【受験世界史】イギリス経験論を徹底解説|ロック・バークリー・ヒュームと啓蒙思想への影響

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17世紀から18世紀にかけてのイギリス哲学を代表する潮流が「経験論」です。

経験論とは、人間の知識の源泉を「生得観念ではなく経験に求める」立場であり、ロック・バークリー・ヒュームといった思想家によって展開されました。

その源流には、16世紀末から17世紀初頭に活動したフランシス=ベーコンがいます。

彼は『新オルガヌム』において「帰納法」を重視し、自然科学の方法論を確立しようとしました。

彼の有名な言葉「知は力なり」は、経験的知識の積み重ねが人間社会を前進させるという信念を端的に示しています。

この経験重視の姿勢が、後のロックらによるイギリス経験論へとつながっていきました。

この経験論は単なる哲学的議論にとどまらず、「教育によって人は作られる」という思想を生み、教育改革や人権思想に直結しました。

さらに「生得的な唯一の真理は存在しない」という発想は、宗教的寛容や言論の自由の理論的根拠となり、啓蒙思想を後押ししました。

また、大陸の合理論と対比されながら、カント哲学へと統合されていく重要なステップでもあります。

本記事では、イギリス経験論の代表的な思想家であるロック・バークリー・ヒュームを取り上げ、彼らの思想が教育・人権・寛容を通じて啓蒙思想へどのようにつながったのかを受験対策の視点で整理します。

思想の流れの全体像を以下の図解で掴んでください。

スコラ哲学からカント哲学へ|思想史の流れを図解で整理
※「神中心 → 人間中心 → 理性・経験 → 啓蒙 → 近代哲学」への思想史の流れ掴みましょう。

スコラ哲学(中世/トマス=アクィナス)
│ 神学と理性を統合し、神中心の秩序を理論化。

ルネサンス人文主義(14〜16世紀/エラスムス・ピコ=デラ=ミランドラ)
│「人間中心主義」「古典復興」。近代思想の土壌を形成。

自然法思想(近世初頭/サラマンカ学派・グロティウス)
│理性による普遍的な法=自然法。人権・国際法の基盤。

科学革命(17世紀/ガリレイ・ニュートン)
│観察・実験から普遍法則を発見。近代科学の確立。

大陸合理論(デカルト・スピノザ・ライプニッツ)
│演繹法・理性重視。

イギリス経験論(ロック・バークリー・ヒューム)
│帰納法・経験重視。

啓蒙思想(18世紀フランス/モンテスキュー・ヴォルテール・ルソー・百科全書派)
│教育・言論・人権を強調。市民社会と革命へ影響。

カント(合理論+経験論を総括・啓蒙思想を定義)
│合理論+経験論を総括。啓蒙を哲学的に定義。

ドイツ観念論(フィヒテ・シェリング・ヘーゲル)
│カント哲学を発展・体系化。近代哲学の大成。

目次

第1章 フランシス=ベーコン ― イギリス経験論の源流

1. ベーコンの思想

16世紀末から17世紀初頭に活躍したフランシス=ベーコン(1561〜1626)は、しばしば「近代科学の父」と呼ばれます。

彼は『新オルガヌム』において、従来の権威や推論に頼る学問を批判し、観察と実験の積み重ねによる帰納法を強調しました。

有名な言葉「知は力なり」は、科学的知識が人間生活を改善し、社会を進歩させる力になるという信念を示しています。

2. デカルトとの対比

ベーコンは「経験から出発して一般法則を導く(帰納法)」を提唱しました。

一方で、大陸のデカルトは「理性から出発して個別を導く(演繹法)」を重視しました。

☞ この ベーコン(帰納法=経験重視) vs デカルト(演繹法=理性重視) という対比は、のちのイギリス経験論と大陸合理論の違いを先取りするものでした。

3. 経験論へのつながり

ベーコン自身はロックやヒュームのように「人間の知識の本質」を詳しく分析した哲学者ではありません。

しかし、「経験を重視し、知識を社会改善に役立てる」という姿勢は、イギリス経験論の重要な出発点となりました。

☞ この流れが、ロック・バークリー・ヒュームらによる本格的な経験論へとつながっていきます。

第2章 イギリス経験論の成立とロック

1. 経験論の基本的立場

経験論は「人間の知識は経験に基づいて形成される」とする立場で、大陸合理論(理性を真理認識の基礎とする立場)と対照的に理解されます。

特にイギリスでは経験的・実証的な伝統が強く、政治・経済・科学といった分野にまで影響を及ぼしました。

2. ジョン=ロック(1632〜1704)

ロックは『人間悟性論』において、人間の心を「白紙(タブラ=ラサ)」にたとえました。

これは「人間には生まれつき観念は存在せず、知識はすべて経験から生じる」という考えを意味します。

この発想は教育や社会改革に直結しました。

もし人間の心が白紙なら、教育・制度・環境を整えることで、人間はより良く“作り変えられる” ことになります。ここから次のような重要な意義が導かれました。

  • 教育改革の正当化
    “白紙”なら万人に教育の意味がある。これにより識字教育・市民教育・職能教育の拡充が正当化されました。ロックの『教育に関する考察』は習慣形成や経験学習の重要性を強調しています。
  • 宗教的寛容・言論自由の根拠
    生得的な「唯一の真理」は存在しないとすれば、宗教や思想の自由を認めるべきだという理屈になります。これはヴォルテールらフランス啓蒙の寛容論にも直結しました。
  • 政治思想への応用
    ロックの『統治二論』は自然権(生命・自由・財産)の保障を政府の役割としました。政府がこれを侵害すれば抵抗権が認められるとし、この思想はアメリカ独立宣言(1776)やフランス人権宣言(1789)に反映しました。

3. ロック思想の意義

ロックの経験論は単なる認識論ではなく、教育・寛容・政治思想を貫いて社会改革を可能にする理論でした。

ここに「人間社会は理性と制度設計によって進歩できる」という啓蒙思想のコア信念が準備されたのです。

第3章 バークリーとヒューム ― 経験論の展開と限界

1. バークリー(1685〜1753)

アイルランド出身の哲学者バークリーは、ロックの経験論をさらに徹底させ、「存在するとは知覚されることである」と主張しました。

これは「物質とは、知覚されることでのみ存在する」という立場で、一般に主観的観念論(唯心論)と呼ばれます。

つまり、物質世界の実在を独立して認めるのではなく、人間の意識や知覚に依存すると考えたのです。

この議論は経験論を突き詰めた結果、物質的実在の基盤を揺るがす大胆な主張となりました。

2. ヒューム(1711〜1776)

スコットランド出身のヒュームは『人間本性論』において、経験論を懐疑的に徹底しました。

彼は因果関係について「私たちは原因と結果の必然的なつながりを経験しているのではなく、単に繰り返しの経験から心的習慣を形成しているにすぎない」と論じました。

この立場は「因果律への懐疑」と呼ばれ、経験論が行きつくところまで行った結論とされています。

ヒュームはまた、人間の理性の限界を強調し、宗教的信念や形而上学的議論に対しても批判的でした。

3. 経験論の意義と限界

  • 意義:経験論は「知識は経験から」という発想を社会・教育・政治へ広げ、啓蒙思想の基盤を与えました。特にロックを通じて人権思想や教育改革につながった点は決定的です。
  • 限界:バークリーやヒュームに至ると、経験論は「物質の存在否定」や「因果律懐疑」という極端な方向に進み、むしろ理性による統合の必要性を浮き彫りにしました。ここからカントの批判哲学が登場し、合理論と経験論を総合する方向へ進むことになります。

第4章 経験論の広がりとその歴史的意義

1. イギリス経験主義から経験科学へ

ロック・バークリー・ヒュームの経験論は、経験主義という方法論としてイギリス思想全体に広がりました。

  • 政治学:ロックの社会契約論は立憲主義を正当化し、アメリカ独立へ直結。
  • 経済学:ヒュームは貨幣数量説などを展開し、アダム=スミスは『国富論』(1776)で観察と経験に基づく近代経済学を確立。
  • 科学的方法:自然科学で成功した観察・比較・統計のアプローチを社会改革にも応用。政策や教育を「実験的に改善する」という発想が芽生えました。

これにより、経験論は「人間の科学」を生み出し、近代社会科学の基盤となりました。

2. フランス啓蒙思想への影響

イギリス経験論はフランス啓蒙思想に強い影響を与えました。

  • ヴォルテール:ロックを熱心に紹介し、宗教的寛容や言論の自由を擁護。
  • コンディヤック:感覚を重視する心理学的経験論を展開。
  • エルヴェシウス:人間は教育と環境によって形成されると主張し、教育万能論を提示。

これらはフランス啓蒙の教育・言論・権利思想の柱となり、百科全書派や啓蒙専制君主の改革に具体化しました。

3. ヒュームの懐疑論とカントへの橋渡し

ヒュームは「因果関係は経験の繰り返しから生じる心的習慣にすぎない」と主張し、経験論を懐疑論へと徹底しました。

これは「理性の限界」を示すものであり、経験論の到達点となりました。

この批判に刺激を受けたのがカントです。

カントは「ヒュームによって独断のまどろみから目覚めさせられた」と述べ、合理論と経験論を批判的に総合する批判哲学を築きました。

経験論はここで次の段階へとバトンを渡し、ドイツ観念論へとつながりました。

重要論述問題にチャレンジ!

イギリス経験論が啓蒙思想に与えた影響と、その限界について200字程度で説明せよ。

イギリス経験論は、知識を経験に基づくとするロックの白紙説により、教育改革や自然権思想を正当化し、啓蒙思想に直結した。バークリーは存在を知覚に依存させ、ヒュームは因果律を懐疑した。これらは経験論の極端な展開であり、理性の限界を露呈させた点で、カントによる合理論と経験論の統合へつながる契機となった。

一問一答と正誤問題に挑戦しよう!

イギリス経験論 一問一答&正誤問題15問 問題演習

一問一答(10問)

問1
「存在するとは知覚される」と主張した哲学者は誰か。

解答:バークリー

問2
バークリーの哲学的立場を一般に何と呼ぶか。

解答:主観的観念論(唯心論)

問3
ヒュームが著した代表的著作は何か。

解答:『人間本性論』

問4
ヒュームによれば、因果関係とはどのようなものか。

解答:繰り返しの経験から生じる心的習慣にすぎない

問5
ロックの白紙説をラテン語で何というか。

解答:タブラ=ラサ

問6
ロックの『統治二論』における政府の目的は何か。

解答:自然権(生命・自由・財産)の保障

問7
ロックの経験論をフランスに紹介し、百科全書派に影響を与えた思想家は誰か。

解答:ヴォルテール

問8
経験論の発展が強調した学問的方法は何か。

解答:観察・実証・帰納

問9
ヒュームの懐疑論は、どの哲学者の批判哲学につながる契機となったか。

解答:カント

問10
経験論が教育や政治思想に与えた中心的な意義は何か。

解答:人は教育や制度によって改善可能であるという信念を与えたこと

正誤問題(5問)

問1
バークリーは「物質は独立に存在する」と主張した。

解答:誤(存在は知覚に依存するとした)

問2
ヒュームは因果関係を「経験的習慣」として説明した。

解答:正

問3
ロックの「白紙説」は、教育改革の根拠として啓蒙思想に直結した。

解答:正

問4
イギリス経験論は合理論と同様に「生得観念」の存在を重視した。

解答:誤(生得観念を否定した)

問5
経験論の限界を理論的に統合したのはカントである。

解答:正

イギリス経験論のまとめ

1. まとめ

イギリス経験論は、ロックによる「白紙説」から出発し、教育改革や自然権思想を支える実践的意義を持ちました。

バークリーは「存在するとは知覚される」として物質の実在を意識に還元し、ヒュームは因果関係を懐疑したことで理性の限界を突きつけました。

このように経験論は、啓蒙思想の理論的基盤を与えつつ、その限界を露呈させ、カントの批判哲学へとつながる重要なステップとなりました。

2. フローチャート:イギリス経験論から啓蒙思想へ

ロック(1632〜1704)
│ 『人間悟性論』:白紙説(タブラ=ラサ)
│ 『統治二論』:自然権・社会契約論
│ ↓ 教育・人権思想に直結

バークリー(1685〜1753)
│ 「存在するとは知覚される」
│ → 主観的観念論(唯心論)

ヒューム(1711〜1776)
│ 『人間本性論』:因果関係を経験的習慣と説明
│ → 懐疑論・理性の限界を提示

啓蒙思想(18世紀フランス)
│ 理性+経験を応用し社会改革へ

カント(1724〜1804)
│ 『純粋理性批判』で合理論と経験論を総括

ドイツ観念論へ発展

イギリス経験論は「人間は経験を通じて成長する存在である」という発想を基盤に、教育や人権思想、啓蒙思想を方向づけました。

しかしその極限では懐疑論を生み、理性の限界を示したため、カントの批判哲学へと橋渡しする重要な思想史上の段階となりました。

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