【世界史】英仏植民地戦争を完全攻略!カーナティック戦争から七年戦争まで徹底解説

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17世紀後半から18世紀にかけて、イギリスとフランスは世界中で覇権を争いました。

その舞台はヨーロッパだけでなく、北米・インド・カリブ海・アフリカと広がり、戦争の結果は世界の地図を大きく塗り替えました。

特に英仏植民地戦争は、

  • アメリカ独立戦争やフランス革命の遠因
  • イギリスの「世界工場」への道
  • インド支配の基盤形成

これらの近代世界史の大きな流れを理解するうえで避けて通れません。

この記事では、英仏植民地戦争を構成する4つの戦争を詳しく解説し、入試で狙われるポイントを整理します。

さらに、論述問題や一問一答、正誤問題も用意し、知識の定着を図ります。

目次

第1章 英仏植民地戦争とは何か:世界を巻き込んだ4つの戦争

英仏植民地戦争は、1689年のウィリアム王戦争から1763年の七年戦争終結までの約70年間、ヨーロッパでの大戦と完全にリンクしながら北米・カリブ・インドで展開したグローバル規模の覇権戦争です。

ポイントは、一つのヨーロッパ戦争に対して、北米やインドで“別名”の戦争が同時進行すること。

つまり「ヨーロッパ本戦=エンジン」「北米・インド=駆動輪」という関係で、条約も一体で決着します。

1. 英仏植民地戦争の全体像

時期ヨーロッパでの戦争名北米での呼称インドでの呼称・連動主な帰結
1689–1697アウクスブルク同盟戦争ウィリアム王戦争(インドの本格衝突はまだ限定的)ライスワイク和約:植民地は概ね現状維持
1702–1713スペイン継承戦争アン女王戦争(インドは依然限定的)ユトレヒト条約:英がアカディア(ノバスコシア)・ニューファンドランド・ハドソン湾を獲得、海軍覇権を強化
1740–1748(北米では1744–1748)オーストリア継承戦争ジョージ王戦争第1・第2次カーナティック戦争(1744–48/1749–54)アーヘンの和約:北米は概ね現状復帰、一方でインドでは英仏の勢力争いが激化
1756–1763(北米は1754–)七年戦争フレンチ=インディアン戦争第3次カーナティック戦争(1757–63、プラッシーの戦い1757)パリ条約(1763):英がカナダ・インド優位を確立、仏は北米本土をほぼ喪失(サンピエール島・ミクロン島のみ保持)

北米は「ウィリアム王/アン女王/ジョージ王/フレンチ=インディアン」という北米独自の通称インドはカーナティック戦争としてオーストリア継承戦争〜七年戦争期に連動します。

2. なぜ連動するのか:連動メカニズムを“原因→手段→結果”で理解

2-1. 原因(海洋重商主義と市場・航路争奪)

  • 重商主義:銀(貴金属)と有利な交易差益の確保が国力=植民地と独占貿易が不可欠。
  • 旧勢力の衰退(スペイン・ポルトガル)で、英仏が新大陸・インド洋に進出、利権衝突が常態化。

2-2. 手段(海軍・私掠・同盟・現地勢力の動員)

  • 海軍力と封鎖:イギリスは海軍でフランスの補給線を遮断、カリブ砂糖・北米毛皮・インド綿織物といった収益ラインを圧迫。
  • 私掠許可(プレダトリー・コマース):民間船を戦力化して相手の商船を襲撃、戦費を敵の交易から捻出
  • 現地同盟
    • 北米では英+イロコイ連邦 vs 仏+アルゴンキン系など、先住民同盟が勝敗を左右。
    • インドでは英東インド会社 vs 仏東インド会社がムガル地方勢力や藩王(ナワーブ)を巻き込み、仏デュプレクス vs 英クライヴのような代理戦が拡張。

2-3. 結果(ヨーロッパの一枚札が世界地図を動かす)

  • ヨーロッパ本戦の講和条約が“世界条約”化:ユトレヒト(1713)、アーヘン(1748)、パリ(1763)で北米・インド・カリブ・アフリカの帰属が整理。
  • フランスの選択と痛手:1763年、収益性の高いカリブ砂糖植民地を優先し、カナダ放棄を容認。結果、北米本土の影響力を喪失。
  • イギリスの覇権確立と副作用:広大な領土維持コスト増→課税強化アメリカ独立戦争の遠因に。仏は復仇心と財政悪化→フランス革命の一因へ。

3. 入試で狙われるポイント

  • 対応関係暗記が最重要:「ヨーロッパ名 ↔ 北米名 ↔ インド名 ↔ 条約」。
  • フレンチ=インディアン戦争は1754開始(ヨーロッパより先行)という年号差が頻出。
  • インドは“カーナティック戦争”で把握:とくに第3次(七年戦争期)+プラッシー(1757)
  • パリ条約(1763):英=カナダ・インド優位、仏=北米本土喪失サンピエール島・ミクロン島のみ保持、ルイジアナ西岸はスペインへ譲渡)。
  • 「砂糖>毛皮」の発想:仏がカリブ砂糖植民地を重視しカナダ喪失を受け入れた経済合理性を説明できると強い。

重要論述問題にチャレンジ

英仏植民地戦争におけるヨーロッパ戦争と北米・インド戦争の“連動”の具体像を、条約による決着と経済構造の観点から説明せよ。(300字程度)

英仏の対立は重商主義下での市場・航路争奪に根差し、ヨーロッパ本戦を起点に北米・インドで同時進行した。たとえばオーストリア継承戦争期は北米でジョージ王戦争、インドで第1・第2次カーナティック戦争として現れ、最終的にはアーヘンの和約で一括処理された。七年戦争では北米のフレンチ=インディアン戦争と第3次カーナティック戦争が並走し、パリ条約で英がカナダ・インド優位を獲得、仏は収益性の高いカリブ砂糖植民地の保持を優先して北米本土を放棄した。こうしてヨーロッパの講和は世界条約化し、海軍力と外洋貿易を制した英が覇権を確立する一方、財政負担の増大は英の課税強化と植民地反発を招き、後のアメリカ独立戦争の遠因となった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章: 英仏植民地戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
英仏植民地戦争の最初の北米戦争名は。

解答:ウィリアム王戦争

問2
ウィリアム王戦争のヨーロッパでの呼称は。

解答:アウクスブルク同盟戦争

問3

アン女王戦争を終結させた条約は。

解答:ユトレヒト条約

問4
ジョージ王戦争はヨーロッパでは何継承戦争に対応するか。

解答:オーストリア継承戦争

問5
七年戦争の北米戦線の名称は。

解答:フレンチ=インディアン戦争

問6
フレンチ=インディアン戦争は北米で何年に先行して勃発したか。

解答:1754年

問7
七年戦争のインド戦線を代表する一連の戦争名は。

解答:カーナティック戦争(第3次)

問8
インドで英の覇権確立の契機となった1757年の戦いは。

解答:プラッシーの戦い

問9
1763年の講和条約は。

解答:パリ条約(1763)

問10
1763年以後、フランスが北米で保持した領域は基本的にどこか。

解答:サンピエール島・ミクロン島(漁業拠点のみ)

正誤問題(5問)

問1
フレンチ=インディアン戦争は七年戦争より後に始まった。

解答:× → 北米では1754年に先行開戦

問2
ユトレヒト条約でイギリスはアカディア・ニューファンドランド・ハドソン湾を得た。

解答:○

問3
アーヘンの和約(1748)で北米の領土はおおむね現状回復となった。

解答:○

問4
パリ条約(1763)でフランスはカナダを保持した。

解答:× → イギリスへ譲渡

問5
七年戦争期のインドでは第2次カーナティック戦争が進行していた。

解答:× → 第3次カーナティック戦争

よくある誤答パターンまとめ

誤答パターン正しい知識
七年戦争の北米名=七年戦争× → フレンチ=インディアン戦争
フレンチ=インディアン戦争は1756年開始× → 1754年に北米で先行
七年戦争期のインド=第2次カーナティック× → 第3次カーナティック
パリ条約後も仏はカナダ保持× → 英が獲得、仏はサンピエール島・ミクロン島のみ
仏はカナダ放棄は失策▲ → 砂糖植民地(カリブ)重視の経済判断(収益性優先)

英仏植民地戦争の全体像(条約・領土・勝敗を一望)

期間ヨーロッパでの戦争北米での戦争名インドでの戦争名講和条約領土の変更主な帰結(勝敗)
1689〜1697アウクスブルク同盟戦争
(ルイ14世の領土拡大への対抗)
ウィリアム王戦争—(本格的衝突なし)ライスワイク和約(1697)植民地領土は現状維持決定的勝敗なし
1702〜1713スペイン継承戦争
(ブルボン家とハプスブルク家の王位継承争い)
アン女王戦争—(まだ本格衝突なし)ユトレヒト条約(1713)イギリスがアカディア(ノバスコシア)・ニューファンドランド・ハドソン湾をフランスから獲得イギリスが北米で優位に
1744〜1748オーストリア継承戦争ジョージ王戦争第1次カーナティック戦争(1744〜48)
第2次カーナティック戦争(1749〜54)
アーヘンの和約(1748)北米領土は概ね現状復帰北米は引き分けだが、インドで英仏対立が激化
1756〜1763
(北米は1754〜)
七年戦争
(外交革命後、英+プロイセン vs 仏+オーストリア+ロシア)
フレンチ=インディアン戦争(1754〜63)第3次カーナティック戦争(1757〜63)
※1757 プラッシーの戦いで英勝利
パリ条約(1763)イギリス:カナダ・ミシシッピ以東ルイジアナ・インド優位権を獲得
フランス:北米本土を放棄(サンピエール島・ミクロン島のみ保持)、ルイジアナ西岸はスペインへ譲渡
スペイン:ルイジアナ西岸を獲得(代わりにフロリダを英に譲渡)
イギリスが世界的海洋覇権を確立
フランスは北米・インドからほぼ撤退

表のポイント

  • 条約名を軸に覚えると整理しやすい
  • 領土の変化はイギリス優位が進む流れを意識
  • 七年戦争で一気に決着イギリスが世界覇権確立

第2章 英仏植民地戦争を構成する4つの戦争の詳細解説

英仏植民地戦争は、「ヨーロッパの戦争 → 北米・インドへ拡大 → 条約で一括決着」という構図で進みました。

しかし、ヨーロッパ戦争名と北米戦争名が異なるため、受験生の混乱ポイントになります。

ここでは、それぞれの戦争を時系列順に、ヨーロッパ・北米・インドの三つの視点から整理します。

ウィリアム王戦争(1689〜1697)

ヨーロッパの背景

  • ヨーロッパ本戦はアウクスブルク同盟戦争
  • ルイ14世フランス vs イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国などの同盟諸国
  • 原因:フランスの領土拡大政策への対抗

北米戦線(ウィリアム王戦争)

  • 北米ではニューイングランド植民地(英) vs ニュー・フランス(仏)
  • 現地インディアン部族も参戦:
    • 英側:イロコイ連邦
    • 仏側:アルゴンキン系部族
  • 激戦はあったが、決定的勝敗なし

講和条約と結果

  • ライスワイク和約(1697):北米植民地は現状維持
  • 勝敗はつかず、むしろ「次の戦争の前哨戦」という位置づけ

アン女王戦争(1702〜1713)

ヨーロッパの背景

  • ヨーロッパ本戦はスペイン継承戦争
  • ハプスブルク系スペイン王位をめぐり、ブルボン家フランス+スペイン vs イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国が対立

北米戦線(アン女王戦争)

  • イギリス軍が仏領アカディアを攻略
  • ケベック攻略作戦は失敗
  • 現地インディアン勢力も巻き込んだ長期消耗戦

講和条約と結果

  • ユトレヒト条約(1713)
    • イギリスアカディア(ノバスコシア)・ニューファンドランド・ハドソン湾を獲得
    • 海軍拠点を確保し、北米覇権の足がかりを築く
  • フランスはカリブ砂糖植民地の保持を優先 → 北米の一部領土を割譲する形に

ジョージ王戦争(1744〜1748)

ヨーロッパの背景

  • ヨーロッパ本戦はオーストリア継承戦争
  • プロイセンとハプスブルク家の対立を契機に、英 vs 仏の対立が再燃

北米戦線(ジョージ王戦争)

  • イギリス植民地軍がルイブルグ要塞を攻略し、一時占領
  • フランスは現地部族と連携して反撃
  • 北米植民地では大きな犠牲が出るが、決定打はなし

インド戦線(第1・第2次カーナティック戦争)

  • 第1次カーナティック戦争(1744〜48)
    • フランス総督デュプレクス vs 英東インド会社
    • 仏軍が一時的に優勢
  • 第2次カーナティック戦争(1749〜54)
    • イギリスのクライヴが頭角を現し、逆転勝利への布石を築く

講和条約と結果

  • アーヘンの和約(1748)
    • 北米ではルイブルグ要塞を返還 → 現状回復
    • しかしインドでは英仏の対立がむしろ激化

七年戦争(1756〜1763)

ヨーロッパの背景

  • プロイセンのフリードリヒ2世とオーストリアのマリア=テレジアが激突
  • 英+プロイセン vs 仏+オーストリア+ロシア
  • 外交革命で英仏が完全に対立構造に

北米戦線(フレンチ=インディアン戦争)

  • 実質的には1754年からオハイオ川流域で開戦
  • 若きジョージ・ワシントンが先遣隊として初登場
  • イギリスはウィリアム・ピットの海軍戦略でフランス補給線を断絶
  • 1759年ケベックの戦いで仏軍壊滅 → 北米戦線はイギリス勝利

インド戦線(第3次カーナティック戦争)

  • 1757年プラッシーの戦いでクライヴ率いる英軍が仏軍を撃破
  • 英東インド会社がベンガル支配権を獲得 → インドで主導権確立

講和条約と結果

  • パリ条約(1763)
    • イギリス
      • カナダ・ミシシッピ以東ルイジアナ・インド優位権を獲得
    • フランス
      • 北米本土はサンピエール島・ミクロン島以外を放棄
      • ルイジアナ西岸をスペインに譲渡
    • スペイン
      • ルイジアナ西岸獲得、代わりにフロリダをイギリスに譲渡

七年戦争の結果、イギリスは世界最大の海洋帝国へ、フランスは北米・インドの権益をほぼ失い大打撃を受けます。

入試で狙われる重要ポイント

  • 同時進行する複数戦争の対応関係を整理
  • 北米名とヨーロッパ名の違いを確実に暗記
  • 条約名と領土変化は必須
  • 七年戦争=世界初のグローバル戦争という視点でまとめると論述にも強い

重要論述問題にチャレンジ

18世紀前半から半ばにかけての英仏植民地戦争について、ヨーロッパ戦争と北米・インドでの戦局の連動関係に触れながら、講和条約による領土変化を中心に説明せよ。(450字以内)

18世紀の英仏植民地戦争は、ヨーロッパ戦争と北米・インドでの戦局が密接に連動して展開した。まず、スペイン継承戦争期のアン女王戦争では、北米での戦闘と連動し、ユトレヒト条約(1713)でイギリスがアカディア・ニューファンドランド・ハドソン湾を獲得して北米優位を確立した。続くオーストリア継承戦争期にはジョージ王戦争が起き、北米ではルイブルグ要塞を巡る争奪があり、インドでも第1次・第2次カーナティック戦争が進行したが、アーヘンの和約(1748)では北米領土を現状復帰としつつ、インド対立は激化した。さらに七年戦争では北米のフレンチ=インディアン戦争、インドの第3次カーナティック戦争が並行し、1757年プラッシーの戦いでイギリスがインド覇権を確立。パリ条約(1763)でイギリスはカナダ・ミシシッピ以東ルイジアナ・インド優位権を獲得し、フランスは北米本土をほぼ喪失した。このように講和条約を軸に見ると、ヨーロッパ本戦と北米・インド戦線が一体となって世界秩序を再編したことがわかる。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章: 英仏植民地戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
ウィリアム王戦争のヨーロッパでの戦争名は何か。

解答:アウクスブルク同盟戦争

問2
ウィリアム王戦争を終結させた条約は何か。

解答:ライスワイク和約(1697)

問3
アン女王戦争を終結させた講和条約は何か。

解答:ユトレヒト条約(1713)

問4
ユトレヒト条約でイギリスがフランスから獲得した北米3地域はどこか。

解答:アカディア(ノバスコシア)、ニューファンドランド、ハドソン湾

問5
ジョージ王戦争のヨーロッパでの戦争名は何か。

解答:オーストリア継承戦争

問6
ジョージ王戦争の際、北米でイギリスが一時占領した重要な要塞はどこか。

解答:ルイブルグ要塞

問7
オーストリア継承戦争期にインドで起こった2つの戦争を挙げよ。

解答:第1次カーナティック戦争、第2次カーナティック戦争

問8
七年戦争の北米戦線の名称は何か。

解答:フレンチ=インディアン戦争

問9
七年戦争期のインドでイギリスが覇権を確立する契機となった1757年の戦いは何か。

解答:プラッシーの戦い

問10
七年戦争を終結させた講和条約は何か。

解答:パリ条約(1763)

正誤問題(5問)

問1
ウィリアム王戦争を終結させたのはユトレヒト条約である。

解答:× → ライスワイク和約(1697)

問2
ユトレヒト条約でイギリスはアカディア、ニューファンドランド、ハドソン湾を獲得した。

解答:○

問3
ジョージ王戦争はヨーロッパではアウクスブルク同盟戦争に対応する。

解答:× → オーストリア継承戦争に対応

問4
フレンチ=インディアン戦争は七年戦争の一部であり、北米戦線における呼称である。

解答:○

問5
第3次カーナティック戦争でフランスがインドの覇権を確立した。

解答:× → イギリスが覇権を確立

第3章 英仏植民地戦争が世界史に与えた影響

英仏植民地戦争は、単なるイギリスとフランスの争いではなく、近代世界秩序の出発点でした。

1763年のパリ条約でイギリスは世界最大の植民地帝国となりますが、その代償として多額の戦費を抱え、結果としてアメリカ独立戦争やフランス革命の引き金となります。

ここでは、戦争の結果がどのように18〜19世紀世界史へつながったのかを詳しく見ていきます。

イギリス「世界最大の海洋帝国」への道

海軍力の圧倒的強化

  • ウィリアム・ピットの戦略で、フランスの補給線を断絶
  • カナダ・インド・カリブ海で決定的優位を確立
  • 七年戦争後、イギリスは「日没なき帝国」と呼ばれる基盤を築く

覇権の裏側にある財政問題

  • 七年戦争で戦費は1億3000万ポンド以上 → 国家債務は膨張
  • 財政立て直しのため、北米13植民地への課税強化に踏み切る
    • 代表例:印紙法(1765)、茶法(1773)

アメリカ独立戦争への連鎖

  • 植民地住民は「代表なくして課税なし」を掲げ反発
  • 結果、アメリカ独立戦争(1775〜83)へ発展
  • つまり、英仏植民地戦争はアメリカ独立の遠因となった

フランス「復讐と財政破綻」への道

北米・インドの権益喪失

  • 七年戦争でカナダ・インド優位権を喪失
  • カリブの砂糖植民地は維持したが、貿易収益は大幅減少

対英復讐とアメリカ独立戦争支援

  • イギリスに奪われた覇権を奪還するため、アメリカ独立戦争に軍事介入
  • ラファイエット侯爵を派遣し、海軍力でイギリスを追い詰める
  • しかし、戦費がさらに膨らみフランス財政は破綻寸前

フランス革命への伏線

  • 財政危機 → 増税要求 → 貴族・聖職者反発
  • 1789年、フランス革命勃発
  • 七年戦争敗北がフランス革命の一因として入試頻出

インド支配とアジアの変容

英東インド会社のベンガル支配

  • 1757年プラッシーの戦いで仏勢力を排除
  • ベンガルを拠点に、インド全域への進出開始

フランス勢力の低下

  • 第3次カーナティック戦争で仏軍敗退
  • フランスはインド本土からほぼ撤退、商館のみ保持(ポンディシェリなど)

イギリス帝国主義の萌芽

  • 七年戦争以降、インドはイギリス経済の収奪拠点
  • 以後1世紀にわたり、インドはイギリス支配の中核を担う

世界秩序の大転換と「近代」への扉

英仏植民地戦争は、18世紀の世界地図を一変させた戦争でした。

  • イギリス:世界最大の海洋帝国へ
  • フランス:財政破綻 → フランス革命 → ナポレオン戦争へ
  • アメリカ:独立への道が開ける
  • インド:イギリス帝国主義の起点となる

入試では、この「戦争結果 → 世界史的影響」の因果関係を論述で問われることが多いです。

重要論述問題にチャレンジ

英仏植民地戦争が近代世界秩序に与えた影響を、イギリス・フランス・アメリカ・インドの視点から説明せよ。(400字以内)

英仏植民地戦争は1763年パリ条約で決着し、イギリスはカナダ・インド優位権を獲得し世界最大の植民地帝国となった。しかし戦費による財政難から北米13植民地への課税を強化し、アメリカ独立戦争を誘発した。一方、フランスは北米・インドの権益を失い財政基盤を弱体化させ、対英復讐としてアメリカ独立戦争を支援した結果、さらなる財政破綻を招き1789年のフランス革命につながった。インドでは英東インド会社がベンガルを拠点に覇権を確立し、アジア支配の起点を築いた。こうして英仏植民地戦争は、近代世界秩序の再編を決定づける転換点となった。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章: 英仏植民地戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1763年のパリ条約後、イギリスが世界最大の植民地帝国となった最大の要因は何か。

解答:カナダ・インド優位権・ミシシッピ以東ルイジアナを獲得したため

問2
七年戦争後、イギリスが13植民地に課した課税政策の代表例を1つ挙げよ。

解答:印紙法(1765年)
※茶法(1773年)などでも可

問3
「代表なくして課税なし」というスローガンを掲げて反発した13植民地が起こした戦争は何か。

解答:アメリカ独立戦争(1775〜1783)

問4
アメリカ独立戦争にフランスが介入した最大の理由は何か。

解答:七年戦争でイギリスに奪われた権益を取り戻すため(対英復讐)

問5
アメリカ独立戦争において、フランスからアメリカ側に派遣された人物として有名なのは誰か。

解答:ラファイエット侯爵

問6
フランスがアメリカ独立戦争に参戦した結果、どのような国内問題が深刻化したか。

解答:財政危機(戦費増大による財政破綻)

問7
フランスの財政危機が最終的に引き起こした18世紀末の大事件は何か。

解答:フランス革命(1789年)

問8
インドでイギリスが覇権を確立する契機となった1757年の戦いは何か。

解答:プラッシーの戦い

問9
七年戦争後、フランスが保持した北米領土はどこか。

解答:サンピエール島・ミクロン島(漁業拠点のみ)

問10
七年戦争後の世界秩序において、インド支配の主導権を握った国はどこか。

解答:イギリス

正誤問題(5問)

問1
七年戦争の結果、フランスは北米のルイジアナ全域をイギリスに割譲した。

解答:× → ルイジアナ西岸はスペインに譲渡、東岸のみイギリスへ

問2
イギリスがアメリカ独立戦争を引き起こした背景には、七年戦争での財政負担があった。

解答:○

問3
アメリカ独立戦争でフランスは中立を貫き、軍事介入はしなかった。

解答:× → フランスはアメリカを支援し参戦

問4
フランス革命の原因の一つとして、アメリカ独立戦争への軍事介入がある。

解答:○

問5
プラッシーの戦いはフランスがインド支配の主導権を確立する契機となった。

解答:× → イギリスがインド支配の主導権を確立

第4章 まとめ:英仏植民地戦争がもたらした世界の大転換

英仏植民地戦争(1689〜1763)は、ヨーロッパ・北米・インド・カリブを巻き込む初のグローバル戦争であり、近代世界史の起点とも言える存在です。

この戦争の結果、イギリスは世界最大の海洋帝国となり、フランスは財政基盤を失って革命の時代へ突入します。さらにアメリカ独立戦争やインド支配にもつながるため、戦争結果とその波及効果を一体で理解することが入試対策の鍵です。

英仏植民地戦争の意義を整理

1. 「世界規模戦争」という視点

  • 北米・インド・カリブ・アフリカまで戦場が拡大
  • 条約はヨーロッパ+植民地の包括決着という形をとる
  • 特にパリ条約(1763)が世界秩序の分岐点

2. イギリスの覇権確立

  • カナダ・インド優位権を獲得し、「日没なき帝国」の基盤形成
  • 海軍力・交易拠点・収益源でフランスを圧倒

3. フランスの衰退とフランス革命

  • 北米・インドの権益をほぼ喪失
  • アメリカ独立戦争を支援した結果、財政は崩壊
  • 1789年フランス革命への布石となる

4. アメリカ独立への道

  • イギリスの財政難 → 植民地課税強化 → 13植民地反発
  • アメリカ独立戦争(1775〜83)へ直結

5. インド支配の起点

  • 1757年プラッシーの戦いでベンガル制圧
  • 英東インド会社が実質的支配権を獲得 → アジア覇権の第一歩

英仏植民地戦争と近代世界史の流れ(フローチャート)

【1689〜1763】英仏植民地戦争(4つの戦争)
ウィリアム王戦争(アウクスブルク同盟戦争) → 植民地現状維持
アン女王戦争(スペイン継承戦争) → ユトレヒト条約(1713)
│ └ イギリスがアカディア・ニューファンドランド獲得
ジョージ王戦争(オーストリア継承戦争) → アーヘン和約(1748)
│ 北米は現状回復だが、インド対立激化
七年戦争(フレンチ=インディアン戦争) → パリ条約(1763)
 └ イギリス:カナダ・インド優位権・ミシシッピ以東ルイジアナ獲得
 └ フランス:北米本土放棄、サンピエール島・ミクロン島のみ保持
 └ スペイン:ルイジアナ西岸獲得(フロリダは英に譲渡)
          
      ↓ 世界秩序の大転換

【イギリス】世界最大の海洋帝国へ
└ しかし戦費増大 → 13植民地課税強化
└ アメリカ独立戦争(1775〜83)勃発

【フランス】北米・インドの権益喪失
└ 対英復讐でアメリカ独立戦争を支援
└ 財政破綻 → フランス革命(1789)

【インド】プラッシーの戦い(1757)で英が覇権確立
└ 以後、イギリス帝国主義の拠点に

受験生への学習アドバイス

  • 条約と領土の変化は必ずセットで暗記
    → 「ユトレヒト=アカディア」「パリ=カナダ・インド」など
  • ヨーロッパ戦争名・北米戦争名・インド戦争名の対応関係を押さえる
  • 戦後の影響までストーリーで理解すると、論述問題に強い
  • 特にアメリカ独立・フランス革命とのつながりは頻出
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