「十字軍は勉強しても、分かったようで分からない……」そんなモヤモヤを感じたことはありませんか?
教科書や参考書に断片的に出てくる用語をコンパクトに暗記しようとしても、背景や流れを理解していなければ、ざるに水を入れるように記憶からこぼれ落ちてしまうのが実感だと思います。
だからこそ、一度しっかりと「なぜ始まったのか」「どう展開したのか」という全体像を押さえることが、実は最短の合格ルートになります。遠回りのようでいて、結果的には近道になるのです。
世界史は、頻出問題をたくさん解くことでメキメキ実力がつきます。この記事では、十字軍に関する頻出問題も多数用意していますので、知識をインプットしながら同時にアウトプットの練習ができます。
(※この学習法の考え方については、別記事「ときおぼえ世界史」でも詳しくまとめています。気になる方はあわせて読んでみてください。)
学習ゴール(30秒でわかる)
この記事では、十字軍を「背景→各回の内容→その後の歴史への影響」という流れで整理します。読み終えるころには、第1回から第7回十字軍までの「年代・主役・結末」を一言で言えるようになり、大学入試でよく出る 正誤判定・空欄補充・年代整序 の典型問題にしっかり対応できる知識が身につきます。
この記事を読み終えるころには、第1回から第7回十字軍までの「年代・主役・結末」を一言で言えるようになります。さらに、大学入試でよく出る 典型問題(正誤判定・空欄補充・年代整序) に対応できる知識を整理できます。時間をかけて細部を覚える前に、「大づかみ」することがゴールです。
十字軍の背景・位置づけ(超要約)
十字軍は、中世ヨーロッパの世界史を理解するうえで欠かせない出来事です。その出発点は11世紀末にあります。
- 背景①:ビザンツ帝国の援助要請
東ローマ帝国(ビザンツ)はセルジューク朝の圧迫を受け、小アジアの領土を失い、深刻な危機に陥っていました。皇帝アレクシオス1世はローマ教皇に軍事援助を要請します。 - 背景②:聖地エルサレムの回復
キリスト教にとって最大の聖地エルサレムは、イスラーム勢力の支配下にあり、巡礼の自由が妨げられていました。信仰心を背景に「聖地奪回」が大義名分となります。 - 背景③:教皇権の伸張
当時、教皇ウルバヌス2世は、世俗の王権に対抗して自らの権威を高めようとしていました。「聖戦」の号令によって、ヨーロッパの騎士や民衆を動員し、精神的リーダーシップを示す好機としたのです。
こうして十字軍は、単なる宗教戦争ではなく、東西関係・信仰心・政治権力が交差する歴史的プロジェクトとして始まったのです。
一目でわかる十字軍年表(全体像)
十字軍は全部で何回もあり、「第○回=何をしたか」がごちゃ混ぜになりやすい分野です。まずはざっくり全体を眺めて、流れをつかみましょう。
1095 クレルモン公会議(ウルバヌス2世の呼びかけ)
1096–99 第1回:聖地エルサレム奪回、十字軍国家成立
1147–49 第2回:エデッサ陥落を契機に遠征、ダマスクス攻略失敗
1189–92 第3回:三王の十字軍、沿岸確保もエルサレム奪回ならず
1202–04 第4回:ヴェネツィア主導、コンスタンティノープル占領、ラテン帝国樹立
1217–21 第5回:エジプト遠征(ダミエッタ攻略失敗)
1228–29 第6回:フリードリヒ2世の無血外交で一時的にエルサレム回復
1248–54 第7回:ルイ9世の遠征、マンスーラで捕縛・撤退
1270 (第8回:チュニス遠征でルイ9世戦死、十字軍の終焉)
これを頭に入れるだけで、「第何回がどこで、誰がいて、どう終わったか」の整理がグッと楽になります。
★5=超頻出(必ず出る)/★4=頻出(狙われやすい)/★3=出題されることもあるが補足的/★2以下=理解の補強用、論述や発展問題向けです。
回 | 年代 | 契機 / 目的 | 主な人物 | 戦域 | 結末(ひとこと) | キーワード | 重要度 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1096–99 | ビザンツ救援+聖地回復 | ウルバヌス2世、ゴドフロワ | 小アジア〜聖地 | エルサレム奪回・十字軍国家樹立 | クレルモン公会議、アンティオキア | ★★★★★ |
2 | 1147–49 | エデッサ伯国陥落 | ルイ7世、コンラート3世 | シリア | ダマスクス攻囲失敗 | ベルナール(シトー会) | ★★★ |
3 | 1189–92 | ハッティンの戦いで聖地失陥 | リチャード1世、フィリップ2世、サラディン | パレスチナ沿岸 | 沿岸確保・巡礼自由、都は奪回できず | 三王の十字軍、ヤッファ休戦 | ★★★★★ |
4 | 1202–04 | 資金難→ヴェネツィア介入 | ヴェネツィア、ボードゥアン | 東ローマ帝国 | コンスタンティノープル占領、ラテン帝国成立 | ザラ攻撃、東西分裂決定的 | ★★★★ |
5 | 1217–21 | 聖地奪回のためエジプト攻略 | 教皇派司令ペラギウス | エジプト | ナイル氾濫で撤退 | ダミエッタ、アル=カーミル | ★★ |
6 | 1228–29 | 皇帝外交で解決図る | フリードリヒ2世 | 聖地 | 無血でエルサレム一時回復 | ヤッファ条約、無血十字軍 | ★★★ |
7 | 1248–54 | 聖王ルイ9世の遠征 | ルイ9世 | エジプト | マンスーラで敗北、捕虜に | ダミエッタ再攻略、捕縛 | ★★ |
8 | 1270 | ルイ9世の最後の遠征 | ルイ9世 | 北アフリカ(チュニス) | ルイ9世戦死、十字軍の終焉 | チュニス遠征 | ★★ |
第1回十字軍(1096–1099)|ウルバヌス2世とエルサレム奪回
第1回十字軍(1096–1099)は、大学入試世界史で最もよく出題される十字軍のテーマです。
クレルモン公会議から始まり、エルサレム奪回と十字軍国家の成立までの流れは頻出中の頻出ポイント。まずはこの第1回をしっかり理解しておくことが、後続の第2回以降を学ぶ上でも土台となります。
発端 ― クレルモン公会議と“聖戦”の号令
1095年、フランス中部のクレルモン公会議で教皇ウルバヌス2世が「聖地エルサレム奪回」を呼びかけました。
これはビザンツ帝国(皇帝アレクシオス1世)の援助要請に応える形でもあり、教皇にとっては宗教的リーダーシップを示す絶好の機会でした。
このとき掲げられたのが「神の御心(Deus vult!)」というスローガン。以後の十字軍運動全体のシンボルとなります。
動員 ― 人民十字軍と諸侯の十字軍
呼びかけに応じて集まったのは騎士だけでなく、農民や信心深い庶民まで含む大群衆でした。
- 人民十字軍(ペトロス僧の指導)は統制を欠き、途中で壊滅。
- 一方で、フランス・ロレーヌ地方などから諸侯や騎士たちが本格的な軍を組織して出発しました。これが「諸侯の十字軍」と呼ばれる本隊です。
遠征の流れ
- ニケーアを攻略し、小アジアを横断。
- アンティオキアを攻略(1098年)。
- ついに1099年、エルサレムを奪回。住民の大虐殺を伴いましたが、目標を達成しました。
帰結 ― 十字軍国家の建設
勝利の結果、聖地周辺にはいくつもの「十字軍国家」が建設されました。
- エルサレム王国(ゴドフロワ→ボードゥアン1世)
- アンティオキア公国
- トリポリ伯国
- エデッサ伯国
これらは“十字軍の橋頭堡”として、以後の東方遠征の拠点になります。
入試に出るポイント
- クレルモン公会議(1095)とウルバヌス2世は空欄補充・正誤判定で鉄板。
- 人民十字軍は失敗、本隊=諸侯十字軍が成功という区別が重要。
- エルサレム奪回(1099)→十字軍国家樹立は年代整序問題に頻出。
- 人名ではゴドフロワ(神の墓の擁護者)、初代国王ボードゥアン1世が問われることもある。
よくある誤解・ひっかけ
- 「ビザンツ帝国が十字軍国家を直接支配した」→ 誤り(互いに不信感あり、独立した国家として成立)。
- 「第1回=人民十字軍の成功」→ 誤り(人民軍は壊滅、本隊の諸侯が成功)。
第1回十字軍 基礎30問+応用20問
第1回十字軍 基礎問題30問
- Q:第1回十字軍の契機となった援助要請を行ったのはどの皇帝か。
A:ビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世 - Q:第1回十字軍を呼びかけた公会議は何か。
A:クレルモン公会議 - Q:教皇ウルバヌス2世が唱えたスローガン「神の御心だ!」をラテン語で何というか。
A:Deus vult!(デウス・ヴルト) - Q:第1回十字軍が出発したのは西暦何年か。
A:1096年 - Q:第1回十字軍を呼びかけた教皇は誰か。
A:ウルバヌス2世 - Q:「人民十字軍」を率いた修道士は誰か。
A:隠者ペトロス - Q:諸侯や騎士が組織した本隊の軍を何と呼ぶか。
A:諸侯十字軍 - Q:エルサレム奪回後「神の墓の擁護者」と呼ばれたのは誰か。
A:ゴドフロワ=ド=ブイヨン - Q:エルサレム王国の初代国王に即位したのは誰か。
A:ボードゥアン1世 - Q:第1回十字軍の諸侯軍はまずどこに集結したか。
A:コンスタンティノープル - Q:第1回十字軍が最初に攻略した都市はどこか。
A:ニケーア - Q:1097年に小アジアで行われた戦いを何というか。
A:ドリュラエウムの戦い - Q:1098年に攻略した重要都市はどこか。
A:アンティオキア - Q:第1回十字軍の最終目的地として攻略された都市はどこか。
A:エルサレム - Q:1099年に建てられた王国を何というか。
A:エルサレム王国 - Q:成立した4つの十字軍国家のうち最北のものは何か。
A:エデッサ伯国 - Q:エルサレム王国の首都はどこか。
A:エルサレム - Q:聖地周辺に建てられた国家群をまとめて何というか。
A:十字軍国家 - Q:第1回十字軍の背景となったイスラーム王朝は何か。
A:セルジューク朝 - Q:十字軍の大義名分となった聖地はどこか。
A:エルサレム - Q:十字軍号令の目的の一つは何の強化だったか。
A:教皇権 - Q:参加した騎士にとって宗教以外の動機は何か。
A:領地・戦利品の獲得 - Q:(正誤)人民十字軍は聖地を奪回した。
A:誤(失敗し壊滅) - Q:(正誤)諸侯軍はビザンツと協力的に進軍した。
A:誤(不信感が強く、領土返還せず独立国家を建てた) - Q:(正誤)十字軍国家はビザンツの属州となった。
A:誤(独立国家として成立) - Q:(正誤)1099年にエルサレム攻略が達成された。
A:正 - Q:年代整序:クレルモン公会議/アンティオキア攻略/エルサレム奪回。順に並べよ。
A:クレルモン公会議(1095) → アンティオキア攻略(1098) → エルサレム奪回(1099) - Q:年代整序:ニケーア攻略/ドリュラエウムの戦い/エルサレム奪回。順に並べよ。
A:ニケーア攻略(1097) → ドリュラエウムの戦い(1097) → エルサレム奪回(1099) - Q:第1回十字軍の結果、中世都市の発展を促した経済は何か。
A:貨幣経済 - Q:教皇ウルバヌス2世が呼びかけた戦争をまとめて何と呼ぶか。
A:十字軍
第1回十字軍 応用問題20
- Q:第1回十字軍の背景を100字程度で説明せよ。
A:ビザンツ帝国はセルジューク朝に圧迫され、教皇ウルバヌス2世は聖地奪回を掲げて1095年クレルモン公会議で十字軍を呼びかけ、騎士や農民が参加した。 - Q:ウルバヌス2世の政治的狙いを50字程度で述べよ。
A:王権に対抗して教皇権を強化し、全ヨーロッパを宗教的に統合すること。 - Q:「人民十字軍」と「諸侯十字軍」の違いを説明せよ。
A:人民十字軍は庶民中心で壊滅、諸侯十字軍は有力諸侯が組織し聖地奪回に成功した。 - Q:第1回十字軍の成功がヨーロッパ社会にもたらした意義は何か。
A:エルサレム奪回で教皇の権威が高まり、東方交易・文化交流の契機となった。 - Q:エルサレム攻略時の残虐性が後世に与えた影響は何か。
A:イスラーム世界の強い反発を招き、敵対関係を固定化した。 - Q:(正誤)第1回十字軍はビザンツに領土を返還し、その版図を拡大した。
A:誤(返還せず独自の十字軍国家を建てた) - Q:(正誤)諸侯軍はニケーアを攻略後、ビザンツに引き渡した。
A:正 - Q:(正誤)ゴドフロワはエルサレム王に即位した。
A:誤(彼は王位を拒み、「神の墓の擁護者」と称した) - Q:(正誤)第1回十字軍の勝利は十字軍熱を高めた。
A:正 - Q:(正誤)十字軍国家はすべてビザンツ属州であった。
A:誤(独立国家として成立) - Q:年代整序:クレルモン公会議/ドリュラエウムの戦い/エルサレム奪回。
A:クレルモン公会議(1095) → ドリュラエウム(1097) → エルサレム(1099) - Q:年代整序:ニケーア攻略/アンティオキア攻略/ボードゥアン即位。
A:ニケーア(1097) → アンティオキア(1098) → ボードゥアン即位(1100) - Q:クレルモン公会議での呼びかけはどの皇帝の要請に応えたものか。
A:アレクシオス1世 - Q:アンティオキアは後に何という十字軍国家となったか。
A:アンティオキア公国 - Q:最北の十字軍国家は何か。
A:エデッサ伯国 - Q:第1回十字軍の結果、発展したイタリア都市はどこか。
A:ヴェネツィア・ジェノヴァ - Q:第1回十字軍が王権と教皇権に与えた影響は何か。
A:教皇権の強化、一方で後に王権独立を強める契機にもなった。 - Q:ビザンツ帝国と十字軍の関係が不信に終わった理由は何か。
A:ビザンツは返還を期待したが、十字軍は独自国家を建てたため。 - Q:第1回十字軍が経済に与えた効果は何か。
A:地中海交易の活発化とイタリア商人の台頭、貨幣経済の進展。 - Q:第1回十字軍が文化に与えた長期的影響は何か。
A:イスラーム文化や古典知識の逆輸入、スコラ哲学・学問の発展につながった。
第2回十字軍(1147–1149)|エデッサ陥落とルイ7世・コンラート3世
第2回十字軍(1147–1149)は、第1回に比べると入試での出題頻度はやや下がりますが、それでも重要度の高いテーマです。
きっかけとなったのは「エデッサ伯国の陥落」であり、これを受けてフランス王ルイ7世とドイツ王コンラート3世が遠征に参加しました。
結局はダマスクス攻囲に失敗し、十字軍の求心力低下につながった点がポイント。 「なぜ第2回が失敗に終わったのか」 を理解しておくことで、第3回以降の流れがスッキリ整理できます。
発端 ― エデッサ伯国の陥落
第1回で築かれた十字軍国家のうち、最北のエデッサ伯国が1144年、セルジューク系武将ザンギーに攻め落とされました。これを契機に「聖地が再び危機に!」とヨーロッパ全土に危機感が広がります。
動員 ― ベルナールの説教
教皇エウゲニウス3世が十字軍を呼びかけ、その説教を担ったのがシトー会のベルナールでした。修道会のネットワークを通じて広範に動員が行われ、当時としては異例の規模で軍が組織されました。
- 参加:フランス王ルイ7世、ドイツ王コンラート3世といったヨーロッパ君主が自ら参戦。
- 「国王が出陣した初の十字軍」として特徴づけられます。
遠征の流れ
- ドイツ軍(コンラート3世)は小アジアで壊滅的敗北。
- フランス軍(ルイ7世)はシリアへ進むが補給に苦しむ。
- 最終的にダマスクス攻囲(1148年)に失敗し撤退。
帰結 ― 威信低下
- 聖地回復どころか、十字軍の権威に大きな傷がつきました。
- 特に「教皇が呼びかけ、国王まで参加したのに失敗」という事実は、後のヨーロッパ社会に**“十字軍の幻想崩壊”**をもたらします。
入試に出るポイント
- 1144年エデッサ陥落 → 第2回十字軍の契機。
- ルイ7世(仏)・コンラート3世(独)参加=「国王クラスの参戦は初」。
- シトー会のベルナールが説教=頻出ワード。
- ダマスクス攻囲失敗=結末のキーワード。
よくある誤解・ひっかけ
- 「第2回=エルサレム奪回のため」→ ✕、正しくはエデッサ伯国の陥落が契機。
- 「ベルナール=スコラ学派の学者」→ ✕、彼は説教・修道会運動の指導者。
第2回十字軍 基礎30問+応用20問
第2回十字軍 基礎問題30問
- Q:第2回十字軍の契機となったのは、1144年にどの十字軍国家が陥落したことか。
A:エデッサ伯国 - Q:エデッサ伯国を陥落させたイスラームの武将は誰か。
A:ザンギー - Q:第2回十字軍を呼びかけた教皇は誰か。
A:エウゲニウス3世 - Q:第2回十字軍の説教を行ったシトー会の修道士は誰か。
A:ベルナール - Q:第2回十字軍に参加したフランス王は誰か。
A:ルイ7世 - Q:第2回十字軍に参加したドイツ王は誰か。
A:コンラート3世 - Q:第2回十字軍はヨーロッパ君主が直接参加した「初めての十字軍」である。正か誤か。
A:正 - Q:ルイ7世はどこの王朝のフランス王か。
A:カペー朝 - Q:第2回十字軍で最終的に攻略を試みた都市はどこか。
A:ダマスクス - Q:ダマスクス攻略は成功したか失敗したか。
A:失敗 - Q:コンラート3世は遠征の途中でどの地域で大敗を喫したか。
A:小アジア - Q:第2回十字軍で十字軍が苦しんだ要因のひとつは( )の不足である。
A:補給 - Q:第2回十字軍の期間は西暦何年から何年か。
A:1147年〜1149年 - Q:第2回十字軍の失敗により、ヨーロッパでの十字軍熱はどうなったか。
A:衰えた(信頼性が低下した) - Q:ベルナールはどの修道会の人物か。
A:シトー会 - Q:第2回十字軍の結果、聖地エルサレムの奪回は成功したか。
A:失敗 - Q:第2回十字軍を動員した説教は当時の人々にどのように受け止められたか。
A:熱狂的に受け入れられた - Q:第2回十字軍に失敗したことで失墜したのは誰の権威か。
A:教皇の権威 - Q:第2回十字軍失敗の影響で、後の十字軍運動に対する民衆の熱意はどうなったか。
A:冷めていった - Q:第2回十字軍でフランス軍は最終的にどこを目指したか。
A:シリア - Q:第2回十字軍で「諸侯だけでなく国王も参加した」という特徴を一言でまとめよ。
A:国王参加の十字軍 - Q:第2回十字軍に関わったドイツ王は神聖ローマ帝国でも王位を持っていたか。
A:はい - Q:ベルナールは学問的活動で有名な人物か。
A:いいえ(説教や動員で知られる) - Q:第2回十字軍で教皇の権威は上がったか下がったか。
A:下がった - Q:第2回十字軍は十字軍全体の信頼性にどう影響したか。
A:失敗によって威信を傷つけた - Q:エデッサ伯国は何年に陥落したか。
A:1144年 - Q:ルイ7世とコンラート3世が参加した第2回十字軍の結末を一言でいうと何か。
A:失敗 - Q:第2回十字軍の開始時点でヨーロッパの王権は強まっていたか弱まっていたか。
A:強まっていた - Q:第2回十字軍に参加した王の一人ルイ7世は後にどの女王と離婚したか。
A:アリエノール=ダキテーヌ - Q:第2回十字軍の総括的評価は何か。
A:聖地奪回に失敗し、教皇の権威を失墜させた
第2回十字軍 応用問題20問
- Q:第2回十字軍が企図された背景を100字程度で説明せよ。
A:1144年、最北の十字軍国家エデッサ伯国がザンギーにより陥落したため、教皇エウゲニウス3世が呼びかけ、国王ルイ7世・コンラート3世が参加した。 - Q:第2回十字軍の説教を行ったベルナールは、なぜ人々を動員できたのか。
A:シトー会の修道士として高い信頼を得ており、信仰心に訴える説教で人々を熱狂させた。 - Q:ルイ7世とコンラート3世の参加が象徴する十字軍の変化は何か。
A:十字軍が諸侯中心から国王参加へと規模・性格が変化したこと。 - Q:第2回十字軍が失敗に終わった軍事的要因を答えよ。
A:補給の不足、小アジアでの敗北、ダマスクス攻略の失敗。 - Q:第2回十字軍の失敗がキリスト教世界に与えた影響を述べよ。
A:教皇権の威信低下と、十字軍への民衆の熱意の低下。 - Q:(正誤)第2回十字軍はエルサレムを奪回した。
A:誤 - Q:(正誤)ベルナールはシトー会の修道士で、説教により国王まで動員した。
A:正 - Q:(正誤)第2回十字軍はアレクシオス1世の要請で始まった。
A:誤(それは第1回十字軍の契機) - Q:(正誤)第2回十字軍の失敗で教皇の権威はさらに高まった。
A:誤(低下した) - Q:(正誤)コンラート3世はドイツ王として参戦した。
A:正 - Q:年代整序:エデッサ陥落/クレルモン公会議/第2回十字軍開始。
A:クレルモン公会議(1095) → エデッサ陥落(1144) → 第2回十字軍開始(1147) - Q:年代整序:小アジアでの敗北/ダマスクス攻囲失敗/第2回十字軍帰還。
A:小アジア敗北(1147) → ダマスクス失敗(1148) → 帰還(1149) - Q:第2回十字軍の失敗が後のイスラーム勢力に与えた効果は何か。
A:サラディンらによる再びの聖地支配に自信を与えた。 - Q:第2回十字軍に参加したルイ7世の妻は後に誰と再婚したか。
A:アリエノール=ダキテーヌはイングランド王ヘンリ2世と再婚した。 - Q:第2回十字軍での失敗が「国王参加」の意味をどう変えたか。
A:国王が参加しても失敗することが明らかになり、十字軍への信頼を弱めた。 - Q:第2回十字軍が中世ヨーロッパ社会に与えた負の影響を述べよ。
A:多くの損耗と資金の浪費、教皇の権威失墜。 - Q:第2回十字軍がシトー会に与えた影響は何か。
A:ベルナールの権威は一時的に傷つき、修道会の名誉も揺らいだ。 - Q:第2回十字軍の「最大の特徴」を一言でいうと何か。
A:国王自らが参加した十字軍 - Q:第2回十字軍が結局聖地を奪回できなかった理由を説明せよ。
A:兵站不足、現地勢力の抵抗、戦略ミスにより成果を得られなかったから。 - Q:第2回十字軍の歴史的評価をまとめよ。
A:聖地奪回に失敗し、十字軍運動の威信を大きく低下させた。
第3回十字軍(1189–1192)|リチャード1世・フィリップ2世・サラディン―三王の十字軍を完全理解
第3回十字軍(1189–1192)は、大学入試でも特に頻出の十字軍です。
発端は、1187年のハッティンの戦いでサラディンがエルサレムを奪回したこと。これに対抗して、イングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世ら“欧州三王”が遠征に参加しました。
結果としてエルサレム奪還には失敗したものの、沿岸部確保と巡礼の自由を認める「ヤッファ休戦」にこぎつけます。「三王の十字軍」「サラディン」「ヤッファ休戦」はセットで問われる鉄板ポイントです。
発端 ― ハッティンの戦いとエルサレム失陥
1187年、ハッティンの戦いでアイユーブ朝のサラディンが十字軍諸勢力を破り、エルサレムを奪回。これが欧州に大衝撃を与え、第3回遠征の直接の契機となりました。
動員 ― “三王の十字軍”
欧州の実力者が並び立つ、史上まれに見る「王の遠征」。
- イングランド王リチャード1世(獅子心王)
- フランス王フィリップ2世(尊厳王)
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ) … 小アジアで渡河中に落馬・溺死し、独軍は瓦解
征の流れ(ポイントだけ)
- アッコン包囲戦(1189–91):長期戦の末に奪回。だが英仏の不和が表面化し、フィリップ2世は帰国。
- アルスーフの戦い(1191):リチャード1世が野戦で勝利。
- ヤッファ休戦(1192):
- 沿岸都市の保持(十字軍側)
- 巡礼の自由(エルサレムへの)
- ただしエルサレムの主権回復はならず
帰結 ― “海岸線は押さえたが、都は戻らず”
- 十字軍国家の再建はならずとも、地中海沿岸の拠点確保で交易・巡礼は一定復活。
- リチャード1世の軍事的手腕とサラディンの統治能力の拮抗が際立つ回。
入試に出るポイント(頻出)
- 契機=ハッティン(1187)→エルサレム失陥。
- 三王の十字軍:リチャード1世/フィリップ2世/バルバロッサ(途中死去)。
- アッコン奪回 → アルスーフ勝利 → ヤッファ休戦の並び。
- 結末=“沿岸確保・巡礼自由”であって“都の回復”ではない。
よくある誤解・ひっかけ
- 「第3回でエルサレムを取り戻した」→ 誤(回復せず)。
- 「三王すべてが最後まで参戦」→ 誤(フィリップ2世は帰国、独軍はバルバロッサ溺死で瓦解)。
- 「停戦=講和で完全終結」→ 誤(休戦により巡礼・沿岸保持を認めた段階)。
第3回十字軍 基礎30問+応用20問
第3回十字軍 基礎問題30問【Q&A形式】
- Q:第3回十字軍の契機となった出来事は何か。
A:1187年、サラディンによるエルサレム奪回 - Q:エルサレムを奪回したイスラーム勢力の指導者は誰か。
A:サラディン - Q:第3回十字軍を呼びかけた教皇は誰か。
A:グレゴリウス8世 - Q:第3回十字軍に参加したイングランド王は誰か。
A:リチャード1世(獅子心王) - Q:第3回十字軍に参加したフランス王は誰か。
A:フィリップ2世(尊厳王) - Q:第3回十字軍に参加した神聖ローマ帝国皇帝は誰か。
A:フリードリヒ1世(赤髭王バルバロッサ) - Q:フリードリヒ1世は遠征途上でどのような最期を遂げたか。
A:小アジアで川に溺死 - Q:リチャード1世の異名は何か。
A:獅子心王 - Q:第3回十字軍でフィリップ2世は途中で帰国した。正か誤か。
A:正 - Q:第3回十字軍の遠征の目的は何か。
A:サラディンからエルサレムを奪回すること - Q:リチャード1世が攻略に成功した港湾都市はどこか。
A:アッコン - Q:第3回十字軍でエルサレムを奪回できたか。
A:できなかった - Q:第3回十字軍の結果、どのような協定が結ばれたか。
A:サラディンとリチャード1世の協定(休戦協定) - Q:その協定によりキリスト教徒に認められた権利は何か。
A:巡礼の自由 - Q:第3回十字軍の期間は西暦何年から何年か。
A:1189年〜1192年 - Q:フィリップ2世が早期に帰国した理由の一つは何か。
A:フランス国内で領土拡張を進めるため - Q:第3回十字軍で十字軍側の主導権を握ったのは誰か。
A:リチャード1世 - Q:サラディンはどの国の君主か。
A:アイユーブ朝の君主 - Q:第3回十字軍で獲得できなかった都市はどこか。
A:エルサレム - Q:第3回十字軍の最大の戦果を一言で言うと何か。
A:聖地巡礼の自由を確保したこと - Q:リチャード1世は帰国途中に誰に捕らえられたか。
A:神聖ローマ帝国(オーストリア公レオポルト5世) - Q:リチャード1世の捕虜生活でフランス王フィリップ2世がとった行動は何か。
A:イングランド領土を侵略しようとした - Q:第3回十字軍に参加した国王はそれぞれ何人か。
A:イングランド・フランス・神聖ローマ帝国の3人 - Q:十字軍国家の拠点アッコンはどこの沿岸にあったか。
A:地中海東岸(パレスチナ) - Q:リチャード1世とサラディンの関係を一言でいうと何か。
A:激しく戦ったが互いに敬意を払った - Q:サラディンの死去は第3回十字軍の直後か直前か。
A:直後(1193年) - Q:第3回十字軍の結果、エルサレム王国は回復したか。
A:回復しなかった - Q:リチャード1世とフィリップ2世の関係を一言でいうと何か。
A:同盟者でありつつライバル - Q:第3回十字軍の結果をヨーロッパ全体からみるとどう評価されるか。
A:限定的な成果にとどまり失敗に近い - Q:第3回十字軍の特徴を一言でいうと何か。
A:ヨーロッパ三大君主が参加した十字軍
第3回十字軍 応用問題20問
- Q:第3回十字軍の契機となったハッティンの戦いを説明せよ。
A:1187年、サラディンがエルサレム王国軍を破り、聖十字架を奪取してエルサレムを攻略した戦い。 - Q:バルバロッサが遠征途中で死亡したことが十字軍に与えた影響を述べよ。
A:ドイツ軍が瓦解し、十字軍全体の戦力が大きく減少した。 - Q:リチャード1世がアッコンを攻略した意義を述べよ。
A:十字軍国家における重要な補給・軍事拠点を確保した。 - Q:フィリップ2世が帰国した政治的理由を述べよ。
A:イングランド領ノルマンディー地方を奪うため国内に戻った。 - Q:リチャード1世とサラディンの協定の内容を説明せよ。
A:エルサレムはサラディンが保持するが、キリスト教徒巡礼者は聖地への往来を許可された。 - Q:第3回十字軍の成果は第2回十字軍と比べてどうか。
A:限定的成果(巡礼の自由)は得たが、根本目標である聖地奪回は失敗した点で共通する。 - Q:(正誤)第3回十字軍はリチャード1世がエルサレムを奪回した。
A:誤 - Q:(正誤)サラディンは十字軍遠征を恐れて自らエルサレムを放棄した。
A:誤 - Q:(正誤)第3回十字軍は「王の十字軍」と呼ばれる。
A:正 - Q:年代整序:ハッティンの戦い/サラディンの死/第3回十字軍開始
A:ハッティンの戦い(1187) → 第3回十字軍開始(1189) → サラディン死去(1193) - Q:年代整序:アッコン攻略/フィリップ2世帰国/リチャード1世帰国
A:アッコン攻略(1191) → フィリップ2世帰国(1191) → リチャード1世帰国(1192) - Q:第3回十字軍の「王の十字軍」という呼称の意味を説明せよ。
A:イングランド王・フランス王・神聖ローマ皇帝の三大君主が直接参加したため。 - Q:リチャード1世が捕虜となった経緯を説明せよ。
A:帰国途中にオーストリア公レオポルト5世に捕らえられ、神聖ローマ皇帝に引き渡された。 - Q:リチャード1世の捕虜生活がイングランドに与えた影響を述べよ。
A:巨額の身代金が国民に課され、国庫に負担を与えた。 - Q:リチャード1世とサラディンの戦いが「騎士道的」と評される理由を述べよ。
A:敵同士でありながら互いを尊敬し合い、降伏者に寛容な対応を見せたから。 - Q:第3回十字軍の失敗がキリスト教世界に与えた政治的影響を述べよ。
A:国王権の限界が露呈し、十字軍への熱意が一層冷え込んだ。 - Q:第3回十字軍がイスラーム世界に与えた影響を述べよ。
A:サラディンの威信をさらに高め、イスラームの結束を強めた。 - Q:第3回十字軍が十字軍運動全体の流れに与えた位置づけを述べよ。
A:部分的成果にとどまり、十字軍の限界を示した転換点。 - Q:第3回十字軍でエルサレムを奪回できなかった原因を説明せよ。
A:兵站不足、諸国王の対立、バルバロッサの死などにより力が分散したため。 - Q:第3回十字軍の歴史的意義をまとめよ。
A:聖地奪回には失敗したが、キリスト教徒の巡礼権を確保し、「王の十字軍」として中世の国際関係に大きな影響を与えた。
第4回十字軍(1202–1204)|コンスタンティノープル占領とラテン帝国
第4回十字軍(1202–1204)は、入試で頻出度が高い「意外な展開をした十字軍」として必ず押さえておきたいポイントです。
本来は聖地奪回を目的としていたにもかかわらず、資金難やヴェネツィアの思惑に巻き込まれ、標的はビザンツ帝国へと転じました。
結果、1204年にコンスタンティノープルを占領しラテン帝国を樹立。この出来事は東西教会の分裂を決定的にした大事件です。
「ヴェネツィア」「コンスタンティノープル占領」「ラテン帝国」というキーワードが鉄板なので、セットで覚えることが重要です。
発端 ― 資金難とヴェネツィアの思惑
- 教皇インノケンティウス3世の呼びかけで編成された第4回十字軍。
- しかし遠征軍は資金難に陥り、艦船を提供したヴェネツィア商人(総督ダンドロ)に借金を背負うことに。
- ヴェネツィアはその見返りに、まずアドリア海のライバル都市ザラ攻撃を要求。ここから既に“宗教戦争”の道を逸れます。
遠征の流れ
- 1202年:ザラ攻撃
→ キリスト教都市にもかかわらず占領。教皇は激怒し、十字軍を一時破門。 - 1203–04年:コンスタンティノープルへ
→ ビザンツ皇帝の王位争いに介入し、軍は東ローマ帝国の首都を攻撃。 - 1204年:コンスタンティノープル占領
→ 首都を徹底的に略奪、ギリシア正教世界に深い傷を残す。
帰結 ― ラテン帝国の成立
- ラテン帝国(1204–61)がコンスタンティノープルに成立。
- しかし十字軍本来の目的=聖地奪回は完全に棚上げ。
- ビザンツ帝国は弱体化し、後にオスマン帝国による1453年の滅亡へとつながる伏線となりました。
入試に出るポイント
- 資金難 → ザラ攻撃 → コンスタンティノープル占領の流れ。
- ラテン帝国樹立(1204–61)=正誤・空欄補充で鉄板。
- ヴェネツィア商人の台頭(海上交易・商業資本)とセットで問われること多し。
- 教皇権の強大化を示すインノケンティウス3世も同時に出題されやすい。
よくある誤解・ひっかけ
- 「第4回はエルサレム奪回に成功した」→ 誤(聖地には行かず、東ローマ攻撃)。
- 「ラテン帝国はヴェネツィアが直接支配した」→ ✕、ヴェネツィアは利権を確保したが、建国主体は十字軍諸侯。
- 「東西教会の分裂は1054年で終了」→ ✕、第4回の略奪が決定的亀裂を生んだ、と設問に出ること多し。
第4回十字軍 基礎30問+応用20問
第4回十字軍 基礎問題30問
- Q:第4回十字軍の開始は西暦何年か。
A:1202年 - Q:第4回十字軍を提唱した教皇は誰か。
A:インノケンティウス3世 - Q:当初、第4回十字軍の目的地はどこだったか。
A:エジプト - Q:十字軍を輸送した都市国家はどこか。
A:ヴェネツィア - Q:第4回十字軍で主導権を握ったヴェネツィア総督は誰か。
A:エンリコ・ダンドロ - Q:十字軍が代金未払いのため、まず攻撃した都市はどこか。
A:ザラ(現在のクロアチア・ザダル) - Q:ザラ攻撃は教皇の意向に反して行われたか。
A:はい(破門された) - Q:その後、第4回十字軍はどの帝国に介入することになったか。
A:ビザンツ帝国(東ローマ帝国) - Q:第4回十字軍がビザンツ帝国に介入した理由は何か。
A:亡命皇子アレクシオス4世の要請 - Q:アレクシオス4世は誰の子か。
A:ビザンツ皇帝イサキオス2世 - Q:アレクシオス4世が十字軍に約束したものは何か。
A:巨額の資金援助と教皇への服従 - Q:第4回十字軍は1203年にどの都市を占領したか。
A:コンスタンティノープル - Q:アレクシオス4世は皇帝に即位した後どうなったか。
A:市民の反乱で廃位・殺害された - Q:アレクシオス4世の死後に即位した皇帝は誰か。
A:アレクシオス5世ドゥーカス - Q:1204年、第4回十字軍は再びどの都市を攻略したか。
A:コンスタンティノープル - Q:1204年のコンスタンティノープル占領により設立された国家は何か。
A:ラテン帝国 - Q:ラテン帝国の初代皇帝は誰か。
A:フランドル伯ボードゥアン1世 - Q:ラテン帝国は西暦何年に成立したか。
A:1204年 - Q:ラテン帝国の首都はどこか。
A:コンスタンティノープル - Q:ラテン帝国は約何年間続いたか。
A:約60年(1204〜1261年) - Q:1261年、ラテン帝国を滅ぼしてビザンツ帝国を再興したのは誰か。
A:ニカイア帝国のミカエル8世パレオロゴス - Q:ラテン帝国の成立は東西教会の関係にどのような影響を与えたか。
A:決定的な分裂を招いた - Q:第4回十字軍の当初の目的(聖地奪回)は達成されたか。
A:達成されなかった - Q:第4回十字軍を特徴づける事件を一言でいえば何か。
A:コンスタンティノープル占領 - Q:ザラ攻略の結果、十字軍兵士はどういう扱いを受けたか。
A:教皇から破門された - Q:ヴェネツィアが第4回十字軍を利用した理由は何か。
A:商業上の利益と東地中海支配の拡大 - Q:ラテン帝国の宗教上の立場は何か。
A:ローマ教会(カトリック)に従属 - Q:第4回十字軍の指導者の一人で盲目だった人物は誰か。
A:ヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロ - Q:第4回十字軍は十字軍運動全体においてどう位置づけられるか。
A:最も大きな逸脱(聖地ではなく同じキリスト教世界を攻撃した) - Q:第4回十字軍が長期的に与えた影響を一言で。
A:ビザンツ帝国の衰退を決定づけた
第4回十字軍 応用問題20問
- Q:インノケンティウス3世が第4回十字軍を呼びかけた背景を説明せよ。
A:聖地回復と教皇権の拡大を目指したが、実際には十字軍は逸脱した。 - Q:ヴェネツィアがザラを攻撃させた理由を説明せよ。
A:ザラはライバル商業都市であり、代金未払いの十字軍を利用して制圧した。 - Q:ザラ攻撃で十字軍が破門されたことの意義を述べよ。
A:教皇の権威が軽視され、十字軍の宗教的正統性が揺らいだ。 - Q:アレクシオス4世が十字軍に支援を要請した背景を説明せよ。
A:父イサキオス2世を帝位に復帰させるため、軍事援助と引き換えに巨額の支払いを約束した。 - Q:1203年のコンスタンティノープル占領後、ビザンツ市民が十字軍に反発した理由を述べよ。
A:重税や略奪に苦しみ、異教徒扱いするラテン人に反感を持った。 - Q:1204年のコンスタンティノープル攻略の具体的経過を説明せよ。
A:アレクシオス5世の反抗を理由に、十字軍とヴェネツィア軍が市を襲撃・略奪し、東西教会最大の亀裂を生んだ。 - Q:ラテン帝国の成立が東ローマ世界に与えた地政学的影響を述べよ。
A:ニカイア帝国・トレビゾンド帝国・エピロス専制侯国などの亡命政権が分立し、分裂が進んだ。 - Q:(正誤)第4回十字軍は聖地エルサレムを奪回した。
A:誤 - Q:(正誤)ラテン帝国の成立により東西教会の統合が進んだ。
A:誤(逆に分裂が決定的になった) - Q:(正誤)第4回十字軍は「逸脱した十字軍」と呼ばれる。
A:正 - Q:年代整序:ザラ攻略/アレクシオス4世即位/ラテン帝国成立
A:ザラ攻略(1202) → アレクシオス4世即位(1203) → ラテン帝国成立(1204) - Q:年代整序:インノケンティウス3世の即位/第4回十字軍開始/ラテン帝国滅亡
A:インノケンティウス3世即位(1198) → 第4回十字軍開始(1202) → ラテン帝国滅亡(1261) - Q:第4回十字軍が「商業十字軍」とも呼ばれる理由を説明せよ。
A:ヴェネツィアの商業利益が大きく反映されたから。 - Q:ビザンツ帝国市民がラテン人を嫌った宗教的理由を述べよ。
A:正教徒である彼らにとってカトリックは異端に近い存在だったから。 - Q:ラテン帝国の滅亡が意味するものを述べよ。
A:ビザンツ帝国が一時的に復活したが、その力は大きく衰えていた。 - Q:第4回十字軍の出来事が長期的にオスマン帝国台頭に与えた影響を述べよ。
A:ビザンツ弱体化により、後にオスマン帝国が容易に進出できる下地となった。 - Q:第4回十字軍の評価を「聖戦」という観点から説明せよ。
A:同じキリスト教徒を攻撃したため、宗教的正当性は失われた。 - Q:第4回十字軍後、ギリシア正教会とローマ教会の関係はどうなったか。
A:修復不能な断絶に陥った。 - Q:第4回十字軍の歴史的特徴を一言で表せ。
A:聖地を目指さず、キリスト教世界内部を攻撃した異例の十字軍。 - Q:第4回十字軍の歴史的意義をまとめよ。
A:聖地奪回には失敗し、コンスタンティノープル占領によって東西教会分裂を決定づけ、ビザンツ帝国を衰退させた。
第5回十字軍(1217–1221)|エジプト遠征と失敗の要因
第5回十字軍(1217–1221)は、第1・第3・第4回ほどの頻出度はありませんが、入試で「押さえておきたい周辺知識」として狙われやすい回です。
特徴は、聖地奪回のためにエジプトへ遠征したという点。ダミエッタを攻略したものの、ナイル川の氾濫により補給を断たれ撤退。結局、聖地回復にはつながりませんでした。
出題の際は「エジプト遠征」「ダミエッタ攻略と失敗」「アル=カーミル(アイユーブ朝の君主)」といった語句がセットで問われることが多いので、必ず整理して覚えておきましょう。
発端 ― 聖地回復の新戦略「エジプト攻略」
第4回が聖地どころか東ローマ帝国を攻撃してしまったため、信頼を失った十字軍運動。そこで次の発想はこうでした:
「エジプトを抑えれば、イスラーム勢力に対して交渉を有利に運べるのでは?」
この戦略のもと、教皇ホノリウス3世のもとで新たな遠征が計画されました。
遠征の流れ
- 1217年:第一次遠征
- エルサレム奪回を目指して出発するも、実らず。
- 1218年:ダミエッタ攻略開始
- ナイル河口の要衝ダミエッタを包囲、翌1219年に占領成功。
- 1219–21年:ナイル上流へ進軍
- しかしナイル川の氾濫や補給困難に直面。
- エジプト軍の反撃を受けて窮地に追い込まれ、最終的に撤退。
帰結 ― 大失敗
- ダミエッタを放棄して撤退。
- 聖地奪回どころか、兵力も資金も失い、十字軍への信頼はさらに失墜しました。
- 以後「聖地=パレスチナ」直撃ではなく、外交や別のルートで奪回を模索する流れへ。
入試に出るポイント
- 戦った十字軍であること(「無血=第6回」と混同注意)。
- 1219年ダミエッタ一時占領 → 1221年撤退の流れ。
- ナイル氾濫による補給難 → 撤退は正誤問題で問われやすい。
- 教皇ホノリウス3世の呼びかけ=人物名を狙う大学もある。
よくある誤解・ひっかけ
- 「戦わなかった十字軍は第5回」→ 誤(戦闘あり)。
- 「第5回でエルサレムを無血回復」→ 誤、それは第6回(フリードリヒ2世)。
- 「ダミエッタ=パレスチナ」→ ✕、正しくはエジプトの港湾都市。
第5回十字軍 基礎30問+応用20問
第5回十字軍 基礎問題30問
- Q:第5回十字軍は西暦何年に始まったか。
A:1217年 - Q:第5回十字軍を呼びかけた教皇は誰か。
A:インノケンティウス3世(ただし開始前に死去し、以後はホノリウス3世が継承) - Q:第5回十字軍の当初の目的は何か。
A:聖地エルサレム奪回 - Q:十字軍の主な攻撃目標となった地域はどこか。
A:エジプト - Q:エジプト遠征を選んだ理由は何か。
A:エジプトがイスラーム勢力の中心(アイユーブ朝)の拠点だったから - Q:第5回十字軍の主な指導者の一人でハンガリー王は誰か。
A:アンドラーシュ2世 - Q:第5回十字軍に参加したオーストリア公は誰か。
A:レオポルト6世 - Q:第5回十字軍に参加したイェルサレム王国の王は誰か。
A:ヨハネ(ジョン)・ド・ブリエンヌ - Q:第5回十字軍で狙われたエジプトの港湾都市はどこか。
A:ダミエッタ - Q:ダミエッタを占領したのは西暦何年か。
A:1219年 - Q:第5回十字軍がダミエッタ占領後に進軍した都市はどこか。
A:カイロ - Q:エジプト側で第5回十字軍と戦った王朝は何か。
A:アイユーブ朝 - Q:当時のアイユーブ朝の君主は誰か。
A:アル=カーミル - Q:アル=カーミルが和平交渉で十字軍に提示した条件は何か。
A:エルサレム返還 - Q:十字軍がアル=カーミルの和議提案を拒否した理由は何か。
A:教皇特使ペラギウスが拒否したため - Q:第5回十字軍の大失敗の原因となった指導者は誰か。
A:教皇特使ペラギウス - Q:第5回十字軍の最終的な結末はどうなったか。
A:エジプト軍に敗北し撤退 - Q:第5回十字軍が撤退したのは西暦何年か。
A:1221年 - Q:第5回十字軍の失敗後、キリスト教勢力はどの都市を放棄したか。
A:ダミエッタ - Q:第5回十字軍で活躍したフランシスコ会修道士は誰か。
A:聖フランチェスコ(アッシジのフランチェスコ) - Q:フランチェスコは第5回十字軍中に誰のもとを訪れたか。
A:アイユーブ朝のスルタン、アル=カーミル - Q:フランチェスコの行動は後に何につながったか。
A:宣教活動・異文化交流の象徴となった - Q:第5回十字軍の結果、聖地エルサレムは奪還されたか。
A:いいえ - Q:第5回十字軍は「遠征の失敗」の代表例とされるのはなぜか。
A:エルサレム奪回どころか、せっかくの和平提案を無駄にしたから - Q:第5回十字軍の失敗は後の誰の十字軍につながったか。
A:神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(第6回十字軍) - Q:第5回十字軍において重要な都市「ダミエッタ」は現在どこの国か。
A:エジプト - Q:ダミエッタの位置する川は何か。
A:ナイル川 - Q:第5回十字軍は軍事的には失敗だったが、教皇権の姿勢を示した点とは何か。
A:教皇が直接遠征を主導する動きを強めたこと - Q:第5回十字軍の兵士はヨーロッパのどの地域から多く集まったか。
A:中欧(ハンガリー、オーストリア)、フランスなど - Q:第5回十字軍の歴史的意義を一言で。
A:和議拒否による失敗の象徴であり、十字軍運動の限界を示した
第5回十字軍 応用問題20問【Q&A形式】
- Q:インノケンティウス3世が第5回十字軍を呼びかけた狙いを説明せよ。
A:聖地回復と同時に、教皇主導による全ヨーロッパの統合を目指した。 - Q:教皇特使ペラギウスが和議を拒否した背景には何があったか。
A:カイロ占領の野心と、教皇権の威信維持を優先したため。 - Q:ダミエッタ攻略の戦術的な難点を説明せよ。
A:ナイル川の氾濫や湿地地形により補給が困難だった。 - Q:アル=カーミルがエルサレム返還を提案したことの意義は何か。
A:キリスト教徒が望んだ目標達成が可能だったが、それを無駄にした点で歴史的に重要。 - Q:(正誤)第5回十字軍でエルサレムは一時的にでも奪還された。
A:誤 - Q:(正誤)ダミエッタはナイル川河口の戦略拠点であった。
A:正 - Q:(正誤)第5回十字軍の主な指導者はフランス王ルイ9世であった。
A:誤(ルイ9世は第7回・第8回十字軍) - Q:年代整序:インノケンティウス3世の死/ダミエッタ攻略/第5回十字軍撤退
A:インノケンティウス3世死去(1216) → ダミエッタ攻略(1219) → 撤退(1221) - Q:年代整序:第4回十字軍/第5回十字軍/第6回十字軍
A:第4回(1202–1204) → 第5回(1217–1221) → 第6回(1228–1229) - Q:聖フランチェスコのスルタン訪問が象徴するものを述べよ。
A:軍事対立を超えた宗教間対話の可能性 - Q:第5回十字軍が「失敗」とされる根本的原因を挙げよ。
A:戦略的誤算と教皇特使の強硬姿勢 - Q:第5回十字軍の失敗は後の十字軍参加者の意識にどのような影響を与えたか。
A:軍事ではなく外交交渉の重視へと傾かせた - Q:アイユーブ朝側から見た第5回十字軍の意義を述べよ。
A:軍事的勝利と同時に、十字軍が内部分裂することを示した - Q:第5回十字軍の失敗をもって何が明らかになったか。
A:聖地奪回が軍事力だけでは不可能であること - Q:(正誤)第5回十字軍ではカイロが陥落した。
A:誤 - Q:(正誤)フランチェスコは戦闘参加ではなく、宣教活動で知られる。
A:正 - Q:第5回十字軍の教訓を簡潔に述べよ。
A:宗教的熱意だけでなく現実的戦略が必要だった - Q:第5回十字軍の失敗と第6回十字軍(フリードリヒ2世)の成功との違いを述べよ。
A:第5回=軍事力で失敗、第6回=外交交渉で成功 - Q:第5回十字軍の歴史的評価を一言で表せ。
A:「失われた好機の十字軍」 - Q:第5回十字軍の意義をまとめよ。
A:エジプト攻略を通じて戦略的中心を突こうとしたが、失敗に終わり、十字軍の限界を示した。
第6回十字軍(1228–1229)|フリードリヒ2世と外交によるエルサレム回復―無血十字軍の真相
第6回十字軍(1228–1229)は、他の回と比べてやや出題頻度は低いですが、「無血十字軍」として特徴的なため、入試でも狙われることがあります。
特に注目すべきは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が教皇と対立しながらも独自に遠征を敢行し、戦わずしてエルサレムを一時的に回復した点です。
「武力ではなく外交で聖地を取り戻した」という異色の展開は記述問題や正誤問題で出やすいため、フリードリヒ2世・ヤッファ条約・無血奪回の3点セットを押さえておくと安心です。
発端 ― 皇帝フリードリヒ2世の登場
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は「シチリア王でもあり、地中海世界に影響力を持つ」存在。
- 彼は当初から教皇との関係が悪く、遠征出発の遅れなどから破門されながらの参加となりました。
- それでも彼自身の野心と外交力をもって、独自に十字軍を率いることになります。
遠征の流れ ― 「戦わずして聖地を得る」
- 1228年に東方へ進発。
- サラディンの後継者であったアイユーブ朝のアル=カーミルと交渉。
- 1229年ヤッファ条約が成立:
- エルサレム・ベツレヘム・ナザレを十字軍側に返還。
- イスラーム教徒の居住・宗教権利は一定保証。
- 交渉期限は一時的(約10年程度)。
帰結 ― “無血十字軍”の成功
- 大規模な戦闘なしに、外交によってエルサレムを回復するという前代未聞の成果。
- しかし教皇は「破門下での独自行動」としてこれを正当に評価せず、フリードリヒとの対立は深まりました。
入試に出るポイント
- 無血でエルサレムを回復した唯一の十字軍。
- 皇帝フリードリヒ2世とヤッファ条約(1229)は頻出。
- 「破門状態で遠征した」という政治的背景が狙われやすい。
- 回復したのは一時的である点も要注意。
よくある誤解・ひっかけ
- 「戦わなかった十字軍は第5回」→ ✕(第5回は戦闘あり)。
- 「第6回で聖地を完全支配」→ ✕(期限付きの一時回復)。
- 「フリードリヒ2世=教皇と協力して成功」→ ✕(むしろ破門下で対立関係)。
第6回十字軍 基礎30問+応用20問
第6回十字軍 基礎問題30問
- Q:第6回十字軍は西暦何年に行われたか。
A:1228–1229年 - Q:第6回十字軍を率いた人物は誰か。
A:神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世 - Q:フリードリヒ2世の出身王朝は何か。
A:ホーエンシュタウフェン朝 - Q:第6回十字軍が特徴的だったのは、軍事行動ではなく何で聖地を回復した点か。
A:外交交渉 - Q:第6回十字軍当時の教皇は誰か。
A:グレゴリウス9世 - Q:フリードリヒ2世は教皇からどのような処分を受けていたか。
A:破門 - Q:破門中にもかかわらず遠征を行ったフリードリヒ2世の姿勢は何と呼ばれるか。
A:世俗皇帝の独自行動 - Q:フリードリヒ2世が交渉した相手はどこの王朝か。
A:アイユーブ朝 - Q:その時のアイユーブ朝の君主は誰か。
A:アル=カーミル - Q:アル=カーミルはどこの国のスルタンであったか。
A:エジプト - Q:フリードリヒ2世とアル=カーミルの間で結ばれた条約は何と呼ばれるか。
A:ヤッファ条約 - Q:ヤッファ条約が締結されたのは西暦何年か。
A:1229年 - Q:ヤッファ条約によって十字軍が回復した都市はどこか。
A:エルサレム - Q:ヤッファ条約で十字軍側に返還された他の都市を一つ挙げよ。
A:ベツレヘム、ナザレなど - Q:ヤッファ条約によってどの聖地は引き続きイスラーム勢力の支配下に残されたか。
A:神殿の丘(アル=ハラム・アッシャリーフ、岩のドーム、アル=アクサー・モスク) - Q:フリードリヒ2世はどのような形でエルサレム王位についたか。
A:自ら戴冠 - Q:フリードリヒ2世のエルサレム王位継承は誰との婚姻を通じて可能となったか。
A:イェルサレム王女イザベル2世との結婚 - Q:第6回十字軍の特徴を一言で言うと何か。
A:戦わない十字軍 - Q:フリードリヒ2世がエルサレムに滞在した期間は長かったか。
A:いいえ、短期間で帰国した - Q:第6回十字軍の成果は一時的にでも成功と見なされるか。
A:はい、外交的にエルサレムを回復したため - Q:第6回十字軍の時、アイユーブ朝がエルサレムを譲歩した背景は何か。
A:内部分裂と東方でのモンゴルの脅威 - Q:フリードリヒ2世の遠征は教皇から支持されたか。
A:いいえ、むしろ敵視された - Q:第6回十字軍の和約は何年間有効とされたか。
A:10年間 - Q:第6回十字軍の結果、十字軍国家に再建された王国は何か。
A:エルサレム王国 - Q:ヤッファ条約でのエルサレムの扱いは完全返還だったか部分的返還だったか。
A:部分的返還 - Q:第6回十字軍で戦闘は発生したか。
A:ほとんど発生しなかった - Q:フリードリヒ2世の十字軍遠征は後世からどう評価されたか。
A:現実主義的で効果的な外交戦略 - Q:フリードリヒ2世は帰国後、教皇とどのような関係になったか。
A:和解したが対立は続いた - Q:第6回十字軍の成功は何年後に無効化されたか。
A:1244年、エルサレム再び陥落 - Q:第6回十字軍の意義を一言で。
A:戦争ではなく外交で成果を挙げた唯一の十字軍
第6回十字軍 応用問題20問
- Q:フリードリヒ2世が破門下で十字軍を実施したことの意義を説明せよ。
A:教皇権を無視して皇帝権を主張し、世俗君主の独立性を示した。 - Q:ヤッファ条約の条文の特徴を具体的に挙げよ。
A:聖地キリスト教徒支配を認めつつ、神殿の丘はイスラームに残した妥協的内容。 - Q:(正誤)フリードリヒ2世はエルサレムで教皇の代理によって戴冠した。
A:誤、自ら戴冠した。 - Q:(正誤)第6回十字軍は軍事的勝利によりエルサレムを奪還した。
A:誤、外交交渉による。 - Q:フリードリヒ2世の「文化的背景」が外交に役立った理由を述べよ。
A:彼がアラビア語やイスラーム文化にも通じていたため交渉に強かった。 - Q:フリードリヒ2世の外交スタイルを現代的な言葉で表現せよ。
A:リアリズム外交/現実主義外交 - Q:第6回十字軍の成功が長続きしなかった理由は何か。
A:イスラーム勢力の反発と十字軍内部の不和 - Q:第6回十字軍と第5回十字軍の違いを簡潔に述べよ。
A:第5回=軍事失敗、第6回=外交成功 - Q:第6回十字軍の結果はヨーロッパの世論からどう評価されたか。
A:一部で称賛されたが、教皇派からは批判された。 - Q:第6回十字軍における教皇と皇帝の対立は中世ヨーロッパ史の何を象徴しているか。
A:教皇権と皇帝権の対立 - Q:フリードリヒ2世の戴冠の正統性が疑問視された理由は何か。
A:教皇の承認を得ていなかったため。 - Q:フリードリヒ2世の遠征が「十字軍運動の変質」を象徴するといわれるのはなぜか。
A:宗教的熱意ではなく政治的・外交的取引で聖地を回復したから。 - Q:(正誤)ヤッファ条約によって神殿の丘はキリスト教徒に引き渡された。
A:誤、イスラームが保持した。 - Q:フリードリヒ2世はエルサレムを直接統治したか。
A:いいえ、象徴的支配にとどまった。 - Q:第6回十字軍の成功は後の十字軍にどんな影響を与えたか。
A:外交交渉を重視するきっかけとなったが、持続しなかった。 - Q:第6回十字軍が「唯一の成功」と言われる根拠は何か。
A:戦わずにエルサレムを獲得した点。 - Q:第6回十字軍後のエルサレム陥落(1244年)はどの勢力によるものか。
A:ホラズム人(イスラーム系の遊牧勢力) - Q:第6回十字軍の時期、同時代のヨーロッパで起きていた大きな動きは何か。
A:皇帝と教皇の対立激化、モンゴル帝国の西進 - Q:(正誤)フリードリヒ2世は「中世最後の皇帝」とも呼ばれる。
A:正 - Q:第6回十字軍の歴史的意義を一言でまとめよ。
A:十字軍の軍事的限界と、外交による聖地奪回の可能性を示した。
第7回十字軍(1248–1254)|ルイ9世のエジプト遠征と敗北
第7回十字軍(1248–1254)は、頻出度こそ第1〜3回ほどではありませんが、「聖王ルイ9世(フランス王)」が主役である点から人物問題やひっかけで出題されやすい回です。
特に重要なのは、エジプトのダミエッタを再び攻略したものの、1250年マンスーラの戦いで大敗し、ルイ9世自身が捕虜となった出来事です。
「篤い信仰心 → エジプト遠征 → 捕虜 → 十字軍の衰退加速」という流れをひとまとめで覚えておけば、正誤問題や年代整序で得点源になります。
発端 ― 聖王ルイ9世の信仰心
- フランス王ルイ9世(後に“聖王”と称され列聖)は、篤い信仰心から聖地回復を強く志しました。
- 第6回で一時的に得られたエルサレムは再び失われ、イスラーム勢力が依然として優勢。
- 「聖地を取り戻すには、まずイスラーム勢力の本拠=エジプトを攻略すべし」という発想のもとに遠征が計画されました。
遠征の流れ
- 1248年:出発、キプロス島に集結
十字軍本隊が集まり、補給を整えて出発。 - 1249年:ダミエッタ再占領
第5回と同じ港湾都市ダミエッタを再び攻略し、一時は順調に見えました。 - 1250年:マンスーラの戦い
ナイル上流へ進軍するも、イスラーム軍の反撃に遭い大敗。
ルイ9世自身が捕虜となり、身代金を支払って解放されるという屈辱的な結果に。 - 1254年:帰国
聖地奪回には至らず。
帰結 ― 十字軍の衰退決定的に
- 第7回の失敗は、十字軍運動の大きな転換点。
- ヨーロッパ内での関心が薄れ、以後は大規模な遠征が続かなくなりました。
- 1270年、同じくルイ9世が挑んだ第8回十字軍(チュニス遠征)で彼が病没し、十字軍の歴史は事実上終焉を迎えます。
入試に出るポイント
- ルイ9世(聖王)の名と「信仰心による遠征」。
- 1249年ダミエッタ再占領 → 1250年マンスーラ敗北 → 捕虜 → 身代金解放の流れ。
- 「第7回=聖王ルイ9世=失敗」というひとまとめ暗記が有効。
- 第8回(1270年チュニス遠征)でルイ9世が没する=“十字軍終焉”という結末まで押さえておくと加点要素になる。
よくある誤解・ひっかけ
- 「第7回=エルサレム奪回」→ 誤(成功せず)。
- 「捕虜となったのは諸侯だけ」→ ✕、国王ルイ9世自身が捕虜。
- 「第8回まで連勝」→ ✕、第7回も第8回も失敗。
第7回十字軍 基礎30問+応用20問
第7回十字軍 基礎問題30問
- Q:第7回十字軍は西暦何年から何年にかけて行われたか。
A:1248–1254年 - Q:第7回十字軍を率いた国王は誰か。
A:フランス王ルイ9世(聖ルイ) - Q:ルイ9世は後にカトリック教会から何と呼ばれたか。
A:聖ルイ(聖人) - Q:第7回十字軍の目的はどの都市の奪回だったか。
A:エルサレム - Q:第7回十字軍がまず攻撃したのはどこの国か。
A:エジプト - Q:当時エジプトを支配していた王朝は何か。
A:アイユーブ朝 - Q:第7回十字軍の最初の目標とされた都市はどこか。
A:ダミエッタ - Q:ダミエッタはどの川の河口に位置するか。
A:ナイル川 - Q:第7回十字軍は1249年にダミエッタを占領したか。
A:はい、占領した - Q:しかし第7回十字軍が進軍して失敗した都市はどこか。
A:カイロ - Q:第7回十字軍が壊滅した戦いは何か。
A:マンスーラの戦い - Q:ルイ9世はマンスーラでどのような状況に陥ったか。
A:捕虜となった - Q:ルイ9世が解放される条件として支払ったものは何か。
A:莫大な身代金 - Q:第7回十字軍の遠征先で、アイユーブ朝から権力を奪った勢力は何か。
A:マムルーク(奴隷軍人) - Q:第7回十字軍の失敗は十字軍全体の評価にどのような影響を与えたか。
A:信頼を失わせた - Q:第7回十字軍の後、エジプトを支配した新しい王朝は何か。
A:マムルーク朝 - Q:第7回十字軍後、ルイ9世はどこに滞在して十字軍国家を援助したか。
A:アッコン - Q:ルイ9世がアッコンに滞在したのは何年間か。
A:約4年間(1250–1254年) - Q:ルイ9世が帰国した年は何年か。
A:1254年 - Q:第7回十字軍の失敗はヨーロッパの民衆にどう受け止められたか。
A:失望を招いた - Q:ルイ9世は捕虜となった後も民衆から尊敬を集めたか。
A:はい、信仰深さから尊敬を集めた - Q:第7回十字軍の遠征は資金的に各国に何をもたらしたか。
A:経済的負担と混乱 - Q:第7回十字軍の失敗により強まったイスラーム勢力はどの勢力か。
A:マムルーク - Q:ルイ9世が第7回十字軍で戦った相手の将軍の一人は誰か。
A:マムルークのバイバルス(後のスルタン) - Q:ルイ9世はエルサレムを奪回できたか。
A:いいえ - Q:ルイ9世は捕虜から解放された後も聖地に留まったか。
A:はい、アッコンに滞在した - Q:ルイ9世が信仰心篤い王として後世に尊敬された理由の一つは?
A:敗北しても信仰を捨てず、捕虜生活でも敬虔だったから - Q:第7回十字軍が示した十字軍運動の限界は何か。
A:軍事的勝利が困難になったこと - Q:第7回十字軍の結果、ヨーロッパと中東の力関係にどう影響したか。
A:イスラーム側優位が鮮明になった - Q:第7回十字軍の意義を一言で。
A:ルイ9世の信仰を象徴するが、軍事的には大失敗
第7回十字軍 応用問題20問
- Q:第7回十字軍がエジプトを攻撃した戦略的理由を説明せよ。
A:エジプトを制圧すれば聖地回復の拠点になり、イスラーム勢力を弱体化できると考えた。 - Q:(正誤)第7回十字軍はカイロを占領して成功した。
A:誤、カイロ遠征は失敗した。 - Q:マンスーラの戦いでの敗北要因を2つ挙げよ。
A:①補給不足 ②マムルークの戦術に翻弄された - Q:捕虜となったルイ9世が身代金を支払えた背景は何か。
A:フランス王国の豊富な資金力 - Q:(正誤)ルイ9世は捕虜時に改宗を迫られたが拒否した。
A:正 - Q:第7回十字軍後、マムルークがエジプトを掌握した事件は何か。
A:1250年のマムルークの政変 - Q:ルイ9世がアッコンに滞在した目的は何か。
A:十字軍国家の再建と防衛強化 - Q:第7回十字軍後に強化されたマムルークの指導者は誰か。
A:バイバルス - Q:第7回十字軍の失敗が十字軍国家に与えた影響は?
A:支配基盤を弱め、イスラーム側の攻撃に脆弱となった - Q:第7回十字軍の失敗によりルイ9世が再度挑戦することになるのは何回目の十字軍か。
A:第8回十字軍 - Q:(正誤)第7回十字軍はヨーロッパ内の熱狂的支持を背景に開始された。
A:正 - Q:第7回十字軍の挫折がヨーロッパに残した精神的影響は何か。
A:宗教的熱意の衰退 - Q:マンスーラの戦いでマムルークが使用した有効な戦術は何か。
A:奇襲と市街戦戦術 - Q:第7回十字軍の遠征を支えたフランス国内の社会階層は?
A:貴族と聖職者を中心に動員された - Q:(正誤)第7回十字軍によって一時的にでもエルサレムが奪回された。
A:誤 - Q:第7回十字軍の敗北が示す、十字軍運動の「衰退の兆候」とは何か。
A:宗教的情熱よりも現実的限界が目立ったこと - Q:捕虜時代のルイ9世の姿勢は後世にどう評価されたか。
A:信仰を守り抜いた聖王として称えられた - Q:第7回十字軍の失敗後、ヨーロッパでの十字軍参加熱は高まったか低下したか。
A:低下した - Q:第7回十字軍の遠征はイスラーム世界にとってどのような結果をもたらしたか。
A:マムルークが台頭し、中東の覇権を確立した - Q:第7回十字軍の歴史的意義を一言で。
A:フランス王の信仰の象徴であったが、軍事的には失敗し、十字軍衰退を加速させた
第8回十字軍(1270)|ルイ9世のチュニス遠征と十字軍の終焉
第8回十字軍(1270)は、十字軍運動の“終焉”を示す回として入試では頻出です。
戦闘自体の重要度は低めですが、フランス王ルイ9世(聖王)が再び遠征し、チュニス(北アフリカ)で病没したという「象徴的な結末」が問われます。
ポイントは「信仰心の王ルイ9世 → チュニス遠征 → 病没 → 十字軍終焉」というセットで押さえること。正誤問題や空欄補充で「第8回=聖王ルイ9世の死=十字軍の終わり」を選ばせる問題がよく出ます。
発端 ― 再び聖地奪回を志したルイ9世
第7回十字軍で敗北・捕虜となったフランス王ルイ9世(聖王)は、解放後もなお篤い信仰心を失わず、再度の遠征を志しました。
今回の標的は、直接聖地ではなく 北アフリカのチュニス(現在のチュニジア)。
ここを拠点にイスラーム勢力を分断し、聖地回復の足がかりとする狙いでした。
当時、フランス王国は地中海交易にも関心を持ち、宗教的動機に加えて経済的利害も絡んでいたと考えられます。
遠征の流れ
- 1270年:チュニス遠征出発
ルイ9世が再び軍を率いて北アフリカへ。 - チュニス到着直後に悲劇
遠征軍は現地の気候と衛生環境に適応できず、疫病(赤痢や腸チフスと推測される)が蔓延。
ルイ9世自身も病に倒れ、チュニス上陸直後に 病没。 - 後継者による撤退
息子フィリップ3世らが講和を結び、軍を撤退させました。
聖地奪回の目的は果たされず、遠征は失敗に終わりました。
帰結 ― 十字軍の歴史的終焉
第8回十字軍は、大規模遠征としては最後の試みとなりました。
国王ルイ9世の死は象徴的であり、ヨーロッパ世界の十字軍熱は完全に冷却。
以後も小規模な遠征や聖地への巡礼は続いたものの、十字軍という「大規模なキリスト教世界の軍事運動」は終焉を迎えます。
入試に出るポイント
- 1270年=第8回十字軍=チュニス遠征。
- ルイ9世(聖王)がチュニスで病没 → 十字軍の象徴的終焉。
- 第7回の「捕虜・身代金」から、第8回の「病死・終焉」へとストーリーで押さえると整理しやすい。
よくある誤解・ひっかけ
- 「第8回=聖地エルサレム奪回」 → ✕(聖地には到達せず、チュニスで終わった)。
- 「ルイ9世は最後まで戦い続けた」 → ✕(病死)。
- 「第8回の後も大規模十字軍が続いた」 → ✕(小規模遠征はあったが、十字軍時代は実質的に終了)。
まとめ ― 「第8回=チュニス・病死・終焉」
第8回十字軍は、
「ルイ9世(聖王) → チュニス遠征 → 疫病 → 病死 → 十字軍の終焉」
という5点セットで覚えましょう。
大学入試では、
- 「第7回=捕虜」
- 「第8回=病死」
の違いを問う問題が頻出。
ここまで整理しておけば、十字軍シリーズのラストを確実に得点源にできます。
第8回十字軍 基礎30問+応用20問
第8回十字軍 基礎問題30問
- Q:第8回十字軍は西暦何年に行われたか。
A:1270年 - Q:第8回十字軍を率いた国王は誰か。
A:フランス王ルイ9世(聖ルイ) - Q:第8回十字軍の主な目的はどの都市の奪回だったか。
A:エルサレム - Q:ルイ9世が選んだ攻撃目標はどこの都市か。
A:北アフリカのチュニス(現チュニジア) - Q:なぜルイ9世はチュニスを攻撃したのか。
A:イスラーム勢力を分断し、改宗させることで聖地奪回を有利にするため - Q:第8回十字軍の遠征先チュニスの支配者は何と呼ばれるか。
A:ハフス朝のスルタン - Q:第8回十字軍に参加したヨーロッパの有力者の一人で、シチリア王でもあったのは誰か。
A:シャルル・ダンジュー(ルイ9世の弟) - Q:第8回十字軍の遠征軍はチュニス上陸後、どのような問題に直面したか。
A:疫病(赤痢・ペストなど)が流行した - Q:ルイ9世はチュニス遠征中にどうなったか。
A:病死した - Q:ルイ9世が亡くなったのは西暦何年か。
A:1270年 - Q:ルイ9世の死によって第8回十字軍はどうなったか。
A:撤退に追い込まれた - Q:第8回十字軍は軍事的に成功したか失敗したか。
A:失敗 - Q:第8回十字軍の失敗はヨーロッパにどのような影響を与えたか。
A:十字軍熱の大幅な低下 - Q:第8回十字軍後に強大化したイスラーム勢力は何か。
A:マムルーク朝 - Q:ルイ9世の死後、フランス王位を継いだのは誰か。
A:フィリップ3世 - Q:ルイ9世は後に教会から何と呼ばれたか。
A:聖ルイ - Q:第8回十字軍が遠征地をチュニスにした背景にはどのような思惑があったか。
A:シチリア王シャルルの地中海覇権戦略 - Q:チュニス遠征で結ばれた講和条約では何が約束されたか。
A:貿易権益とキリスト教宣教師活動の容認 - Q:第8回十字軍の遠征は結局エルサレム奪回に寄与したか。
A:いいえ - Q:第8回十字軍は十字軍運動全体においてどのような位置づけか。
A:事実上の終焉を示した - Q:ルイ9世はどのような人物像で記憶されているか。
A:敬虔で信仰心の厚い王 - Q:第8回十字軍の失敗後、ヨーロッパ人の聖地奪回への関心はどうなったか。
A:急速に低下した - Q:第8回十字軍での大きな死因は戦闘ではなく何だったか。
A:疫病 - Q:第8回十字軍の失敗により恩恵を受けたイスラーム勢力はどこか。
A:マムルーク朝 - Q:第8回十字軍の拠点とされたのはチュニスのどの港か。
A:カルタゴ近郊 - Q:ルイ9世の死はフランス国内にどのように受け止められたか。
A:国民的悲劇 - Q:第8回十字軍の遠征地チュニスはどの海域に面しているか。
A:地中海 - Q:第8回十字軍の主な結果を一言で言えば?
A:失敗と終焉 - Q:第8回十字軍後、イスラーム勢力が奪回したキリスト教最後の拠点はどこか。
A:アッコン(1291年に陥落) - Q:第8回十字軍の歴史的意義を簡潔に述べよ。
A:ルイ9世の信仰を示すも軍事的には無益で、十字軍時代の終焉を象徴した
第8回十字軍 応用問題20問【Q&A形式】
- Q:第8回十字軍の遠征地がエジプトではなくチュニスに設定された理由を説明せよ。
A:シャルル・ダンジューの地中海戦略と、チュニス改宗の期待から - Q:(正誤)第8回十字軍はチュニスを占領し、北アフリカを拠点化することに成功した。
A:誤 - Q:第8回十字軍でルイ9世が病死したことがもつ象徴的意味を述べよ。
A:十字軍の理想と信仰の終焉を象徴する - Q:チュニスとの講和でキリスト教側が得た利益を2つ挙げよ。
A:①貿易権益 ②宣教師活動の許可 - Q:(正誤)第8回十字軍はエルサレム奪回を果たした最後の十字軍である。
A:誤、奪回できなかった - Q:第8回十字軍の疫病流行は十字軍運動にどのような教訓を与えたか。
A:遠征の限界と非効率性を浮き彫りにした - Q:ルイ9世の死後、十字軍国家の防衛を指導したのは誰か。
A:シチリア王シャルル・ダンジュー - Q:第8回十字軍が行われた頃、聖地を支配していたイスラーム勢力は何か。
A:マムルーク朝 - Q:第8回十字軍の失敗はヨーロッパにおける「何の終焉」と評価されるか。
A:十字軍運動の終焉 - Q:第8回十字軍の参加者にとって、戦争よりも恐ろしかったものは何か。
A:疫病 - Q:(正誤)ルイ9世の死後、フランス王国は国内的に大きく動揺した。
A:正 - Q:第8回十字軍後、イスラーム勢力が最終的に聖地を確保した年は?
A:1291年(アッコン陥落) - Q:第8回十字軍を「十字軍の終わり」とする理由を述べよ。
A:軍事的成果がなく、以後大規模遠征が行われなかったから - Q:ルイ9世の信仰が後世に評価され「聖ルイ」とされたのはどの要素によるか。
A:敗北や死にもかかわらず敬虔な姿勢を貫いたから - Q:第8回十字軍が中世ヨーロッパに残した最大の影響は何か。
A:十字軍の限界と時代の終焉を自覚させた - Q:(正誤)第8回十字軍はフランス王権の威信を高めることに成功した。
A:誤、逆に損なった - Q:第8回十字軍の遠征費用はヨーロッパの経済にどんな影響を与えたか。
A:大きな負担となり、財政を圧迫した - Q:第8回十字軍後、ヨーロッパで「十字軍」という発想はどのように変化したか。
A:聖地奪回よりも政治的軍事的遠征に形骸化した - Q:第8回十字軍と第7回十字軍の共通点は?
A:ルイ9世が主導し、失敗に終わったこと - Q:第8回十字軍の歴史的意義を一言で。
A:信仰と政治の交錯の末に、十字軍運動が終焉した象徴的出来事
十字軍のその後 ― 世界史での位置づけと影響
十字軍は「成功か失敗か」で言えば、聖地を恒久的に奪回できず、軍事的には失敗に終わりました。
しかし、その過程で生まれた副次的な影響は、中世から近世にかけての歴史に深く刻まれています。入試では「十字軍そのもの」よりも、この影響を問う設問が多いのが特徴です。
1. 教皇権の盛衰
- 第1回〜第3回では、教皇がヨーロッパ全土を動員できる権威を発揮しました。特にインノケンティウス3世の時代は「教皇権の絶頂期」とされます。
- しかし、第4回以降の失敗と逸脱で、次第に「教皇に従えば勝てる」という信頼が揺らぎます。
- この失墜は、のちのアヴィニョン捕囚(1309–77)や教会大分裂(1378–1417)、さらに宗教改革(16世紀)につながる「教会権威への批判」の地盤を作りました。
2. 王権の強化
- 十字軍の遠征で諸侯や騎士が多く動員される一方、国内を留守にした結果、王が領土をまとめる権限を強めることになりました。
- 特にフランスやイングランドの王権伸張は、十字軍時代を契機に顕著になります。
- → 「教皇権の衰退と王権の伸張」というヨーロッパ中世の大きな流れを示す重要事例。
3. 東西関係とオスマン帝国
- 第4回十字軍でコンスタンティノープルが占領・略奪され、東西教会の亀裂は決定的に。
- ビザンツ帝国は弱体化し、1453年にオスマン帝国に滅ぼされます。
- この流れは「十字軍の失敗 → ビザンツ弱体化 → オスマン台頭」という歴史の因果関係で問われやすい。
4. 経済・商業の発展
- 遠征を通じて**イタリア商人(ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサ)**が活躍し、地中海貿易の主導権を握りました。
- 香辛料・絹織物・宝石など東方の物産がヨーロッパにもたらされ、貨幣経済や商業資本が飛躍的に発展。
- これが都市の繁栄・ブルジョワジーの台頭につながります。
5. 文化・学問の刺激
- 十字軍を通じてイスラーム世界からアリストテレス哲学・天文学・数学・医学などが逆輸入されました。
- 翻訳運動を経てヨーロッパに知識が蓄積され、スコラ哲学の発展、やがてルネサンスへの道筋を作ります。
- → つまり十字軍は「文化的交流の触媒」でもあったのです。
6. 大航海時代へのつながり
- オスマン帝国の台頭により地中海・陸上交易路が圧迫されると、ヨーロッパ人は新たなルートを探しました。
- 「十字軍 → 東方交易の刺激 → オスマンの障害 → 新航路探検 → 大航海時代」という流れは論述問題で頻出。
十字軍のその後 基礎30問+応用20問
基礎問題(30題)
Q1:第1回十字軍の結果、成立した国家群を何と呼ぶか。
A1:十字軍国家
Q2:第4回十字軍が占領した都市はどこか。
A2:コンスタンティノープル
Q3:第4回十字軍後に東ローマ帝国に代わって成立した国は?
A3:ラテン帝国
Q4:第6回十字軍を率いた神聖ローマ皇帝は誰か。
A4:フリードリヒ2世
Q5:第7回・第8回十字軍を率いたフランス王は誰か。
A5:ルイ9世(聖王)
Q6:第3回十字軍で対峙したイスラーム側の英雄は誰か。
A6:サラディン
Q7:第3回十字軍に参加したイングランド王は誰か。
A7:リチャード1世(獅子心王)
Q8:第3回十字軍に参加したフランス王は誰か。
A8:フィリップ2世
Q9:第3回十字軍に参加した神聖ローマ皇帝は誰か。
A9:フリードリヒ1世(赤髭王)
Q10:第2回十字軍のきっかけとなった十字軍国家の陥落は?
A10:エデッサ伯国
Q11:第1回十字軍を呼びかけた教皇は誰か。
A11:ウルバヌス2世
Q12:十字軍が西ヨーロッパにもたらした経済的効果の一つは?
A12:東方貿易の拡大
Q13:十字軍後に栄えた北イタリアの都市国家を2つ挙げよ。
A13:ヴェネツィア、ジェノヴァ
Q14:第4回十字軍でヴェネツィアが占領した都市は?
A14:ザラ
Q15:十字軍遠征の結果、没落した東方帝国は?
A15:ビザンツ帝国(東ローマ帝国)
Q16:第6回十字軍でエルサレムを一時回復した条約は?
A16:ヤッファ条約
Q17:第5回・第7回十字軍が攻略を試みた地域は?
A17:エジプト
Q18:第8回十字軍の戦場はどこか。
A18:チュニス(北アフリカ)
Q19:第8回十字軍で戦死した王は誰か。
A19:ルイ9世
Q20:十字軍の影響でヨーロッパに導入された作物を一つ挙げよ。
A20:米、レモン、スイカなど
Q21:十字軍によってヨーロッパに流入した学問の一つは?
A21:ギリシア哲学(アリストテレス哲学など)
Q22:サラディンが活躍したイスラーム王朝は?
A22:アイユーブ朝
Q23:第1回十字軍の主要な戦場都市を一つ挙げよ。
A23:アンティオキア、エルサレムなど
Q24:第7回十字軍でルイ9世が捕虜になった戦いは?
A24:マンスーラの戦い
Q25:十字軍遠征の失敗が続いたことで衰退したものは?
A25:教皇権
Q26:十字軍後、ヨーロッパで盛んになった学問的活動は?
A26:スコラ学
Q27:十字軍遠征で強化された経済活動は?
A27:貨幣経済
Q28:十字軍によって衰退が決定的となった都市は?
A28:コンスタンティノープル
Q29:第1回十字軍で聖地を奪還した年代は?
A29:1099年
Q30:十字軍運動の総期間はおよそ何世紀か。
A30:約200年(11世紀末~13世紀末)
応用問題(40題)
Q1:第1回十字軍の背景を「教皇権・ビザンツ・聖地」の3要素で説明せよ。
A1:ビザンツ皇帝が援軍を要請、聖地奪回を大義とし、教皇ウルバヌス2世が教皇権伸張を図った。
Q2:第2回十字軍の失敗要因を挙げよ。
A2:シリア・ダマスクス攻略に失敗し、十字軍内部の統率不足が露呈した。
Q3:第3回十字軍が「三王の十字軍」と呼ばれる理由を説明せよ。
A3:英・仏・独の三王(リチャード1世、フィリップ2世、フリードリヒ1世)が参加したため。
Q4:第3回十字軍の成果と限界を述べよ。
A4:巡礼の自由と沿岸部の確保には成功したが、エルサレム奪回は失敗。
Q5:第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領した背景を説明せよ。
A5:資金難からヴェネツィアに利用され、ビザンツ帝国を攻撃する流れとなった。
Q6:第4回十字軍の結果が東西教会分裂に与えた影響を述べよ。
A6:コンスタンティノープル占領により東西教会分裂が決定的となった。
Q7:第5回十字軍の戦場エジプトが選ばれた理由を述べよ。
A7:イスラーム勢力の拠点であり、ここを制圧すれば聖地奪回が容易になると考えられた。
Q8:第6回十字軍の特徴を一言で表せ。
A8:外交による無血十字軍。
Q9:第7回十字軍での敗北がヨーロッパ社会に与えた影響を説明せよ。
A9:十字軍熱が冷め、十字軍運動が衰退した。
Q10:第8回十字軍がチュニス遠征となった理由を述べよ。
A10:ルイ9世が北アフリカを経由し聖地奪回を狙ったため。
Q11:第8回十字軍でルイ9世が戦死した意義を述べよ。
A11:十字軍の象徴的終焉を示し、以後大規模遠征は行われなかった。
Q12:十字軍が封建制度に与えた影響を述べよ。
A12:遠征による没落で封建領主が弱体化し、王権が強化された。
Q13:十字軍によって発展した商業都市を挙げよ。
A13:ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサ
Q14:十字軍と貨幣経済の関係を説明せよ。
A14:遠征資金調達や貿易拡大で貨幣流通が進んだ。
Q15:十字軍と騎士団の関係を述べよ。
A15:聖地防衛のため、テンプル騎士団・病院騎士団などが結成された。
Q16:十字軍運動が結果的にヨーロッパの「近代化」を促した要素を述べよ。
A16:経済活性化、都市発展、学問復興、中央集権化。
Q17:十字軍がイスラーム世界に与えた影響を述べよ。
A17:短期的には侵略被害を受けたが、長期的には統一意識を強める要因となった。
Q18:第4回十字軍とヴェネツィア商人の利害関係を述べよ。
A18:十字軍を利用して東地中海の貿易権益を拡大した。
Q19:十字軍後、ヨーロッパに流入した思想の例を挙げよ。
A19:アリストテレス哲学、イスラームの科学知識。
Q20:十字軍が「失敗」とされつつも「歴史的意義」を持つ理由を説明せよ。
A20:聖地奪回には失敗したが、ヨーロッパの変革を促す契機となった。
(以下は追加で応用問題を簡略にリスト化します)
Q21:第1回十字軍の結果成立した主要な王国は? → A:エルサレム王国
Q22:第2回十字軍を説いた修道士は? → A:ベルナール(シトー会)
Q23:第3回十字軍後に結ばれた休戦協定は? → A:ヤッファ休戦
Q24:第4回十字軍の結果、ラテン帝国が成立した年代は? → A:1204年
Q25:第5回十字軍の失敗原因は? → A:ナイル氾濫で撤退
Q26:第6回十字軍の外交相手は誰か? → A:アイユーブ朝スルタン・アル=カーミル
Q27:第7回十字軍でルイ9世が捕虜となった都市は? → A:マンスーラ
Q28:第8回十字軍でルイ9世が没した都市は? → A:チュニス
Q29:十字軍後、東方との接触で伝わった日用品を挙げよ。 → A:絹・香辛料・砂糖など
Q30:十字軍後に成長した「中世都市」の象徴的存在は? → A:ハンザ同盟都市など
Q31:十字軍失敗の最大の要因は? → A:補給難・内部対立
Q32:十字軍と大学の成立の関連を述べよ。 → A:ギリシア哲学・イスラーム学問の流入が大学教育を活性化
Q33:十字軍が「宗教戦争」と同時に「経済戦争」でもあった理由は? → A:東方貿易権益を狙ったため
Q34:東ローマ帝国が衰退した原因を十字軍との関係で説明せよ。 → A:第4回十字軍の占領で大打撃を受けた
Q35:十字軍運動を支えた宗教的思想は? → A:贖宥思想(罪の赦し)
Q36:十字軍で登場した軍事修道会の例を2つ。 → A:テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団
Q37:第7回十字軍が転機とされる理由は? → A:大敗北でヨーロッパの十字軍熱が冷めた
Q38:第8回十字軍を「終焉」と呼ぶ根拠は? → A:ルイ9世の死と以後の遠征停止
Q39:十字軍後に権威を失った存在は? → A:ローマ教皇権
Q40:十字軍が歴史的に持つ二面性を一言で述べよ。 → A:「軍事的失敗」と「社会的変革」
まとめ ― 十字軍を学ぶ意味
十字軍は、聖地奪回という短期目標には失敗しましたが、ヨーロッパ世界を大きく変える長期的影響をもたらした出来事でした。
- 教皇権の衰退と王権の伸張
- 東西分裂の決定打とオスマン台頭
- 商業・都市の発展と文化交流
- 大航海時代・宗教改革へのつながり
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