【世界史】スペイン継承戦争を徹底解説|ユトレヒト条約とヨーロッパ列強の再編

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18世紀初頭、ヨーロッパは再び大戦争に巻き込まれました。

1700年にスペイン・ハプスブルク家のカルロス2世が後継者を残さずに崩御すると、王位継承をめぐりブルボン家のフランスオーストリア・ハプスブルク家が激しく対立。

これにイギリスやオランダも加わり、ヨーロッパ全体を巻き込む大規模な国際戦争が勃発しました。

この戦争こそが 「スペイン継承戦争(1701〜1713)」 です。

本記事では以下の4つの観点から、受験生が必ず押さえるべきポイントを徹底解説します。

  • 戦争の背景と原因
  • ヨーロッパ戦局と主な戦闘
  • ユトレヒト条約とその結果
  • 植民地戦争との連動(北米・インド戦線)

さらに、記事末では入試頻出の一問一答・正誤問題・誤答パターンまとめも用意しました。
この1本で、スペイン継承戦争を「背景から結果まで」完全攻略できます!

目次

第1章 スペイン継承戦争の勃発とその背景

まずは、なぜスペイン継承戦争が起きたのかを理解しましょう。

戦争のきっかけは、スペイン・ハプスブルク家断絶と、その後継者をめぐる争いでした。

しかし背景には、それ以上に深刻な問題として、フランス・ブルボン家のヨーロッパ覇権拡大が存在していました。

1-1. スペイン・ハプスブルク家断絶と継承問題

1700年、スペイン王カルロス2世が後継者を残さずに崩御。

これにより、スペイン帝国(ヨーロッパ・アメリカ・アジアに広がる大帝国)の王位継承権をめぐって、以下の二大勢力が対立します。

  • ブルボン家(フランス)
     → ルイ14世の孫フェリペを王に擁立し、フランス=スペイン同盟を目指す
  • ハプスブルク家(オーストリア)
     → 皇帝レオポルト1世の息子カール大公を推し、フランス包囲網を維持したい

両者の対立は「スペイン帝国の巨大領土を誰が受け継ぐか」という国際問題に発展しました。

1-2. ルイ14世の覇権拡大と列強の危機感

戦争の火種はカルロス2世の死だけではありません。

17世紀後半からフランス絶対王政を築き上げたルイ14世は、積極的な領土拡張政策を展開していました。

  • アルザス地方の獲得
  • 南ネーデルラント(ベルギー)の一部併合
  • フランシュ=コンテ地方の併合

こうした一連の侵略戦争によって、オランダ・神聖ローマ帝国・イギリスなど周辺諸国は「フランス包囲網」を形成。

スペイン継承戦争は、このフランス包囲網とブルボン家の覇権争いが激突した戦争でもあったのです。

1-3. 大同盟(Grand Alliance)の結成

1701年、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国を中心とした大同盟が結成され、フランスへの対抗姿勢を強めます。

ここから、ヨーロッパ全体を巻き込む戦争が始まります。

入試で狙われるポイント

  • スペイン・ハプスブルク家断絶がきっかけ
  • ルイ14世の孫フェリペ即位をめぐる対立
  • 大同盟(イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国)vs フランス・スペイン連合
  • 背景に「フランス包囲網」と「植民地戦争」があること

重要論述問題にチャレンジ

スペイン継承戦争の勃発に至った背景と、ヨーロッパ列強の思惑について、120〜150字で説明せよ。

1700年、スペイン王カルロス2世が後継者なく没すると、フランス王ルイ14世は孫フェリペを王位につけようとし、スペイン=フランス同盟を狙った。一方、オーストリアは皇帝レオポルト1世の子カール大公を擁立し、イギリス・オランダと共にフランス包囲網を形成。こうして王位継承を名目としつつ、覇権争いが激化した。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章:スペイン継承戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1700年、後継者なく死去したスペイン王は誰か。
解答:カルロス2世

問2
スペイン継承戦争で王位継承を主張したフランス王の孫は誰か。
解答:フェリペ(フェリペ5世)

問3
スペイン継承戦争におけるフランス側の中心人物で、絶対王政を完成させた国王は誰か。
解答:ルイ14世

問4
フランスに対抗するため、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国が結成した同盟を何というか。
解答:大同盟(Grand Alliance)

問5
スペイン継承戦争は何年から何年まで続いたか。
解答:1701年〜1713年

問6
ユトレヒト条約によって、スペイン領ネーデルラントを獲得した国はどこか。
解答:オーストリア

問7
ユトレヒト条約でジブラルタルを獲得した国はどこか。
解答:イギリス

問8
アン女王戦争とは、スペイン継承戦争におけるどの地域での戦闘を指すか。
解答:北米

問9
スペイン継承戦争後、ブルボン家が王位についた国はどこか。
解答:スペイン

問10
スペイン継承戦争の和平を結んだ条約名は何か。
解答:ユトレヒト条約

正誤問題(5問)

問1
スペイン継承戦争は、オーストリア・フランス・ロシアの三国同盟とイギリス・オランダ連合の戦いであった。
解答:誤り → フランス+スペイン vs 大同盟(イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国)

問2
ユトレヒト条約により、イギリスはジブラルタルとカナダを獲得した。
解答:正しい

問3
スペイン継承戦争は1701年から1713年にかけて行われた。
解答:正しい

問4
ユトレヒト条約では、フランスとスペインが同君連合となった。
解答:誤り → ブルボン家フェリペの王位は承認されたが、フランスとスペインの合同は禁止された

問5
アン女王戦争は、スペイン継承戦争中の北米戦線を指す。
解答:正しい

よくある誤答パターンまとめ

誤答パターン正しい知識
スペイン継承戦争はフランスvsスペインの戦争× → フランス+スペイン連合 vs 大同盟
ユトレヒト条約でフランスがカナダを獲得× → イギリスがカナダを獲得
アン女王戦争は七年戦争中の北米戦争× → スペイン継承戦争中の北米戦争
スペインとフランスはユトレヒト条約後に同君連合になった× → 同君連合は禁止された
スペイン継承戦争は「植民地戦争」とは無関係× → 北米・インド戦局と密接に連動

第2章 スペイン継承戦争のヨーロッパ戦局と主な戦闘

スペイン継承戦争は、ヨーロッパ中を巻き込む大戦争でした。

戦局はフランス+スペイン連合大同盟(イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国)の対立構造で推移し、各地で激しい戦闘が展開されます。

ここでは特に入試頻出の ブレンハイムの戦い・トリノの戦い・マルプラケの戦い を中心に整理し、北米・インドの戦争とも関連づけて全体像を掴んでいきましょう。

2-1. 戦局初期(1701〜1703年)フランス優勢から大同盟の反撃へ

(1) フランス軍の快進撃

戦争初期はフランスが有利に進めます。

ルイ14世はヨーロッパ最強の陸軍を擁し、南ネーデルラント(現在のベルギー)やライン川流域で次々と勝利を収めました。

1701年には孫フェリペがスペイン王フェリペ5世として即位し、フランス=スペイン連合は強大な軍事力を確立します。

(2) マールバラ公率いるイギリス軍の台頭

しかし、1702年にイギリス王位についたアン女王のもとで、大同盟側は本格的な反撃を開始。

特に、イギリスの名将マールバラ公ジョン・チャーチルが率いる軍は、戦局を大きく変える存在となります。

2-2. ブレンハイムの戦い(1704年) ― 戦局を一変させた大勝利

(1) 戦いの概要

  • 場所:ドイツ南部バイエルン地方ブレンハイム村
  • 対戦:大同盟軍(イギリス+オーストリア) vs フランス+バイエルン連合軍
  • 結果:大同盟軍の大勝利

(2) 戦局への影響

この勝利により、フランス軍のドイツ侵攻は阻止され、大同盟軍が主導権を握ることになります。
イギリス軍を率いたマールバラ公は一躍ヨーロッパ随一の名将として名を馳せました。

2-3. イタリア戦線 ― トリノの戦い(1706年)

(1) サヴォイア公国の重要性

戦争のもう一つの焦点は北イタリア。

アルプスの要衝を押さえるサヴォイア公国は、フランスにとっても大同盟にとっても極めて重要でした。

(2) トリノの戦いの結果

  • 1706年:オーストリア軍がフランス軍を撃破
  • サヴォイア公国は大同盟側に転じ、北イタリア戦線は大同盟優位に傾きます。

2-4. 西部戦線 ― マルプラケの戦い(1709年)

(1) 戦いの特徴

  • 場所:現ベルギー領マルプラケ
  • 対戦:大同盟軍(イギリス・オランダ・オーストリア) vs フランス軍
  • 結果:大同盟軍が勝利するも、死傷者は大同盟側がフランス以上

(2) 戦局への影響

大同盟軍は勝利を収めたものの、戦死者が4万人に達し、国内世論は疲弊。
これ以降、イギリスは和平路線へ傾き、戦争終結への動きが加速していきます。

2-5. 植民地戦線 ― 北米・インドでの戦い

スペイン継承戦争はヨーロッパだけでなく、北米・インドでも展開されました。

  • 北米戦線(アン女王戦争)
     → イギリス植民地とフランス植民地が激突。
     → ニューファンドランド島・アカディア地方をめぐる戦いが中心。
     → 詳細は 「アン女王戦争(北米戦局)を徹底解説」 サブ記事で扱います。
  • インド戦線
     → ポンディシェリなどの拠点をめぐり、英仏の抗争が始まる。

こうした植民地戦争は、のちの七年戦争フレンチ=インディアン戦争につながる伏線となります。

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入試で狙われるポイント

  • ブレンハイムの戦い(1704年) → 大同盟軍の大勝利
  • トリノの戦い(1706年) → 北イタリアで大同盟軍が優位
  • マルプラケの戦い(1709年) → 大同盟軍勝利も疲弊
  • 北米戦線=アン女王戦争、インド戦線も連動している点

重要論述問題にチャレンジ

スペイン継承戦争の戦局における大同盟軍の戦略と、その結果について120〜150字で説明せよ。

スペイン継承戦争では、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国などからなる大同盟軍が、フランス=スペイン連合に対抗した。1704年ブレンハイムの戦いで大勝し、北イタリア戦線でも1706年トリノの戦いで優位に立つ。しかし1709年マルプラケの戦いでは勝利するも損害が大きく、イギリス国内世論は和平へ傾き、戦争終結のきっかけとなった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章:スペイン継承戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
スペイン継承戦争で大同盟軍を率いたイギリスの名将は誰か。
解答:マールバラ公ジョン・チャーチル

問2
1704年、フランス軍に大打撃を与えた戦いは何か。
解答:ブレンハイムの戦い

問3
ブレンハイムの戦いで勝利したのはどちらの陣営か。
解答:大同盟軍

問4
北イタリア戦線で1706年に大同盟軍が勝利した戦いは何か。
解答:トリノの戦い

問5
マルプラケの戦いの結果、大同盟軍の戦死者はおよそ何万人に達したか。
解答:約4万人

問6
スペイン継承戦争の北米戦局を何と呼ぶか。
解答:アン女王戦争

問7
北米戦線で争点となった地域の一つ、カナダ東部の半島はどこか。
解答:アカディア地方

問8
インド戦線で英仏が争った拠点都市の一つを答えよ。
解答:ポンディシェリ

問9
マルプラケの戦い後、イギリス国内世論はどのような方向へ傾いたか。
解答:和平路線

問10
スペイン継承戦争が北米・インド戦局と連動していたことは、後のどの戦争への伏線となったか。
解答:七年戦争

正誤問題(5問)

問1
ブレンハイムの戦いは1704年に行われ、大同盟軍の勝利に終わった。
解答:正しい

問2
トリノの戦いではフランス軍が勝利し、北イタリアを制圧した。
解答:誤り → 大同盟軍が勝利し、サヴォイア公国が大同盟側に転じた

問3
マルプラケの戦いではフランス軍が大勝し、戦局は一気にフランス優勢に傾いた。
解答:誤り → 大同盟軍が勝利したが損害が大きかった

問4
アン女王戦争は七年戦争中の北米戦争を指す。
解答:誤り → スペイン継承戦争中の北米戦争

問5
スペイン継承戦争では、インド戦線でも英仏の小競り合いが始まっていた。
解答:正しい

第3章 ユトレヒト条約とヨーロッパ列強の再編

長期にわたるスペイン継承戦争は、各国の国力を消耗させました。

1713年、ついに講和条約が締結され、戦争は終結します。この条約こそが有名な 「ユトレヒト条約」 です。

ユトレヒト条約は単なる停戦協定ではなく、ヨーロッパの国際秩序を再編した転換点でした。

本章では、条約の内容と影響を詳しく見ていきます。

3-1. ユトレヒト条約の基本概要

  • 締結年:1713年
  • 締結地:オランダのユトレヒト
  • 締結国:フランス・スペイン・イギリス・オランダ・オーストリアなど主要列強
  • 目的:スペイン王位継承問題の解決とヨーロッパ勢力均衡の回復

この条約は、「フェリペ5世の王位を承認しつつ、フランスとスペインの合同を禁止」したことが最大の特徴です。

つまり、ブルボン家の勢力拡大は一定程度認められた一方で、ヨーロッパ全体のパワーバランスは維持されました。

3-2. 条約内容まとめ(表)

国名獲得領土・特権失った領土・影響
フランス– 孫フェリペのスペイン王位を承認させる– フランス=スペイン同君連合は禁止
スペイン– フェリペ5世の王位が確定– スペイン領ネーデルラント・ミラノ・ナポリなどをオーストリアに割譲
– ジブラルタルとミノルカ島をイギリスに割譲
オーストリア– スペイン領ネーデルラント・ミラノ・ナポリ・サルデーニャを獲得特になし
イギリス– ジブラルタル・ミノルカ島を獲得
– カナダ東部のアカディア地方、ニューファンドランド島、ハドソン湾を獲得
– 「アシエント(奴隷供給権)」を獲得
特になし
オランダ– 南ネーデルラントの防衛権を得る戦費の増大で国力が低下

こうして、戦争の直接的な決着だけでなく、植民地・貿易・勢力圏をめぐる国際秩序が大きく変わりました。

3-3. イギリスの台頭と大陸勢力図の変化

ユトレヒト条約は、ヨーロッパ列強の勢力バランスを大きく塗り替えました。

(1) イギリスの飛躍

  • ジブラルタル獲得 → 地中海進出の拠点確保
  • カナダ東部やニューファンドランド島の獲得 → 北米で優位に
  • 「アシエント(奴隷供給権)」 → スペイン植民地市場への参入

これにより、イギリスは海上覇権国家としての地位を強固にします。

(2) オーストリアの領土拡大

  • 南ネーデルラント・ナポリ・ミラノを獲得し、イタリア半島で優位を確立
  • 神聖ローマ帝国のハプスブルク家は領土を拡大し、大陸覇権を狙う足場を固めました。

(3) フランスの制約

  • 孫フェリペのスペイン王位は承認されたが、フランス=スペイン同君連合は禁止
  • 戦費の負担が重く、国力は疲弊

これにより、ルイ14世の覇権は終焉を迎えます。

3-4. スペイン継承戦争の国際的影響

(1) 英仏植民地戦争の本格化

  • 北米戦線(アン女王戦争)ではイギリスが一定の勝利
  • カナダ・アカディア地方を獲得し、フランスは北米植民地で劣勢に

(2) 「勢力均衡」外交の始まり

ユトレヒト条約は、「ある一国が圧倒的に強くならないよう調整する」という勢力均衡外交の起点となりました。
この考え方は、18世紀の国際政治を貫く重要テーマとなります。

入試で狙われるポイント

  • ユトレヒト条約は 1713年
  • フェリペ5世の王位承認+フランス=スペイン合同禁止
  • イギリスの飛躍(ジブラルタル・カナダ東部・アシエント)
  • オーストリアの領土拡大(ナポリ・ミラノ・南ネーデルラント)
  • 勢力均衡外交の起点となったこと

重要論述問題にチャレンジ

ユトレヒト条約の内容とその国際的意義について、150〜180字で説明せよ。

1713年のユトレヒト条約では、フランス王ルイ14世の孫フェリペ5世のスペイン王位が承認されたが、フランスとスペインの合同は禁止された。オーストリアは南ネーデルラント・ナポリ・ミラノを獲得し、イギリスはジブラルタル・カナダ東部・アシエントを得た。この結果、イギリスが海上覇権を強化し、ヨーロッパでは勢力均衡外交が本格化する契機となった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章:スペイン継承戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
ユトレヒト条約が締結されたのは何年か。
解答:1713年

問2
ユトレヒト条約でスペイン王位を認められたのは誰か。
解答:フェリペ5世

問3
ユトレヒト条約で、フランスとスペインに対して禁止されたことは何か。
解答:同君連合

問4
ユトレヒト条約で、スペイン領ネーデルラントを獲得した国はどこか。
解答:オーストリア

問5
ジブラルタルを獲得した国はどこか。
解答:イギリス

問6
ユトレヒト条約でイギリスが獲得したカナダ東部の地域を1つ答えよ。
解答:アカディア地方

問7
ユトレヒト条約でイギリスが得た「アシエント」とは何か。
解答:スペイン領アメリカへの奴隷供給権

問8
ユトレヒト条約後、海上覇権を強化した国はどこか。
解答:イギリス

問9
ユトレヒト条約でナポリとミラノを獲得した国はどこか。
解答:オーストリア

問10
ユトレヒト条約が国際秩序に与えた最も大きな影響は何か。
解答:勢力均衡外交の始まり

正誤問題(5問)

問1
ユトレヒト条約は1713年に締結され、フェリペ5世のスペイン王位を承認した。
解答:正しい

問2
ユトレヒト条約で、フランスとスペインは同君連合を形成した。
解答:誤り → 同君連合は禁止された

問3
ユトレヒト条約で、オーストリアは南ネーデルラント・ミラノ・ナポリを獲得した。
解答:正しい

問4
イギリスはユトレヒト条約でアシエントを失った。
解答:誤り → イギリスがアシエントを獲得した

問5
ユトレヒト条約を機に、ヨーロッパで「勢力均衡」外交が本格化した。
解答:正しい

よくある誤答パターンまとめ

誤答パターン正しい知識
フランスとスペインはユトレヒト条約で同君連合を形成した× → 同君連合は禁止された
イギリスはユトレヒト条約でカナダ東部を失った× → イギリスがカナダ東部を獲得
アシエントはオランダが獲得した× → イギリスが獲得
ユトレヒト条約でオーストリアはジブラルタルを得た× → イギリスが獲得
ユトレヒト条約は単なる停戦協定で、国際秩序に影響しなかった× → 勢力均衡外交の起点となった

まとめ スペイン継承戦争の全体像と受験対策

4-1. スペイン継承戦争の全体像

スペイン継承戦争(1701〜1713)は、スペイン・ハプスブルク家断絶をきっかけに発生しました。

ルイ14世率いるフランスは孫フェリペの王位継承を主張し、フランス+スペイン連合を形成。

これに対抗したのが、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国などからなる大同盟でした。

戦争はヨーロッパ全域で展開され、北米・インドなどの植民地でも戦火が広がります。

その結果、1713年のユトレヒト条約によって、スペイン王位はブルボン家に確定する一方、フランス=スペイン同君連合は禁止されました。

この戦争を契機に、イギリスが海上覇権を確立し、ヨーロッパでは勢力均衡外交の時代が幕を開けます。

4-2. スペイン継承戦争・講和までの年表

出来事ポイント
1700年スペイン王カルロス2世が後継者なく死去王位継承問題が発生
1701年ルイ14世の孫フェリペ、スペイン王フェリペ5世として即位フランス+スペイン連合成立
1701年大同盟(イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国)結成ルイ14世包囲網が再形成
1702年イギリスでアン女王即位北米戦線は「アン女王戦争」へ
1704年ブレンハイムの戦い:大同盟軍がフランス軍に大勝戦局転換点
1706年トリノの戦い:北イタリアで大同盟軍勝利サヴォイア公国が大同盟側へ
1709年マルプラケの戦い:大同盟軍勝利も死傷者多数イギリス世論が和平へ傾く
1713年ユトレヒト条約締結スペイン王位承認・勢力再編
1714年ラシュタット条約オーストリアとフランス間で領土確定

4-3. 戦争の構造フローチャート

【1700年】スペイン王カルロス2世死去


【1701年】スペイン継承戦争 勃発(1701〜1713)

┌─────┴───────────┐
│                 │
▼                  ▼
フランス+スペイン連合    大同盟(英・蘭・神聖ローマ)
(ルイ14世+孫フェリペ)  (イギリス・オランダ・オーストリア)
│ │
└────────┬─────────┘

ヨーロッパ全域で戦闘

┌──────────┼──────────┐
│ │ │
ブレンハイムの戦い トリノの戦い マルプラケの戦い
(1704) (1706) (1709)
大同盟軍大勝 大同盟軍優勢 大同盟軍勝利も大損害


北米・インドでも戦争拡大
(アン女王戦争・インド小競り合い)


【1713年】ユトレヒト条約 締結
┌────────┼───────────┐
│ │ │
フェリペ5世 イギリスが植民地拡大 勢力均衡外交の始まり
スペイン王位承認 (ジブラルタル・ ただし同君連合禁止
アカディア・
ハドソン湾など獲得)


イギリスが海上覇権を強化


【18世紀の英仏植民地戦争シリーズへ】
(アン女王戦争 → ジェンキンスの耳戦争 → 七年戦争)

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