【受験対策】東インド会社と大航海時代の関係|設立目的から衰退まで徹底解説

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「東インド会社」という名前はよく聞くけれど、「会社」といっても現代の株式会社とは全く別物です。

実際は、国家の後ろ盾を得た“準国家的企業”であり、独占貿易権・軍事力・統治権まで与えられた存在でした。

大学入試では、東インド会社は単なる年号暗記の対象ではなく、
「大航海時代」→「香辛料貿易」→「植民地支配」
という世界史全体の流れを理解するうえで外せないテーマです。

この記事では、受験生が混乱しやすい

  • なぜ設立されたのか
  • イギリス・オランダ・フランスの違い
  • 設立年の覚え方
  • 大航海時代との関係

これらを順を追って解説します。

目次

第1章 東インド会社とは?基本的な役割と背景

まず、そもそも「東インド会社」とは何をするための組織だったのか。

この目的を理解しないまま年号だけ暗記しても、試験で差がつく問題には太刀打ちできません。

東インド会社は、大航海時代における香辛料貿易の独占を狙う国家戦略の一環として設立されました。

15世紀後半から16世紀にかけて始まった大航海時代では、ヨーロッパ諸国がアジアとの直接貿易ルートを求めて航路を開拓しました。

当時、ヨーロッパで最も高価だったのが「香辛料」です。

胡椒、クローブ、ナツメグなどは、保存技術が未発達だった時代に食料を長持ちさせるための必需品で、金と同等の価値を持っていました。

しかし、アジアの香辛料をヨーロッパに運ぶルートは、15世紀まではイスラーム商人やベネチア商人が握っていたため、価格が高騰し、ヨーロッパ諸国は莫大な貿易赤字を抱えていました。

ここで登場するのが、ポルトガルとスペインです。

  • ポルトガルは喜望峰を回る航路を開拓し、アジアへの直通ルートを確保
  • スペインはコロンブスの西回り航路を進め、アメリカ大陸へ進出

しかし16世紀後半になると、ポルトガルとスペインの覇権は次第に衰退します。そこで17世紀に入ると、イギリス・オランダ・フランスが台頭し、国家戦略として設立したのが「東インド会社」でした。

現代の「会社」と異なるのは、

  • 国家から独占貿易権を与えられていた
  • 軍隊を所有し、武力で貿易ルートを確保できた
  • 場合によっては現地の統治権も持っていた

という点です。

つまり、東インド会社は単なる商社ではなく、国家と企業が一体化した“準国家的組織”でした。

この性格を理解すると、設立年を丸暗記するよりも、「なぜこの時代に必要とされたのか」という歴史の流れがつかみやすくなります。

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東インド会社の登場は、大航海時代に始まる「香辛料をめぐる覇権争い」の延長線上です。
背景を押さえておくと年号暗記がグッと楽になります。

第2章 東インド会社の設立年を正確に覚えるコツ

東インド会社はイギリス、オランダ、フランスなど複数の国が設立しました。

しかし、設立年をただ丸暗記するだけでは入試で差がつきません。重要なのは、設立年とその国の「時代的なピーク」をセットで覚えることです。

これにより、近代ヨーロッパの勢力変遷がスッキリ整理でき、世界史全体の流れをつかむうえで強力な武器になります。

東インド会社といえば、最初に押さえるべきは設立年と国ごとの特徴です。特に重要なのは、以下の3つです。

  • イギリス東インド会社(1600年設立)
  • オランダ東インド会社(1602年設立)
  • フランス東インド会社(1664年設立)

これらを正確に覚えることで、大航海時代から植民地時代への流れを自然に理解できます。

1. イギリス東インド会社(1600年)

1600年、エリザベス1世の勅許を受けて設立されたのがイギリス東インド会社です。目的は、アジアとの香辛料貿易でオランダやポルトガルに対抗すること。しかし、設立当初は資金力や航海技術でオランダに劣っており、17世紀前半はなかなか主導権を握れませんでした。

ここで重要なのは、イギリス東インド会社が「最初に設立されたのに最初は主役ではなかった」という事実です。この「遅れて花開く」点を意識すると、後の18世紀のイギリスの躍進とつながります。

2. オランダ東インド会社(1602年)

1602年、アムステルダムを本拠地に設立されたオランダ東インド会社(VOC)は、当時の世界最先端ともいえる企業システムを持っていました。

特徴は次の3つです:

  • 世界初の株式会社として株式を発行し、大規模な資金調達に成功
  • 本拠地バタヴィア(現ジャカルタ)を中心に、香辛料貿易をほぼ独占
  • 軍艦を保有し、武力で貿易ルートを支配

この結果、17世紀は「オランダの黄金時代」となり、ヨーロッパの貿易・金融・海運をほぼ制覇しました。

受験では、「17世紀=オランダの時代」というキーワードとセットで覚えると、設立年(1602年)も自然と頭に残ります。

3. フランス東インド会社(1664年)

1664年、ルイ14世時代の財務総監コルベールによって設立されたのがフランス東インド会社です。

狙いは、イギリス・オランダに遅れをとっていたインド洋貿易に食い込むこと

しかし、フランスはインドでの拠点獲得競争でイギリスに敗北し、18世紀後半には大きな影響力を失ってしまいます。
ここでは、「フランスは香辛料貿易で後発・失敗」というイメージで押さえましょう。

4. 年号暗記のコツ:「17世紀=オランダ、18世紀=イギリス」

東インド会社を覚えるとき、単に「1600年・1602年・1664年」と並べるよりも、「時代の主役と結びつけて整理」すると忘れにくくなります。

  • 17世紀前半:オランダが香辛料貿易を独占 → 世界の海運・金融を制覇
  • 18世紀:イギリスがインド支配を拡大 → 世界最大の植民地帝国へ

例えば、イギリスが18世紀に覇権を握ることを先にイメージすると、「イギリス東インド会社は1600年に設立されたけど、すぐには主役になれなかった」という因果関係まで理解できます。

まとめ:設立年は「流れ」で覚える

  • 1600年:イギリス東インド会社 → 最初に設立、でも17世紀はオランダに劣勢
  • 1602年:オランダ東インド会社 → 17世紀の覇者
  • 1664年:フランス東インド会社 → 後発で失敗

入試では単純な年号問題だけでなく、

「17世紀に香辛料貿易を独占した国はどこか?」
「オランダ東インド会社の本拠地は?」

といった理解型問題が頻出です。

流れを押さえておくことで、穴埋め問題にも論述問題にも対応できるようになります。

第3章 イギリス・オランダ・フランスの東インド会社を比較

東インド会社は、イギリス・オランダ・フランスの3か国が設立しましたが、それぞれ設立目的や拠点、活動方針が大きく異なります

入試では、

  • 「どの国がどこを拠点にしたか」
  • 「どの時代に覇権を握ったか」
  • 「失敗した国はどこか」
    といった比較問題が頻出です。

ここでは、年号を暗記した第2章の内容を踏まえて、3か国の東インド会社を流れの中で整理していきます。

1. イギリス東インド会社:インド支配の足がかり

イギリス東インド会社は1600年に設立されました。

しかし、17世紀前半はオランダに押され、香辛料貿易で大きな成果を出せませんでした。

その代わり、インドの綿織物貿易に重点を置く戦略を取ります。

拠点として確保したのは、

ボンベイ(現ムンバイ)
カルカッタ(現コルカタ)
マドラス(現チェンナイ)

18世紀に入ると、フランスとの競争に勝利し、1757年のプラッシーの戦いでインドの支配権を握ります。

その後、インドでの経済力を背景に、18世紀後半〜19世紀にかけてイギリスは世界最大の植民地帝国へと成長します。

ここで大切なのは、

  • 設立は早い(1600年)
  • 主役になるのは18世紀

という「遅れて開花した」パターンを押さえることです。

2. オランダ東インド会社:17世紀の覇者

オランダ東インド会社(VOC)は1602年に設立され、17世紀の香辛料貿易をほぼ独占しました。

本拠地はバタヴィア(現ジャカルタ)

ここからモルッカ諸島(香料諸島)を支配し、胡椒・ナツメグ・クローブなど高価な香辛料をヨーロッパに供給しました。

オランダの強みは、

  • 世界初の株式会社として大規模な資金調達に成功
  • 軍艦を所有し、武力でルートを確保
  • 貿易・金融・海運で世界トップの実力

この結果、17世紀は「オランダの黄金時代」と呼ばれます。

しかし18世紀に入ると、イギリスがインド支配を進めたことで次第に影響力を失い、覇権はイギリスに移っていきます。

入試では、

・「オランダ東インド会社の本拠地はどこか」
・「世界初の株式会社はどこの国か」

といった形でよく問われます。

論述例

17世紀にオランダがアジア貿易で優位に立った理由と、その後イギリスが覇権を奪った過程を150字以内で説明せよ。

17世紀、オランダ東インド会社(VOC)は世界初の株式会社として大規模な資金を集め、バタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占したため、オランダは「黄金時代」を迎えた。しかし18世紀にはイギリス東インド会社がインドで勢力を拡大し、1757年プラッシーの戦いに勝利して徴税権を獲得、覇権をオランダから奪った。

3. フランス東インド会社:後発国の苦戦

フランス東インド会社は1664年、ルイ14世時代の財務総監コルベールによって設立されました。
狙いは、イギリスとオランダに遅れていたアジア貿易への参入です。

しかし、インドにおける拠点争いではイギリスに大きく後れを取りました。
ポンディシェリなどを拠点に活動しましたが、
18世紀半ばのプラッシーの戦い(1757年)で決定的に敗北し、
インドでの影響力をほとんど失います。

受験生は、「フランス東インド会社=遅れて参入、イギリスに敗北」
というイメージで押さえると混乱しにくいでしょう。

4. 3か国比較の覚え方:拠点と時代をセットで覚える

3か国の東インド会社を整理すると、「どの国がどの地域を狙い、どの時代に強かったか」がポイントです。

オランダ → バタヴィア拠点、香辛料貿易独占、17世紀の覇者
イギリス → インド拠点、綿織物貿易からインド支配へ、18世紀の覇者
フランス → 後発、インド進出でイギリスに敗北、大きな成果なし

この「地域 × 時代 × 勝者」をセットで覚えると、設立年を含めた整理がスムーズになります。

5. 東インド会社と西インド会社の違い【混同注意!】

東インド会社と名前が似ている「西インド会社」ですが、活動地域も目的もまったく異なるので注意が必要です。

  • 東インド会社
    インド・東南アジアを中心に、香辛料・綿織物・茶などのアジア貿易を独占するために設立された会社。
    イギリス・オランダ・フランスが代表的。
  • 西インド会社
    カリブ海やアフリカ西岸での大西洋貿易(奴隷・砂糖・タバコ)を目的に設立された会社。
    オランダ西インド会社(1621年)が有名で、ニューアムステルダム(現ニューヨーク)も一時支配した。

大学入試では、「VOC=オランダ東インド会社」と対比で「オランダ西インド会社=大西洋貿易」を区別させる問題がよく出ます。

特に香辛料貿易と奴隷貿易を混同しないように注意しましょう。

東インド会社と西インド会社の違い(概要)

東インド会社西インド会社
設立目的アジア貿易(香辛料・綿織物・茶など)大西洋貿易(奴隷・砂糖・タバコなど)
主な活動地域インド・東南アジア・中国西インド諸島(カリブ海)・北米・アフリカ西岸
代表的な国イギリス、オランダ、フランスオランダ、フランス、デンマーク
本拠地の例バタヴィア(オランダVOC)、ボンベイ・カルカッタ(イギリス)アムステルダム(オランダ)、フランス領カリブ拠点
貿易品香辛料・綿織物・茶・陶磁器砂糖・タバコ・奴隷
歴史的役割アジアでの植民地支配・貿易独占大西洋三角貿易・奴隷貿易の中核
入試頻度非常に高い中〜高(大西洋三角貿易と絡む)

▼ 東インド会社と並んで世界史頻出の“大西洋三角貿易”はこちらで解説!

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世界史の流れで見る2つの会社

  • 東インド会社アジア貿易・植民地支配のカギ
    → 大航海時代から産業革命につながる流れで頻出
  • 西インド会社大西洋三角貿易・奴隷貿易の中心
    → アメリカ大陸・アフリカ・ヨーロッパを結ぶ交易システムで重要

つまり、アジアなら東インド会社、大西洋なら西インド会社と覚えると整理しやすいです。

5. 入試での出題例

(正誤問題)「オランダ西インド会社(1621年)は、バタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占した。」

×(香辛料貿易はオランダ東インド会社。西インド会社は大西洋貿易)

17世紀にオランダが設立した、西インド諸島やアフリカ西岸での貿易を目的とした会社は何か。

オランダ西インド会社

まとめ:比較で差がつく

東インド会社は、

  • 設立年だけでなく「どの国がいつ強かったか」が重要
  • オランダは17世紀に香辛料貿易を独占
  • イギリスは18世紀にインド支配を確立
  • フランスは遅れて参入し、イギリスに敗北

大学入試では、「オランダ・イギリス・フランスの違い」を理解しているかどうかが論述問題でも正誤問題でも問われやすい分野です。

第4章 東インド会社とアジアの植民地化

東インド会社は、もともと香辛料や綿織物などを扱う貿易会社として設立されました。

しかし時代が進むにつれ、単なる商業活動にとどまらず、アジア各地で軍事力を背景に現地支配を進める存在へと変貌していきます。

入試では、

  • 「なぜ東インド会社が植民地支配に乗り出したのか」
  • 「プラッシーの戦いが意味する転換点は何か」
  • 「イギリスとオランダの戦略の違い」

といった、歴史の流れを理解しているか問う問題が出やすいポイントです。

1. 東インド会社の活動範囲とアジア進出

17世紀初頭、東インド会社はアジア各地に拠点を築き、貿易を拡大しました。

ただし、国ごとに狙う地域や資源が異なっていた点を押さえておきましょう。

  • オランダはインドネシアのモルッカ諸島を中心に、香辛料貿易を独占
  • イギリスはインドに拠点を置き、綿織物を中心とした貿易を展開
  • フランスはインド南部のポンディシェリなどで足場を築くが後発で苦戦

この時代、東インド会社は「現地の支配者と同盟・交渉し、貿易権を得る」という形で活動しており、直接的な植民地支配ではありませんでした。

2. イギリスとフランスのインド争奪戦

18世紀に入ると状況は大きく変わります。オランダが香辛料貿易を独占する中で、イギリスとフランスはインド市場の覇権争いに突入します。

インドは綿織物・インディゴ(藍染料)などの交易品で栄え、両国にとって戦略的に非常に重要な地域でした。

この争いの転換点となったのが、1757年のプラッシーの戦いです。

  • イギリス東インド会社の軍(クライヴ率いる)
  • vs. ベンガル太守+フランスの連合軍

この戦いに勝利したことで、イギリス東インド会社はベンガル地方の徴税権を獲得します。ここから、イギリスは単なる貿易商社から事実上のインド支配者へと変貌しました。

3. オランダの香辛料帝国と「限定的支配」

一方、オランダ東インド会社はインドネシアで圧倒的な力を誇っていました。

本拠地バタヴィアを中心に、モルッカ諸島で香辛料貿易を独占し、高い利益を上げ続けます。

しかし、オランダはあくまで「香辛料貿易の利益確保」が目的で、インドの広範な領土支配には乗り出さなかった点がイギリスと大きく異なります。

入試では、

  • 「なぜオランダはインド全域を支配しなかったのか」
  • 「バタヴィアを拠点にした香辛料貿易の特徴」

といった差異が問われやすいです。

17世紀にオランダは東インド会社(VOC)を通じてアジア貿易で大きな成功を収めたが、なぜイギリスのようにインド全域を支配するには至らなかったのか。150字以内で説明せよ。

オランダ東インド会社(VOC)は、17世紀にバタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占し莫大な利益を得たが、
主な目的は東南アジアでの高収益な香辛料貿易の確保であり、軍事力や資金をインド支配に割かなかった。
一方、イギリスはインドで綿織物貿易を拡大し、18世紀にはプラッシーの戦いに勝利して徴税権を獲得し、インド支配を進めた。

17世紀、オランダ東インド会社(VOC)はバタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占した。この貿易の特徴と、オランダがアジア貿易で優位に立てた理由を150字以内で説明せよ。

オランダ東インド会社(VOC)は1602年に設立され、バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点としてモルッカ諸島など香料産地を支配した。軍事力を用いて他国商人を排除し、ナツメグ・クローブ・胡椒などを安価に買い付け、ヨーロッパ市場で高値で販売することで莫大な利益を得た。この結果、17世紀は「オランダの黄金時代」となった。

4. フランス東インド会社の失敗

フランス東インド会社は1664年に設立されましたが、イギリスとの競争に敗れ、インドでは大きな成果を上げられませんでした。

プラッシーの戦い後は影響力をほぼ失い、インド洋貿易でフランスが覇権を握ることはありませんでした。

この「フランスは後発・失敗」という流れを押さえておくと、設立年(1664年)も自然と記憶に残ります。

5. 東インド会社の「企業」から「統治者」への変化

プラッシーの戦い以降、イギリス東インド会社はベンガル地方の徴税権を得て、現地統治に本格的に関与するようになります。つまり、貿易会社から植民地統治者への変貌です。

この流れが最終的に結実するのが、1877年のヴィクトリア女王インド女帝即位につながります。

もはや「会社」ではなく、「国家による直接支配」へ移行していったのです。

まとめ:東インド会社が開いた植民地時代への扉

  • 東インド会社は最初は「貿易会社」だったが、次第に「統治者」へ変貌
  • 1757年プラッシーの戦いがインド支配の転換点
  • オランダは香辛料貿易中心で限定的支配
  • フランスは後発でインド支配に失敗
  • イギリスはインドを足場に、世界最大の植民地帝国

大学入試では、

  • 「プラッシーの戦いとインド支配の関係」
  • 「イギリス・オランダ・フランスの東インド会社の違い」

といった論述問題や正誤問題が頻出です。流れを押さえておくことで、単なる暗記よりも強固な知識になります。

第5章 東インド会社の衰退と解散

18世紀、イギリス東インド会社はプラッシーの戦いに勝利し、インド支配を本格化させていきました。

しかし、19世紀に入ると、「企業が一国を統治する」という体制は限界を迎えます

インド社会の反発や財政問題が深刻化し、最終的に東インド会社は解散し、イギリス本国による直接統治へと移行します。

この章では、

  • セポイの反乱
  • 東インド会社の解散
  • ヴィクトリア女王のインド女帝即位

という3つの重要トピックを中心に、東インド会社の終焉までの流れを解説します。

1. 会社支配のピークとその限界

1757年のプラッシーの戦いでベンガル地方の徴税権を得たイギリス東インド会社は、その後も軍事力を背景にインド支配を拡大しました。

しかし、企業による統治には次第に限界が見えてきます。

・経済的搾取が進み、インドの農民や職人の生活は悪化
・インド社会の伝統や宗教に配慮しない統治政策が反発を招く
・巨大な軍事費や行政コストで財政が逼迫

こうした矛盾が噴出したのが、セポイの反乱です。

2. セポイの反乱(1857年)

1857年、イギリス東インド会社軍のインド人傭兵「セポイ」が反乱を起こします。反乱のきっかけは、銃の弾薬に使われた「牛脂・豚脂問題」でした。

  • ヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な動物
  • イスラーム教徒にとって豚は不浄な存在

にもかかわらず、両者の宗教観を無視した弾薬が配布され、セポイたちの怒りが爆発します。

しかし、この反乱は単なる宗教問題だけでなく、イギリス東インド会社の搾取的支配への不満が背景にありました。

インド各地の農民・王侯・商人も次々と参加し、反乱は北インド一帯に拡大します。

最終的にイギリス本国軍の投入で鎮圧されますが、この事件はイギリスにとって「会社統治の限界」を突きつける出来事となりました。

3. 東インド会社の解散(1874年)

セポイの反乱後、イギリス政府は統治権を東インド会社から取り上げる決断を下します。

  • 1858年:インド統治法を制定 → インドはイギリス本国の直轄統治下へ
  • 1874年:イギリス東インド会社は正式に解散

つまり、ここで「企業統治」から「国家統治」へ完全に移行します。

入試では、「1858年インド統治法」「1874年解散」という2つの年号が狙われやすいです。

この2つをセットで覚えることが重要です。

4. ヴィクトリア女王インド女帝即位(1877年)

1877年、ヴィクトリア女王がインド女帝を兼任します。

これにより、インドは「イギリス帝国の一部」となり、イギリスの植民地支配が本格化する象徴的出来事となりました。

この出来事は、

・東インド会社時代の終焉
・「会社から国家へ」という支配構造の転換

を象徴するものとして、大学入試でも頻出です。

まとめ:企業統治から帝国支配へ

  • 1757年:プラッシーの戦い → イギリス東インド会社がインド支配を拡大
  • 1857年:セポイの反乱 → 会社統治への不満が爆発
  • 1858年:インド統治法 → イギリス政府による直接統治開始
  • 1874年:イギリス東インド会社解散
  • 1877年:ヴィクトリア女王インド女帝即位 → イギリス帝国の完成

つまり、東インド会社の歴史は「企業による貿易」から始まり、「企業による統治」、そして「国家による植民地支配」へとつながる大きな流れを描いています。

大学入試では、この支配構造の変化を理解しているかどうかが問われやすく、単なる年号暗記よりも「因果関係」を意識することが得点につながります。

ここまでで、東インド会社の設立から衰退・解散まで、時代の流れをつなげて解説できました。

第6章 東インド会社を世界史で学ぶ意義

「東インド会社って、ただの会社じゃないの?」

そう思って年号だけ覚えてしまうと、入試では点数を落とします。

東インド会社は、単なる貿易組織ではなく、大航海時代から産業革命、そして近代帝国主義への流れをつなぐ“カギ”です。

東インド会社を理解することで、世界史全体の時代感覚が整理され、論述問題や正誤問題でも一歩先を行く得点力が身につきます。

1. 大航海時代と近代世界システムをつなぐ「架け橋」

東インド会社を学ぶことで、大航海時代から近代世界システムがどう形成されたかが見えてきます。

  • 15〜16世紀:ポルトガル・スペインによる航路開拓
  • 17世紀:オランダが香辛料貿易を独占(オランダの黄金時代)
  • 18世紀:イギリスがインド支配を確立し、世界最大の植民地帝国へ
  • 19世紀:産業革命でイギリスが「世界の工場」に

つまり、東インド会社を中心に世界史を眺めると、「貿易 → 植民地 → 帝国」という一連の流れが一本につながります。

2. 入試頻出の理由:設立年だけじゃない!

大学入試で東インド会社がよく出題されるのは、単純に設立年が覚えやすいからではありません。

むしろ、時代感覚と勢力図の変化を問う問題が多いです。

よく問われる切り口は次の3つです:

  • 設立年と時代の覇者の対応関係
    → 1602年オランダ設立 → 17世紀の覇権はオランダ
    → 1600年イギリス設立 → 18世紀に覇権交代
  • 本拠地と戦略の違い
    → オランダ=バタヴィアで香辛料独占
    → イギリス=インド拠点で綿織物貿易から領土支配へ
  • 転換点となる戦争・事件
    → 1757年プラッシーの戦い
    → 1857年セポイの反乱 → 1858年インド統治法

これらを「流れ」で理解していれば、論述・正誤・一問一答、すべての問題に強くなります。

3. 現代につながる「グローバル経済」の始まり

東インド会社は、グローバル資本主義の始まりを象徴しています。

・世界初の株式会社として株式を発行(オランダ東インド会社)
・軍事力と貿易力を組み合わせた国家的企業モデル
・利益追求と国家戦略が一体化した、現代的な多国籍企業の原型

現代の経済史や国際政治を理解するうえでも、東インド会社を知っているかどうかで、視点の深さが変わります。

4. 「17世紀=オランダ」「18世紀=イギリス」という時代感覚の定着

世界史が苦手な受験生の多くは、時代感覚が整理できていないことが原因です。

ここで役立つのが、東インド会社を軸にした覚え方です。

  • 17世紀はオランダの時代
    → VOCが香辛料貿易を独占、アムステルダムが世界の商業中心地に
  • 18世紀はイギリスの時代
    → インド支配を足がかりに、産業革命で世界の覇権を握る

この「時代=覇権国」という大枠を意識すれば、年号暗記が苦手な人でも世界史全体を整理しやすくなります。

5. 論述対策にも有効

難関大では、東インド会社は単なる穴埋め問題ではなく、論述問題の素材として出題されやすい分野です。

例題:

17世紀から18世紀にかけて、東インド会社を中心としたアジア貿易の変化を、
イギリス・オランダ・フランスの動きを比較しながら150字以内で説明せよ。

17世紀、オランダ東インド会社(VOC)はバタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占し、アジア貿易の覇権を握った。一方、イギリス東インド会社はインドで拠点を築き、18世紀にはプラッシーの戦いに勝利してインド支配を進め、覇権をオランダから奪った。フランス東インド会社は遅れて参入したが、イギリスに敗北した。

こうした問題に対応するには、

  • 年号だけでなく、勢力図・貿易品・拠点・戦争までつなげて理解する
  • 「オランダ→イギリス」への覇権交代を軸に文章を組み立てる

ことが必要です。

6. 東インド会社正誤問題20本勝負!

東インド会社は世界史で超頻出のテーマですが、設立年・拠点・覇権交代・貿易品など細かい知識で混乱しがちです

ここでは受験生が間違えやすいポイントを中心に、正誤問題20問を厳選しました。

「17世紀=オランダ」「18世紀=イギリス」の流れを意識して挑戦しましょう!

【第1セット:基本編10問】

Q1. オランダ東インド会社(VOC)は1602年に設立され、バタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占した。

Q2. イギリス東インド会社はオランダ東インド会社よりも後に設立された。

※イギリス東インド会社は1600年、オランダは1602年なのでイギリスが先

Q3. フランス東インド会社はイギリスとオランダより早く設立され、香辛料貿易を独占した。

※フランス東インド会社は1664年設立で後発。貿易でも失敗。

Q4. VOCは世界で初めて株式を発行した株式会社として知られる。

Q5. オランダ東インド会社はインド全域を支配し、徴税権を獲得した。

※インド全域を支配したのはイギリス東インド会社

Q6. イギリス東インド会社はプラッシーの戦い(1757年)でフランスとベンガル太守を破り、徴税権を得た。

Q7. オランダ東インド会社の本拠地はポンディシェリで、南インドを中心に支配した。

※ポンディシェリはフランス東インド会社の拠点。本拠地はバタヴィア

Q8. 17世紀はオランダが香辛料貿易を独占し「黄金時代」を築いたが、18世紀にはイギリスがインド支配を拡大して覇権を奪った。

Q9. フランス東インド会社はプラッシーの戦いに勝利し、ベンガル地方の徴税権を握った。

※勝利したのはイギリス東インド会社

Q10. オランダ西インド会社はバタヴィアを拠点に香辛料貿易を展開した。

※西インド会社は大西洋貿易(奴隷・砂糖・タバコ)中心で、香辛料貿易ではない。

【第2セット:応用編10問】

Q11. オランダ東インド会社はモルッカ諸島を支配し、ナツメグ・クローブなど高価な香辛料を安価に買い付けた。

Q12. イギリス東インド会社は17世紀からすぐにアジア貿易の覇権を握った。

※17世紀はオランダが香辛料貿易を独占。イギリスが覇権を握るのは18世紀。

Q13. VOCは軍事力を持ち、他国の商人を排除して貿易独占を進めた。

Q14. フランス東インド会社はカリブ海の砂糖貿易を中心に設立された。

※砂糖貿易を担ったのはフランス西インド会社。東インド会社はアジア貿易目的。

Q15. オランダ東インド会社はニューアムステルダム(現ニューヨーク)を本拠地として発展した。

※ニューアムステルダムを支配したのはオランダ西インド会社

Q16. イギリス東インド会社はセポイの反乱(1857年)を契機に解散させられた。

※反乱後、1858年にインド統治法でイギリス政府が直接統治に移行、会社は1874年解散

Q17. フランス東インド会社は設立当初からアジア貿易でオランダ・イギリスを上回った。

※後発だったため、常にイギリス・オランダに劣勢。

Q18. 17世紀のアムステルダムはVOCの貿易によって世界商業の中心地として繁栄した。

Q19. オランダ東インド会社とオランダ西インド会社は、設立目的や活動地域が大きく異なる。

Q20. イギリス東インド会社はインド支配後も1877年まで継続的に統治権を保持した。

※1858年に統治権はイギリス政府へ移管。1877年ヴィクトリア女王インド女帝即位は政府直轄統治下。

まとめ:東インド会社は「世界史をつなぐカギ」

  • 東インド会社は、大航海時代から近代帝国主義までを結ぶ「軸」
  • 設立年だけでなく、覇権交代・貿易品・植民地支配を関連づけて覚える
  • 現代のグローバル経済や多国籍企業の原型としての理解も重要
  • 論述・正誤・一問一答すべてで頻出、時代感覚を整理する最強ツールになる
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