【世界史】スペイン帝国の衰退|価格革命・アルマダ海戦・三十年戦争を徹底解説

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16世紀、大航海時代を制したスペイン帝国は「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれ、世界の覇権を握りました。

しかし、その黄金時代は長く続きませんでした。17世紀に入ると、価格革命による経済混乱アルマダ海戦での敗北
そして三十年戦争をはじめとする宗教戦争など、帝国を揺るがす出来事が次々に襲います。

大学受験の世界史でも、スペイン帝国の衰退は頻出テーマです。本記事では、衰退の原因を5つの視点で時系列に整理し、入試で狙われるポイント・重要な論述・一問一答形式の演習問題まで完全解説します。

目次

第1章 価格革命とスペイン経済の崩壊

スペイン帝国衰退の最大の原因の一つが、16世紀後半から17世紀にかけてヨーロッパ全体を揺るがした価格革命です。
新大陸から大量に流入した銀が引き起こしたインフレは、スペインの経済構造を直撃しました。

特にスペインは重商主義政策のもと、産業育成よりも植民地銀依存を続けたため、富を手にしながらも国内経済の弱体化が進んだのです。

1. 銀の大量流入とインフレの進行

1493年以降、スペインは新大陸からポトシ銀山(現ボリビア)などを中心に膨大な銀をヨーロッパへ持ち帰りました

特に16世紀半ば以降は、毎年数百トン単位で銀が流入し、ヨーロッパ全体で物価が急上昇します。

これが価格革命と呼ばれる現象です。

特に食料価格や都市の生活費が高騰し、農民や都市労働者は生活苦に陥りました。

2. スペイン経済への打撃

大量の銀を得たスペインは一見繁栄しているように見えましたが、実態は異なります。

  • 原因①:輸入依存体質の拡大
    スペイン国内の産業育成は進まず、日用品や工業製品を主にフランドル地方や北欧から輸入。
  • 原因②:王室財政の悪化
    銀収入に依存しながらも、軍事費や宮廷費が膨れ上がり、慢性的な財政赤字に。
  • 原因③:インフレによる競争力低下
    物価高騰で国内生産品が高くなり、貿易競争で不利に。

結果として、莫大な銀は国内産業の発展には結びつかず、むしろ「富が国力を弱める」という逆説的状況を招きました。

3. ヨーロッパ経済への影響

価格革命はスペインだけでなく、ヨーロッパ全体の社会構造にも大きな影響を与えました。

  • 封建的領主層は地代収入が実質的に目減りし没落
  • 商工業者や新興市民層(ブルジョワジー)が台頭
  • 農民反乱や都市の混乱が多発

この社会変動は、後の資本主義的経済構造への転換を促す要因にもなります。

入試で狙われるポイント

  • 価格革命の原因=新大陸銀の大量流入
  • スペイン経済への影響=産業育成失敗・インフレ・王室財政悪化
  • ヨーロッパ全体への影響=封建社会の動揺・ブルジョワジーの台頭
  • ポトシ銀山の位置(現ボリビア)と重要性は頻出

重要な論述問題にチャレンジ

16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで発生した価格革命が、スペイン帝国の衰退を招いた理由を100字以内で説明せよ。

新大陸からの大量の銀流入により物価が高騰したが、スペインは銀に依存し産業育成を怠った。
その結果、輸入依存が強まり、財政は悪化、貿易競争力を失い、帝国衰退を加速させた。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第1章: 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1 価格革命の主な原因となった金属は何か。
解答:銀

問2 スペイン領アメリカ最大の銀山はどこか。
解答:ポトシ銀山

問3 価格革命はおおよそ何世紀に起こったか。
解答:16世紀後半〜17世紀

問4 価格革命によって最も恩恵を受けた社会階層は何か。
解答:新興商工業者(ブルジョワジー)

問5 価格革命により没落したのはどの階層か。
解答:封建的領主層

問6 価格革命が最も影響を与えた都市生活者の職業は何か。
解答:都市労働者

問7 価格革命と深く関係するスペインの政策は何か。
解答:重商主義政策

問8 スペインが輸入依存した主な地域はどこか。
解答:フランドル地方や北欧

問9 価格革命は資本主義的経済の形成を促進したか。
解答:した

問10 価格革命が起こった主因はアジア貿易における銀の不足である。
解答:×

正誤問題(5問)

問1 価格革命は新大陸からの大量の銀流入によって引き起こされた。
解答:正

問2 価格革命によって封建領主層は大きな利益を得た。
解答:誤

問3 価格革命はスペイン国内の産業育成を大きく促進した。
解答:誤

問4 価格革命の影響でブルジョワジーが台頭した。
解答:正

問5 ポトシ銀山は価格革命のきっかけとなる銀供給地のひとつである。
解答:正

第2章 アルマダ海戦とスペインの海上覇権喪失

スペイン帝国衰退の象徴的な事件のひとつが、1588年のアルマダ海戦です。

「無敵艦隊(アルマダ)」を誇ったスペインは、当時新興国であったイギリスとの海上決戦に挑みました。しかし結果はスペイン艦隊の壊滅的敗北。

この戦いはスペイン帝国の衰退の転換点であり、その後の海上覇権がイギリスに移るきっかけとなりました。

1. アルマダ海戦の背景

16世紀後半、ヨーロッパは宗教改革の影響でカトリックとプロテスタントの対立が激化していました。

スペイン王フェリペ2世は、カトリック勢力の盟主としてプロテスタント勢力の拡大阻止を狙い、プロテスタント国イギリスに対抗姿勢を強めます。

  • 宗教対立
    イギリスのエリザベス1世はプロテスタントを保護。
    一方、スペインはカトリック勢力の中心として対立。
  • 海賊問題
    イギリスの航海者フランシス・ドレークらが、
    スペインの新大陸からの銀輸送船を略奪していた。
  • オランダ独立戦争
    スペイン領ネーデルラント(オランダ)ではプロテスタントを中心に独立運動が進行し、
    イギリスはこれを支援。両国の対立はさらに深まりました。

こうした背景のもと、フェリペ2世は大艦隊「無敵艦隊」を派遣し、イギリス征服を試みたのです。

2. アルマダ海戦の経過

1588年、スペインは約130隻の大艦隊と約3万人の兵を送り込みました。しかし、イギリスは以下の戦略でこれを迎え撃ちます。

  • 小型・高速船の活用
    イギリス艦隊は小回りのきく高速艦を使い、接近戦を避けて砲撃戦に徹した。
  • 火船攻撃
    カレー港で停泊中のスペイン艦隊に火船を突入させ、隊列を混乱させる。
  • 悪天候
    戦闘の最終局面では嵐に見舞われ、多くのスペイン艦が沈没。

この結果、スペイン艦隊は壊滅的被害を受け、イギリスは海上覇権を獲得する契機を得ます。

3. アルマダ海戦の結果と影響

  • スペインの軍事的威信の失墜
    「無敵艦隊」が破れたことで、スペインの絶対的優位は崩れる。
  • イギリスの台頭
    イギリスは以後、大西洋交易や植民地経営において発言力を高める。
  • オランダ独立の加速
    スペインの敗北により、オランダは独立をさらに進める。
  • 宗教対立の激化
    カトリック勢力の弱体化は、プロテスタント勢力拡大の追い風となった。

アルマダ海戦は、スペイン衰退の決定的転換点であり、「16世紀=スペインの時代」から「17世紀=イギリスの時代」への移行を象徴する出来事でした。

入試で狙われるポイント

  • アルマダ海戦の年代(1588年)は頻出
  • 無敵艦隊(アルマダ)=スペイン側を間違えない
  • 勝者はイギリス、敗者はスペイン
  • エリザベス1世・フェリペ2世・フランシス・ドレークの役割
  • 結果として海上覇権がスペインからイギリスへ移行したことを押さえる

重要な論述問題にチャレンジ

1588年のアルマダ海戦がスペイン帝国の衰退を早めた理由を120字以内で説明せよ。

カトリック勢力の盟主であったスペインは、イギリス征服を狙って無敵艦隊を派遣したが、イギリスの高速艦戦術や火船攻撃、嵐によって壊滅した。これにより海上覇権を失い、オランダ独立も進み、スペイン衰退が加速した。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第2章: 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1 アルマダ海戦が起こった年代はいつか。
解答:1588年

問2 アルマダ海戦でスペインが派遣した艦隊の通称は何か。
解答:無敵艦隊(アルマダ)

問3 アルマダ海戦でスペインと戦ったイギリス女王は誰か。
解答:エリザベス1世

問4 イギリス艦隊で活躍した航海者は誰か。
解答:フランシス・ドレーク

問5 アルマダ海戦でイギリスが使った戦術で有名なものは何か。
解答:火船攻撃

問6 アルマダ海戦での敗北後、スペインの海上覇権はどこに移ったか。
解答:イギリス

問7 アルマダ海戦の背景となった宗教対立は何か。
解答:カトリック対プロテスタント

問8 スペイン領ネーデルラントの独立を支援した国はどこか。
解答:イギリス

問9 アルマダ海戦で勝利した国はポルトガルである。
解答:×

問10 アルマダ海戦の敗北はオランダ独立の加速につながった。
解答:○

正誤問題(5問)

問1 アルマダ海戦は1588年に起きた。
解答:正

問2 アルマダ海戦で勝利したのはスペインである。
解答:誤

問3 アルマダ海戦ではイギリスが火船攻撃を仕掛けた。
解答:正

問4 アルマダ海戦の敗北によりスペインの植民地はすべて失われた。
解答:誤

問5 アルマダ海戦はスペイン衰退の転換点である。
解答:正

第3章 三十年戦争とハプスブルク家の失速

スペイン帝国の衰退を加速させたもう一つの大きな要因が、1618年から1648年まで続いた三十年戦争です。

当初は神聖ローマ帝国内のカトリックとプロテスタントの対立から始まりましたが、次第にフランス・スウェーデン・デンマークなどを巻き込む国際戦争へと拡大しました。

この戦争でスペインは同じハプスブルク家のオーストリアを支援しますが、結果的に国力を大きく消耗し、覇権を失う転換点となりました。

1. 三十年戦争の原因

① 宗教対立

  • アウグスブルクの和議(1555年)では「領邦君主が宗派を決定できる」とされていましたが、
    カルヴァン派は認められなかったため、神聖ローマ帝国内で宗派対立が続きました。
  • ベーメン(ボヘミア)反乱(1618年)
    プロテスタントのベーメン貴族がカトリック皇帝フェルディナント2世に反発し、戦争の火蓋を切ります。

② ハプスブルク家の覇権拡大

  • 神聖ローマ皇帝家であるハプスブルク家(オーストリア系)は、カトリックの盟主として影響力を拡大しようとしたため、他のプロテスタント諸侯や諸外国と対立が深まりました。

2. 戦争の展開(4段階)

三十年戦争は大きく4つの局面に分けられます。入試ではこの流れが頻出です。

戦争段階年代主な出来事勢力図
ベーメン・プファルツ戦争期1618〜1623ベーメン反乱、白山の戦いでカトリック勝利カトリック優勢
デンマーク戦争期1625〜1629デンマーク王クリスチャン4世が参戦、ヴァレンシュタイン活躍カトリック優勢
スウェーデン戦争期1630〜1635グスタフ・アドルフ率いるスウェーデン軍参戦、ブライテンフェルトの戦いで勝利プロテスタント反攻
フランス・スウェーデン戦争期1635〜1648カトリック国フランスがプロテスタント側で参戦、ハプスブルク包囲ハプスブルク劣勢

3. ウェストファリア条約とスペインの衰退

1648年、三十年戦争はウェストファリア条約で終結します。

  • 神聖ローマ帝国は事実上の分裂状態
  • カルヴァン派も公認され、宗派対立が終息
  • フランスとスウェーデンが国際的に台頭
  • スペインはオランダ独立を承認(1648年)

これにより、スペインは17世紀半ばにはヨーロッパの覇権を失い、覇権はフランスへ移行しました。

入試で狙われるポイント

  • 三十年戦争の開始年(1618年)と終結年(1648年)
  • ベーメン反乱 → デンマーク → スウェーデン → フランスの流れ
  • ブライテンフェルトの戦い(スウェーデン勝利)
  • ウェストファリア条約の内容
  • スペインがオランダ独立を承認したことは頻出

重要な論述問題にチャレンジ

三十年戦争がスペイン帝国の衰退を加速させた理由を120字以内で説明せよ。

スペインは同じハプスブルク家である神聖ローマ皇帝を支援し、長期戦で財政を疲弊させた。またウェストファリア条約でオランダ独立を承認し、北海交易の主導権を失った。結果、フランスの台頭とともにスペインの国際的地位は大きく低下した。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第3章: 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1 三十年戦争が始まったきっかけとなった1618年の事件は何か。
解答:ベーメン反乱

問2 三十年戦争が始まった年と終わった年を答えよ。
解答:1618年〜1648年

問3 三十年戦争で活躍したハプスブルク家の皇帝は誰か。
解答:フェルディナント2世

問4 三十年戦争にデンマーク王として参戦した人物は誰か。
解答:クリスチャン4世

問5 スウェーデン軍を率いた国王は誰か。
解答:グスタフ・アドルフ

問6 三十年戦争でカトリック国でありながらプロテスタント側に参戦した国はどこか。
解答:フランス

問7 三十年戦争を終結させた条約は何か。
解答:ウェストファリア条約

問8 ウェストファリア条約で独立を承認された国はどこか。
解答:オランダ

問9 三十年戦争の勝者はスペインである。
解答:×

問10 三十年戦争後、ヨーロッパで台頭した国はどこか。
解答:フランス

正誤問題(5問)

問1 三十年戦争は神聖ローマ帝国内部の宗派対立から始まった。
解答:正

問2 ウェストファリア条約でカルヴァン派は依然として非公認とされた。
解答:誤

問3 三十年戦争でフランスはカトリック側としてハプスブルク家を支援した。
解答:誤

問4 三十年戦争においてスウェーデン軍はブライテンフェルトの戦いで勝利した。
解答:正

問5 ウェストファリ

第4章 オランダ独立とスペイン経済の崩壊

スペイン帝国の衰退を語る上で欠かせないのが、オランダ独立戦争(1568〜1648年)です。

新大陸からの莫大な銀で世界覇権を握ったスペインですが、ネーデルラント地方で勃発した長期の独立戦争は、帝国の財政と国力を大きく消耗させました。

特に17世紀半ば、ウェストファリア条約でオランダ独立を正式承認したことで、スペインは北海交易の主導権を失い、経済基盤を大きく揺るがされる結果となります。

1. オランダ独立戦争の背景

16世紀後半、ネーデルラント地方(現在のオランダ・ベルギー周辺)はスペイン領でした。

この地域はヨーロッパの商業・金融の中心地であり、スペインにとって非常に重要でしたが、次第に以下の理由で対立が深まります。

  • 宗教対立
    ネーデルラントではカルヴァン派(プロテスタント)が多数派であったが、
    スペイン王フェリペ2世はカトリック強制政策を推進。
  • 高額課税
    戦費や王室財政のための重税が課され、都市市民や商人の不満が爆発。
  • スペイン総督による圧政
    特にアルバ公フェルナンドの苛烈な弾圧政策は反発をさらに強めた。

こうした背景のもと、1568年、ネーデルラントはスペインに対して武装蜂起します。

2. 独立戦争の経過と転機

オランダ独立戦争はおよそ80年にわたり続きます。ここでは入試頻出の転換点を押さえます。

  • 1568年:独立戦争勃発
    オラニエ公ウィレム(ウィレム1世)が反乱軍を率いる。
  • 1579年:ユトレヒト同盟結成
    北部7州(現オランダ)が結束し、事実上の独立国家体制を形成。
  • 1581年:オランダ独立宣言
    「ネーデルラント連邦共和国」の成立を宣言。
  • 1588年:アルマダ海戦
    イギリスの支援を受けたことで独立運動が有利に進む。
  • 1648年:ウェストファリア条約
    オランダ独立が正式承認され、北海貿易の覇権を掌握。

3. オランダ独立がスペインに与えた影響

オランダの独立は、スペイン帝国に深刻な打撃を与えました。

  • 北海交易の喪失
    アムステルダムを中心とした商業ルートを失い、国際金融の中心地をオランダに奪われる。
  • 財政の悪化
    80年に及ぶ戦争で軍事費が膨張し、国家財政は破綻寸前。
  • 植民地競争での不利
    オランダが東インド会社(1602年)を設立し、香辛料貿易でも優位に立つ。
  • イギリス・オランダの台頭
    海上覇権と植民地争奪の主導権を失い、スペインの国際的地位は急低下。

この結果、17世紀後半には「スペインの時代」から「オランダ・イギリスの時代」へと完全に移行しました。

入試で狙われるポイント

  • オランダ独立戦争の開始年(1568年)と終結年(1648年)
  • ユトレヒト同盟(1579年)とオランダ独立宣言(1581年)
  • ウェストファリア条約でオランダ独立が正式承認されたこと
  • 東インド会社設立(1602年)と香辛料貿易の主導権争い
  • スペイン経済衰退との関連は頻出

重要な論述問題にチャレンジ

オランダ独立戦争がスペイン帝国の経済的衰退を招いた理由を120字以内で説明せよ。

スペインはカトリック強制政策や重税に反発するネーデルラント反乱を鎮圧できず、80年にわたる戦争で財政を疲弊させた。1648年のウェストファリア条約でオランダ独立を承認し、北海貿易と香辛料貿易の主導権を失い、経済基盤は大きく崩れた。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第4章: 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1 オランダ独立戦争が始まった年はいつか。
解答:1568年

問2 オランダ独立戦争で反乱軍を率いた人物は誰か。
解答:オラニエ公ウィレム(ウィレム1世)

問3 1579年に北部7州が結束して結成した同盟は何か。
解答:ユトレヒト同盟

問4 オランダ独立宣言が出された年はいつか。
解答:1581年

問5 オランダ独立を正式承認した条約は何か。
解答:ウェストファリア条約

問6 ウェストファリア条約で独立が承認された国はどこか。
解答:オランダ

問7 オランダが設立した東インド会社は何年か。
解答:1602年

問8 オランダ独立戦争でオランダを支援した国はどこか。
解答:イギリス

問9 オランダ独立戦争後、スペインは北海交易の主導権を維持した。
解答:×

問10 オランダ独立戦争がスペイン衰退を早めた原因のひとつは香辛料貿易の覇権を失ったことである。
解答:○

正誤問題(5問)

問1 オランダ独立戦争は1568年に始まり、1648年に終結した。
解答:正

問2 ユトレヒト同盟は南部カトリック7州が結束して結成した。
解答:誤

問3 ウェストファリア条約でオランダ独立が正式承認された。
解答:正

問4 オランダ独立戦争でスペインを支援したのはイギリスである。
解答:誤

問5 オランダの東インド会社は香辛料貿易で優位に立った。
解答:正

第5章 スペイン帝国衰退の本質と世界史的意義

16世紀の大航海時代を制し、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペイン。

しかし17世紀に入ると、価格革命による経済混乱アルマダ海戦での敗北三十年戦争やオランダ独立戦争による国力消耗が重なり、ヨーロッパにおける覇権はスペインからフランスやオランダ、イギリスへ移っていきます。

スペイン帝国衰退の過程は、単なる国力低下ではなく、近世ヨーロッパの国際秩序が変化する転換点である点が重要です。

この章では、スペイン衰退の本質と、その後の世界史における意義を整理します。

1. スペイン衰退の本質

スペイン帝国衰退の本質は、富の過剰依存と経済基盤の脆弱さにありました。

  • 銀依存型経済の限界
    新大陸からの銀に依存するあまり、国内産業の育成を怠った。
  • 重商主義政策の失敗
    銀を集めることを優先した結果、競争力を失い、輸入依存体質を深めた。
  • 軍事と宗教に偏重した国家運営
    カトリック防衛と領土拡大に莫大な軍事費を投じ、財政破綻を招いた。

結果として、スペインは莫大な富を手に入れながらも、
それを経済的・軍事的競争力に転換できなかったことが、衰退の核心です。

2. 覇権移行と国際秩序の変化

スペインの衰退は、ヨーロッパの国際秩序を大きく変化させました。

  • 17世紀=オランダとイギリスの時代
    オランダが北海交易・香辛料貿易を主導し、金融・商業の中心地となる。
  • 18世紀=イギリスの世界覇権
    植民地経営・海軍力で圧倒的地位を築き、「パクス・ブリタニカ」へつながる。
  • フランスの台頭
    三十年戦争後、フランスは大陸ヨーロッパで最強国の座を確立。

つまりスペインの衰退は、世界の覇権が南欧から北欧へ移動する大きな転換点だったのです。

3. 世界史的意義

  • 「太陽の沈まぬ帝国」の衰退は、近世から近代への国際秩序の変化を象徴
  • 銀依存型経済の限界は、資本主義的生産体制の重要性を浮き彫りに
  • スペインの失敗は、後のイギリスやオランダの国家戦略に影響を与えた

このように、スペイン帝国の衰退は単なる一国の没落ではなく、
近世世界システムの構造変化を示す重要な出来事といえます。

入試で狙われるポイント

  • スペイン衰退の原因を5つに整理
    ①価格革命 ②アルマダ海戦 ③三十年戦争 ④オランダ独立 ⑤経済構造の問題
  • ウェストファリア条約(1648年)の影響
  • 覇権移行の流れ:「16世紀=スペイン → 17世紀=オランダ → 18世紀=イギリス」
  • 「太陽の沈まぬ帝国」の意味と転落の時期
  • 銀依存型経済と重商主義政策の失敗

重要な論述問題にチャレンジ

スペイン帝国の衰退がヨーロッパの国際秩序に与えた影響を120字以内で説明せよ。

スペインは銀依存型経済と軍事偏重政策により衰退し、アルマダ海戦・三十年戦争・オランダ独立などで国力を失った。結果、覇権はオランダ・フランス・イギリスへ移行し、南欧中心から北欧中心の新たな国際秩序が形成された。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

第4章: 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1 スペイン帝国が依存した新大陸の資源は何か。
解答:銀

問2 スペインが国内産業育成を怠った原因となる政策は何か。
解答:重商主義政策

問3 アルマダ海戦の敗北は何年か。
解答:1588年

問4 三十年戦争を終結させた条約は何か。
解答:ウェストファリア条約

問5 オランダ独立を正式承認したのは何年か。
解答:1648年

問6 ウェストファリア条約で覇権を拡大した国はどこか。
解答:フランス

問7 17世紀に北海交易・香辛料貿易を主導した国はどこか。
解答:オランダ

問8 18世紀に世界覇権を確立した国はどこか。
解答:イギリス

問9 スペイン衰退の原因のひとつに、銀依存による国内産業停滞がある。
解答:○

問10 スペイン衰退後も南欧諸国が世界経済の中心地であり続けた。
解答:×

正誤問題(5問)

問1 スペイン帝国の衰退は、新大陸からの銀依存と軍事偏重政策が原因の一つである。
解答:正

問2 アルマダ海戦で勝利したのはスペインである。
解答:誤

問3 スペインの衰退によりオランダとイギリスが台頭した。
解答:正

問4 ウェストファリア条約後もスペインは北海交易の主導権を保持した。
解答:誤

問5 スペイン帝国

まとめ スペイン帝国衰退の流れと入試で問われる重要ポイント

1. スペイン帝国衰退の大きな流れ

16世紀、大航海時代を制したスペイン帝国は「太陽の沈まぬ帝国」と称され、ヨーロッパの覇権国家として絶頂を極めました。

しかし17世紀に入ると、次々と帝国を揺るがす出来事が重なり、急速にその地位を失っていきます。

衰退の流れは以下のように整理できます:

時期出来事内容スペインへの影響
16世紀後半価格革命新大陸からの銀大量流入でインフレ国内産業の停滞・財政悪化
1588年アルマダ海戦イギリスとの決戦で無敵艦隊敗北海上覇権喪失・国際的威信低下
1618〜1648年三十年戦争宗教対立から国際戦争へ拡大財政疲弊・オランダ独立承認
1568〜1648年オランダ独立戦争北海交易の中心地が離脱貿易主導権を失い経済基盤崩壊
17世紀後半覇権移行フランス・オランダ・イギリスの台頭スペイン帝国の国際的地位低下

この一連の過程を押さえると、
「16世紀=スペインの時代 → 17世紀=オランダの時代 → 18世紀=イギリスの時代」
という世界史の大きな流れが見えてきます。

2. 大学入試で狙われやすいテーマ

スペイン帝国衰退は、大学入試世界史で非常に出題頻度が高い単元です。特に以下の視点で問われることが多いので、要チェックです。

  • 価格革命の原因と影響
    → 新大陸銀の流入とヨーロッパ経済構造の変化
  • アルマダ海戦の勝敗と意義
    → 「無敵艦隊」スペインの敗北、海上覇権の移行
  • 三十年戦争とウェストファリア条約
    → 宗教戦争から国際戦争への変化、オランダ独立承認
  • オランダ独立戦争と北海交易の喪失
    → 東インド会社設立、香辛料貿易の主導権移動
  • 覇権移行の全体像
    → 「スペイン → オランダ → イギリス」という流れを時系列で整理

この5つを中心に理解しておくと、
正誤問題・一問一答・論述問題のいずれにも対応できます。

3. 前編(最盛期編)とのつながり

今回の記事は「スペイン帝国衰退編」ですが、最盛期の栄光を押さえておくことで、衰退の意味がより深く理解できます

【世界史】スペイン帝国の最盛期|大航海時代とハプスブルク家の世界戦略(前編)

  • 大航海時代でいかにして富を得たか
  • フィリペ2世の下で世界覇権を確立した過程
  • 「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれた理由

前編と合わせて読むことで、
「栄光 → 衰退」までの流れを体系的に学べるようになります。

4. 学習のポイントとまとめ

  • 銀依存型経済の失敗重商主義政策の限界を理解する
  • 軍事・宗教偏重の国家運営が財政破綻を招いたことを押さえる
  • アルマダ海戦・三十年戦争・オランダ独立戦争を年号+結果+意義で整理
  • 覇権移行の全体像を意識すると、ヨーロッパ史がスッキリする

まとめ

スペイン帝国の衰退は、単なる一国の没落ではなく、世界の覇権構造が大きく変わる分岐点でした。

「太陽の沈まぬ帝国」がなぜ沈んだのかを理解することは、近世ヨーロッパ史を体系的に学ぶうえで非常に重要です。

さらに、大学入試では「価格革命」「アルマダ海戦」「三十年戦争」「オランダ独立」のいずれも頻出です。

年号・原因・結果・意義をしっかり整理し、関連づけて覚えることが高得点への近道です。

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