【世界史】ナントの勅令廃止とユグノー迫害を徹底解説|ルイ14世の絶対王政と宗教統制

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フランス絶対王政の全盛期を築いたルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿に象徴される華麗な王権とともに、厳格な宗教統制を行ったことで知られています。

その中心的な出来事が「ナントの勅令の廃止」と「ユグノー(フランスのプロテスタント)の迫害」でした。

16世紀以来続いてきた宗教対立を、カトリックによる統一へと収束させようとした政策は、表面的には国内の一体化を実現したかに見えましたが、同時に多くのユグノーが亡命を余儀なくされ、経済・社会に深刻な影響を及ぼしました。

この記事では、ナントの勅令廃止の背景、ユグノー迫害の実態、そしてその歴史的意義を受験生向けに整理して解説していきます。

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目次

第1章 ナントの勅令とその廃止の背景

フランスにおける宗教戦争(ユグノー戦争)は、16世紀後半の内乱を経て、1598年のナントの勅令によってようやく収束を迎えました。

アンリ4世が発布したこの勅令は、カトリックを国教としつつ、一定の地域におけるユグノーの信仰の自由や軍事拠点の保持を認めるという、いわば「妥協の産物」でした。

この政策によって国家は一時的に安定を取り戻しましたが、王権の視点から見れば「宗教的分裂を温存した」不完全な解決策でもあったのです。

1. 宗教的統一を求める絶対王政の論理

ルイ14世が王権神授説に基づいて権力を集中させる過程で、国家の宗教的統一は王権の正当性を支える重要な要素とされました。

異端の存在は国家の権威を脅かすとみなされ、王権強化の観点からユグノーに対する圧力が次第に強まります。

2. ドラゴナード(兵士宿泊政策)による圧迫

ルイ14世はユグノーへの圧力として、兵士をユグノーの家庭に強制的に宿泊させる「ドラゴナード」と呼ばれる政策を実施しました。

兵士の横暴に耐えかねた多くのユグノーが改宗を強いられ、フランス国内でのプロテスタント信仰は次第に抑圧されていきました。

3. ナントの勅令廃止とその直後

1685年、ルイ14世はついにナントの勅令を廃止し、プロテスタントの礼拝・信仰を禁止しました。

ユグノーの教会は破壊され、牧師は国外追放、信者は強制改宗か亡命を迫られることとなり、数十万人規模のユグノーがオランダ・イギリス・プロイセンなどに流出しました。

これによってフランスは宗教的には一応の統一を達成しましたが、結果的に優秀な商工業者や知識人を失い、経済的には大きな損失を被ったのです。

入試で狙われるポイント

  • ナントの勅令(1598年)を発布したのはブルボン朝のアンリ4世であること
  • ルイ14世が1685年にナントの勅令を廃止したこと
  • ドラゴナード政策(兵士宿泊政策)の具体例とその影響
  • ユグノー亡命の行き先(オランダ・イギリス・プロイセンなど)とフランス経済への打撃

重要論述問題にチャレンジ

ナントの勅令の廃止が、フランス国内と国外にどのような影響を及ぼしたか。200字程度で説明せよ。

1685年にルイ14世がナントの勅令を廃止すると、国内のユグノーは礼拝を禁じられ、牧師は国外追放、信者は改宗を強制されるなど厳しい迫害を受けた。その結果、数十万人のユグノーがオランダ・イギリス・プロイセンなどへ亡命し、彼らの持つ商工業や金融の技術は亡命先で活かされ、フランス経済に大きな打撃を与えた。国内的にはカトリックによる統一を実現したが、結果としてルイ14世の専制支配が国力の長期的低下を招いたと評価される。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章: ナントの勅令廃止とユグノー迫害 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
1598年にナントの勅令を発布した国王は誰か。

解答:アンリ4世

問2
ナントの勅令で信仰の自由が認められたフランスのプロテスタントを何と呼ぶか。

解答:ユグノー

問3
ナントの勅令を廃止した国王は誰か。

解答:ルイ14世

問4
ナントの勅令が廃止されたのは西暦何年か。

解答:1685年

問5
ユグノーを迫害するために兵士を家庭に宿泊させた政策を何というか。

解答:ドラゴナード

問6
ナントの勅令廃止後、亡命したユグノーが多く移住した2つの国を答えよ。

解答:オランダ・イギリス(プロイセンも可)

問7
ナントの勅令廃止によって失われたのは主にどのような人材か。

解答:商工業者・知識人

問8
ルイ14世の政治理念を支えた宗教思想を何というか。

解答:王権神授説

問9
ユグノー戦争の講和としてナントの勅令を発布した王朝名を答えよ。

解答:ブルボン朝

問10
ナントの勅令廃止は、フランス経済にどのような影響を与えたか。

解答:商工業の担い手流出により打撃を受けた

正誤問題(5問)

問11
ナントの勅令はユグノー戦争を終結させるために発布された。

解答:正

問12
ルイ14世はプロテスタントに寛容な政策をとり続けた。

解答:誤(迫害を強化し、ナントの勅令を廃止した)

問13
ドラゴナード政策は、ユグノーを改宗に追い込むための手段であった。

解答:正

問14
ユグノーの多くはスペインに亡命し、その産業を発展させた。

解答:誤(オランダ・イギリス・プロイセンなどに亡命した)

問15
ナントの勅令廃止はカトリックによる国内統一をもたらしたが、経済的損失も大きかった。

解答:正

第2章 ユグノー迫害と亡命の実態

第1章で触れたように、ナントの勅令廃止は単なる法的決定にとどまらず、ユグノーに対する具体的な迫害を伴いました。

彼らは宗教的自由を奪われただけでなく、社会生活や経済活動のあらゆる場面で制限を受けることになりました。

その過程で、国内に残った者は強制改宗を強いられ、国外に逃れた者はフランス社会から切り離されました。

この章では、その迫害の実態と亡命ユグノーの歴史的役割を整理します。

1. 国内での迫害強化

ナントの勅令廃止後、フランス国内のプロテスタントは礼拝の自由を完全に失い、教会は破壊されました。

牧師は国外追放となり、一般信者は改宗を強制されました。改宗を拒めば投獄や労役刑に処されるなど、苛烈な統制が行われました。

2. ドラゴナード政策の拡大

兵士をユグノー家庭に宿泊させ、日常生活に圧力を加えるドラゴナードは、特に南フランスを中心に広がりました。

多くの家庭が破壊され、子どもたちもカトリック教会での教育を義務づけられたため、信仰を守る術を奪われていきました。

3. ユグノーの亡命とその影響

迫害を逃れたユグノーの多くはオランダ、イギリス、プロイセン、さらには北アメリカへ亡命しました。

彼らは繊維業や金融、出版などの分野で活躍し、亡命先の産業発展に貢献しました。

その一方で、フランスは有能な労働力や知識人を失い、経済的基盤を弱体化させていきました。

入試で狙われるポイント

  • ドラゴナード政策がユグノーにどのような圧力を与えたか
  • ユグノー亡命の行き先(特にオランダ・イギリス・プロイセン)
  • 亡命ユグノーが担った産業(繊維業・金融・出版など)
  • フランス経済における人材流出のマイナス効果

重要論述問題にチャレンジ

ユグノー迫害が亡命先のヨーロッパ諸国に与えた影響を200字程度で説明せよ。

ナントの勅令廃止後、多数のユグノーがオランダ・イギリス・プロイセンなどへ亡命した。彼らは繊維業や金融、出版などの技術や知識を持ち込み、亡命先の産業発展を促進した。例えばオランダでは商工業に貢献し、イギリスでは造船・金融業に参加、プロイセンでは工業振興に寄与した。これにより亡命先の国々は経済的に利益を得た一方、フランスは有能な人材を失い、経済的損失を被った。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章: ナントの勅令廃止とユグノー迫害 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
ナントの勅令廃止後、ユグノーの教会はどうされたか。

解答:破壊された

問2
ナントの勅令廃止後、牧師たちはどのような処遇を受けたか。

解答:国外追放

問3
改宗を拒んだユグノーはどのような刑罰を受けたか。

解答:投獄や労役刑

問4
兵士をユグノー家庭に宿泊させる政策を何と呼ぶか。

解答:ドラゴナード

問5
ユグノーの子どもたちはどのような教育を強制されたか。

解答:カトリック教会での教育

問6
ユグノー亡命先の一つで、繊維業に貢献した国はどこか。

解答:オランダ

問7
ユグノーが金融や造船業で貢献した亡命先の国はどこか。

解答:イギリス

問8
ユグノーがプロイセンに与えた影響は何か。

解答:工業振興に貢献した

問9
ユグノーの亡命によってフランスが被った影響は何か。

解答:商工業者・知識人の流出による経済的打撃

問10
ユグノーの一部が渡った新大陸はどこか。

解答:北アメリカ

正誤問題(5問)

問11
ナントの勅令廃止後、ユグノーは礼拝の自由を保護された。

解答:誤(礼拝は禁止された)

問12
ドラゴナードは、ユグノーに兵士を宿泊させることで生活を圧迫した。

解答:正

問13
ユグノーはプロイセンに亡命し、工業の発展に寄与した。

解答:正

問14
ユグノー亡命はフランスにとって経済的に大きな利益をもたらした。

解答:誤(大きな損失を招いた)

問15
ユグノーはアメリカにも渡り、一部は植民地社会で活動した。

解答:正

第3章 ナントの勅令廃止の歴史的意義と評価

ナントの勅令廃止は、単なる宗教政策の転換ではなく、フランスの政治・社会・経済に長期的な影響を与えた出来事でした。

ルイ14世の絶対王政を象徴する政策として評価される一方、その負の側面も指摘されます。

この章では、勅令廃止がもたらした歴史的意義を多角的に考察します。

1. 絶対王政と宗教統制の完成

ルイ14世は「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、国家と自らの権威を一体化させました。

宗教的統一を実現することは、その権威を支える重要な要素でした。

ナントの勅令廃止は、フランスを名実ともにカトリック国家とし、絶対王政の基盤を強化しました。

2. 国内安定と経済的損失の矛盾

宗教的統一によって国内対立は一応解消されたかに見えましたが、ユグノー迫害と亡命によって有能な人材を失い、フランス経済は長期的に損害を受けました。

この矛盾は、ルイ14世の専制支配が「華やかさと衰退」を同時に内包していたことを示しています。

3. 国際関係への影響

ユグノーの亡命先であるオランダやイギリスは、その技術や知識を取り込み、国家発展に利用しました。

とりわけ対フランスを意識した諸国にとっては、ユグノー亡命は経済的・軍事的な優位につながり、フランス包囲網の形成にも間接的に貢献しました。

4. 歴史的評価の分かれ目

一方で、カトリックによる国内統一は「国家の一体性を保つために必要だった」とする肯定的評価も存在します。

しかし近代国家の観点からは、信仰の自由を否定した点が批判の対象となり、ルイ14世の絶対王政の限界を象徴する事例ともされます。

入試で狙われるポイント

  • ナントの勅令廃止が絶対王政の象徴とされる理由
  • 亡命ユグノーがオランダ・イギリスで国家発展に貢献した点
  • フランスの経済的衰退と「華やかさと限界」を併せ持つルイ14世の評価
  • 信仰の自由を否定することが近代史的にどう位置づけられるか

重要論述問題にチャレンジ

ナントの勅令廃止を、ルイ14世の絶対王政の観点と近代史的観点から評価せよ。(250字程度)

ルイ14世によるナントの勅令廃止は、カトリックによる国内統一を実現し、絶対王政を支える宗教的基盤を固めた点で彼の政治理念を体現していた。宗教対立を排除することで王権の正統性を強化し、国内秩序の安定を図ったといえる。しかし同時に、迫害を受けたユグノーが亡命し、商工業・金融などの有能な人材を喪失したことは経済的打撃となり、長期的には国力低下を招いた。また信仰の自由を否定した政策は、近代国家の理念と相容れず、絶対王政の限界を象徴するものとなった。このため歴史的評価は「一時的な統一の成功」と「近代化への遅れ」という二面性を持つ。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章: ナントの勅令廃止とユグノー迫害 一問一答&正誤問題15問 問題演習

問1
ルイ14世の称号として知られる異名は何か。

解答:太陽王

問2
ナントの勅令廃止により、フランスは事実上どの宗教国家となったか。

解答:カトリック国家

問3
ユグノー亡命は、どのような国際的影響をもたらしたか。

解答:亡命先の経済発展を促進し、対フランス優位をもたらした

問4
ユグノーの亡命先で金融・造船業の発展に貢献したのはどの国か。

解答:イギリス

問5
ユグノーの亡命がプロイセンに与えた影響は何か。

解答:工業振興に寄与した

問6
ナントの勅令廃止はフランスにとってどのような経済的結果をもたらしたか。

解答:商工業の担い手を失い、経済的打撃を受けた

問7
ユグノー亡命が国際関係においてフランスに不利に働いたのはなぜか。

解答:亡命先が対フランス包囲網を形成する力を高めたから

問8
ナントの勅令廃止に肯定的な評価はどのような点から生じるか。

解答:国内の宗教統一を実現した点

問9
ナントの勅令廃止に批判的な評価はどのような点から生じるか。

解答:信仰の自由を否定し、近代化を阻害した点

問10
ルイ14世の絶対王政の評価を一言で表すとどうなるか。

解答:「華やかさと限界を併せ持つ」

正誤問題(5問)

問11
ナントの勅令廃止は、絶対王政の象徴的政策とされる。

解答:正

問12
ユグノー亡命は、フランス経済において長期的な利益をもたらした。

解答:誤(損失を招いた)

問13
ユグノー亡命はイギリスやオランダの発展に寄与した。

解答:正

問14
ナントの勅令廃止は、近代国家における宗教寛容の理念を先取りした政策である。

解答:誤(宗教寛容を否定した政策である)

問15
ルイ14世の政策は、絶対王政の「栄光と限界」を象徴している。

解答:正

まとめ ナントの勅令廃止とユグノー迫害の歴史的意味

ナントの勅令廃止は、ルイ14世による絶対王政の象徴的な政策であり、カトリックによる国内統一を実現しました。

しかし同時に、多くのユグノーを迫害・亡命させることでフランスは経済的に大きな損失を被りました。

オランダ・イギリス・プロイセンなど亡命先の国々は彼らの知識や技術を吸収し、フランスに対抗する力を強めました。

この出来事は「栄光と限界」を併せ持つルイ14世の統治を象徴するものであり、近代国家の歩みの中で宗教寛容が不可欠であることを示す歴史的教訓となっています。

ナントの勅令とその廃止に関する年表

年代出来事
1598年アンリ4世、ナントの勅令を発布(ユグノーに信仰の自由を保障)
1610年アンリ4世暗殺、ブルボン朝の権力不安定化
1620〜30年代リシュリュー枢機卿、ユグノーの政治的特権を制限
1643年ルイ14世即位、絶対王政の基盤づくりが進む
1685年ルイ14世、ナントの勅令を廃止 → ユグノー迫害開始
17世紀末数十万人規模のユグノーがオランダ・イギリス・プロイセンなどに亡命
18世紀以降フランス経済は人材流出の影響を受け、相対的に国力が低下

フローチャート:ナントの勅令廃止と影響の流れ

ナントの勅令(1598)
↓ (ユグノーに信仰の自由を保障)
ルイ14世の絶対王政
↓ (宗教統一を志向)
ドラゴナード政策による圧迫

ナントの勅令廃止(1685)

ユグノー迫害(礼拝禁止・牧師追放・強制改宗)

多数のユグノー亡命

亡命先(オランダ・イギリス・プロイセン)で産業発展に寄与

フランス経済に打撃 → ルイ14世の絶対王政の限界

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