世界史の大学入試では、大航海時代をめぐる国際関係を理解することが非常に重要です。その中でも トルデシリャス条約(1494年) は、大航海時代の「世界分割」を象徴する出来事として頻出です。
この条約を正しく理解するためには、単に「スペインとポルトガルが世界を分けた」という知識だけでは不十分です。
なぜ条約が必要になったのか、どのような背景があったのか、そしてその後の世界史にどんな影響を与えたのか――。
実はトルデシリャス条約を理解すると、大航海時代全体の流れがクリアになり、マゼランの世界周航やブラジル領有問題、さらにサラゴサ条約まで一気につながります。
この記事では、受験生が押さえておくべき 「背景 → 条約成立 → 影響」 の流れを丁寧に解説していきます。
第1章 トルデシリャス条約の背景 ― 大航海時代の幕開け
15世紀後半、ヨーロッパは「未知の世界」を目指す大航海時代に突入しました。
特に、当時「香辛料貿易」で莫大な利益が見込めたアジア市場をめぐり、ポルトガルとスペインの2大国が覇権を争います。
しかし、航路が重なり、領有権をめぐる対立が激化したため、ついには「世界を線引きして分ける」という前代未聞の決断に至るのです。
そのきっかけとなったのが コロンブスのアメリカ到達(1492年) でした。
15世紀後半のヨーロッパでは、オスマン帝国の勢力拡大により、陸路シルクロードが事実上閉ざされていました。
その結果、アジアの香辛料や絹を求めるため、新しい海路を開拓する必要があり、航海技術を積極的に磨いていたのが ポルトガルです。
- 1488年:ポルトガルの航海者 ディアス が 喜望峰 に到達。
- 1498年:同じくポルトガルの ヴァスコ=ダ=ガマ が インド航路を開拓。
この時点でポルトガルは、アジアへ向かう「インド航路支配」で一歩リードしていました。
一方、ポルトガルと同じイベリア半島のスペインも黙っていません。
1492年、スペインはジェノヴァ出身の航海者 コロンブスを支援し、西回りでアジアを目指す航海を開始させます。
しかし、到達したのはアジアではなく「新大陸」――現在のカリブ海諸島でした。
スペインは「コロンブスが到達した島々は自国の領土だ」と主張。しかし、既に喜望峰を経由してアジア進出を進めていたポルトガルは猛反発します。
両国の対立が深まり、一触即発の危機を迎えたため、調停に乗り出したのがローマ教皇アレクサンデル6世でした。
カトリック世界の秩序を守るため、教皇は「世界を線引きして領域を分ける」という大胆な提案を行います。
これが、後の トルデシリャス条約 につながるのです。
ここまでで、「なぜ条約が必要になったか」の背景をしっかり押さえました。
次の章では、いよいよ トルデシリャス条約(1494年) で決められた内容と、その具体的な分割線について詳しく解説します。
第2章 トルデシリャス条約の成立(1494年)
1492年のコロンブスの「新大陸」到達は、ヨーロッパ世界に衝撃を与えました。
スペインは「新大陸の領有権」を主張し、ポルトガルは「既得権益であるインド航路を侵害するな」と反発。両国の対立は激化し、一触即発の危機に発展します。
この事態を収めるため、ローマ教皇アレクサンデル6世が仲介に乗り出し、世界を「線引き」して勢力圏を分割する方針を示しました。
この調停を具体化したのが、1494年に結ばれた トルデシリャス条約 です。
1. 教皇子午線の設定(1493年)
まず、教皇アレクサンデル6世は1493年、「教皇子午線」という境界線を設定しました。
これはカーボヴェルデ諸島(アフリカ西岸沖)の西方100リーグ(約400km)を通る線で、「この線の西側はスペイン領、東側はポルトガル領」 とするものでした。
しかし、この提案にポルトガルは強く反発します。
理由は単純で、この線ではアフリカ西岸の有力拠点やインド航路に近すぎるため、ポルトガルの既得権益が大きく侵害される恐れがあったからです。
2. トルデシリャス条約の締結(1494年)
そこで、スペインとポルトガルは直接交渉に入り、1494年、スペインのトルデシリャスで正式に条約を結びました。
重要ポイント:分割線の位置
- 新たに設定された分割線は、カーボヴェルデ諸島西方 約370リーグ(約1,770km) に移動
- この線の西側はスペイン、東側はポルトガル
- ポルトガルのインド航路とアフリカ拠点は安全に確保されることに
つまり、ポルトガルはアフリカ・インド方面の権益を守ることに成功し、スペインは「新大陸」方面を自由に開拓できるようになったわけです。
3. なぜブラジルはポルトガル領になったのか
受験生がよく混乱するポイントが、「なぜブラジルはポルトガル領なのか」 です。実は、1494年に設定された分割線が南米大陸をかすめており、その東側にあたるブラジルは偶然ポルトガル領に含まれていました。
この点は国公立・私大問わず頻出なので、必ず押さえておきましょう。
4. 条約がもたらした世界史的意義
トルデシリャス条約は、単なる領土争いの調停ではなく、世界を二分する国際ルールの始まりでした。
ヨーロッパが「地球全体」を自国の勢力圏として意識し始めた象徴的な出来事であり、これ以降、スペインとポルトガルはそれぞれ異なる方向に進出します。
- スペイン:アメリカ大陸へ進出 → インカ帝国・アステカ帝国を征服
- ポルトガル:アフリカ・インド・東南アジア・中国・日本まで勢力を拡大
このように、トルデシリャス条約は大航海時代を二分する決定的な分岐点となりました。
ここまでで、条約の成立とその具体的内容、さらにブラジル領有問題までを一気に押さえました。次の第3章では、この条約がもたらした アジア・南米・太平洋における影響 を詳しく見ていきます。
第3章 条約がもたらした影響とその限界
トルデシリャス条約(1494年)によって、スペインとポルトガルは世界を二分することに合意しました。
しかし、実際の歴史はこの「線引き」どおりに単純には進みません。
大航海時代が進展する中で、想定外の問題が次々と発生したからです。
この章では、条約によってそれぞれの国が得た利益と、条約では対応できなかった限界を詳しく見ていきます。
ここを押さえると、マゼランの世界周航やサラゴサ条約(1529年)など、後続の重要イベントの理解が格段に深まります。
1. スペイン ― 「新大陸帝国」の建設へ
トルデシリャス条約で「分割線の西側」を得たスペインは、アメリカ大陸進出に集中します。
- 1492年:コロンブスがカリブ海諸島に到達
- 1519年〜1521年:コルテスによるアステカ帝国征服(現メキシコ)
- 1532年〜1533年:ピサロによるインカ帝国征服(現ペルー)
こうしてスペインはアメリカ大陸に広大な植民地帝国を築き、莫大な銀や金をヨーロッパへ持ち帰りました。この銀は「価格革命」の原因にもつながり、16世紀のヨーロッパ経済を大きく動かします。
論述問題
2. ポルトガル ― 「アジア・アフリカ貿易帝国」へ
一方、ポルトガルは「分割線の東側」を得たことで、アフリカ・インド・東南アジア方面の航路を独占します。
- 1498年:ヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達
- 1510年:ゴアを拠点としてインド航路を掌握
- 1511年:マラッカを占領し、東南アジア貿易の要衝を確保
- 1517年:マカオを拠点に中国との交易を開始
- 1543年:種子島に漂着し、日本との交流も始まる
特に香辛料貿易では莫大な利益を上げ、リスボンは一時「香辛料貿易の中心地」として栄えました。
この時期は「16世紀=ポルトガルの時代」と呼ばれるほど、ポルトガルが海上貿易で世界をリードしていました。
3. 想定外の問題 ― 太平洋と「地球の裏側」
しかし、条約では「どこまでが東で、どこからが西か」という厳密な定義が曖昧でした。
地球の裏側、つまりアジア東部や太平洋の島々をめぐる権益が想定されていなかったのです。
この問題を象徴するのが マゼランの世界周航(1519〜1522年) です。
- マゼランはスペイン王の命を受けて「西回り航路」で香辛料諸島(モルッカ諸島)を目指しました。
- 1522年、スペイン船は世界一周を達成しますが、到達したモルッカ諸島が「分割線の東西どちらに属するのか」でスペインとポルトガルが再び対立します。
この問題を解決するため、1529年のサラゴサ条約で再び「東半球の分割線」を定める必要がありました。
4. 条約の限界と世界史的意義
ここで重要なのは、トルデシリャス条約が完全な国際ルールではなかったという点です。
- 16世紀後半になると、イギリス・オランダ・フランスが大航海時代に参入
- スペインとポルトガルによる二国支配は崩壊
- 特に17世紀以降は、オランダ東インド会社やイギリス東インド会社が台頭し、世界秩序はさらに複雑化
とはいえ、この条約はヨーロッパが「世界を分割して支配する」という発想を初めて明文化した点で画期的です。
大航海時代を語る上で避けて通れない転換点であり、国際法の歴史的原点の一つといえるでしょう。
ここまでで、トルデシリャス条約がもたらした影響と限界を押さえました。
次の第4章では、条約の不備を補うために結ばれた サラゴサ条約(1529年) に焦点を当て、「東半球での勢力圏分割」について詳しく解説します。
この第3章では、
- スペイン → 新大陸帝国
- ポルトガル → アジア貿易帝国
- 太平洋問題 → サラゴサ条約
という「三つの流れ」をセットで覚えるのが重要です。
第4章 サラゴサ条約(1529年)との関連
1494年の トルデシリャス条約 では、カーボヴェルデ諸島西方を基準に世界を「東西」に分割しました。
しかし、地球は丸いため、当然「地球の裏側」、つまり 東アジア・太平洋地域の扱い は未解決のままでした。
この問題を決定的に表面化させたのが、マゼランの世界周航(1519〜1522年)です。
スペイン船が西回りで「香辛料諸島」に到達したことで、「そこはスペイン領なのか?それともポルトガル領なのか?」という新たな対立が起きました。
この領有権争いを解決するために結ばれたのが、サラゴサ条約(1529年)です。ここを理解すると、大航海時代におけるヨーロッパ勢力図が一気にクリアになります。
1. マゼランの世界周航と新たな問題
1519年、スペイン王カルロス1世の命を受けた マゼラン は、西回りで「香辛料諸島(モルッカ諸島)」を目指します。
ポルトガルが喜望峰経由の東回り航路を独占していたため、スペインは「西回りでアジアに到達する」という作戦を立てたのです。
- 1519年:マゼラン艦隊、スペインのセビリアを出発
- 1520年:南米南端の「マゼラン海峡」を通過し太平洋へ
- 1521年:フィリピンに到達するが、マゼランは現地で戦死
- 1522年:残った「ヴィクトリア号」がスペインに帰還、史上初の世界一周を達成
この遠征の結果、スペインは西回りでモルッカ諸島に到達可能であることを証明しました。
しかし、モルッカ諸島が「分割線のどちら側に属するのか」が問題となり、再びスペインとポルトガルが対立します。
2. サラゴサ条約(1529年)の締結
1529年、スペインの都市サラゴサで両国が交渉を行い、東半球における新たな分割線を設定したのが サラゴサ条約 です。
- 分割線は モルッカ諸島の東方約297.5リーグ に設定
- 分割線の「東側」をポルトガル、「西側」をスペインが領有
- モルッカ諸島はポルトガル領と確定し、スペインは代わりに巨額の補償金を受け取ることで合意
この条約により、ポルトガルは香辛料諸島を含む東南アジア貿易の権益を確保し、スペインは「新大陸とフィリピン進出」に専念する体制を整えました。
3. フィリピンと東アジア進出への影響
サラゴサ条約後、スペインはフィリピン諸島を拠点として東アジア進出を本格化します。
- 1565年:レガスピがフィリピンを占領
- 1571年:マニラを建設、アジア貿易の拠点に
- 「マニラ・ガレオン貿易」が始まり、アメリカ大陸の銀と中国の絹・陶磁器を交換する世界貿易ルートが成立
一方、ポルトガルはゴア・マラッカ・マカオを拠点として香辛料貿易を独占し、東アジアにおける優位性をさらに強化しました。
4. サラゴサ条約の意義と限界
サラゴサ条約の最大の意義は、東半球の分割を初めて明確化したことです。
これにより、スペインとポルトガルは「世界を二分する支配体制」を一時的に完成させたといえます。
しかし、これは長続きしませんでした。
16世紀後半になると、オランダ・イギリス・フランスといった新興勢力が大航海時代に参入し、スペインとポルトガルの二国体制は崩れていきます。
ここまでで、トルデシリャス条約の不備を補う形で結ばれたサラゴサ条約と、それが東アジアや太平洋地域に与えた影響までを整理しました。
次の第5章では、「入試で狙われるトルデシリャス条約の重要ポイント」 をまとめ、具体的な問題例と解法を提示します。
第5章 入試で狙われるトルデシリャス条約の重要ポイント
ここまでトルデシリャス条約(1494年)とサラゴサ条約(1529年)の成立背景や意義を解説してきました。
しかし、大学受験では「知識を持っている」だけでなく、問題形式に対応できることが重要です。
この章では、入試でよく狙われるポイントを整理し、年号暗記・地図問題・因果関係・論述対策の4つの観点から攻略法を紹介します。
ここを押さえておけば、教科書の断片的な知識がつながり、得点源に変わります。
1. 年号暗記 ― 「1494年=トルデシリャス条約」は鉄板
トルデシリャス条約は、年号暗記が最重要なテーマのひとつです。国公立二次試験や難関私大では、「条約の成立順」や「同時代の出来事との前後関係」を問う出題が目立ちます。
- 1492年:コロンブスがアメリカ大陸到達
- 1494年:トルデシリャス条約(西半球の分割)
- 1522年:マゼランの艦隊が世界一周達成
- 1529年:サラゴサ条約(東半球の分割)
2. 地図問題 ― 分割線とブラジル領有
地図問題では、ブラジルがポルトガル領になった理由がよく問われます。
- 分割線は、カーボヴェルデ諸島の西方 約370リーグ(約1,770km) に設定
- 南米大陸の東端(現在のブラジル)が、偶然この線の東側に含まれた
- そのため、南米のほとんどはスペイン領だが、ブラジルだけがポルトガル領となった
3. 因果関係 ― 条約 → 世界史の大きな流れ
トルデシリャス条約は単独で覚えるより、大航海時代全体の流れと関連づけると得点につながります。
- 条約により スペインはアメリカ大陸進出へ → インカ・アステカ帝国を征服 → 銀流入 → 価格革命
- 一方、ポルトガルはアフリカ・インド・東南アジア貿易を独占 → 香辛料貿易で莫大な利益 → 16世紀=ポルトガルの時代
- 太平洋地域の未解決問題 → サラゴサ条約(1529年)で東半球の分割確定 → フィリピン植民地化と「マニラ・ガレオン貿易」へ
この因果関係を一枚の「流れ図」にまとめると、難関大の論述問題でも役立ちます。
4. 論述対策 ― 典型的な出題例
5. 出題傾向まとめ
項目 | 出題形式 | 難関大頻度 | センター/共通テスト頻度 |
---|---|---|---|
年号(1494年・1529年) | 一問一答 | ★★★ | ★★★ |
ブラジル領有 | 正誤・記述 | ★★★ | ★★ |
サラゴサ条約との関連 | 正誤・記述 | ★★ | ★ |
大航海時代全体の流れ | 論述 | ★★★ | ★ |
世界史文化史との関連 | 小論述 | ★★ | ★ |
ポイント:
- 共通テストでは「年号+地図問題」が中心
- 難関私大・国公立二次では「因果関係を説明する論述」が増加傾向
- サラゴサ条約とセットで問われる問題が多いので必ず対策を
ここまでで、トルデシリャス条約を「問題で得点するための知識」に変えることができました。
次の第6章では、この条約を起点として「大航海時代の世界分割が近代世界にどうつながったのか」をまとめます。
第6章 トルデシリャス条約から近代世界へ ― 大航海時代がもたらした世界分割の行方
トルデシリャス条約(1494年)とサラゴサ条約(1529年)は、ヨーロッパが「世界を分割する」という新しい発想を形にした画期的な出来事でした。
しかし、16世紀後半以降、イギリス・オランダ・フランスといった新興国が大航海時代に参入すると、スペインとポルトガルの二国による支配は急速に揺らぎます。
この章では、トルデシリャス条約を起点に、大航海時代 → 植民地帝国 → 近代ヨーロッパ世界システム への流れを整理し、入試に必要な「大きな歴史の見取り図」をつかみます。
1. スペイン・ポルトガル体制の確立(16世紀前半)
16世紀前半までは、トルデシリャス条約+サラゴサ条約に基づき、スペインとポルトガルが世界の主要な航路と市場をほぼ独占していました。
- スペイン:アメリカ大陸を中心に巨大な植民地帝国を建設
→ インカ・アステカを征服し、銀山(ポトシなど)を支配
→ 銀をメキシコ・ペルーからヨーロッパへ輸送、「銀の帝国」と呼ばれる - ポルトガル:アフリカ〜インド〜東南アジア〜中国・日本まで香辛料貿易を独占
→ ゴア・マラッカ・マカオ・長崎を拠点に海上交易帝国を形成
この時期は、「16世紀=ポルトガルの時代」「16世紀後半=スペインの時代」という時代区分で覚えると整理しやすいです。
2. 新興国の参入 ― 二国支配の崩壊
16世紀後半になると、宗教改革を経たイギリス・オランダ・フランスが台頭し、「スペイン・ポルトガルの二国支配」は徐々に崩れていきます。
- オランダ
- 1602年:オランダ東インド会社設立
- マラッカ・ジャワ島・モルッカ諸島を次々と占領し、香辛料貿易を支配
- バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点にアジア貿易の中心を築く
- イギリス
- 1600年:イギリス東インド会社設立
- インドを拠点にムガル帝国との交易を拡大
- 後にオランダと激しく競合し、最終的に18世紀にはインド支配を確立
- フランス
- 北米・インドシナ半島へ進出し、イギリスと植民地戦争を展開
こうして、ヨーロッパ世界は多極化し、トルデシリャス条約の「世界二分体制」は完全に崩壊しました。
3. 世界規模での影響 ― ヨーロッパ中心の世界システムの誕生
トルデシリャス条約から始まった世界分割は、やがてヨーロッパ中心の「近代世界システム」を形成していきます。
- アメリカ大陸:銀や金の輸出 → ヨーロッパ資本主義の発展
- アフリカ:奴隷貿易の拡大 → 「大西洋三角貿易」体制が成立
- アジア:香辛料・絹・陶磁器などの奢侈品がヨーロッパ市場を刺激
- 太平洋:マニラ・ガレオン貿易でアメリカ銀と中国絹を交換
- ヨーロッパ内部:銀流入 → 価格革命 → 商業資本の台頭 → 絶対王政の強化
つまり、トルデシリャス条約は単なる領土分割ではなく、「世界経済のネットワーク」を生み出した起点でもあったのです。
4. 入試で狙われる視点 ― 「条約→近代世界」へのつながり
大学入試では、トルデシリャス条約を単発で問うだけでなく、近代世界システムの形成過程との関連で出題されることが増えています。
出題例
5. 第6章まとめ
- トルデシリャス条約は「世界を分割する発想」の出発点
- サラゴサ条約で東半球も分割され、スペイン・ポルトガルの二国支配体制が成立
- 17世紀以降、イギリス・オランダ・フランスが参入 → 二国支配体制は崩壊
- 大航海時代をきっかけに、ヨーロッパ中心の近代世界システムが誕生
まとめ
トルデシリャス条約(1494年)は、単なる「世界を線引きした条約」ではありません。大航海時代における ポルトガルとスペインの航路争いを調停したこの条約は、ヨーロッパが初めて「地球規模」で勢力圏を分割するという画期的な試みでした。
- 背景:香辛料貿易をめぐる航路競争とコロンブスの新大陸到達
- 内容:カーボヴェルデ諸島西方約370リーグに分割線を設定
- 影響:スペインはアメリカ大陸、ポルトガルはアジア・アフリカを中心に勢力を拡大
- 補足:モルッカ諸島をめぐる対立を解決するため、1529年にサラゴサ条約で東半球も分割
- 意義:世界規模の植民地帝国が形成され、ヨーロッパ中心の世界システムが始動
さらに重要なのは、この「世界二分体制」が長く続かなかったことです。
17世紀以降、イギリス・オランダ・フランスなどの新興勢力が台頭し、スペインとポルトガルの独占は崩壊。世界は多極化し、近代世界システムが成立していきます。
受験では、トルデシリャス条約は「年号」「ブラジル領有」「サラゴサ条約との関係」「大航海時代全体の流れ」とセットで問われることが多いです。
一問一答だけでなく、地図・因果関係・論述問題まで含めて理解することで、難関大入試にも対応できる力がつきます。
トルデシリャス条約を軸に大航海時代を俯瞰すると、世界史全体のつながりが立体的に見えてきます。
単発の知識ではなく、「背景→内容→影響→その後」の流れを意識して学習することが、得点力を高める最短ルートです。
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