1744年から1748年にかけて、北米大陸で繰り広げられたジョージ王戦争は、イギリスとフランスの植民地間対立が激化した戦争です。
この戦争はヨーロッパで起きたオーストリア継承戦争の一部として始まりましたが、北米独自の特徴を持ち、後のフレンチ=インディアン戦争(七年戦争期)やさらにはアメリカ独立戦争への伏線ともなります。
北米戦線では、
- イギリス領ニューイングランドとフランス領カナダの対立
- 先住民を巻き込んだ毛皮交易ルート争奪
- ルイブルク要塞をめぐる攻防
が大きな争点となりました。
この記事では、
- ジョージ王戦争勃発の背景
- 主要戦局とルイブルク要塞攻略
- アーヘンの和約と北米植民者への影響
を詳しく解説します。
第1章 ジョージ王戦争の勃発と背景
ジョージ王戦争は、ヨーロッパのオーストリア継承戦争と連動して起きた北米戦線ですが、その背景には、北米独自の植民地競争と先住民を巻き込んだ対立がありました。
イギリス・フランス双方が毛皮交易ルートと植民地支配を拡大しようとした結果、現地住民を含めた激しい戦闘が勃発したのです。
英仏植民地対立の背景
植民地領有の状況
- イギリス:東海岸沿いの13植民地を中心に、人口・経済規模で優位
- フランス:ケベックやモントリオールを拠点に、五大湖からミシシッピ川流域まで広大な領域を支配
- 双方の領域が接するオハイオ川流域・毛皮交易ルートが火種となった
毛皮交易と先住民同盟
- フランス:アルゴンキン族・ヒューロン族と同盟
- イギリス:イロコイ連邦と同盟
→ 先住民は毛皮交易の利権をめぐり英仏いずれかに協力。
戦争は植民地勢力+先住民連合という複雑な構図となりました。
ジョージ王戦争の勃発(1744年)
ヨーロッパ戦争の波及
- 1740年:オーストリア継承戦争がヨーロッパで勃発
- 1744年:フランスがオーストリア側で本格参戦した結果、北米でも戦端が開かれる
- イギリス領ニューイングランドとフランス領カナダの間で武力衝突が始まる
ルイブルク要塞の戦略的重要性
- ルイブルク要塞:カナダ東部ケープ・ブレトン島に位置するフランスの重要拠点
- 大西洋航路の要衝であり、北米植民地の防衛・毛皮貿易の要だった
- この要塞をめぐる戦いが、ジョージ王戦争の象徴的事件となる
入試で狙われるポイント
- ジョージ王戦争がオーストリア継承戦争の一部であること
- イギリス13植民地 vs フランス領カナダの構図
- 先住民を巻き込んだ毛皮交易ルート争奪
- ルイブルク要塞の地理的・戦略的重要性
- アーヘンの和約でルイブルク要塞がフランスへ返還された点
- ジョージ王戦争の背景にある北米の植民地事情と先住民の関与について、オーストリア継承戦争との関連にも触れながら250字以内で説明せよ。
-
ジョージ王戦争は、オーストリア継承戦争の影響が北米に波及したものであるが、その背景には北米独自の英仏植民地対立があった。フランスはケベックを中心に内陸部を支配し、毛皮交易ルートを確保していた。一方、イギリスは13植民地を拠点に人口と経済力で優勢だったが、領域拡大を図ってオハイオ川流域に進出した。フランスはアルゴンキン族らと、イギリスはイロコイ連邦と同盟を結び、先住民を巻き込んだ戦争となった。こうして北米戦線は、ヨーロッパ戦争と植民地競争が交錯する場となった。
第1章: ジョージ王戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ジョージ王戦争が勃発した年は西暦何年か。
解答:1744年
問2
ジョージ王戦争は、ヨーロッパで起きた何という戦争の一部か。
解答:オーストリア継承戦争
問3
ジョージ王戦争で対立した2つの勢力は、イギリス13植民地とどこの植民地か。
解答:フランス領カナダ
問4
北米において、英仏の争点となった交易は何か。
解答:毛皮交易
問5
ジョージ王戦争でイギリス側に協力した先住民連合は何か。
解答:イロコイ連邦
問6
ジョージ王戦争でフランス側に協力した代表的な先住民部族は何か。
解答:アルゴンキン族
問7
ジョージ王戦争で争奪戦の中心となった、カナダ東部の重要な要塞は何か。
解答:ルイブルク要塞
問8
1745年、ルイブルク要塞を攻略したのはどちらの国か。
解答:イギリス
問9
アーヘンの和約でルイブルク要塞はどちらの国に返還されたか。
解答:フランス
問10
ルイブルク要塞返還に不満を抱いた北米イギリス植民者は、後にどの戦争への伏線となったか。
解答:アメリカ独立戦争
正誤問題(5問)
問1
ジョージ王戦争は、オーストリア継承戦争の影響が北米に波及して勃発した。
解答:○
問2
ジョージ王戦争では、イギリス13植民地がルイブルク要塞を攻略したが、アーヘンの和約でイギリス領に確定した。
解答:×(フランスに返還された)
問3
ジョージ王戦争でフランスはイロコイ連邦と同盟を結んで戦った。
解答:×(フランスはアルゴンキン族などと同盟、イロコイ連邦はイギリス側)
問4
ジョージ王戦争は、北米における英仏植民地戦争の第一ラウンドといえる。
解答:○
問5
ジョージ王戦争後、北米植民者の不満は高まり、フレンチ=インディアン戦争を経てアメリカ独立戦争へとつながった。
解答:○
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
ルイブルク要塞はアーヘンの和約でイギリス領になった | × → フランスに返還 |
イロコイ連邦はフランス側 | × → イギリス側 |
ジョージ王戦争は七年戦争の一部 | × → オーストリア継承戦争の一部 |
北米植民者はルイブルク要塞返還に満足した | × → 大きな不満を抱き、独立意識を高めた |
北米戦線は英仏両国本国の軍隊だけで戦った | × → 先住民を巻き込んだ複雑な構図 |
第2章 ルイブルク要塞攻防戦と北米植民者の不満
ジョージ王戦争最大の戦局は、北米カナダ東部のルイブルク要塞をめぐる攻防でした。
この戦いではイギリス13植民地軍が大きな勝利を収めたものの、戦後のアーヘンの和約で要塞がフランスに返還され、
植民者たちの間に本国への強い不満が生まれます。
この「本国と植民地の温度差」は、やがてアメリカ独立戦争へとつながる重要な伏線となりました。
ルイブルク要塞の戦略的重要性
北米大西洋防衛の要衝
- ルイブルク要塞は、カナダ東部ケープ・ブレトン島に位置
- フランス領カナダ(ヌーヴェル=フランス)への玄関口を守る最重要拠点
- 大西洋航路の防衛・毛皮交易ルートの確保・漁業資源支配など多くの役割を果たす
フランス支配下での強固な防衛体制
- 巨大な石造りの要塞と大砲を備え、当時「北米のジブラルタル」とも呼ばれた
- ここを落とせばフランス植民地の補給線を断てるため、イギリスにとって攻略は喫緊の課題だった
ルイブルク要塞攻防戦(1745年)
植民地民兵による大規模遠征
- 1745年、イギリス本国の支援を得たニューイングランド植民地軍(約4000人)が遠征軍を結成
- 艦隊を伴い、約6週間に及ぶ包囲戦の末、ルイブルク要塞を陥落
植民者の士気高揚と勝利の意義
- 植民地軍主体でフランス最大の要塞を攻略したことで、北米イギリス植民者は大きな自信を得る
- この成功体験は、のちの独立運動にも心理的影響を与えたとされる
アーヘンの和約と植民者の不満
要塞返還の決定
- 1748年のアーヘンの和約で、ルイブルク要塞はフランスに返還される
- 植民者たちは「自らの血で勝ち取った成果を本国が手放した」として大きな不満を抱いた
本国と植民地の温度差
- イギリス本国:ヨーロッパでの勢力均衡を優先
- 植民地:自らの安全保障と経済利益を重視
→ この乖離は、北米における「本国への不信感」を高める要因となった
アメリカ独立戦争への伏線
ジョージ王戦争後、北米植民者の不満はさらに高まり、次のフレンチ=インディアン戦争(七年戦争期)で再びルイブルク要塞が戦場となります。
さらに、本国と植民地の対立は深まり、最終的にアメリカ独立戦争(1775年〜)へとつながっていきます。
入試で狙われるポイント
- ルイブルク要塞の地理的・戦略的重要性
- イギリス植民地軍による攻略の経過と意義
- アーヘンの和約で要塞をフランスに返還した理由
- 北米植民者の不満とアメリカ独立戦争へのつながり
- 七年戦争との関係性
- ルイブルク要塞攻防戦とアーヘンの和約が北米イギリス植民者の意識に与えた影響を、アメリカ独立戦争へのつながりに触れながら200字以内で説明せよ。
-
1745年、ジョージ王戦争中にニューイングランド植民地軍はルイブルク要塞を攻略し、北米におけるフランスの防衛線を一時突破した。しかし、1748年のアーヘンの和約で要塞はフランスに返還され、「自らの血で勝ち取った戦果を本国が譲った」として植民者の不満が高まった。この本国との温度差は、次のフレンチ=インディアン戦争を経てさらに拡大し、最終的にアメリカ独立戦争への伏線となった。
第2章: ジョージ王戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ルイブルク要塞は北米のどの地域にあったか。
解答:ケープ・ブレトン島(カナダ東部)
問2
ルイブルク要塞は当時、何と呼ばれるほどの堅固な要塞だったか。
解答:「北米のジブラルタル」
問3
1745年、ルイブルク要塞を攻略したのはどの軍だったか。
解答:ニューイングランド植民地軍
問4
ルイブルク要塞攻略戦で植民地軍を支援した本国海軍の役割は何か。
解答:艦隊を派遣し封鎖と火力支援を行った
問5
アーヘンの和約でルイブルク要塞はどの国に返還されたか。
解答:フランス
問6
イギリス本国がルイブルク要塞を返還した最大の理由は何か。
解答:ヨーロッパでの勢力均衡を優先したため
問7
ルイブルク要塞返還を不満とした植民地住民の主要な理由は何か。
解答:自らの犠牲で勝ち取った戦果を失ったため
問8
ルイブルク要塞をめぐる戦いは、後にどの戦争でも重要な戦局となったか。
解答:フレンチ=インディアン戦争(七年戦争期)
問9
ルイブルク要塞返還をきっかけに北米植民者と本国の関係はどう変化したか。
解答:本国への不信感が高まり対立が深まった
問10
ジョージ王戦争後の北米植民者の不満は最終的にどの戦争につながったか。
解答:アメリカ独立戦争
正誤問題(5問)
問1
ルイブルク要塞は「北米のジブラルタル」と呼ばれるほど堅固な要塞だった。
解答:○
問2
ニューイングランド植民地軍はルイブルク要塞を攻略できなかった。
解答:×(1745年に攻略に成功)
問3
アーヘンの和約でルイブルク要塞はイギリス領に確定した。
解答:×(フランスに返還された)
問4
ルイブルク要塞返還をめぐる不満は、後のアメリカ独立戦争への伏線となった。
解答:○
問5
ルイブルク要塞はジョージ王戦争以降、戦略的重要性を失った。
解答:×(七年戦争でも再び重要な戦場となる)
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
ルイブルク要塞はアーヘンの和約でイギリス領になった | × → フランスに返還 |
ルイブルク要塞攻略は本国軍主体 | × → 植民地軍主体の戦い |
アーヘンの和約で北米戦線の問題は解決 | × → 火種は残り、七年戦争で再燃 |
北米植民者は返還に満足した | × → 強い不満を抱き独立意識を高めた |
七年戦争ではルイブルク要塞は関係ない | × → 再び重要な戦局となる |
第3章 アーヘンの和約後も続く英仏植民地戦争と七年戦争への道
1748年のアーヘンの和約でジョージ王戦争はいったん終結したものの、英仏間の北米植民地対立は全く解消されませんでした。
むしろルイブルク要塞返還をめぐる植民者の不満は高まり、さらに毛皮交易ルートやオハイオ川流域の領有をめぐる争いが激化します。
その結果、北米は再びフレンチ=インディアン戦争(1754〜63年)の戦場となり、この戦いは世界規模で展開された七年戦争の北米戦線として位置づけられます。
アーヘンの和約後の北米情勢
和約の限界
- アーヘンの和約では、ルイブルク要塞返還などの妥協が成立したが、
英仏の領土争いの本質的問題は未解決のままだった - イギリスは人口と経済力で優位を誇り、領土拡大を狙って内陸部へ進出
- フランスは毛皮交易ルートを守るため、オハイオ川流域に要塞を建設し対抗
植民者の不満と独立意識の芽生え
- 植民地軍が勝ち取ったルイブルク要塞を本国がフランスに返還したことで、
北米植民者は「本国は我々を軽視している」という不満を抱く - この「本国と植民地の温度差」が、後のアメリカ独立戦争につながる重要な契機となる
フレンチ=インディアン戦争(七年戦争期)への連続性
オハイオ川流域をめぐる衝突
- イギリス13植民地が西方に拡大し、フランス領と接触
- フランスはオハイオ川沿いにデュケーヌ要塞を建設し、毛皮交易ルートを防衛
- 1754年、この要塞をめぐり英仏軍が衝突 → フレンチ=インディアン戦争勃発
七年戦争への発展
- 1756年、ヨーロッパで七年戦争が勃発
- 北米戦線のフレンチ=インディアン戦争は、七年戦争の一部として世界規模に拡大
- イギリスは圧倒的な海軍力で優勢に立ち、
1763年のパリ条約でフランス領カナダを獲得 → 北米覇権を確立
世界戦争への連動性
ジョージ王戦争から七年戦争への過程は、「ヨーロッパ戦争と植民地戦争が完全に連動する」時代の始まりでした。
- ヨーロッパ戦線:オーストリア継承戦争 → 外交革命 → 七年戦争
- 北米戦線:ジョージ王戦争 → フレンチ=インディアン戦争 → 英国の北米覇権確立
- インド戦線:第一次カルナーティック戦争 → プラッシーの戦い → イギリス支配強化
この連動関係を押さえると、受験問題に強くなります。
入試で狙われるポイント
- アーヘンの和約後も未解決だった英仏植民地対立
- オハイオ川流域の重要性とフレンチ=インディアン戦争勃発
- フレンチ=インディアン戦争が七年戦争の北米戦線であること
- パリ条約(1763年)でイギリスが北米覇権を確立
- 「ヨーロッパ戦争と植民地戦争の連動」という視点
- ジョージ王戦争後も続いた北米における英仏対立と、フレンチ=インディアン戦争を経てイギリスが北米覇権を確立するまでの過程を、七年戦争との関連に触れつつ200字以内で説明せよ。
-
ジョージ王戦争はアーヘンの和約で終結したが、ルイブルク要塞返還をめぐる不満やオハイオ川流域をめぐる対立により、北米における英仏植民地対立は続いた。1754年、フレンチ=インディアン戦争が勃発し、1756年にはヨーロッパでも七年戦争が始まり、戦争は世界規模に拡大。1763年のパリ条約でフランスはカナダを失い、イギリスが北米の覇権を確立した。これにより北米植民地の重要性が増し、独立運動の伏線となった。
第3章: ジョージ王戦争 一問一答&正誤問題15問 問題演習
一問一答(10問)
問1
ジョージ王戦争を終結させた講和条約は何か。
解答:アーヘンの和約
問2
アーヘンの和約後も未解決だった、北米での英仏対立の主要な地域はどこか。
解答:オハイオ川流域
問3
オハイオ川流域にフランスが建設した要塞の名前は何か。
解答:デュケーヌ要塞
問4
フレンチ=インディアン戦争が始まった年は西暦何年か。
解答:1754年
問5
フレンチ=インディアン戦争は、ヨーロッパでの何という戦争の北米戦線か。
解答:七年戦争
問6
七年戦争中、北米におけるイギリス最大の戦果は何か。
解答:フランス領カナダの獲得
問7
七年戦争を終結させた講和条約は何か。
解答:パリ条約(1763年)
問8
パリ条約でフランスは北米のどの地域をイギリスに譲渡したか。
解答:カナダ全域
問9
フレンチ=インディアン戦争でイギリス側についた先住民連合は何か。
解答:イロコイ連邦
問10
フレンチ=インディアン戦争後、北米植民者の不満が高まり最終的に起きた戦争は何か。
解答:アメリカ独立戦争
正誤問題(5問)
問1
アーヘンの和約で北米における英仏対立は完全に解決された。
解答:×(むしろオハイオ川流域で再燃)
問2
デュケーヌ要塞はフランスがオハイオ川流域を守るために建設した。
解答:○
問3
フレンチ=インディアン戦争は七年戦争と無関係の北米限定戦争である。
解答:×(七年戦争の北米戦線)
問4
パリ条約(1763年)でフランスはカナダをイギリスに譲渡した。
解答:○
問5
七年戦争後、イギリスの北米覇権確立は、植民地と本国の協力関係を強めた。
解答:×(逆に植民地への課税強化で対立が激化し、独立戦争へつながる)
よくある誤答パターンまとめ
誤答パターン | 正しい知識 |
---|---|
アーヘンの和約で英仏対立は終結した | × → オハイオ川流域をめぐる争いで再燃 |
フレンチ=インディアン戦争は北米限定戦争 | × → 七年戦争の北米戦線 |
デュケーヌ要塞はイギリスが建設 | × → フランスが建設 |
パリ条約でフランスがカナダを保持 | × → イギリスへ譲渡 |
イギリスの北米覇権確立で植民地との関係は安定した | × → 課税強化で対立が悪化し独立戦争へ |
コメント