17世紀末、ヨーロッパではルイ14世の拡張政策に対抗するアウクスブルク同盟戦争(1688〜1697)が勃発しました。
その余波は大西洋を越え、北米大陸にも波及します。
それがウィリアム王戦争(1689〜1697)です。
ニューイングランド植民地(イギリス)とニュー・フランス(フランス)が激突し、先住民も巻き込んだ過酷な戦争は、以後1世紀以上続く英仏植民地戦争シリーズの幕開けとなりました。
本記事では、ウィリアム王戦争の背景・戦局・講和条約までを詳しく解説し、入試で狙われる論点を一問一答・正誤問題・誤答パターン付きで徹底攻略します。
第1章 ウィリアム王戦争の背景と勃発
ウィリアム王戦争は、北米における英仏植民地の利害対立に加え、ヨーロッパのアウクスブルク同盟戦争と密接にリンクしています。
まずは、戦争に至る背景を整理し、勃発までの流れを見ていきましょう。
1-1 北米植民地の対立構造
17世紀末の北米は、ニューイングランド植民地(イギリス)とニュー・フランス(フランス)が接する微妙な均衡状態でした。
- イギリス領:ニューイングランド13植民地を中心に人口増大中
- フランス領:ケベック・アカディア(現カナダ東部)を拠点とし、五大湖〜ミシシッピ流域へ進出中
この状況下で毛皮貿易・領土拡張をめぐる争いが激化していました。
1-2 名誉革命とウィリアム3世の即位
1688年、イギリスで名誉革命が起こり、オランダ総督だったウィリアム3世がイングランド王に即位します。
- ウィリアム3世は生涯を通じて対フランス政策を重視。
- 即位直後にアウクスブルク同盟へ参加し、フランスに対抗。
結果として、ヨーロッパ戦線と北米戦線が同時並行で進行することになりました。
1-3 先住民勢力の介入
北米戦線では、先住民諸部族も重要な役割を果たします。
- イロコイ連邦:イギリスと同盟し、フランス領カナダに圧力をかける
- アベナキ族など:フランス側につき、ニューイングランドを襲撃
植民地戦争は、単なる英仏対立ではなく、先住民社会を巻き込んだ複雑な多層構造でした。
1-4 入試で狙われるポイント
- ウィリアム王戦争=アウクスブルク同盟戦争と同時期
- 名誉革命とウィリアム3世即位が戦争参加の契機
- 先住民を巻き込んだ毛皮貿易の対立構造
- ケベック・アカディア・ニューイングランドなどの地名と勢力図
- ウィリアム王戦争勃発の背景を、ヨーロッパ情勢と北米情勢を関連づけて200字程度で説明せよ。
-
17世紀末、ルイ14世の拡張政策に対抗するため、イギリス・オランダ・神聖ローマ帝国などがアウクスブルク同盟を結成し、1688年に同盟戦争が勃発した。その影響は北米にも及び、ニューイングランド植民地とニュー・フランスが毛皮貿易や領土拡大をめぐって対立。さらに、名誉革命で即位したウィリアム3世が対仏政策を推進したことで、北米でも戦火が広がり、1689年にウィリアム王戦争が勃発した。
一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ウィリアム王戦争が勃発した西暦は何年か。
解答:1689年
問2
ウィリアム王戦争はヨーロッパの何という戦争と同時期か。
解答:アウクスブルク同盟戦争
問3
ウィリアム王戦争でイギリス国王として参戦した人物は誰か。
解答:ウィリアム3世
問4
ウィリアム王戦争でフランス側の拠点となった北米の主要都市はどこか。
解答:ケベック
問5
フランス側の領土で、戦争中に激しい争奪戦があった地域はどこか。
解答:アカディア(現カナダ東部)
問6
ウィリアム王戦争でイギリス側と同盟した先住民連邦は何か。
解答:イロコイ連邦
問7
フランスと同盟してニューイングランドを襲撃した先住民は何か。
解答:アベナキ族
問8
ウィリアム王戦争の終結条約は何か。
解答:ライスワイク条約
問9
ライスワイク条約でウィリアム3世の地位はどのように扱われたか。
解答:イングランド王として承認された
問10
ウィリアム王戦争は英仏植民地戦争シリーズの第何弾か。
解答:第1弾
正誤問題(5問)
問1
ウィリアム王戦争はアメリカ独立戦争中に起こった。
解答:誤り → 1689〜97年、独立戦争とは無関係。
問2
ウィリアム王戦争はアウクスブルク同盟戦争と同時期に行われた。
解答:正しい
問3
ウィリアム王戦争ではニュー・フランス側がイロコイ連邦を味方につけた。
解答:誤り → イロコイ連邦はイギリス側。
問4
ウィリアム王戦争の講和条約はユトレヒト条約である。
解答:誤り → ライスワイク
条約(1697)。
問5
ウィリアム王戦争では現状維持の形で講和した。
解答:正しい
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
ウィリアム王戦争=スペイン継承戦争 | × → アウクスブルク同盟戦争と同時期 |
ウィリアム王戦争はイギリス対フランスの単独戦争 | × → 先住民諸部族も大きく介入 |
講和条約=ユトレヒト条約 | × → 正しくはライスワイク条約 |
イロコイ連邦=フランス側 | × → イギリスと同盟 |
アカディア=アメリカ独立戦争で初登場 | × → 17世紀末から争奪戦が繰り返されている |
第2章 ウィリアム王戦争の戦局とライスワイク条約
ウィリアム王戦争の戦場は、北米大陸の広範囲に広がりました。
ここでは主要な会戦・拠点争奪戦・先住民との連携状況、さらにライスワイク条約の講和条件を詳しく見ていきます。
2-1 主な戦闘と領土争奪
- アカディア(カナダ東部)をめぐる英仏攻防
- ケベック攻略作戦(1690):イギリス植民地軍が失敗
- フロンテナック総督の反撃:フランスはイロコイ連邦への攻撃で優位を確保
2-2 先住民との連携
- イギリス側:イロコイ連邦との軍事同盟により内陸圧力を強化
- フランス側:アベナキ族を動員し、ニューイングランド北部を襲撃
→ 先住民同盟関係=入試頻出
2-3 ライスワイク条約と戦後処理
- 講和年:1697年
- 講和条件:ヨーロッパ戦線と同様、「現状維持」
- 英仏双方の領土は基本的に元の状態に戻され、決定的な領土変更はなし
- ただし、北米における英仏対立は構造的に解決せず、次の戦争へ続く。
2-4 戦争の歴史的意義
- 北米における英仏植民地戦争シリーズの開幕
- 先住民社会を巻き込んだ三層構造の戦争
- ヨーロッパ戦線との国際的連動の始まり
- 次のアン女王戦争(1702〜1713)、さらにフレンチ=インディアン戦争へ直結
ウィリアム王戦争まとめ年表
年 | 北米戦線 | ヨーロッパ戦線 | 講和 |
---|---|---|---|
1689 | ウィリアム王戦争開戦 | アウクスブルク同盟戦争進行中 | — |
1690 | ケベック攻略失敗 | ビーチー・ヘッド海戦(仏勝) | — |
1692 | アベナキ族によるニューイングランド襲撃 | ラ・ウーグ海戦(英蘭勝) | — |
1696 | アカディアをめぐる攻防 | サヴォイア単独講和 | — |
1697 | ウィリアム王戦争終結 | ライスワイク条約締結 | 戦争終結 |
まとめ:ウィリアム王戦争の総合整理
ウィリアム王戦争(1689〜1697)は、北米における英仏植民地戦争シリーズの始まりであり、同時期のアウクスブルク同盟戦争と密接に連動した戦争です。
戦場はニューイングランド植民地・ニュー・フランス・アカディアなど北米各地に広がり、さらに先住民社会も巻き込む三層構造となりました。
講和は1697年のライスワイク条約で現状維持が確認されましたが、根本的な対立は解決せず、次のアン女王戦争(1702〜1713)へとつながります。
ウィリアム王戦争とアウクスブルク同盟戦争のリンク年表
年 | 北米戦線(ウィリアム王戦争) | ヨーロッパ戦線(アウクスブルク同盟戦争) | 主な出来事・講和 |
---|---|---|---|
1686 | — | アウクスブルク同盟結成 | 対フランス包囲網形成 |
1688 | — | フランス、ライン川流域へ侵攻 | 戦争勃発 |
1689 | ウィリアム王戦争開戦 | アウクスブルク同盟戦争本格化 | 名誉革命後のウィリアム3世が参戦 |
1690 | ケベック攻略作戦失敗(英) | ビーチー・ヘッド海戦:仏艦隊勝利 | 北米戦線は膠着 |
1692 | アベナキ族、ニューイングランドを襲撃 | ラ・ウーグ海戦:英蘭連合勝利 | 仏のイングランド上陸計画が頓挫 |
1693 | 毛皮貿易ルートをめぐる激戦 | ランデンの戦い:仏軍戦術勝利 | 戦局膠着 |
1695 | アカディアをめぐる攻防続行 | ナミュール要塞奪回(連合軍) | 戦局転換点 |
1696 | フランス軍、アカディア制圧 | サヴォイア単独講和(トリノ条約) | イタリア戦線縮小 |
1697 | ライスワイク条約締結 | 戦争終結 | 領土は現状維持 |
入試頻出ポイントまとめ
必須レベル(MARCH・国公立)
- ウィリアム王戦争=アウクスブルク同盟戦争と同時期(1689〜1697)
- 名誉革命後のウィリアム3世参戦
- 主戦場=ニューイングランド植民地・ニュー・フランス・アカディア
- 先住民同盟:イロコイ連邦(英側)/アベナキ族(仏側)
- 講和条約=ライスワイク条約(現状維持)
早慶・難関大向け(加点項目)
- ケベック攻略作戦失敗(1690)
- アカディアをめぐる攻防
- 先住民同盟の細かい関係
- 北米戦線とヨーロッパ戦線の講和条件が共通である点
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
ウィリアム王戦争=スペイン継承戦争 | × → アウクスブルク同盟戦争と同時期 |
講和条約=ユトレヒト条約 | × → ライスワイク条約(1697) |
ウィリアム王戦争は英仏二国間の単独戦争 | × → 先住民社会を含む複雑な戦争構造 |
イロコイ連邦=フランス側 | × → イギリスと同盟 |
北米戦線はヨーロッパ戦線と無関係 | × → 完全に連動していた |
ウィリアム王戦争では講和により現状維持が確認されましたが、根本的な対立は何も解決していませんでした。
次につながる歴史の流れ
- 毛皮貿易ルートの争奪
- アカディアやニューファンドランドをめぐる領土問題
- 先住民との軍事同盟
- 大西洋交易をめぐる海上覇権
これらはそのままアン女王戦争(1702〜1713)へと持ち越され、
さらにジョージ王戦争、そしてフレンチ=インディアン戦争へと続きます。
つまり、ウィリアム王戦争は英仏植民地戦争100年史の幕開けとして理解することが大切です。
まとめ
- ウィリアム王戦争(1689〜1697)は、北米初の大規模な英仏戦争。
- 背景はヨーロッパのアウクスブルク同盟戦争と密接にリンク。
- 戦場は北米各地に広がり、先住民社会も深く関与。
- ライスワイク条約(1697)で現状維持のまま終結するが、
- 対立は解消されず、アン女王戦争→ジョージ王戦争→フレンチ=インディアン戦争へ続く。
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