【世界史】アルギン要塞と奴隷貿易|ポルトガルからオランダへ奪われた黄金海岸の拠点

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1482年、ポルトガルが西アフリカ沿岸に築いたアルギン要塞(Elmina Castle)に関する記事です。

当初は金の取引拠点でしたが、やがて大西洋奴隷貿易の中心となり、さらにオランダとの争奪戦にも巻き込まれます。

この記事では、アルギン要塞を軸に大航海時代・奴隷貿易・世界経済史のつながりを解説します。

目次

第1章 アルギン要塞の建設とその目的

15世紀後半、ポルトガルはエンリケ航海王子の主導のもと、大西洋とアフリカ西岸への航路開拓を進めていました。

その中で1482年、ギニア湾沿岸(現在のガーナ付近)に建設されたのがアルギン要塞(Elmina Castle)です。

この要塞は、当初はアフリカ産金の集積・取引拠点として築かれましたが、その後の世界史の流れの中で重要な役割を果たしていくことになります。

1. ポルトガルのアフリカ探検と航路拠点の必要性

15世紀のポルトガルは、「香辛料を求めてアジアへ」という目標を掲げ、アフリカ西岸を南下する探検を推し進めていました。

しかし、長距離航海を安全に継続するには、補給・貿易・軍事の拠点が必要不可欠でした。

  • 1419年:マデイラ諸島を領有し、プランテーション経営を開始
  • 1431年:アゾレス諸島を獲得、航海の中継地として活用
  • 1460年代:カーボベルデ諸島なども確保
  • 1482年:アルギン要塞を建設、金貿易を独占

つまり、アルギン要塞はアフリカ西岸探検の総仕上げ的な拠点として位置づけられていたのです。

2. アルギン要塞の建設(1482年)

  • 建設命令:ポルトガル王ジョアン2世
  • 設計・建築:建築家ディオゴ・デ・アズブケ
  • 場所:アフリカ西岸、ギニア湾沿岸(現在のガーナ・エルミナ)

当初は「サン・ジョルジェ・ダ・ミナ要塞」と呼ばれ、“ミナ”=鉱山の名が示す通り、アフリカ産金の集積地として大きな役割を果たしました。

3. 要塞建設の目的

  • 金の取引拠点
    • アフリカ西岸は金の産地であり、ポルトガルは他国に先んじて交易を独占しようとしました。
  • 軍事拠点
    • 他のヨーロッパ勢力やイスラム商人との競合を避けるため、防衛力を強化。
  • 航海補給地
    • 帰路の食料・水の補給地点として重要な役割を果たす。

これにより、アルギン要塞はポルトガルがアフリカで築いた最初期の恒久的な拠点として、大航海時代の地政学的な要石となりました。

4. 入試で狙われるポイント

  • 建設年:1482年
  • 建設国:ポルトガル
  • 当初の目的:金取引の集積地
  • 現在地:ガーナ(旧黄金海岸)

例題
アルギン要塞(Elmina Castle)を建設した国として正しいものを選べ。
A. スペイン
B. ポルトガル
C. オランダ
D. イギリス
正解:B

この第1章では、「なぜポルトガルがここに要塞を築いたのか」に焦点を当てました。

次の章では、金取引から奴隷貿易への役割転換を掘り下げると、世界史の流れがより立体的に理解できます。

第2章 金取引から奴隷貿易への変化

1482年の建設当初、アルギン要塞は「黄金海岸」の名が示す通り、アフリカ産金をヨーロッパへ運ぶための拠点でした。

しかし、16世紀に入ると、新大陸の開発とプランテーション農業の拡大に伴い、ヨーロッパの需要は金よりも「労働力=奴隷」へと移っていきます。

ここから、アルギン要塞は世界史上最大規模の奴隷貿易ネットワークの重要拠点として、決定的な役割を果たすことになります。

1. プランテーション農業の拡大と労働力需要

  • 1492年:コロンブスのアメリカ到達
    → 新大陸でサトウキビ・綿花・コーヒーなどのプランテーション農業が急速に拡大。
  • 現地の先住民は疫病や過酷な労働で急激に人口減少。
  • そこでヨーロッパ諸国は、アフリカからの大量の奴隷輸送に依存するようになります。

重要ワード「プランテーション農業」
大規模農園での単一作物栽培。奴隷労働を中心とした生産システムで、
後の大西洋三角貿易の基盤となる。

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2. アルギン要塞の機能転換

当初は金の取引が中心だったアルギン要塞ですが、16世紀中頃から奴隷貿易拠点としての機能が強まります。

  • 西アフリカ内陸部で捕らえられた奴隷が要塞に集められる
  • 要塞内の地下牢で数週間〜数か月監禁
  • 奴隷の門(Door of No Return)」から大西洋を渡る船へ積み込まれる

この「奴隷の門」をくぐると、もう二度と故郷には戻れないことから、現在でも世界史的な象徴とされています。

3. 大西洋三角貿易とアルギン要塞

16世紀後半以降、アルギン要塞は大西洋三角貿易の重要拠点となりました。

  • ヨーロッパ → アフリカ
    織物・火器・酒などを輸出
  • アフリカ → アメリカ
    奴隷を送り込む
  • アメリカ → ヨーロッパ
    砂糖・タバコ・綿花を逆輸出

アルギン要塞は、このアフリカ=アメリカ間の奴隷輸送の主要な積み出し港として機能したのです。

4. 奴隷貿易がもたらした影響

  • アフリカ側
    • 内陸部での奴隷狩りが激化し、社会不安定化
    • 人口減少による経済停滞
  • アメリカ側
    • 労働力確保によりプランテーション経済が急速に拡大
  • ヨーロッパ側
    • 奴隷貿易とプランテーション収益で巨額の富を蓄積
    • イギリス・オランダ・フランスの台頭を後押し

このように、アルギン要塞を拠点とした奴隷貿易は、世界経済の重心をアジアから大西洋世界へ移す原動力となりました。

5. 入試で狙われるポイント

  • アルギン要塞は、当初は金の取引拠点だった。
  • 16世紀以降、奴隷貿易拠点へと転換。
  • 「奴隷の門(Door of No Return)」の象徴的意味。
  • 大西洋三角貿易との関連。

この第2章では、「アルギン要塞が金から奴隷へ、そして世界経済へと繋がっていく変化」を整理しました。

次の第3章では、1637年のオランダ西インド会社によるアルギン要塞奪取を取り上げ、17世紀=オランダ時代との関連を解説します。

第3章 オランダ西インド会社によるアルギン要塞奪取(1637年)

16世紀、ポルトガルが独占していた大航海時代の覇権は、やがて新興のオランダに奪われます。

その象徴的な出来事の一つが、1637年のアルギン要塞奪取です。

この出来事は、世界経済の中心がポルトガル・スペインからオランダへ移ったことを示す重要な転換点であり、同時に大西洋奴隷貿易の主導権交代も意味していました。

1. 17世紀=オランダの時代

  • 背景:1580年、スペインとポルトガルが同君連合を形成(イベリア連合)
  • スペインと戦っていたオランダは、ポルトガルの海外拠点も敵視するようになる
  • オランダ独立戦争(1568〜1648)の一環として、スペイン・ポルトガル両国の拠点を狙う動きが活発化

ポイント
「17世紀=オランダの時代」と呼ばれる理由は、アジアではオランダ東インド会社(VOC)、大西洋側ではオランダ西インド会社(WIC)が勢力を拡大したためです。

2. オランダ西インド会社(WIC)の設立と目的

  • 設立:1621年
  • 目的
    • 大西洋上でのスペイン・ポルトガルの覇権を切り崩す
    • アフリカの奴隷貿易拠点を奪取
    • アメリカ大陸の植民地獲得

オランダ西インド会社は、いわば「大西洋版のVOC」であり、奴隷貿易・砂糖プランテーション・アメリカ植民地を総合的に運営しました。

3. アルギン要塞奪取(1637年)

  • 攻略年:1637年
  • 奪取者:オランダ西インド会社(WIC)
  • 経緯
    1. オランダはブラジルの北東部に植民地を建設(1624〜1654)
    2. プランテーション農業には大量の奴隷が必要
    3. その供給拠点として、ポルトガルが支配していたアルギン要塞を攻略

以降、アルギン要塞はオランダの奴隷貿易拠点として機能し、西アフリカ〜南米植民地を結ぶ経済ルートを支える重要拠点となりました。

4. 奪取後の影響

  • オランダの大西洋覇権確立
    • 奴隷貿易の主導権を握る
    • 西インド会社がアメリカ植民地へ効率的に奴隷を供給
  • ポルトガルの衰退
    • ブラジルなど一部植民地は維持できたが、アフリカ拠点を失うことで奴隷供給力が低下
  • 世界経済の変化
    • 16世紀=「スペイン・ポルトガルの時代」
      17世紀=「オランダの時代」へ完全に移行

5. 入試で狙われるポイント

  • 1637年:オランダ西インド会社がアルギン要塞を奪取
  • オランダ西インド会社(WIC)と東インド会社(VOC)の違い
  • 大西洋奴隷貿易の主導権がポルトガル→オランダへ移った
  • 17世紀=オランダの時代を象徴する出来事の一つ

6. 例題

:1637年、ポルトガルからアルギン要塞を奪取した組織はどれか。
A. オランダ東インド会社(VOC)
B. オランダ西インド会社(WIC)
C. イギリス東インド会社
D. フランス東インド会社
正解:B

この第3章では、アルギン要塞奪取=オランダ台頭の象徴であることを整理しました。

次の第4章では、大西洋三角貿易とアルギン要塞の関係に焦点を当て、奴隷貿易の構造を具体的に図解しながら解説します。

第4章 大西洋三角貿易とアルギン要塞

16世紀後半から18世紀にかけて、ヨーロッパ諸国はアメリカ大陸のプランテーション農業を拡大させ、砂糖・綿花・タバコなどを大量生産しました。

この需要に応えるため、アフリカから大量の奴隷を輸送する「大西洋三角貿易」が成立します。

その中心的な積み出し拠点の一つが、アルギン要塞でした。

ここを理解すると、大航海時代→奴隷貿易→世界経済システムという流れが立体的につながります。

1. 大西洋三角貿易の構造

大西洋三角貿易とは、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ三角形の貿易ルートを指します。

  • ヨーロッパ → アフリカ
    織物・火器・酒・装飾品などを輸出
  • アフリカ → アメリカ
    奴隷を積み込み、大西洋を横断して輸送
  • アメリカ → ヨーロッパ
    プランテーションで生産された砂糖・タバコ・綿花などを逆輸出

このルートを回ることで、ヨーロッパ諸国は莫大な利益を得ました。

ポイント
「三角貿易」といえば18世紀のイギリスを想起しがちですが、16〜17世紀はオランダ・ポルトガルも主導権を握っていたことが重要です。

2. アルギン要塞の役割

アルギン要塞は、この三角貿易のアフリカ側の主要積み出し拠点でした。

  • 西アフリカ内陸部で捕らえられた奴隷が要塞に集められる
  • 要塞内の「奴隷監禁室」で数週間から数か月待機
  • 奴隷の門(Door of No Return)」から奴隷船へ乗せられる
  • 大西洋を渡り、ブラジル・カリブ海諸島・北米南部へ輸送される

当時、アルギン要塞から送り出された奴隷は数十万人規模にのぼったとされます。

3. プランテーション経済との結びつき

三角貿易の拡大は、アメリカ大陸でのプランテーション農業と不可分でした。

  • ブラジル:サトウキビの大規模農園
  • カリブ海諸島:砂糖・コーヒー生産の中心
  • 北米南部:タバコ・綿花農業が発展

このプランテーション経済を支えたのが、アルギン要塞をはじめとするアフリカ沿岸の奴隷貿易拠点だったのです。

4. 世界経済史における意義

アルギン要塞を起点とする奴隷貿易は、単なる地域的現象ではなく、世界経済システムの変化と直結しています。

  • アフリカ:奴隷供給地として人口減少・社会混乱
  • アメリカ:プランテーション経済による輸出型植民地体制が成立
  • ヨーロッパ:アジアの香辛料貿易に加え、大西洋交易で莫大な富を蓄積

つまり、アルギン要塞は「アジア中心の世界経済」から「大西洋中心の世界経済」への移行を象徴する存在でもあるのです。

5. 入試で狙われるポイント

  • アルギン要塞は大西洋三角貿易の主要積み出し拠点だった。
  • 奴隷は主にブラジル・カリブ海・北米南部へ輸送。
  • 「奴隷の門(Door of No Return)」の象徴的意味。
  • 大西洋三角貿易=プランテーション経済の基盤。

6. 例題

:大西洋三角貿易において、アフリカからアメリカに主に輸送されたものはどれか。
A. 砂糖
B. 奴隷
C. 織物
D. 銀

正解:B

第5章 アルギン要塞まとめ|入試で狙われる重要ポイント

アルギン要塞(Elmina Castle)は、大航海時代初期のポルトガル拠点として始まり、やがて奴隷貿易・大西洋三角貿易の中心となり、さらにオランダによる奪取を経て、17世紀=オランダの時代を象徴する存在となりました。

ここでは、受験生が押さえておくべき重要ポイントを整理し、関連テーマへのリンクも紹介します。

1. 時系列で押さえるアルギン要塞の歴史

年代出来事世界史上の意義
1482年ポルトガルがアルギン要塞を建設金取引拠点・大航海時代初期の象徴
16世紀中頃奴隷貿易拠点へ転換プランテーション経済の基盤形成
1637年オランダ西インド会社が奪取17世紀=オランダの時代の到来
17〜18世紀大西洋三角貿易の中心地として機能世界経済の重心が大西洋世界へ移動

2. アルギン要塞の3つの役割

① 大航海時代の拠点

  • アフリカ西岸を探検するポルトガルの拠点
  • 当初は金の取引の集積地として重要

② 奴隷貿易の積み出し港

  • 奴隷を地下牢で監禁後、「奴隷の門」から大西洋を渡る船へ
  • ブラジル・カリブ海・北米南部へ数十万人単位で輸送

③ 大西洋三角貿易の要石

  • ヨーロッパ → アフリカ → アメリカ → ヨーロッパの貿易ルートをつなぐ拠点
  • プランテーション農業と直結し、世界経済の大西洋化を加速

3. 入試で狙われる重要ポイント

  • 建設年と国:1482年、ポルトガル
  • 目的の変化:金取引 → 奴隷貿易
  • 1637年の出来事:オランダ西インド会社が奪取
  • 世界史的意義
    • 17世紀=オランダの時代を象徴
    • 大西洋三角貿易の主要拠点
  • キーワード
    • 「奴隷の門(Door of No Return)」
    • 「黄金海岸」
    • 「大西洋世界システム」

4. 関連テーマでさらに理解を深める

アルギン要塞は単体で覚えるよりも、関連テーマとセットで理解した方が記憶に残りやすく、入試対策にも有効です。

  • 大航海時代まとめ記事
    → ポルトガルとスペインの初期拠点戦略を整理
  • 大西洋三角貿易記事
    → 奴隷貿易とプランテーション経済の関係を詳しく解説
  • オランダ西インド会社記事
    → アルギン要塞奪取の背景と17世紀オランダの覇権
  • 奴隷貿易史記事
    → 「奴隷の門」から始まる大西洋奴隷貿易の全体像

5. まとめ

アルギン要塞は、

  • 大航海時代の出発点であり、
  • 奴隷貿易の象徴であり、
  • 世界経済の大西洋化を示す要所です。

受験では、「1482年にポルトガルが建設」「1637年オランダが奪取」「大西洋三角貿易の拠点」の3点を必ず押さえましょう。

一問一答+正誤問題に挑戦しよう!

アルギン要塞(Elmina Castle)一問一答+正誤問題15問セット

一問一答(10問)

問1
1482年にポルトガルが建設した、アフリカ西岸の要塞は何か。

解答:アルギン要塞(Elmina Castle)

問2
アルギン要塞を建設したポルトガル王は誰か。

解答:ジョアン2世

問3
アルギン要塞建設の当初の目的は何であったか。

解答:アフリカ産金の取引拠点とすること

問4
アルギン要塞がある現在の国名を答えよ。

解答:ガーナ(当時は「黄金海岸」と呼ばれた)

問5
16世紀以降、アルギン要塞の主な役割は何に変化したか。

解答:奴隷貿易の積み出し拠点

問6
アルギン要塞から奴隷が大西洋を渡る際に通った、象徴的な門の名称は何か。

解答:「奴隷の門(Door of No Return)」

問7
1637年、アルギン要塞をポルトガルから奪取した組織は何か。

解答:オランダ西インド会社(WIC)

問8
オランダ西インド会社がアルギン要塞を奪取した目的は何か。

解答:大西洋奴隷貿易の主導権を握り、アメリカ植民地へ奴隷を供給するため

問9
アルギン要塞が重要な役割を果たした、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ貿易形態を何と呼ぶか。

解答:大西洋三角貿易

問10
「大西洋三角貿易」で、アフリカからアメリカへ主に輸送されたものは何か。

解答:奴隷

正誤問題(5問)

問11
アルギン要塞は1482年にオランダが建設したものである。

解答:誤
→ 建設したのはポルトガル

問12
アルギン要塞は当初から奴隷貿易拠点として建設された。

解答:誤
当初は金取引の集積地として建設された。

問13
アルギン要塞は1637年にオランダ西インド会社に奪取され、その後オランダの奴隷貿易拠点となった。

解答:正

問14
大西洋三角貿易では、ヨーロッパからアフリカへは火器や織物が輸出され、アフリカからアメリカへは奴隷が送られた。

解答:正

問15
アルギン要塞はアジア貿易の拠点であり、香辛料輸送の中継港として機能した。

解答:誤
→ アジア貿易ではなく、大西洋奴隷貿易の拠点である。

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