17世紀のイギリスとオランダは、ヨーロッパ経済の中心をめぐる激しい競争を繰り広げました。
その火蓋を切ったのが「第一次英蘭戦争」(1652〜1654)です。
この戦争は単なる海上での衝突ではなく、イギリスが制定した航海法をきっかけに、国際的な通商ルールをめぐる覇権争いに発展しました。
戦いの背後には、イギリスが新たに台頭しようとする力と、オランダが築いた黄金時代の繁栄を守ろうとする思惑が交錯していました。
この記事では、第一次英蘭戦争の背景、経過、そして結果を体系的に解説します。さらに、大学入試で頻出する論述問題や一問一答形式の演習問題を通じて、理解を深めていきましょう。
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また、大学入試では、用語の暗記だけでなくどのような切り口で試験に理解することが重要です。
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また、各章末には重要論述問題とその解答例を準備しています。これらは理解を助けることを目的に作成した参考例であり、実際の入試や模試でそのまま最適化された解答とは限りません。
論述問題本番では、ここで得た知識を叩き台にして、自分の言葉で答案を再構成しブラッシュアップしていってください。
第1章 第一次英蘭戦争の背景と勃発
第一次英蘭戦争を通じて、イギリスは「海軍国家」としての性格を確立しました。
航海法の制定や戦列戦法(ライン戦法)の導入によって、オランダとの海上覇権争いに勝利したことが大きな契機となり、以後の大英帝国の基盤が形づくられていきます。
本章では、その理解を深めるために、一問一答と正誤問題の演習を通じて知識を整理していきましょう。
1-1 イギリスとオランダの関係悪化
17世紀半ば、オランダは「ネーデルラント連邦共和国」として、ヨーロッパ随一の商業国家として繁栄していました。
アムステルダムは金融・貿易の中心地となり、オランダ東インド会社や西インド会社を通じて世界規模の植民地経済を展開していました。
一方、イギリスは清教徒革命を経て、オリバー=クロムウェル率いる共和政(イギリス共和国=コモンウェルス)が成立し、国内の安定とともに海外進出を強化し始めます。
両国はともに「海上覇権」をめざしたため、貿易ルートや植民地市場をめぐり衝突は避けられませんでした。
1-2 航海法の制定(1651年)
英蘭戦争の直接的な引き金となったのが、クロムウェル政権が制定した「航海法」(1651年)です。
この法律は、イギリスに輸入される商品は「イギリス船籍」か「生産国の船籍」に限るという規制を設けました。
これは、オランダの中継貿易を排除し、イギリス商人を保護することを目的としたものでした。オランダにとっては死活問題であり、両国関係は一気に緊張します。
1-3 戦争の勃発(1652年)
1652年、イギリスとオランダの艦隊がドーヴァー沖で衝突し、戦闘が始まります。
以後、両国は北海・英仏海峡を中心に激しい海戦を繰り広げ、いわゆる「第一次英蘭戦争」が勃発しました。
イギリスはクロムウェルのもとで新たに海軍を整備していたため、次第に優勢に立ち、オランダを追い詰めていきました。
1-4 入試で狙われるポイント
- 航海法の制定年(1651年)とその目的
- クロムウェル期の対外政策
- オランダの商業覇権との衝突
- 第一次英蘭戦争の原因を、航海法の意義とイギリス・オランダの経済関係に触れながら200字程度で説明せよ。
-
第一次英蘭戦争は、イギリスが航海法(1651年)を制定してオランダ商船を排除したことを直接の原因とする。航海法はイギリス商人の保護を目的とし、輸入品をイギリス船籍か生産国船籍に限定したため、中継貿易を担っていたオランダにとって大打撃となった。オランダはアムステルダムを中心に商業覇権を築いていたが、台頭するイギリスがこれを脅かしたことで両国は衝突し、海上覇権をめぐる戦争に発展した。
第1章: 第一次英蘭戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
第一次英蘭戦争の直接の原因となったイギリスの法律は何か。
解答:航海法
問2
航海法が制定されたのは何年か。
解答:1651年
問3
航海法により、イギリスへの輸入品はどのような船籍に限定されたか。
解答:イギリス船籍か生産国の船籍
問4
第一次英蘭戦争時のイギリスの指導者は誰か。
解答:オリバー=クロムウェル
問5
第一次英蘭戦争は何年から何年まで続いたか。
解答:1652〜1654年
問6
17世紀半ば、ヨーロッパ随一の商業国家はどこか。
解答:オランダ
問7
オランダの商業覇権を支えた貿易会社を2つ挙げよ。
解答:オランダ東インド会社、西インド会社
問8
第一次英蘭戦争で主に戦闘が行われた海域はどこか。
解答:北海・英仏海峡
問9
イギリス共和国(コモンウェルス)はどの出来事を経て成立したか。
解答:清教徒革命
問10
第一次英蘭戦争は両国にとって何をめぐる争いだったか。
解答:海上覇権・通商権益
正誤問題(5問)
問1
航海法(1651年)は、オランダの商船を優遇し国際貿易を活発化させた。
解答:誤(オランダ商船を排除した)
問2
第一次英蘭戦争は、フランスの支援を受けたイギリスがオランダに挑んだ戦争である。
解答:誤(フランスは関与していない)
問3
オランダはアムステルダムを中心に商業の黄金時代を迎えていた。
解答:正
問4
航海法の規定により、輸入品はイギリス船籍か生産国の船籍に限られた。
解答:正
問5
第一次英蘭戦争は1648年から1650年にかけて行われた。
解答:誤(1652〜1654年)
よくある誤答パターンまとめ
- 航海法の内容を「輸入を自由化した」と逆に覚えるミス
- 航海法の制定年を清教徒革命の年(1642)やクロムウェルの護国卿就任年(1653)と混同
- 第一次英蘭戦争を「フランスとの戦争」と誤解
- 戦争の年代(1652〜54)を、30年戦争やピューリタン革命と取り違える
- 航海法を「オランダが制定した」と誤認
第2章 戦争の経過と講和条約
第一次英蘭戦争は、北海と英仏海峡を舞台に激しい海戦が繰り広げられました。
両国の艦隊は互いに一歩も引かず戦いましたが、戦術革新を行ったイギリスが次第に優位に立ちました。
戦局を左右した名将たちの活躍と、最終的な講和条約の内容を確認していきましょう。
2-1 北海・英仏海峡での海戦
第一次英蘭戦争の主戦場は北海と英仏海峡でした。
序盤こそオランダ艦隊が善戦しましたが、イギリスはクロムウェル政権下で整備した新海軍と「ライン戦法(戦列戦法)」を導入して優位に立ちます。
この戦術により、艦隊が一列に並び効率的に砲撃を加えることが可能となり、戦局を有利に進めることができました。
2-2 指導者と戦局の転換
オランダ側の提督マールテン=トロンプは奮戦しましたが、1653年のスヘフェニンゲンの海戦で戦死しました。
この出来事はオランダ艦隊に大きな衝撃を与え、戦争の流れをイギリスに傾けるきっかけとなります。
一方、イギリスは兵站・艦船の質でも優位に立ち、戦争の主導権を握りました。
2-3 ウェストミンスター条約(1654年)
1654年、両国はウェストミンスター条約を結んで講和しました。
この条約によって、オランダはイギリスの航海法を事実上認めることになり、通商ルールはイギリス有利に定められました。
これにより、イギリスは海上貿易の主導権を拡大し、今後の覇権国家としての基盤を固めていきます。
2-4 入試で狙われるポイント
- ライン戦法の導入と意義
- トロンプ提督の戦死と戦局への影響
- ウェストミンスター条約の内容と意義
- 第一次英蘭戦争の経過と講和の結果を、イギリス海軍の戦術とオランダ側の対応に触れながら200字程度で説明せよ。
-
第一次英蘭戦争は北海・英仏海峡で展開され、イギリスは新たに導入したライン戦法によって優位に立った。オランダはトロンプやデ=ロイテルの指揮で抵抗したが、1653年スヘフェニンゲン海戦でトロンプが戦死すると戦局は傾き、1654年のウェストミンスター条約で講和した。この条約によりオランダは航海法を事実上受け入れ、イギリスは通商上の優位を確立するに至った。
第2章: 第一次英蘭戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
第一次英蘭戦争で導入されたイギリスの新戦術は何か。
解答:ライン戦法(戦列戦法)
問2
ライン戦法とはどのような戦い方か。
解答:艦隊を一列に並べ、砲撃戦を展開する戦術
問3
第一次英蘭戦争でオランダ艦隊を率いた代表的提督は誰か。
解答:マールテン=トロンプ
問4
オランダ艦隊の名将で、後に英蘭戦争を通じて活躍した提督は誰か。
解答:ミヒール=デ=ロイテル
問5
1653年にトロンプが戦死した戦いは何か。
解答:スヘフェニンゲンの海戦
問6
スヘフェニンゲンの海戦は何年に行われたか。
解答:1653年
問7
第一次英蘭戦争を終結させた条約は何か。
解答:ウェストミンスター条約
問8
ウェストミンスター条約は何年に結ばれたか。
解答:1654年
問9
ウェストミンスター条約でオランダが事実上認めたものは何か。
解答:航海法
問10
第一次英蘭戦争において、最終的に有利となった国はどこか。
解答:イギリス
正誤問題(5問)
問1
ライン戦法はオランダ艦隊が編み出し、イギリスが苦戦した戦術である。
解答:誤(イギリスが導入して優位に立った)
問2
トロンプ提督は1653年のスヘフェニンゲンの海戦で戦死した。
解答:正
問3
ウェストミンスター条約によってオランダは航海法を撤廃させた。
解答:誤(航海法を事実上認めた)
問4
第一次英蘭戦争はイギリスとオランダの海上覇権をめぐる戦争であった。
解答:正
問5
ウェストミンスター条約は1648年に締結され、三十年戦争も同時に終結させた。
解答:誤(1654年に英蘭間で締結、1648年はウェストファリア条約)
よくある誤答パターンまとめ
- ライン戦法を「オランダが採用」と逆に覚える
- トロンプとデ=ロイテルを混同する
- スヘフェニンゲン海戦を「第二次英蘭戦争の戦い」と誤認
- ウェストミンスター条約を「ウェストファリア条約」と取り違える
- 講和条約で「航海法が撤廃された」と誤解
第3章 第一次英蘭戦争の歴史的意義と影響
第一次英蘭戦争は、単なるイギリスとオランダの一時的な衝突にとどまらず、その後の国際政治・経済の流れに大きな影響を与えました。
イギリスの海上覇権拡大の第一歩であり、オランダの黄金時代に陰りをもたらした点は特に重要です。
この戦争がヨーロッパの国際秩序にどのような変化をもたらしたのかを見ていきましょう。
3-1 イギリスの海軍国家化
第一次英蘭戦争を通じて、イギリスは強力な海軍力を背景に国際競争へ本格参入しました。
航海法の維持と戦術革新により、イギリスは「海軍国家」としての基盤を固め、後の大英帝国の礎を築いていきます。
3-2 オランダの地位の相対的低下
オランダは依然として17世紀後半も商業国家としての繁栄を続けますが、第一次英蘭戦争以降、イギリスとの競争が激化する中で徐々に優位を失っていきました。
とくに航海法を認めざるを得なかったことは、中継貿易の独占的立場を揺るがす大きな譲歩でした。
3-3 国際関係への影響
英蘭戦争は、海上覇権をめぐる「国際競争の時代」の幕開けを告げました。
この戦争を契機に、イギリスとオランダは次々と戦争を繰り返し、さらにフランスも関与することで「三つ巴の覇権争い」へと展開します。
その後の第二次・第三次英蘭戦争、さらには英仏の植民地戦争へとつながる流れを理解することが、受験においても重要です。
3-4 入試で狙われるポイント
- イギリス海軍国家の成立とその歴史的意義
- オランダの相対的地位低下
- 国際的な海上覇権争いの始まり
- 第一次英蘭戦争の歴史的意義について、イギリスとオランダの変化を中心に200字程度で説明せよ。
-
第一次英蘭戦争は、航海法を背景にイギリスが海軍力を強化し、海上覇権をめぐる国際競争に本格的に参入した契機となった。戦争の過程でライン戦法を採用したイギリスは優位を確立し、講和でオランダに航海法を事実上認めさせた。これによりイギリスは海軍国家としての地位を高め、大英帝国への道を歩み始めた。一方、オランダは依然繁栄を続けたものの、国際的優位を徐々に失い、イギリスとの競争の中でその地位が相対的に低下していった。
第3章: 第一次英蘭戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
第一次英蘭戦争を通じてイギリスが確立した国家としての性格は何か。
解答:海軍国家
問2
航海法を背景にイギリスが確立した国際的地位は何か。
解答:海上覇権国家への道を歩み始めた
問3
オランダが第一次英蘭戦争後も維持した経済的繁栄を支えた要因は何か。
解答:中継貿易と金融の中心地アムステルダム
問4
オランダが第一次英蘭戦争で譲歩したのは何か。
解答:航海法を事実上認めた
問5
第一次英蘭戦争後のオランダは、国際的にどのような立場に変化したか。
解答:相対的地位の低下
問6
第一次英蘭戦争の結果、今後の国際関係に生じた重要な流れは何か。
解答:海上覇権をめぐる国際競争の激化
問7
第二次・第三次英蘭戦争や英仏植民地戦争の前提となった出来事は何か。
解答:第一次英蘭戦争
問8
17世紀後半、英蘭仏が繰り広げた競争の中心は何か。
解答:海上貿易と植民地支配
問9
イギリスの「大英帝国」成立の第一歩とされる戦争は何か。
解答:第一次英蘭戦争
問10
オランダが依然として17世紀後半も繁栄したのは、どの分野か。
解答:商業と金融
正誤問題(5問)
問1
第一次英蘭戦争を通じてイギリスは陸軍国家としての地位を高めた。
解答:誤(海軍国家としての地位を確立した)
問2
オランダは第一次英蘭戦争後、航海法を撤廃させた。
解答:誤(航海法を事実上認めた)
問3
第一次英蘭戦争はイギリスが大英帝国へと進む契機となった。
解答:正
問4
オランダは第一次英蘭戦争以降、すぐに没落した。
解答:誤(繁栄は続けたが相対的地位が低下した)
問5
第一次英蘭戦争は後の英仏間の植民地戦争につながる流れを生んだ。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
- 「イギリス=陸軍国家化」と逆に覚えるミス
- 航海法を「撤廃させた」と誤解する
- オランダを「すぐに没落した」と短絡的に考える
- 「大英帝国=19世紀の出来事」として、17世紀の海軍国家形成とのつながりを見落とす
- 第一次英蘭戦争と英仏植民地戦争を直接混同
まとめ 第一次英蘭戦争の年表と学習整理
ここまで、第一次英蘭戦争の背景・経過・意義を学んできました。
最後に、重要な出来事を年表に整理し、入試で問われやすいポイントを一望できるようにまとめましょう。
さらに、学習の際に注意すべき点を確認し、知識の定着につなげます。
4-1 第一次英蘭戦争の重要年表
- 1649年 イギリス共和国(クロムウェルの共和政)成立
- 1651年 航海法制定(オランダ中継貿易の排除が目的)
- 1652年 ドーヴァー沖で衝突、第一次英蘭戦争勃発
- 1653年 スヘフェニンゲンの海戦(トロンプ戦死、戦局はイギリス優勢へ)
- 1654年 ウェストミンスター条約締結、オランダが航海法を事実上承認
4-2 戦争から学ぶべきポイント整理
第一次英蘭戦争を理解する際は、以下の3点を軸に整理すると入試に強くなります。
- 原因=航海法(1651年)とイギリス・オランダの通商競争
- 経過=北海・英仏海峡での戦闘、ライン戦法、トロンプ戦死
- 結果と意義=ウェストミンスター条約、イギリス海軍国家化、オランダの相対的地位低下
4-3 今後の流れとの接続
第一次英蘭戦争は単独で理解するのではなく、第二次・第三次英蘭戦争や英仏間の植民地戦争につながる一連の流れとして把握することが重要です。
17世紀の「海上覇権争い」という大きな文脈を意識し、国際関係史の中で位置づけることが得点力を高めるカギとなります。
4-4 入試で狙われるポイント
- 航海法の制定年と内容
- トロンプ提督の戦死と戦局への影響
- ウェストミンスター条約の内容
- 第一次英蘭戦争が国際関係史に与えた長期的意義

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