの反動は制度面にも及びました。

1795年、国民公会は新しい憲法(1795年憲法)を制定します。

この憲法では、恐怖政治の反省から、権力の集中を避けるために二院制(五百人会・元老会)と五人の総裁による行政機関(総裁政府)が設置されました。

これにより、革命政権は正式にジャコバン独裁から脱し、共和制を維持しながらも保守的・安定志向の政治へと移行します。

ただし、財産制限選挙によって有産市民の影響が強く、貧困層や労働者は再び政治から排除されることとなりました。

4. 革命の理想から現実へ ― テルミドール期の意義

テルミドール期は、「自由・平等」という理念のもとで進められた革命が、現実の社会秩序と経済的安定の必要性の前に、理想を修正していく過程でもありました。

それは同時に、フランスが「恐怖の時代」を終え、近代的行政国家への過渡期を迎えたことを意味します。

この時期の政治的安定は長くは続かず、のちにナポレオンの台頭を許すことになりますが、彼が導く「統領政府」と「帝政」は、まさにテルミドールの反動がもたらした政治的流れの延長線上にありました。

入試で狙われるポイント

  • 「テルミドールの反動」=恐怖政治終結後の保守化・穏健化を指す
  • 公安委員会・革命裁判所の権限縮小、ジャコバンクラブの閉鎖
  • 社会的には「ホワイト・テロ」が発生し、旧勢力が再台頭
  • 1795年憲法で総裁政府が成立し、二院制と五人総裁制を導入
  • 理想の革命から秩序の政治へ ― ナポレオン時代への橋渡し

制度と流れの整理表

出来事内容・意義
1794年7月テルミドール9日のクーデタロベスピエール失脚、恐怖政治終結
1794〜95年テルミドールの反動穏健派が復権、ジャコバン派弾圧
1795年1795年憲法制定二院制・五人総裁制の導入
1795年〜99年総裁政府時代不安定な共和政、ナポレオン台頭の前段階

重要論述問題にチャレンジ

「テルミドールの反動」とは何か。その政治的・社会的特徴を100字程度で説明しなさい。

ロベスピエールの失脚後、恐怖政治が終結して穏健派が台頭し、革命は保守化した。公安委員会の権限縮小やホワイト・テロが進み、1795年憲法の制定で総裁政府が成立した。

入試で狙われるポイント

正誤問題が20問あります。今回学習した内容の理解を深めるために活用ください。

問1
テルミドールのクーデタは、1793年に起きたロベスピエール派の権力掌握事件である。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
テルミドールのクーデタは1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)に発生した事件。
この日、ロベスピエール派が失脚・処刑され、恐怖政治が終焉した。

問2
テルミドール9日のクーデタは、国民公会内部の議員による反ロベスピエール運動として始まった。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
公安委員会に恐怖を抱いた議員たちが、ロベスピエールを告発して議会で逮捕。
つまり、革命政府内部による自己防衛のクーデタであった。

問3
クーデタの直接の契機となったのは、ロベスピエールが陰謀の存在をほのめかし、議員の不安を煽ったことだった。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
1794年7月26日(テルミドール8日)の演説で、ロベスピエールは「政府内部の陰謀」を非難。
しかし具体名を挙げなかったため、全議員が敵と感じたことが反発を生んだ。

問4
クーデタの際、ロベスピエールは民衆の支持を得て議会に反撃し、権力を維持した。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
民衆はすでに恐怖政治にうんざりしており、パリ市民は蜂起しなかった。
結果、ロベスピエールは孤立し、市庁舎で捕らえられて処刑された。

問5
ロベスピエールとともに処刑されたのは、サン=ジュスト、クートンなどの主要な公安委員でした。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
公安委員会の中核を担ったサン=ジュスト、クートン、弟オーギュスタン=ロベスピエールら22名が同時に処刑。
恐怖政治の象徴が完全に消滅した。

問6
ロベスピエールはパリ市庁舎で自ら拳銃自殺を図り死亡した。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
彼は議会軍に包囲された際に顎を銃撃されて負傷したが、即死ではなく翌日に断頭台で処刑された。

問7
テルミドールのクーデタの結果、公安委員会の権限は強化され、国家の統制が強まった。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
恐怖政治の反省から、公安委員会や革命裁判所の権限は大幅に縮小された。
以後、政治は穏健化・分権化の方向へ進む。

問8
ロベスピエールが提唱した「最高存在の祭典」は、議会での支持を強める契機となった。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
むしろ逆である。
「神の代わりに理性を置く」とする彼の宗教的理想は、議員たちの嘲笑と反発を招いた。

問9
テルミドール9日とは、革命暦の11番目の月(7月下旬)を指す。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
革命暦では、11番目の月がテルミドール(熱月)であり、7月19日〜8月17日に相当する。

問10
テルミドールのクーデタ後、ジャコバンクラブは一時的に活動を再開した。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
クーデタ後、ジャコバンクラブは閉鎖命令を受けた。
ジャコバン派の影響力は完全に消滅する。

問11
テルミドールの反動期には、旧ジャコバン派を襲撃する「ホワイト・テロ」が発生した。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
恐怖政治の反発として、反革命派や保守派がジャコバン派に暴力的報復を行った。
この報復的暴力を「白色テロ」と呼ぶ。

問12
テルミドールの反動期は、革命が再び急進化する時期として知られる。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
この時期はむしろ穏健化・保守化が進む。
革命理念の「自由・平等」よりも、「秩序・安定」が重視された。

問13
テルミドールの反動期に制定された1795年憲法では、権力集中を防ぐため二院制が採用された。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
1795年憲法では、五百人会(下院)と元老会(上院)による二院制を採用。
同時に行政は五人の総裁制
となり、権力の分散が図られた。

問14
総裁政府の成立によって、フランスは王政復古を果たした。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
総裁政府は依然として共和制であり、王政は復活していない。
ただし保守的傾向が強く、「富裕層中心の共和制」となった。

問16
テルミドールのクーデタは、フランス革命を終わらせる契機となった。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
革命はまだ続いており、総裁政府、さらにナポレオンの台頭へと展開する。
ただし「恐怖政治の終焉」という点では区切りとされる。

問17
テルミドールの反動期には、経済的自由主義が再び重視された。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
統制経済を否定し、商業・取引の自由が回復。
市場原理が尊重されるなど、ブルジョワ的経済秩序が確立した。

問18
テルミドールのクーデタは、立法議会期に起きた事件である。
解答:✕ 誤り

🟦【解説】
この事件は国民公会期(1792〜1795)に発生した。
立法議会はすでに1792年9月の王政廃止で解散している。

問19
ロベスピエールは、クーデタ前日に演説で自身の潔白を主張したが、逆に疑念を深める結果となった。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
テルミドール8日の演説は、「私は革命の敵を暴く」と述べつつ名を挙げず、議員たちに「誰が裏切り者なのか」という恐怖を植え付けた。

問20
テルミドールのクーデタによって、フランス革命は理想主義から現実主義へと転換した。
解答:〇 正しい

🟦【解説】
「自由・平等」の理念よりも、「秩序・安定」「財産の保護」が優先されるようになった。
これがナポレオンの登場を準備する流れとなる。

総まとめポイント

区分内容
年代1794年7月27日(テルミドール9日)
主役ロベスピエール派の失脚
原因恐怖政治への反発と議員の自己防衛
結果恐怖政治終焉・穏健化・総裁政府成立へ
歴史的意義革命の「理想主義」から「秩序の政治」への転換点
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