11世紀末、ヨーロッパ世界を揺るがす大事件が起きました。それが第1回十字軍です。
ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じ、キリスト教諸国の騎士たちが聖地エルサレム奪還を目指して遠征を開始しました。
この遠征はイスラム世界との直接的対立を生み出すだけでなく、封建社会の枠組みを超えた「ヨーロッパ世界の拡大」という歴史的大転換点でもあります。
さらに、第1回十字軍の結果、エルサレムを中心に十字軍国家(ラテン王国)が建設され、西欧と東方イスラム世界との複雑な関係が始まりました。
この記事では、第1回十字軍の背景・経過・結果を詳しく解説し、大学入試で問われやすい重要ポイントや論述対策まで丁寧に整理します。
1章 第1回十字軍の背景とローマ教皇の呼びかけ
1-1. ビザンツ帝国の危機と教皇ウルバヌス2世の演説
11世紀後半、セルジューク朝トルコの急速な拡大により、ビザンツ帝国は小アジアの大部分を失いました。ビザンツ皇帝アレクシオス1世は西欧に救援を求め、これに応じたのがローマ教皇ウルバヌス2世です。
1095年、クレルモン宗教会議でウルバヌス2世は「神の御心である!」と叫び、聖地奪還のための遠征を呼びかけました。これが十字軍の発端です。

1-2. 封建社会の構造と騎士たちの動機
封建社会の中で騎士たちは、戦争と信仰に生きる存在でした。第1回十字軍への参加は「罪の赦し」や「領地獲得」を求める者にとって魅力的でした。
また、ローマ教皇にとっては東西教会分裂の修復を狙う意図もあり、聖地奪還は宗教的情熱と政治的利害が交錯する一大プロジェクトとなりました。
1-3. 人民十字軍とその悲劇
ウルバヌス2世の演説に感化された農民や都市の貧民は、装備も不十分なまま人民十字軍として出発。しかし、1096年にドイツ・ハンガリー方面での襲撃やイスラム軍との戦闘で壊滅しました。
これにより、本格的な十字軍は諸侯や騎士団による組織的遠征へと移行します。
1-4. 入試で狙われるポイント
- クレルモン宗教会議(1095年)の位置づけとウルバヌス2世の演説
- セルジューク朝の拡大とビザンツ帝国の危機
- 人民十字軍の壊滅と騎士十字軍の出発
- 十字軍の宗教的動機と世俗的動機の両面
- 第1回十字軍の背景について、ビザンツ帝国の状況とローマ教皇の意図に着目し、120〜150字で説明せよ。
-
11世紀後半、セルジューク朝の進出でビザンツ帝国が小アジアを失い、皇帝アレクシオス1世は西欧に救援を要請した。ローマ教皇ウルバヌス2世は東西教会分裂の修復や聖地奪還を目的として1095年のクレルモン宗教会議で十字軍遠征を呼びかけた。
第1章: 第1回十字軍とエルサレム王国の成立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
1095年、十字軍派遣を呼びかけたローマ教皇は誰か。
解答:ウルバヌス2世
問2
ウルバヌス2世が十字軍を提唱した会議は何か。
解答:クレルモン宗教会議
問3
第1回十字軍派遣のきっかけとなったビザンツ皇帝は誰か。
解答:アレクシオス1世
問4
十字軍のきっかけとなったイスラム勢力はどの王朝か。
解答:セルジューク朝
問5
第1回十字軍の初期に農民主体で編成された軍を何と呼ぶか。
解答:人民十字軍
問6
人民十字軍はどのような結末を迎えたか。
解答:出発直後に壊滅した
問7
第1回十字軍が出発した年を答えよ。
解答:1096年
問8
ローマ教皇が十字軍を呼びかけた目的の一つは何か(宗教的観点から)。
解答:聖地エルサレム奪還
問9
ローマ教皇が十字軍を呼びかけた目的の一つは何か(政治的観点から)。
解答:東西教会分裂の修復
問10
第1回十字軍で最終的に占領した都市はどこか。
解答:エルサレム
正誤問題(5問)
問1
ウルバヌス2世はコンスタンティノープルでクレルモン宗教会議を開いた。
解答:誤(フランス中部クレルモン)
問2
第1回十字軍は1099年にエルサレムを占領した。
解答:正
問3
人民十字軍は成功を収め、エルサレム王国を建国した。
解答:誤(壊滅)
問4
セルジューク朝の拡大は第1回十字軍のきっかけとなった。
解答:正
問5
ウルバヌス2世は東西教会分裂を深めるために十字軍を呼びかけた。
解答:誤(修復を狙った)
よくある誤答パターンまとめ
- 誤り1:「人民十字軍がエルサレムを占領した」
→ 実際は壊滅、占領したのは騎士十字軍 - 誤り2:「クレルモン宗教会議はコンスタンティノープルで開かれた」
→ 正しくはフランス中部のクレルモン - 誤り3:「教皇の目的は東方教会を滅ぼすこと」
→ 実際は東西教会の統合を目指した - 誤り4:「十字軍はすべて宗教的理由のみで行われた」
→ 領地獲得や経済的利益も大きな動機
2章 エルサレム王国の成立と十字軍国家の構造
2-1. エルサレム奪還と残虐行為
第1回十字軍の諸侯軍は1097年にニケーアを攻略し、小アジアを横断してアンティオキアを占領しました。その後、長い包囲戦を経て、1099年、エルサレムを攻略します。
このとき十字軍はイスラム教徒・ユダヤ教徒を大量に虐殺し、聖地は血に染まったと記録されています。この残虐行為はイスラム世界に深い傷を残し、後世の報復の動機にもなりました。
2-2. エルサレム王国の成立
エルサレム占領後、十字軍諸侯はラテン人の王国を築きました。初代国王にはゴドフロワ=ド=ブイヨンが選ばれます。
ただし彼は「神の墓の守護者」を称し、王冠を戴かず謙虚な姿勢を示しました。その後、弟のボードゥアン1世が正式にエルサレム王を称しました。
この王国はラテン王国とも呼ばれ、西欧騎士たちが築いた異質の国家として、東地中海に存在感を放ちました。
2-3. 十字軍国家群の形成
エルサレム王国だけでなく、十字軍は周辺に複数の国家を樹立しました。
- エデッサ伯国
- アンティオキア公国
- トリポリ伯国
これらを合わせて「十字軍国家」と呼びます。これらは領土が飛び地状でつながりが弱く、また人口的にも支配階層は少数派の西欧人、被支配層は大多数がイスラム教徒・ギリシア正教徒という構造的脆弱性を抱えていました。
2-4. 宗教騎士団の台頭
十字軍国家を守るために、やがて宗教騎士団が登場します。
- 聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団):病人の看護を目的に発足
- テンプル騎士団:聖地巡礼者の保護を目的に設立
これらは戦士と修道士の二重の性格を持ち、十字軍国家の軍事的中核として機能しました。
2-5. 入試で狙われるポイント
- エルサレム占領(1099年)の経緯と残虐行為
- ゴドフロワ=ド=ブイヨンとボードゥアン1世
- 十字軍国家群(エデッサ伯国・アンティオキア公国・トリポリ伯国・エルサレム王国)
- 宗教騎士団(聖ヨハネ騎士団・テンプル騎士団)の役割
- エルサレム王国を中心とする十字軍国家の成立とその脆弱性について、120〜150字で説明せよ。
-
1099年、第1回十字軍はエルサレムを占領し、ラテン王国を建設した。さらにエデッサ伯国・アンティオキア公国・トリポリ伯国が成立したが、いずれも西欧騎士による少数支配に基づき、人口的・地理的に脆弱であったため、周辺イスラム勢力の反攻にさらされ続けた。
第2章: 第1回十字軍とエルサレム王国の成立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
第1回十字軍がエルサレムを攻略したのは何年か。
解答:1099年
問2
エルサレム王国初代の指導者となった人物は誰か。
解答:ゴドフロワ=ド=ブイヨン
問3
ゴドフロワ=ド=ブイヨンが自称した称号は何か。
解答:神の墓の守護者
問4
エルサレム王を正式に名乗ったのは誰か。
解答:ボードゥアン1世
問5
エルサレム王国は別名何と呼ばれるか。
解答:ラテン王国
問6
エデッサ伯国・アンティオキア公国・トリポリ伯国を含めた総称は何か。
解答:十字軍国家
問7
エルサレム攻略時に十字軍が行ったことで、イスラム世界に強い憎悪を与えた行為は何か。
解答:住民虐殺
問8
十字軍国家の支配者層の多くはどのような出身か。
解答:西欧の騎士や諸侯
問9
宗教騎士団の一つで、病人看護を目的に発足したものは何か。
解答:聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団)
問10
宗教騎士団の一つで、巡礼者保護を目的に発足したものは何か。
解答:テンプル騎士団
正誤問題(5問)
問1
エルサレム王国はイスラム教徒が主体の国家であった。
解答:誤(支配層はラテン人、西欧騎士)
問2
第1回十字軍によるエルサレム占領は、住民虐殺を伴った。
解答:正
問3
エルサレム王国の初代国王はゴドフロワ=ド=ブイヨンである。
解答:誤(彼は王を名乗らず、ボードゥアン1世が初代国王)
問4
宗教騎士団は軍事と修道の二重の性格を持っていた。
解答:正
問5
エデッサ伯国・アンティオキア公国・トリポリ伯国はいずれも第1回十字軍の結果成立した。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
- 誤り1:「ゴドフロワ=ド=ブイヨンがエルサレム王を名乗った」
→ 実際は王を名乗らず「神の墓の守護者」とした。 - 誤り2:「十字軍国家は西欧人多数派による安定した支配」
→ 実際は少数の西欧人による支配で極めて脆弱。 - 誤り3:「宗教騎士団は純粋な修道会」
→ 実際は軍事的性格も持ち、戦闘に従事。 - 誤り4:「エルサレム占領は平和裏に行われた」
→ 実際は大規模虐殺を伴った。
第3章 十字軍国家の衰退とイスラム勢力の反攻
3-1. エデッサ伯国の陥落と第2回十字軍
十字軍国家の中でも北方に位置するエデッサ伯国は、周囲をイスラム勢力に囲まれた脆弱な存在でした。1144年、この地はザンギー(セルジューク系の武将)によって陥落します。
この事件は西欧世界に大きな衝撃を与え、第2回十字軍(1147〜49年)が編成されました。フランス王ルイ7世やドイツ王コンラート3世が参加しましたが、結局ダマスクス攻略に失敗し、成果をあげられませんでした。
3-2. サラディンの台頭とヒッティーンの戦い
12世紀後半、イスラム世界ではアイユーブ朝を建てたサラディン(サラーフ=アッディーン)が台頭します。彼はエジプトとシリアを統一し、十字軍国家を強力に圧迫しました。
1187年、サラディンはヒッティーンの戦いでエルサレム王国軍を壊滅させ、ついにエルサレムを奪還しました。これは第1回十字軍以来の十字軍国家の象徴的拠点喪失であり、西欧に大きな衝撃を与えました。

3-3. 第3回十字軍と一時的安定
エルサレム奪還に対抗して編成されたのが第3回十字軍(1189〜92年)です。
参加したのは、
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)
- フランス王フィリップ2世
- イングランド王リチャード1世(獅子心王)
フリードリヒ1世は途中で急死し、フィリップ2世は途中で帰国したため、実質的にはリチャード1世とサラディンの戦いとなりました。
最終的に講和条約(ヤッファの和約)が結ばれ、エルサレム巡礼の自由は認められましたが、都市そのものの支配権は回復できませんでした。
3-4. 十字軍国家の最終的崩壊
その後も十字軍は遠征を繰り返しましたが、エルサレム奪還には失敗し続けました。
1291年、最後の拠点であったアッコンがマムルーク朝に陥落し、十字軍国家は完全に消滅しました。
これにより、聖地における西欧の軍事的拠点は失われ、十字軍運動は終焉を迎えました。
3-5. 入試で狙われるポイント
- 1144年エデッサ伯国の陥落 → 第2回十字軍
- サラディンとアイユーブ朝の台頭
- 1187年ヒッティーンの戦いとエルサレム奪還
- 第3回十字軍(リチャード1世とサラディン)
- 1291年アッコン陥落による十字軍国家消滅
- サラディンによるエルサレム奪還の歴史的意義について、十字軍国家の衰退と関連させて120〜150字で説明せよ。
-
12世紀後半、サラディンはアイユーブ朝を建てイスラム勢力を統一し、1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を破った。その結果、エルサレム王国は崩壊的打撃を受け、十字軍国家の衰退が決定的となった。以後の十字軍はエルサレムを奪還できず、聖地支配はイスラム側に戻った。
第3章: 第1回十字軍とエルサレム王国の成立 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
1144年、最初に滅亡した十字軍国家はどこか。
解答:エデッサ伯国
問2
エデッサ伯国を攻略したイスラム武将は誰か。
解答:ザンギー
問3
第2回十字軍に参加したフランス王は誰か。
解答:ルイ7世
問4
第2回十字軍に参加したドイツ王は誰か。
解答:コンラート3世
問5
アイユーブ朝を建てた人物は誰か。
解答:サラディン
問6
1187年、サラディンが十字軍を破った戦いは何か。
解答:ヒッティーンの戦い
問7
第3回十字軍に参加した神聖ローマ皇帝は誰か。
解答:フリードリヒ1世(赤髭王)
問8
第3回十字軍でサラディンと戦ったイングランド王は誰か。
解答:リチャード1世(獅子心王)
問9
第3回十字軍後、エルサレム巡礼の自由を認めた条約は何か。
解答:ヤッファの和約
問10
1291年、マムルーク朝によって陥落し、十字軍国家消滅の契機となった都市はどこか。
解答:アッコン
正誤問題(5問)
問1
第2回十字軍はエデッサ伯国を奪回して成功を収めた。
解答:誤(奪回に失敗)
問2
サラディンはアイユーブ朝を建ててエジプトとシリアを統一した。
解答:正
問3
ヒッティーンの戦いは1187年に起こり、十字軍が大勝した。
解答:誤(サラディンが勝利)
問4
第3回十字軍ではリチャード1世がサラディンと戦った。
解答:正
問5
1291年のアッコン陥落で十字軍国家は完全に崩壊した。
解答:正
よくある誤答パターンまとめ
- 誤り1:「第2回十字軍は成功してエルサレムを奪還した」
→ 実際はダマスクス攻略に失敗。 - 誤り2:「エルサレムを奪還したのは第3回十字軍」
→ 実際はサラディンによる1187年の奪還。 - 誤り3:「フリードリヒ1世は第3回十字軍を指揮してエルサレムを奪還した」
→ 実際は途中で死去。 - 誤り4:「十字軍国家は1291年以降も続いた」
→ 実際はアッコン陥落で完全消滅。
まとめ 十字軍国家の成立から衰退までの流れ
第1回十字軍によって築かれたエルサレム王国をはじめとする「十字軍国家」は、わずか200年弱の間に成立と衰退を経験しました。
その過程は、西欧世界が封建社会を越えて外部へ進出する「ヨーロッパの拡大」の始まりであると同時に、イスラム世界との対立を激化させる契機ともなりました。
以下に主要な出来事を年表とフローチャートで整理し、歴史の流れを視覚的に確認しましょう。
十字軍国家関連の年表
年代 | 出来事 |
---|---|
1095年 | クレルモン宗教会議(ウルバヌス2世が十字軍を提唱) |
1096年 | 第1回十字軍出発、人民十字軍壊滅 |
1099年 | 第1回十字軍がエルサレムを占領 → エルサレム王国成立 |
1144年 | エデッサ伯国陥落(ザンギーによる) |
1147〜49年 | 第2回十字軍(失敗) |
1187年 | ヒッティーンの戦い → サラディンがエルサレム奪還 |
1189〜92年 | 第3回十字軍(リチャード1世とサラディンが対峙) |
1291年 | アッコン陥落 → 十字軍国家滅亡 |
十字軍国家の盛衰フローチャート
マンジケルトの戦い(1071)
↓
ビザンツ帝国の危機
↓
クレルモン公会議(1095)
「Deus vult!」
↓
第1回十字軍出発(1096)
├─ 農民十字軍 → 壊滅
└─ 諸侯十字軍 → ニカイア攻略(1097)
↓
アンティオキア攻略(1098)
↓
エルサレム攻略(1099)
↓
エルサレム王国建国
├─ エデッサ伯国
├─ アンティオキア公国
└─ トリポリ伯国
↓
イスラームの反撃
(1144年エデッサ陥落→第2回十字軍、
1187年サラディンの勝利)
↓
1291年 アッコン陥落 → 十字軍国家滅亡
総括
十字軍国家の歴史は、西欧騎士たちが築いた一時的な勢力圏が、やがてイスラム世界の反攻によって崩壊していく過程でした。
この経験は西欧社会に多くの影響を与え、商業の活発化や東方との接触を通じて、後のルネサンスや大航海時代にもつながっていきます。
大学入試では、各十字軍の発端と結果、主要人物、そして十字軍国家の成立と衰退の流れを押さえておくことが重要です。
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